>ボーカルは伊武雅刀です。
特に面白いことも思いつかない日については何も書かない方がいいのだろうかと悩むところではあります。
>また、負け戦じゃったのう。
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「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」というセリフが死を呼ぶ、という現象を死亡フラグと呼ぶ。この現象が真であるならば、それぞれの事象には親和性があるため、近くに寄せると残りの一つを引き寄せると言う仮説が成り立つ。
平たく言うと、「俺」と「終わる」と「戦い」と「結婚」と「死亡」は五つで一つのセットであり、一つの要素が欠けるとその要素を引き寄せるのである。
この仮説を展開すると
「俺が死亡したら、この戦いは終わるんだ」
は、結婚が足りないので結婚を引き寄せ「結婚」フラグとなるはずである。歴史においても第二次世界大戦の終結、すなわちドイツ敗北の直前に、ヒトラーは地下壕で結婚式をあげてから自殺したと聞いている。結婚フラグである一つの例である。
さらに
「この俺が終わったら、結婚は死ぬんだ」
は、「戦い」フラグ。夫が人生の敗残者となれば、夫婦仲は冷え、離婚となり、財産分与を巡って醜い争いが発生するというのは、現代格差社会ではありふれた光景である。戦いのフラグである。
さらに
「俺が戦い、結婚は死亡する」
は、「終わり」のフラグ。夫が企業戦士として仕事に明け暮れ家庭を顧みないと、結婚と言う制度は破綻し、夫婦間は終わりとなる。終わりのフラグである。
さらに
「このカードを墓場に送り(=死亡)、引いたモンスターカードを融合(=結婚)させプレイヤーを直接攻撃(=戦い)、終わったら」
は、ずっと「俺」のターン フラグ。「やめて! 彼のライフはとっくに0よ!」
このように、一見無関係な単語の集合のように見えて、一つが欠けるとそれを引き寄せるという力が働くことが示された。どのような単語の集団が集まりやすいかについては更なる検討が期待される。
「一見無関係に思われる単語の羅列が、魔法の発生におけるトリガーとなる現象に関する一考察」より引用。
>とは言え、死亡フラグを言わないで過ごしていれば決して死なないなどということは決してなく、百年もたてば人は必ず死んでしまう。(サンジェルマン伯爵は除く)。そうすると死亡フラグとは死亡させるフラグではなく、死亡を加速させるフラグであると言えるのではないでしょうか。
すると我々が眼にする死亡(を加速させる)フラグではない、あまねく者すべてを死に至らしめている本来の意味の死亡フラグというものの存在が示唆されます。
発言することでフラグが立つのであれば、逆に考えれば、発言しないことによってフラグを立たせない分岐路を選択することににより不死を獲得できる可能性が示唆されます。
しかしながら一生に一言も発しない人でも死亡するということから、この可能性は棄却されます。
逆に考えて駄目なようですから、この際、対偶に考えてはどうでしょう。即ち、死なないでいれば、死亡フラグは立っていない。実例で考えると、死んでいないアルプスの少女ハイジのクララは立ってしまいましたから、クララは死亡フラグではないことが導き出されました。論理学の初歩です。
さらに論理を検証するために実験してみましょう。ここで死亡(加速)フラグ多重に立てて、死亡が加速するかどうかの検証です。明日から更新が途絶えれば本当に死亡フラグと言えるでしょう。
「おいら、「私、「この戦争が終わりましたら、僕、「小生、この戦争が終わったら「俺、この戦いが終わったら「私、この戦いが終わったら結婚するのよ」と言っていた人と結婚するんだ」と言っている人の結婚式の仲人をするんだ。」と言っていた人の娘と結婚するんだ。」と言ってくれた人と結婚するのよ。」と言っていた我が娘の結婚を見届けるんだ。」
これくらい多重にフラグ立てればいいかな。結果をごろうじろ。
死亡フラグの要素解析
【死亡フラグ】とは、(はてなダイアリーキーワードによれば)パソコンゲームから来た言葉で、「物語などで以下のようなことがあると、その人物はその後死ぬパターンが多い。いわゆる「お約束」の一種。」ということだそうである。
また、ウィキペディアによると、【死亡フラグ】とは、「感情移入を促すための類型化された安易な演出に対する揶揄として用いられる」そうです。
演出に対する言葉とはいえ、しかしながら根拠もなく用いられるとも思われず、逆に考えると、実生活でもこのフラグを立てないようにしておけば死なずにすむのではないでしょうか。
典型的な死亡フラグとしては以下の台詞が有名である。
「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」
経験的に言って、この発言をしたものは放映時間の後半開始10分以内に死ぬ。少なくとも次回の放映前には死んでいる。では、一見何の変哲もないこの発言のどの要素がフラグとして効いているのであろうか。
【身の上話であることが重要である仮設】
では、別の身の上話にしてみよう。
「俺、この戦争が終わったら生き別れの母を捜すんだ。」
あまり死にそうにない。プロデューサーの都合で続編が作成されそうな勢いである。3千里を歩き通す勢いである。身の上話であることが死亡フラグに重要な要素ではないことがわかる。
【日本語なのに主語が明確なことが需要である仮説】
「俺」って。「きゃはははは。俺が許されるのは小学生までだよね〜。」「ね〜。」
では、できる限り主語をあやふやにしてみよう。
「この地球のどこかで朝が来ている。その朝日を見つめている誰かは、この戦いが終わったら結婚するんだ。」
なぜか谷川俊太郎風になってしまった。だいぶ薄れたとは言え、かすかに死のにおいがする。(詩だけにな!)
【格助詞が省略されていることが需要である仮説】
では、格助詞を補ってみよう。
「俺がこの戦いが終わったらが結婚がするんだ」
がが重なってワードに怒られました。怒られて青くなる。地球は青かった。ガガーリン。
なんか死にそうにないというか、アルジャーノンフラグのような気がします。
では逆に助詞関係を更に削除してみましょう。これで死亡フラグ度が上がればこれが原因です。
「俺 戦い 終わた 結婚 する」
死亡の匂いはあまり変わりませんが、死亡フラグというよりは中国人フラグ?ノックスの十戒に反するので、推理小説には登場できません。人が死ぬ確率が高い推理小説で使用できないということは、死亡フラグとしてはふさわしくないことがわかります。ということは、格助詞は無関係ということでしょうか。格助詞が無関係というのは専門的には「水戸黄門の法則」と呼ばれています。「格さんも助さんもやめなさい。もうすこし様子をみてみましょう。カッカッカ。」
【「『この』戦い」が重要であるという仮説】
「俺、あの戦いが終わったら結婚するんだ。」
なんとなくフラグっぽい気もするが、このフラグが立つと発言者は死なないが戦いが終わらずに延々と続いて結婚できないような気がします。
「俺、その戦いが終わったら結婚するんだ。」
なんか戦闘に関してひとごとですね。切実さに欠けるため、あまり死にそうにありません。
「俺、どの戦いが終わったら結婚するんだ?」
疑問文になってしまいました。死なないにせよ、結婚できそうにありません。
以上の結果より、「この」は結構重要であるような気がします。
【冠婚葬祭がポイントである仮説】
「俺、この戦いが終わったら還暦のお祝いするんだ」
勝手にやってろ。というかもう十分生きたんじゃないか?
【将来のことを述べていることがポイントである仮説】
過去の話にしてみよう。
「俺、この戦いが終わったら結婚したいと思っていたのに……」
なんだなんだ。何があったんだ。よくわからないが一緒に酒でも飲もうか。朝までとことん付き合うぞ。
ということで実生活でも、主語をあやふやに過去形で話し、指示語として「この」を用いず、しかも冠婚葬祭を話題にせずにいれば、あの死亡フラグが立たず、なるべく長生きできるような気がした、とどこかのインターネットの片隅に潜むその影はそう思ったのに……
おもいっきり一日中寝てしまって後悔する。
「俺、この夜食のラーメンを食い終わったらポテトチップスを食って寝るんだ」
脂肪フラグ
「ふられちゃった。こうなりゃヤケ食いよ!」とか、「どうせ俺なんかダイエットして痩せてもブサメンさ。」とか「ジャイアン」とか考えましたが、そんなに面白くないような気がするので、ヤケになって夜食のラーメンを煮ています。
左に置いたメールフォームからスパムメールが送られてくる。ロボットか手動かよくわからないがご苦労様です。
>すいません、携帯専用サイトと表示されて見れませんでした。
えいごの べんきょうしようと おもって、どうせなら たのしいほうがいいやと ふるほんやで はっくるべりーふぃんの ぺーぱーばっくを 105えんで かってきました。いえにかえって よくみてみると ふらんすご でした。まあ えいごのてきすとは ぷろじぇくとぐーてんべるぐに あるから ただみたいなもの なんだけど いんさつするのも たいへんだしなあ。
旧iPod用スピーカーが投売りしていたので買ってみる。当然nanoにはサイズが合わないが音が聴ければそれでいいや。ジップロックに入れて風呂場用にしてみる。
>黒いというのは例の試験管から出てくる奴の話ですが、あそこで登場人物を皆殺しにするという魅力的な選択肢を却下したのは惜しいと思いました。という与太話は置いといて、大西さんの雑文を読む限り、黒い話を書く才能という点では特出していると思います。あまり使わないだけで。
シンクパッドのヒンジが完全にバカになる。勝手に閉まらないように紐で壁から吊ってしのいでいる。そろそろ新しいパソコンが欲しいなあ。CPU速度が500MHzくらいでUSB2.0のノートなら文句は言わないのだが。どこかに落ちていませんかね。
>ご指摘に従い、訂正しておきました。またなんかありましたら、今後ともよろしくお願いします。
左側のカラムに、意味も無くメールフォームを設置してみました。また何もかも嫌になって外すかもしれません。
注1.送られてきた内容は、無断で机の引出しの奥に忘れていたものや雑文祭縛り等として使用されることがあります。
注2.No Firstname, No Wife.と送られても困ります。
注3.No Firstname, No Wife.は「ノー ミョウジ ノー ワイフ」という駄洒落です。
注4.昨日の替え歌は、行揃えがなっていませんが、等幅フォントにするタグを忘れたので放置されています。
注5.タグを思い出しても面倒くさいので直す気はありません。
注6.オチはありません。
「埴輪坂主治医」 「はなさかじじい」幼年唱歌
. 作詞 石原和三郎
. 作曲 田村虎蔵
おらの仏が 墓地で泣く うらのはたけで ぽちがなく
葬式爺さん 屠(ほふ)ったれば しょうじきじいさん ほったれば
大婆ん 小婆んが おおばん こばんが
裂く 裂く 裂く 裂く ザクザク ザクザク
石割る Cさん 墓地借りて いじわるじいさん ぽちかりて
藁の 不穏届けを ホンダワラ うらのはたけを ほったれば
瓦屋 買いながら かわらや かいがら
蛾ら 蛾ら 蛾ら 蛾ら ガラガラ ガラガラ
掃除機 示威せん 嘘八手 しょうじきじいさん うすほって
ソ連デモチームを 一日は それで もちを ついたれば
股草履 後半は またぞろ こばんが
癪(しゃく) 癪 癪 癪 ザクザク ザクザク
石原推参 エクスカリバー いじわるじいさん うすかりて
それでも 血を 吸いたれば それで もちを ついたれば
股剃り 賭けながら またぞろかいがら
蚊ら 蚊ら 蚊ら 蚊ら ガラガラ ガラガラ
小死期 仁丹 はい負けだ しょうじきじいさん はいまけば
母は 裂いた 枯れ井戸で はなは さいた かれえだに
放屁は 沢庵 ほうびは たくさん
小倉煮 一ぱい(いっぱい) おくらに一ぱい(いっぱい)
医師はルイージさん 葉沼競馬 いじわるじいさん はいまけば
泥様の メニエル それハイジ とのさまの めに それはいり
弟 売ろうや ニーツな 彼でした とうとうろうやに つながれました
ぼちぼち年末大掃除を始めたほうがいいかと思って、とりあえず窓ガラスを拭いて洗面台も掃除してみる。掃除機もかけてみる。未読タワーが積んでは崩れ積んでは崩れで、賽の河原状態である。
大西科学とスタージョンとジョン・コリアを買ったので嬉しい土曜日である。とりあえず寝る前にスタージョンを読み始めたら止まらない。半分読んだところで「ジョン平とぼくときみと」(大西科学)GA文庫に移る。なんというか、四巻を通して"物語的に決定的なことが起こらない"というのがジョン平シリーズにおけるリアリズムなんだろうなあ。そういう意味では、前衛小説かも。そこらへんが読者を選ぶことになっていなければいいな。この路線は第1巻の時からゆるぎなく、作者の頑固さが伺える。ほら、普通の編集者だったら、もうちょっと世界を救うとかさ、登場人物の人生に決定的な方向性を与えるとかさ、させちゃうんじゃないでしょうか。最終話にちょっと黒大西的要素が垣間見えたけど、これは発展しないのかな。
ダイソーで、鉛筆削りがついている鉛筆キャップを発見し購入。3つで百円。思いっきり家内に呆れられる。便利だと思うんだがなあ。
ゆずの「夏色」が一日中頭の中を回っている。ゆずは好きでもないのに不思議だ。なんとかならないかと思って、夏の歌に対抗するには冬の歌だとやってみたら頭の中から消えてくれた。しかし今度は粉ー雪ーという熱唱が消えてくれない。
英会話教室。仕事で使わないのなら 英会話もTOEICも むなしいだけ。
粉雪
先生のやる気が日に日に衰えていっていく様子が面白い。今週末は子供が熱を出したので看病疲れだそうだ。conjunctivitisってニホンゴデなんとイイマスカ? えーと、めばちこ じゃね?メバチコ!メバチコ!ゥワカチコ!ラィラィララィララ ディア!(本当は、メバチコ=ものもらい=stye )
生徒に勝手に話をさせてレッスン終わり。先日の旅館の怪談話をしてみる。可愛い子目当てにコンビニに毎日通っている話をしてみる。何を話しても異様に受けてくれるので、そこだけは楽しい。笑って聞くだけで指導してくれないので、英会話が上達しているようには思えないのが難点。
肥後の守を研いでみたら、かえって鉛筆を削りにくくなった。やり方が悪いのだろうか。産毛は剃れるのだがなあ。
手帳を見ても何も書いていないから、きっと何もなかったのであろう。
ライオン丸とロケットライオン丸はリアルタイムと再放送で散々見たはずだが、主題歌と変身シーンくらいしか記憶にない。変身忍者嵐に至っては変身シーンも記憶にない。仮面の忍者赤影は大きな蝦蟇と大凧しか記憶にない。忍者ハットリ君は見たことがない。スカイヤーズ5って忍者物だったかな。主人公の必殺技トランプ投げ。トランプ53枚で敵が53人。敵を全て倒すことができるか!?次回最終回予告を見て、最終回を見逃したことしか記憶にない。最終回といえば実写版ワイルドセブンもワイルドセブン抹殺計画、成功確立99.8%。次回ワイルドセブン最終回予告を見て、最終回を見逃したのを思い出した。不思議なメルモちゃんも最終回だけ見逃したし、旧ルパン三世もだな。最終回に恵まれない人生のような気がする。初代ウルトラマンの最終回は見たが、まだ小さくてゾフィが怖かったことしか覚えていない。
で、一日寝て過ごす。
会議と称した三次会も無事終了し、午前一時に解散。旅館の部屋に散る。旅館の閑散期で客が少ないせいか、いびき部屋が準備されていた。何人か来るかと思ったら私一人。
電気を消して布団に入ると、部屋のあちこちから「ぴしっ!」……「ぴしっ!」……と音がする。ラップ音? 霊的現象のたぐいは信じていないのだが、どうも気味が悪い。部屋の電気をつけると音は聞こえなくなる。消してしばらくするとまた「ぴしっ!」……「ぴしっ!」……と音がする。
なんだか目が冴えてしまったので、TVをつけてみる。香港映画のブレイキングニュースというのをやっていた。武装強盗集団とそれを執念で追い詰める捜査課(と、その部下の定年前の鶴瓶師匠)。メディアを利用して警察の威信を取り返そうとする上層部。低所得者向けの高層住宅に逃げ込む武装強盗集団。それを取り囲む特捜班。上層部にとめられても高層住宅に乗り込む捜査課。突然警官隊に取り囲まれて逆上する無関係な殺し屋二人組み。武装強盗集団は無事アパートから脱出できるのか。
狭いところで双方が知恵を振り絞る話で面白かった。狭いところの話って好きなのよ。で、映画の最後はみんな不幸せになりましたという徒労感が後味悪くってすてき。
で、そろそろ寝ようかと電気を消すと、またラップ音が聞こえてくるので電気つけっぱなしで、うとうと、うとうとしていると、突然ドアのノブがガチャガチャガチャと回されドアが開いたかと思うと
おはようございます。朝ごはんの時間ですよ。
と、意味も無く徹夜してしまったというお話。
出発したターミナル駅は港の近くだったので、海抜はほとんど0mのはず。向かう先は山の方向のはずだが、下り坂にしか出会わない。ひょっとしてこの田舎道は地下に向かっているのだろうか。
次のバス停は「狸坂」。やっと固有名詞のバス停。バス停の周りを見回すとずっと平地で坂が何処にも無い。だから狸坂か? 四方を見回しても何も無い……はっ! これはひょっとしてシホウフラグでは!?
ターミナル駅からバスに乗り継ぐ。バス停の名前が「繁華街」「動物園」「美術館」「遊園地」。バス停の名前が一般名詞というのは不思議な感じ。
湖にも波が立つということを知る。
コルターサルの「石蹴り遊び」をずっと探しているのだが、赤い背表紙の集英社文庫上下揃いは見たことがない。集英社板世界の文学コルターサルが「石蹴り遊び」ということに気がつきゲット。手に入れたのは良いけれど、最初はページどおり、次は番号の指示通りにと最低二回は読まないといけないかと思うとだるい。
半村良の「段ボール箱」を再読したくなって古本屋を回る。「幻想小説名作選」半村良・選 集英社文庫 をゲット。夏目漱石の夢十夜や川端康成の片腕も押さえられていてお買い得の一冊でした。話は半村良に戻るけど、長編型作家の書く短編は、奇妙で面白いことが多い。段ボール箱の一生を描くなんて普通思いつかないよ。
河出文庫の「となりの宇宙人」(半村良)をパラパラめくっていたら「めぬけのからしじょうゆあえ」に再会。10代の頃に読んだ時は、思いつきのアイディアで書くなよと思ったものだが、40代になってから読むと、この作品に込められている思いがひしひしと伝わってきて涙が出そうになる。
「マクベス殺人事件の謎」ジェイムズ・サーバー(角川文庫)
忘れ物があったら三週間以内にご連絡くださいというホテルからの手紙に延々と愚痴を述べる「推理ゲーム」、シェークスピアのマクベスを推理小説として読む表題作。ちらりと見かけた男に関するなんともいえない感慨「汽車の男」、奇妙な衝動にかられる男「中に入れる箱」。いいわあ。1961年没。だいたい五十年以上前のユーモア小説がストライクゾーンということを再認識。