純粋旋律論

ico

詩活動の要となる《詩論・私論・試論》
〜内なるこえに耳をすます.それが外とつながること〜

ico


純粋旋律 第二

純粋旋律 第三






純粋旋律


私たちは確かにこの手に持っている。

精神でもあり、心でもある、
人間を人間たらしめている目に見えない何か。
生まれる前から持っていて、
これを大きく豊かなものにすることができるか否かは、
所有する私たち次第。

静かな夜、私たちは耳をすます。
身体の中を血脈のように絶え間なく流れている、
この何かに対して耳をすます。
そこに自分の内なる鼓動(こえ)をきき、
内なる 旋律(うた)をきくために。
そうすることで自分が今何を求め、
自分に今何ができるかを知ることができるから。

それはいわゆる、

個性(らしさ)というものかもしれない。

魂というものかもしれない。

宇宙というものかもしれない。

正義というものかもしれない。

それはたとえば、

モーツァルトであるかもしれない。

ビリー・ジョエルであるかもしれない。

ワルツであるかもしれない。

サンバであるかもしれない。

それは、ある時ふいに出会った何かに対して、
情熱を傾けずにはいられなくなり、
何かせずにはいられなくなり、
手紙を書かずにいられなくなり、
踊らずにはいられなくなり、好きにならずにいられなくなる、
そんな自分を見出すために、基準であるかもしれない。

私たちはこうして思考し、選択しながら生きている。
自らを信じ、望み願い、悩み迷い、
磨き鍛えながら、毎日を生きている。
そうしてそこにあるはずのただひとつの何かを支えながら。
人間が人間であるためにもたらされたに違いない、
目に見えない何か、純粋旋律(というものかもしれない)を、
ゆっくりと少しずつ育みながら。

たとえそれがかすかなものであっても、
私たち自身がこの地上に存在するという
事実のために、それもまた、あるからには。
私たち自身が目に見えないものを想像し、
作り出すことができるという
事実のために、それもまた、あるからには。

風がここにあるように。

音楽がここにあるように。

ここにひとつ、そんな想いがあるからには。






同時初出 「はるかなる道のり」
「LATIMERIA」製本版 16号
「LATIMERIA」ホームページ98年2月掲載





もくじへ戻る