アンの愛情の心がきれいになる言葉 第2回

寒くなってきましたが、東京は、菊の花が満開です。枯葉いろの季節のなかで、秋の陽ざしを集めたように明るく咲いています。
さて今日は、『アンの愛情』を書いていたころのモンゴメリについて、簡単にご紹介しましょう。

この小説は、1915年の夏に発行されました。この年の11月30日、モンゴメリは41歳の誕生日をむかえます。
1911年の夏に牧師と結婚したモンゴメリは、プリンスエドワード島を離れ、カナダ本土にあるオンタリオ州の村リースクデイルに移り、牧師夫人として暮らしていました。
1912年には、最初の男の子を出産して、母親になった喜びと幸福に満たされました。
しかし1914年には、次男を死産します。この経験は、アンの赤ちゃんが亡くなる後の物語につながっているのかもしれません。

また1914年7月には、第一次世界大戦が始まり、カナダからは数十万人もの兵士、そして従軍看護婦が、ヨーロッパの戦場へ送り出され、死闘を繰り広げました。
モンゴメリが暮らすリースクデイルの村でも、若者たちが軍隊に入って戦地へ出征し、命を落とした兵隊もいました。
モンゴメリは、村の教会で、青年たちの無事を案じて、祈祷の集会を行っています。 この戦争前から戦争中に書かれたのが、『アンの愛情』です。
第一次大戦中のカナダが、どんな状況だったのか、日本にいる私たちは、あまり知る機会がありませんが、幸い、昨年、日本で公開されたカナダ映画「アンの結婚」は、第一次大戦を描いています。
ビデオ、DVDも出ていますので、機会があれば、ご覧になってみてください。(次へ)

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