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ビデフォードはキャベンディッシュからモルペーク湾をぐるりとまわって百二十キロも離れているため、モンゴメリは学校近くのメソジスト教会の牧師館に下宿していました。牧師の妻エスティ夫人はケーキに痛み止めの薬を入れて焼いた人物で、生涯忘れられない味だったとモンゴメリは書いています。『赤毛のアン』で、アンがアラン夫人に痛み止め入りのケーキを焼いたユーモラスなエピソードは、下宿先で経験した実話だったのです。
モンゴメリは当時からすでに作家を目指していました。そのためにより専門的に文学を学ぼうと、ビデフォードで一年間働いた給料の半分以上を貯金して、二十代前半のモンゴメリは、カナダ南東部、ノヴァスコシア州の都ハリファックスにわたり、名門ダルハウジー大学に通います。
この学生生活は、シリーズ第三巻『アンの愛情』の下敷きとなっています。アンが通うキングスポートのレッドモンド大学は、ハリファックスのダルハウジー大学がモデルです。
ハリファックス時代のモンゴメリは、大学で文学のコースを受けながら、アメリカやカナダの新聞雑誌に詩や短編小説を投稿し、その賞金と掲載料で少しずつ収入を得るようになりました。それを元手にシェイクスピア全集、ワーズワース、ロングフェロー、ホィティアなどの詩集を揃えて計画的に読破しています。しかし学費が続かず、半年で島に帰ります。
二つめの赴任地は、島の西部モールペク湾沿いの村ベルモントです。一八九六年十月から翌年の六月まで教えました。
三つめの赴任地は島の南部ロウア・ベデック。ここでは下宿先の農家の息子ハーマン・リアードと激しい恋に落ちます。しかしモンゴメリを育ててくれた祖父が亡くなり、祖母が一人のこされたために、キャベンディッシュにもどり、一八九八年に二十四歳で教職を退きました。それから『赤毛のアン』が出るまでの十年間、投稿生活を続けます。
──『アンの青春』(モンゴメリ著、松本侑子訳、集英社、2001年10月25日発行)の「あとがき」より。無断転載厳禁
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