(前ページより)
一九○八年六月三十日
「気分はずっと良くなっている。この冬の憂鬱と不安は去り、希望と明るさを感じる。私がしているように、毎朝、机にむかう前に丘まで歩けば誰でも心が癒されるだろう。両側にはエゾ松が並び、むこうには緑のまきばが広がる。『人生はかくも麗しいと主に感謝しながら』てくてく歩いていく。‥(略)‥。
早なりのイチゴをつみにいった。夕方、海岸沿いへ出かけ、草が風にそよぎ甘く香る野原でカップいっぱいにつんだ。イチゴつみは大好き。若さを持続させる何かがある。ギリシャの神々たちもオリュンポスの山で威厳をそこねずにイチゴをつんだことだろう。
このところ『赤毛のアン』の書評が出るのでずっとわくわくしている。書評が好意的である限りは。すでに第二版となり、版元は続編を急かしている。今書いているところだが『赤毛のアン』ほどは良くないだろう。前作のように簡単にはいかない。無理して書かなければならない」(原書p335)
「人生はかくも麗しい……」の言葉は、本書『アンの青春』第三十章にも引用されるアメリカの詩人インジェローの『分けられて』の一節です。また早なりのイチゴつみのくだりも本書第二十七章に出てきます。
一九○八年七月三十一日
「散歩からもどって書斎に上がり、次の本の最後の章(本書『アンの青春』第三十章)を書き始めたとき、メアリおばさんが居間を走ってきて叫んだ。『モード、火事よ!』」モンゴメリはハシゴをかけて屋根にのぼり、火元の台所にバケツの水をかけて消火します。幸い消し止めましたが、十分遅ければ手遅れだったこと、恐ろしさに全身がふるえ、ショックと恐怖が続いたことを記しています。(原書p338)
一九○八年八月三日
「今日、二冊目の本(本書)を書き終えた。長い間この本に没頭していたので自分では正しく評価できないが、『赤毛のアン』ほどは良くないだろう。昨年の十月から書き始めたが、この夏はそれを壊したり、素材を集めたり、組みたて直したりしていた。(つづく)
黎次へ麗戻る
驪目次戀トップ