小説で読む音楽の世界
小説の話が続きますが、私にもやはり以前、小説を書きたいと思った時期がありました。
構想までは自分なりにいいところまでいった(と思う)のですが、なにしろ理数系の知識に弱く、未だに実現しないままです。
けれどもただそれだけでなく、とても簡単な理由が他にもあって、私が書きたかったまさに理想そのものの小説に出会ってしまったからです。
それは二冊あって、まず一冊は、オースン・スコット・カード氏の「ソングマスター」(ハヤカワSF文庫)。
人々の琴線に触れ、その心を奥底から揺さぶる魂の歌い手ソングバード、アンセットの物語。
そしてもう一冊は、ヘルマン・ヘッセ氏の大作「ガラス玉遊戯」。これは四百年後の文化の形を想定した近未来小説で、ガラス玉遊戯とは、芸術(特に音楽、文学)と学問(特に数学、哲学、言語学)を瞑想を土台として奏でられる総合文化。主人公クネヒトはその遊戯名人となるが…?というもの。
前者を読んだときは、ヤラレタ!という感じでしたが、後者を読んだときは、もう降参するしかありませんでした。さすがに十年かけて書き上げた作品だけあって、素晴らしいの一言につきます。この傑作がどうしてこの国内で再販されないままなのか不思議なくらいです。
音楽をテーマにした小説は多くありますが、音楽の内側に秘められた世界そのものを、楽器を通してではなく人間の精神でもって表現している作品は少ないのではないでしょうか。
ある意味これらこそ、音楽の、もしくは音楽の持つ癒しの姿を未来に予告しているのかもしれません。
それが現実のものとなるかは別として。
<2001.02.15 vol.16>