白い風景によせて

小樽の旅行で北一ヴェネツィア美術館に出掛け「ルチオ・ブバッコの世界」をみてきました。 ガラスを通して人間を表現した作品(単なる人形とは違うように思います)で、はじめは、 私は置物の感覚で淡々とみていたのですが、アニューマンのシリーズをみた途端、 そこから目が離せなくなってしまい、結局展示室の中を何度も行ったり来たりして図録も買ってしまいました。

それらはその言葉の通り、動物(アニマル)と人間(ヒューマン)が一体化したもので、体は 人間だけれど、頭の部分が馬であったりさそりであったりして、一見とてもグロテスクにみえてしまう作品群。 でもその表現があまりにリアルでストレートなので、好みの問題というより何より、たとえるなら 提出されたレポートをとりあえず読むしかない、という感覚でした。おそらくいつもの私だったら 毛嫌いして通り過ぎたものだったと思います。ですが、実は同じ日の朝、私は一羽の野鳥の死骸をみていました。

それは中心街から少し離れた手宮の辺りで、偶然目にしました。まだ少し新しく、 雪さえもそのまわりに近づくのを遠慮しているようでした。そして何よりもその鳥は頭部がなく、 もぎとられた跡がありました。流れ落ちているはずの血も寒さで凍結していました。 私はただそれをみつめるばかりで何もすることができませんでした。 私の後ろを何台かの車が走っていきましたが、その間、誰一人歩いてくることもなく、 私は静けさと、雪に反射してまぶしいくらいの太陽の中、ただ立ち尽くすばかりでした。

その出来事は、私にとってはできるならどちらもみたくないものであり、 避けて通り過ぎてしまいたいものでした。でも本当はみなくてはならないもの、 しっかりと受け止めなくてはならないものではなかったかと思わずにはいられません。 みたくなければみないですんだもの。それに、普段から人間にはそういう想像力や、 そういう現実があるということはわかっていたつもりでした。 が、改めて目の前にしてみて、生きていくということの、生き続けていくということそのものを、 みずにはいられなかった、そんな気がしています。

さて。話は変わって、いよいよ来週のはじめには新しいページが増設されます。その名も 「シェックの音楽」です。どうぞお楽しみに。<2001.03.15 vol.17>

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