** 温泉 2 **


遅刻魔と署内で評判の青島にしては、順調な時間に(と言っても5分は優に遅刻していたのだが)待ち合わせの場所に辿り着いた。

確かこの辺で待ち合わせたんだけど…。

辺りを見回すが、それらしい人陰が見付からない。あれ?とキョロキョロとしていると、背後から控え目に「青島」と呼ぶ室井の声が聞こえた。

「あ、室井さん。すいません、待ちました…か」

謝罪しつつも笑顔を浮かべようとした青島は、振り返った後にその場で固まってしまったのだった。

「いや、今来た所だ。……青島?」

固まってしまった青島を訝しそうに見詰める室井だったが、青島が固まってしまうのも仕方の無い事だろう。何故なら、今の室井の姿はいつものしっかりと固めた頭を簡単に流す程度にふわりとセットされ、鎧の様なかっちりとした三つ揃いのスーツ姿ではなくグレーのダッフルコートにホワイトのざっくり編みなセーター、ダークグリーンのチノパンと言う出で立ちだったのだ。

何か、…凄い得した気分かも。

思いっきり我を忘れて見蕩れていると、そんな青島に室井は益々不安になって再び声を掛けた。

「どうした?」
「えっ、いえ!」

慌てて正気に戻るが、視線は明後日の方向を向いてしまう。単に直視するにはまだ心の準備が必要だっただけなのだが、そんな青島の行動に、更に室井は不安が増してしまう。

「……変か?」

自信なさげな室井の声に、慌てて青島は否定した。

「そんな事ありません! すっごく似合ってます!」
「そうか? 着るモノが無くて、大学時代の服を引っぱり出して来たんだが」
「………」

室井さんの大学時代って何年前?

物持ち良いなぁって言うか、何で今でもそんな頃の服が似合う訳?とイロイロ疑問が頭をぐるぐる回ってしまう青島だったが、取り敢えず返答のしようがなかったので、曖昧に笑って誤魔化してしまう。

「じゃ、そろそろ行きましょうか」
「そうだな」
「え、あ、室井さん、そっちじゃありません」
「ん? あ、ああ」

いきなり反対方向に向かおうとした室井のちょっとそそっかしい部分につい笑みを漏らすと、室井は照れ臭さを誤魔化す様にじろりと睨みつけた。

「あっ、室井さん、弁当買って行きましょうよ」

さっさと電車に乗り込もうとする室井に慌てて手招きして言った。

「やっぱ、旅行には弁当でしょう」
「……そうなのか?」

そういうもんか、と疑問に思う室井だったが、そう言えば出張の時に同行する部下も必ず弁当を買って差し出してくれていたのを思い出して一人納得した。

「…随分種類があるんだな」

今迄自分で選ぶ等と言う事は無かったので、売店に所狭しと沢山並べられた弁当を興味深気にじっと見詰めてしまう。そんな室井とは対照的に、青島は嬉しそうに室井に向かってお勧めの弁当を説明していた。

「これ! この弁当、テレチャンで紹介されてたんスよ。一度食べてみたかったんスよね〜。俺が先に食べた事を知ったら、すみれさん怒るだろうなぁ。あ、室井さんは何にします?」
「……幕の内で良い」

子供の様にはしゃぐ青島に苦笑しつつ、二人は弁当を無事購入して電車に乗り込んだのだった。

弁当に舌鼓を打ちつつ、青島は室井に署内であったいろんな事柄を面白可笑しく話し続けていた。一方、室井は「ああ」とか「そうか」等簡単な相槌程度の台詞しかしていなかったのだが、青島の話す言葉にしっかりと耳を傾け、興味深そうに聞き入る姿は青島にとって嬉しい事だった。

何かこんなに真剣に聞いてくれちゃうと、恥ずかしいって言うか照れるよね。

「どうかしたか?」
「えっ、いいえ!」

そんなこんなでようやく目的の駅に着いた二人は、電車を降りて改札口へと向かっう。その時、土産物屋を見付けた青島が、ふと立ち止まった。

「室井さん」
「どうした?」

じっと見詰めている青島の視線の先を辿ると、其処には一枚の貼り紙が貼ってあった。

「…『みかん珈琲』?」
「此処で飲めるみたいッスね。ちょっと飲んで行きません?」

正にワクワク、と言った感じで訊ねる青島に、見えない尻尾が盛大に振られている様な気がする室井だった。

「構わんが……お、おい!」

苦笑しつつ許可をする室井に青島は「やった!」と喜ぶと、室井の背を押して店の中に入って行った。
店内は駅の待ち合い室と言った具合の簡単な作りで、店員は土産物屋と兼用していた。そんな中、青島は忙しそうにしている中年の女性に「お姉さん、みかん珈琲二つね」と愛想ばっちりに笑顔で注文し、席に座る室井に差し出した。

「はい、室井さん」
「ああ、ありがとう」

紙コップに入った珈琲を受け取って顔に近付けると、みかんの香が思いっきり漂っていた。

「うわ、これ凄いみかんの匂いッスよ!」
「……そうだな」
「あ、でも味はまるっきり珈琲なんスね。面白いなぁ」

ひとしきり感心した青島は、その後旨そうに飲み始める。そんな彼を眺めやり、室井は自分の紙コップを見詰めて一口飲んでみる。

「ね、旨いッスよね」
「……変わった…飲み物だな」

思いっきり複雑そうに眉を寄せる室井は、何でわざわざみかんと珈琲を一緒にしようと考えたのか、と真剣に悩んでいるのだった。青島に言わせると「面白いし旨いから良いじゃないッスか」と言う事で終わってしまうだろうが、単に此処がみかんの生産地だから考えた代物なんだろう、と言うのが正解なのだと思われる。
飲み終わった青島はかなり気に入った様で、土産に買っていこうとカウンターを覗き込む。だが、小さな缶入りのモノしかないので纏めて買って署の皆に飲ませる、と言う訳には行かず、個別に買って行くなら誰に買って行こうかと悩んでいた。

「沢山買うとかさばって邪魔だから、署には温泉饅頭でも買って行くとして…すみれさんに一個、雪乃さんに一個、圭子ちゃんや篠原さんにも買って行った方が良いよな」

ぶつぶつと呟きながら悩む青島の台詞に、思わず室井の眉が顰められる。そんな室井の心中に気付かない青島は、

「室井さん、四個で足りると思います?」

等とお間抜けな事を訊ね、室井の眉間の皺は深くなるばかりだった。

「……知るか」

ぷい、と横を向いてしまった室井に、青島は首を傾げる。俺の分もあるから五個になるのか、と一人呟きながら、ふと室井を見て再度訊ねる。

「室井さん、買わないんですか?」
「家で飲んでいる暇等無い」

そう言ってさっさと出入り口に出て行ってしまう。流石に室井の機嫌が悪くなっているとは気がついた青島だったが、その原因が判らない彼は取り敢えずみかん珈琲を六個購入したのだった。

「お待たせ致しました。はい」

明後日の方向を見て待っていた室井に近寄り、青島は笑顔でお土産のビニール袋を一つ差し出した。

「何だ?」
「室井さんの分です」
「……私はいらないと…」
「これは俺から、室井さんに此処に連れて来て貰ったお礼って事で受け取って下さい。ちょっと安いお礼ッスけど…」
「そんな事はしなくて良い」
「え、でも折角二人で旅行に来た記念に丁度良いじゃないですか。飲む時間が無いって言っても、これ結構正味期限ありますし、味も悪くなかったでしょ?」

出来ればこれを飲む度、自分との事を思い出してくれたら良いな、なんて下心もあったりするのだが、それはこの際黙っておく。

「……ありがとう」

そんな青島の心を知らない室井は、困った表情ながらも素直に礼を言って受け取った。何となく機嫌の直った室井に安堵した青島は、駅の外に出て目の前の山を指差した。

「あの山にロープウェイがあるんですって。さっき店の人が割引券をくれたんスけど、乗ってみませんか?」

青島のいきなりの提案に驚いている室井の返事を待たず、今度はあろう事か手を繋いだまま引っ張って行かれ、思わず焦ってしまう室井だった。

「こ、こらっ、青島!」
「何スか?」

けろり、とした表情で悪びれずに返事をする青島を、室井はじろりと睨んで言った。

「判ったからこの手を放せ」
「え、ああ、すいません」

内心残念に思いながら手を放して室井を解放すると、室井は握られていた手を慌てて引っ込め、もう一方の手で握り締めた。そんな室井の様子をじっと見ていると、俯いてしまった彼の目許が僅か赤らんでいるのに気付いた。

あれ?

驚いた表情で見詰める青島の視線に気付いた室井は、慌てて直ぐに元の無表情な顔を作って青島を真直ぐに見た。

「何だ?」

そんな彼の仕種をじっと見詰めていた青島は、

「何でも無いです」

とにっこり笑って目的のロープウェイ乗り場迄歩き始めた。

まさか、そんな都合の良い事有る訳無いよね。

ぽりぽりと頭を掻いて軽い溜め息を吐く青島を、室井は不思議そうに見遣るのだった。




NEXT 3






良いから早く温泉宿に行ってくれ〜〜っ!(大泣)