第4回●『アンの青春』を執筆した三十三歳のモンゴメリ……当時の日記から(松本侑子)

 モンゴメリが本書『アンの青春』を執筆したのは一九○七年十月から翌年十月、主に三十三歳の時でした。
 初めての本『赤毛のアン』が出たのは一九○八年六月ですから、モンゴメリが本の著者となり、それが大ベストセラーとなる前から、版元ペイジ社の求めにより続編に取り組んでいたのです。祖父亡きあと、モンゴメリは年老いた祖母の世話をしながら、祖父が担当していた地方郵便局の業務を手伝い、その合間に筆を執りました。
 一九○八年の日記(邦訳未刊)を読むと、本書に関する記述はわずか六か所です。この年の日記の記述から、その部分を抜き出してご紹介しましょう。
一九○八年一月十二日
「次の本(『アンの青春』)をせっせと書いている。冬の執筆は気が滅入る。ほかの部屋は暖かくないので台所で書かなければならないからだ。郵便局に人の出入りが多く、しょっちゅう中断する」(原書p334)
一九○八年六月二十日
「今日は、アンなら『人生の一大事』とでも言いそうな一日だった。今日、『赤毛のアン』の本が届いたのだ、版元から届いたばかりのほやほや。正直に言うと誇らしく、すばらしく、胸躍る瞬間だった! 私の意識という全存在がつむいできた夢、希望、野心、奮闘が、本という目に見える形となって実現したのだ、私の最初の本! 偉大な本ではないかもしれない、けれど私の本、私が書いた、私のもの、この私が生み出したもの、自分がいなければ決して存在しなかった本だ。外観は望んでいた通りで、カバーデザインが愛らしい。装丁、印刷もいい。いずれにしてもアンなら、必ずやぴったりの装丁にすることだろう。献辞の頁には『今は亡き父母の思い出に捧ぐ』と書いた。ああ、両親が生きていたなら、きっと喜んで誇りに思ってくれただろう。お父さんが、どんなに瞳を輝かせたことだろう」(原書p335)(つづく)
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