阿修羅展
ゴールデン・ウィークに「国宝 阿修羅展」に出掛けてきました。
どちらかというと夕方が比較的空いているということだったので、
その日の昼頃には東京に着いていたのですが、先に渋谷に行って
岡本太郎さんの「明日の神話」をみてきました。
それは、実際に目の前に立ってみるととても大きな壁画でした。
少し上の位置に設置されていたので、首を上げて下から眺めていたのですが、圧巻です。
圧巻すぎて逆に「明日の神話」を通して岡本太郎さんにみられている、
そんな視線さえ感じました。
また、よくみると修復跡もわかりましたし、中央の人間の白い部分はキャンバスから
盛り上がっていました。
こういう発見があると、やはり実物をみないことにはわからない部分が
確かにあると再認識させられます。
これは、かなしみ。大きな大きなかなしみ。
けれどそれでも生きよ、と言っている。
すべてが生まれ、立ち去る中、うずまく中、それでも生きよ、と。
そのエネルギーが確かに新しいエネルギーを与えてくれている、
これが生命の続いていく強さ。
その後、上野へ。待ち時間もなく、八部衆、十大弟子像を眺め、いざ、阿修羅像の部屋へ。
その真ん中に、いらっしゃいました。
まず、ひと目みただけでドキドキしました。
小さな身体で私たちを見下ろしていました。苦悩の表情で。
それなのにどこか慈悲深くみえるのはなぜでしょう。やはり写真とは違いました。
多分時計回りで五回は眺めてまわったと思います。360度。
真正面と少し下からの正面と、見方によって顔が違ってみえました。
左側ななめ前からみると少し前かがみ。
耳は四つ。手は小さく、目は涙で潤んでいる。そしてあの背中。
一番気に入ったのは、右側ななめ横から前を見る角度。手の位置がきれいに視界に入ってきて…。
思えば、私の阿修羅との出会いは、光瀬龍さんの小説「百億の昼と千億の夜」のあしゅらおう。
今回ガラスケースなしで、同じ空間に立つことができて、まさに感動でした。
その「阿修羅」が手を合わせている姿を眺めながら、ふと、「明日の神話」が私の中で重なりました。
それでも生きよ。そこに理由はないのでしょう。
<2009.06.15 vol.110>