今年の総括
1月 厄払いに出かけ、焼き殺される妄想に駆られる。
2月 絵日記サイトに変身。
3月 絵日記に飽きる。
4月 9万ヒット記念企画で疲れる。
5月 局地的に悪文で盛り上がる。
6月 040618「萌えるシチュエーション」に若干反応があって喜ぶ。
7月 Oblique Strategies が企画倒れに終わる。
8月 DVDドライブを買ってノートパソコンがひとつジャンクになる。
9月 アルプス一万尺の謎が解ける。
10月 仕事で気持ちの入っていない作文を書かされて雑文が書けなくなる。
11月 後輩が出先で倒れる。(最近仕事に復帰しました。)
12月 8ヶ月ぶりに雑文をアップ。1年ぶりに「指輪の物語」の続編をアップ。
最近、ほんと時間が過ぎるのが速くなって困る。このまえ正月だったような気がしてならない。
仕事を納めに参ります。行きはヨイヨイ、帰りは恐い。仕事納めで思いっきり酔っ払ったところで部長から仕事の指示。まっすぐ歩けない状態で公文書を四通ほど作成。間違いがあっても、わしゃ知らん。
この前、ライターが見あたらなかったので、二箱買うとライターがおまけになっているタバコのセットを買ってみました。買ってから気がついたのですが、このライターは、発光ダイオードが仕込まれていて手元を照らすことが出来るようになっていました。残念ながら電池は交換できないようですが、ライト付きライター。ライト、ライター、と来れば、次はライテストでしょうか。次の麦の中でライ麦を選べ(三択 5点)。
検索結果が妙なことになっているのは、別に悪の秘密結社の陰謀というわけではなく、このサイトがロボット避けのタグを貼っているせいなのではなかろうか。という仮説を実証すべく、ロボット避けのタグを削除してみる。
Googleで「四次元とは」で検索すると、このサイトがトップ(でもリンク切れ)。「四次元」ではトップにならないところが微妙。
M-1グランプリ感想
自分が歳をとったなあとつくづく思いました。
POISON GIRL BANDのボケを拾わないで緊張を持続したまま延々と続いていく話は、私の目指す一つの理想形なのですが、もうそれだけでは足りないということがわかりました。自分の理想を現実が追い越していくさまを眺めるのは悲しい。
あと、話すスピードが速くて聞き取れない漫才があったのもショック。これじゃ、もう老人じゃん。
南海キャンディーズは微妙。確かに笑いの神が降臨していたが、「火を恐れる犀」「これはクリリンの分!」、あのレベルを今後も持続できるかどうかに興味ある。
笑い飯が一回戦敗退で残念。
SONYからYMO関連のCDが来年3〜4月に怒涛のラッシュ。
2/23発売、イエローマジック歌謡曲、テクノマジック歌謡曲、、比呂魅卿の犯罪:郷ひろみ、不思議・少女+:真鍋ちえみ、コンプリート・スーザン
3/24発売、LR tracks:YMO(ライブ盤8枚組みBOX)、はらいそ:細野晴臣&イエロー・マジック・バンド、フィルハーモニー:細野晴臣、サマー・ナーヴス:坂本龍一&カクトウギセッション、B-2 Unit:坂本龍一、ニウロマンティック:高橋幸宏、WHAT,ME WORRY?(2in1):高橋幸宏
KING RECORDSからは、ディスアポイントメント・ハテルマ:坂本龍一+土取利行、HOSONO HAOUSE:細野晴臣、、COCHIN MOON(コチンの月):細野晴臣、サラヴァ!:高橋幸宏、音楽殺人:高橋幸宏
メリークリスマス! ところで、Yahooで「悪文」を検索すると、このサイトが一位。Yahooのキャッシュを見てみても、悪文という単語は含まれていない。(本日の日記を除く)。なんですか、このサイトの文章自体が悪文の代表ということですか。そうですか。 ではみなさま、よいクリスマスを!
「時間のかかる彫刻」 シオドア・スタアージョン 創元SF文庫 今は無きサンリオSF文庫の「スタージョンは健在なり」の復刊。気軽に読み始めたのだが、これは気合を入れて読む必要があるな、ということで正座しながら読書中。
なんと言いますか、ちょっと仕事の方が立て込んでおりまして、来年は、二十年に一度のビッグウエーブが来るぞ、ということで、ふうふう言いながら対応すべく、走り回っていたのですが、来年の同時期に、また別の津波が来る、ということが判明いたしまして、ちょっとどうなることやら、考えるのも恐いので、今年一杯は何も考えずに、作業に集中することにいたしました関係で、本サイトの更新もどうなることやら、といいますか時間はやりくりできないことはありませんが、心の余裕がない、といいますか、逆に仕事に余裕があるときは鬱のウエーヴが来るので更新できない、今のように作業があると、なんだかエネルギ−がどこからか(ちょっとは)沸いてくるので、余った時間に読書などできるので、そのご報告程度はできるのですが、なにか面白いことなど思いつくはずもなく、思いついたところで、うまいことまとめるほど頭が回らない、現に、「なごり雪」と「面対称」というアイディアを思いついたのが丁度一年前なのですが、未だにまとまらない。そんなこんなで、とりあえずぼちぼちいきますので、ご了承のほど。
「天使と宇宙船」 フレドリック・ブラウン 創元SF文庫 書店員が薦める一冊フェアで復刊記念に再読。30年ぶりくらいかも。古き良きSF短編集。アイディアストーリーだから仕方ないが、英語圏限定のアイディアが結構あったりして苦しいものがあったりする。「ミミズ天使」のアイディアとかさあ。通して読むとライノタイプへの偏愛とか「気違い」と言う言葉への偏愛が目に付いて面白い。今読むと、短編の場合は、SFのアイディアでないほうがブラウンの真価がフルに発揮されるような気がします。長編だと、また違うのですが。
「怪しい人びと」 東野圭吾 光文社文庫 推理短編集。困ったなあ。何も感想が浮かばないや。つまらなくはないので読んで損はしないが、特に得もしないように思われる。ああ面白かったということで勘弁してください。
「富豪刑事」 筒井康隆 TVドラマ化記念に再読。推理小説としてやるべきことと、やりたいことを詰め込んで、さらにエンターティメントに徹した作品。これくらい力を抜いた加減の筒井康隆がいいなあ。しかし、深田恭子主演となると、設定を大幅に変える必要があるのだが演出は大丈夫だろうか。
本棚を整理してたら、昔買って放置していたLode Runner (Legnd Returns)が出てきのでやり始める。これは原型のゲームのグラフィックを綺麗にして、プレイ画面を拡大し、光線銃による穴掘りの他にブロックを壊す爆弾や、通常は穴が掘れない固いブロックに穴を開ける削岩機や、歩くスピードが遅くなる接着剤や、番兵を捕まえる罠などのアイテムを追加し、更に番兵の追跡アルゴリズムを改変して、つまらなくしたもの。ああつまらないといいつつ150面をクリア。勢いあまったので、Apple][のエミュレータ−を引っ張り出してきてLode Runnerをやり始めたのだが、ひさしぶりにやってみると、その操作性の悪さに閉口。
雑文祭参加テキストへのコメントが禁止されている場合、雑文祭参加テキストへのコメントへの言及も禁止されていると解釈されるべきなのであろうか。悩ましいところではありますが、ところでそんなに2chの臭いがするのであろうか。2chと言えば、久しぶりに2chでペペロンチーノの作り方を見かける。突っ込みが入っていた。「この通り作ったら、ニンニクが焦げてしまって不味かった。」 って言うじゃない。でも、あのテキストの通り作っていたら2chに書き込めませんから。ざ。話はいきなり変わる。「六人の超音波学者」森博嗣 もはや謎も解決もどうでもよくなっていて萌えしか残らないと言うお話。もしくは科学者に実務を任せてはいけませんというお話。「文学外への飛翔」筒井康隆 役者としての活動を主に綴ったエッセイ集。役者としての筒井康隆には興味がない、というか舞台役者には興味ない、というか舞台には興味ないので、味気なく読み通す。舞台には、脚本や役者や演出などの素材を単に合わせたものとは違う、何か得体の知れない底知れぬパワーがあって、それにどうしようもなく惹かれる人もいるし、私のように思わず背を向けてしまう人もいる。「笑う雑学」唐沢俊一 もう雑学としか言いようのない雑多な無駄知識。統一性が全く無いので読み通すのに苦労しました。「工学部・水柿助教授の日常」森博嗣 作者の周辺をめぐるエッセイを書くと差しさわりがあるので仮名にして小説ということにしてしまいました。森博嗣のユーモア感覚は自己破壊へ向かう要素が少ないので、鼻につく人もいるだろうなあ。
Death Note 1〜4巻 大場つぐみ/小畑健
一気読み。コラサイトを先に見ていたのでギャグマンガとしてしか読めなくて困っています。なぜだか娘もゲラゲラ笑いながら読んでいます。
ピュ〜と吹くジャガー 8巻 うすた京介
やっぱり天才。
謎物語 北村薫
本格推理の魅力を思うさま語ったエッセイ。語り口の裏に毒がないので、北村薫の人の良いところばかりが目立ってしまって、(多分)本来のテーマである「『謎』の魅力」が十分に伝わってこない。人が良いのも良し悪しであることよなあ(詠嘆)。
>まさかMETAタグでロボット蹴るほど一人ぼっちが好きな方
なぜかそんな人がいるような気がしてなりません。気のせいかもしれませんが。
久しぶりにメールで感想をいただく。どうもありがとうございました。鬱のときは何もしないで気楽にいきましょう。私も何もしないで気楽に流される毎日です。流れ流れて15年、今日も無気力の王道を行く半茶のテキストが読めるのは半茶だけ!
/04 (初回盤) 坂本龍一
ピアノ曲集。ピアノプレイヤーとしての坂本龍一はセンチメンタルに傾きがちで、もう少しストイックに弾いたほうがいいと感じることが多いのですが、何故か本アルバムは素直に聴く事ができました。
「一人ぼっちの雑文祭」が開催されているのかされていないのか、今ひとつはっきりしているようなしていないような。唐突に関連するのかしないのか「一人ぼっちの冬」。冬に全然関係ない話で心苦しい(ふり)。ところでこの雑文祭の縛りは地味なようでいて凶悪。
昨日、TVで北野武の座頭市をやっているのを見る。どうしても用心棒と比べてしまって申し訳ない。こういう話だと、主人公は一回、徹底的に痛めつけられる必要があるのだが、そういうのは最近は流行らないらしい。そうすると「物語」のバランスとして、主人公は鬼神であることが要求される。あの丸めた背中の佇まいと金髪とコンタクトレンズでなかなかいい線を行っているように感じられるのだが、まだ鬼神の具合が足りないように感じられて仕方が無い。まあ、北野映画は、TV放送で観て語るものでもないのだが。
調べてみると、やっぱり結構カットされていたらしい。ということで、上の感想はノーカット版を見るまで保留ということで。
「リハビリ」
須らく(すべからく)、巣箱がラクダに踏まれて、滑るカラクリを、直ぐガラクタと化すように、直ぐ辛く煮て、スカラベ喰うべき、ですから
とりあえず本が読めるところまで回復。「ボクのブンブン文筆業」 中原昌也 感想は15日の所に書いたのと同じだからいいや。「挨拶はたいへんだ」丸谷才一 さすがにうまいね。「言葉の常備薬」呉智英 ”堂に入る”という言葉が、略したものとは知りませんでした。「物は言いよう」斎藤美奈子 彼女が自分のやりたいことをやりたいようにやっているように思えない。いくら他の人には真似の出来ない切れ味で才能をひけらかしていても、その意味では所詮はリーマン仕事に過ぎず、評価する気になれない。「諸星大二郎 自選短編集 彼方より」「諸星大二郎 自選短編集 汝、神になれ 鬼になれ」「暗黒神話」「孔子暗黒伝」文庫になっていたので大人買いで一気読み。やっぱり暗黒神話いいわあ。タケミナカタの神の禍々しさとか、餓鬼の群れ成す様とか、主人公が、なすすべもなく大きな力で流されていくところとか。「唐沢俊一【お怪物図鑑】× 唐沢なをき【物々冒険記】」あいかわらずです。
NEETという言葉が立法・行政・マスメディアを中心に話題となっています。NEETとはNow in elopement, ejaculation and treadingの略で、「今まさに駆け落ちして、絶叫しつつ、そして踏み込み動作をしている」若者を指します。現在、日本にはNEETに分類される若者の数は68万人を超えると言われています。
ニートの四類型
Tヤンキー型
駆け落ちしてヤンママ・ヤンパパとなり、いきなり道端で絶叫したりする。ケンカ早くて、倒れた相手をスタンピングする。「今が楽しければいい」というタイプ
Uひきこもり型
社会との関係を築けず、こもってしまいつつ妄想の相手と室内で駆け落ちし、萌えと絶叫して、ダンスダンスレボリューションをプレイするタイプ
V立ちすくみ型
白血病の女性と駆け落ちし、空港まで連れ出すという無謀な行為の果てに、どうにもならなくなり立ちすくみ、「助けてください」と絶叫し、誰も助けてくれないので地団太を踏むタイプ
Wつまずき型
駆け落ちした妻がとても大好き(妻好き)のあまり、妻の名前を絶叫しつつ、自転車のペダルを踏み込むタイプ。
とりあえず、最近その考え方がよくわからないのは、掲示板とかで「こんなことも知らないのか」と言って威張っている人。昔は知識の多い人ほど謙虚だったような気がするのですが。どうして「知らないこと」を低く見るのか良くわからないので考えてみたのです。そもそもこの世の森羅万象有象無象全てを網羅して知ることは全能の神でない限り無理なことであります。知らないことがあって当然なのであります。一つの仮説として資本主義が進行した結果というのを思いつきました。資本主義経済においては、物に価値があるのは当然のことながら、知識もそれと同様に金銭的な価値があることになります。そうすると情報を持っているほうが偉いという価値観が確立されます。そうすると、金品の授受がない状況でも、金品の授受が無い状況でも情報を持っている方がが偉いという価値観を抱く人が出てきても不思議ではありません。そうすると、現職の強みを生かして、情報収集力に勝ると考えられる現職の大統領の方が勝ったアメリカ大統領選挙は、資本主義が追求する一つの理想の実現ということになろうかと思われます。
「Custum Cock Confused death」 / Hair Stylistics / Avex CTCR-16069
中原昌也の音楽活動時のユニット名「暴力温泉芸者」改め「ヘアースタイリスティックス」のデビューアルバム。彼の文章の魅力はノイズミュージックの魅力に良く似ていると思う。
とりあえず、最近その考え方がよくわからないのは、掲示板とかで「知らない」と言って威張っている人。昔は無知は恥だったような気がするのですが。どうして「知らない方」が偉いのか良くわからないので考えてみたのですが、一つの仮説として資本主義が進行した結果というのを思いつきました。資本主義経済においては、物を生産する人とそれを購入する人がいるわけで、どうしても金を出す方が消費者の方が偉いということになります。それが常態となると、物や情報やサービスを作り出す方よりも、受け取るほうが偉いという価値観が確立されます。そうすると、金品の授受がない状況でも、受け取るほうが偉いという価値観を抱く人が出てきても不思議ではありません。おなじ論理で、馬鹿な方が偉い。働かない方が偉い。という風な価値観があっても不思議ではないことになろうかと思われます。そうすると、馬鹿と利口が戦った選挙で明らかに馬鹿丸出しの方が勝ったアメリカ大統領選挙は、資本主義が追求する一つの理想の実現ということになろうかと思われます。
「雑文の友」が終了していたことに気がつく。今までありがとうございました。>とおるさま。
講習会が終了して出口のところでタバコを吸い終わって、さあ帰ろうというところで、柱にもたれて立っている後輩を見つける。声を掛けると「目眩と吐き気がして動けない。」とのこと。しばらく様子を見ていたが一向に回復しないので、医者を呼びに行く。幸い、近所に内科の医院があったので時間外で閉まっているところをインターフォンを鳴らしてみる。二階の窓から爺さんが顔を出す。「どうしましたか。」「あ、すいません。連れが目眩がして動けないというものですから、診ていただけませんか?」
「は?」
耳に手のひらをかざしている。どうやら耳が遠いようだ。
「ですから、連れが、目眩と、吐き気がして、歩けない、というものですから、診て、いただけませんか。」
「は?」
これは埒があかないと思い、「どうもありがとうございました。」と言って立ち去ろうとする。
「目眩というなら耳鼻科だな。私は内科だからよくわからないわ。私が診てもいいが、よくわからないところで無駄に診て手遅れになっても困るから、救急車を呼んだほうがいい。」
なんだ聞こえているじゃないか。
「じゃあ、そうします。ありがとうございました。」
「待て、私も行く。」
何しに来るんだよ。しょうがないから後輩が座り込んでいる所まで爺を連れて行く。
「うむ、受け答えもしっかりしているし、どうやら脳は大丈夫のようだな。すると硬膜外出血の可能性がある。しかし、私は内科だからよくわからないわ。私が診てもいいが、よくわからないところで無駄に診て手遅れになっても困るから、救急車を呼んだほうがいい。」
お前は何しに来たんだ。
しょうがないので救急車を呼ぶ。爺にお礼を言って乗り込む。目眩ということであれば耳鼻科という事らしく、時間外の救急で耳鼻科があるところを探してもらうが、三軒ほど断られる。ようやく受入先が見つかったのでサイレンを鳴らしながら爆走。疾走する救急車が赤信号を突っ切っると、その先は車の列が無いのでやたら気持ちいい。とりあえず診てもらうと、「たいしたことはないので明日検査受けてもらうということで、今日は帰ってもいいよ。」と言われるが、なにしろ後輩は目眩がひどくて一歩も歩けない状態なのでとりあえず入院ということに。家族に連絡してあげないと、ということで携帯をもって病院の入り口までいく。間が悪いことに留守電である。
「もしもし、ご主人の会社の同僚に半茶と申しますが、じつはこれこれこういう訳でご主人が入院となりました。場所は○○病院で、電話番号は…」いきなり電話が切れた。やれやれもう一回電話を掛けて、続きを留守電に入れなくちゃいけないのか。今度はいきなり奥様がでてくる。「もしもし、半茶と申しますが、そういうわけでご主人が…」
「どなたですか。」と冷たい声。
「あれ? 今、留守電に入れておいたのですが。」
「子供が途中でとったので消えてしまいました。」
オレオレ詐欺かと思われたらしい。しょうがないので最初から説明のやり直し。
「……いう訳でご主人が入院となりました。場所は○○病院で、電話番号は」
いきなり電波状況が悪くなって通話が切れる。携帯ではまずいのかと思い、公衆電話を探して掛けなおす。話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。次、何回呼び出し音が鳴っても出ない。次、話し中。いったいこの家の電話はどうなっているのだ。連絡をとりあえず諦めて病室に帰る。看護婦さんに聞くと、奥様から病院に問い合わせがあったらしい。だから電話が繋がらなかったのか。なんだかやっぱりオレオレ詐欺扱いされたような気がしてならない。入院が決まったので付き添いとしては特にやることもなくなったので帰ることにする。じゃあ、お大事に。さて、救急車で運び込まれたので、最寄の駅がどこだかわからない。その前にこの病院の出口がわからない。極度の方向音痴である私が、家に帰り着くまでには波乱万丈の物語があるのだが、それはまた別の話である。
あいかわらずテキスト書く気になれないので、ゲームボーイカメラでDJごっこをする。
ポール・アルテの「赤い霧」は、予備知識を一切入れないで読まないと最大限の効果を得られませんのでご注意ください。後書き、解説を先に読む悪癖があるので損をしてしまいました。ということでこの本の話はここでは出来なくて残念である。
なるべく安価にパソコンで音楽やろうと思ってフリーソフトを探してみる。XPに対応していないものが多い。チップセットがVIAだと不具合が発生する。ということでWindows9x時代のIntelのチップセットを採用している安い中古を探してみる。Yahooオークションで「あまり買う気も無いまま」眺めているとIBMのNetvistaシリーズが非常に安いので思わずオークションに参加しそうになる。ちょっと調べてみると、Netvistaのマザーはコストダウンのためコンデンサーが安物で、いつの間にか破裂して、突然再起動を繰り返する個体が多いそうだ。なるほどなるほど。そういうのを修理して使うのも面白そうだけど。気力が充実してないと買ったまま放置したままになりそうなので見送ることにする。そのうち音楽やる気力もなくなって数年があっという間に過ぎ去っていく。
このページには「サイト名」が一つも入っていないのに「サイト名」をYahooやMSNで検索するとヒットするのは何故だろう。
▼先日の日記に書いた「萌えが理解できない」理由に思い当たり、(略)。
▼これはいかん、と別のことを考える。中古CD屋さんに「電気グルーヴ」の「カラテカ」があったので購入。手持ちの奴は子供が割ってしまっていたので。ついでにChemical BrothersのCDも買ってみる。テクノでもChemical Brothersは別に好きでも嫌いでもない。電気グルーヴとどのように異なるか。考えているうちに、私が電気グルーヴを何故好むかという理由に思い当たり、(略)。
▼どうも、何か考えるとまずいようなので、何も考えないように努力する。
▼村上春樹の若い読者のための短編小説案内を読んでみる。村上春樹の読み方だなあと思う。考えないことにしたので以上で感想は終わり。
▼会社で朝から気が重い。壁を見ても天井を見ても(略)。時間が経つにつれ更に(略)。夕方にふと思いついて風邪薬を飲んでみる。家に帰る頃にはすっきり。
▼台風の翌日、時間の余裕をみて早く家をでる。予定より早くついたので、建物の裏手にある公園を抜け河を見に行く。公園の端の、川沿いの遊歩道に続いている階段は、増水しているため途中から河の水につかっている。水面をながめていると。渦を巻いたり、逆流したり、川底から水が湧き上がったりしている。茶色い渦や逆流や湧き上がりを死んだ目で眺める。川面にくるくるまわっている木の枝や小汚いゴミを眺めていると、何か思い浮かぶような気もするが、何も浮かばなかったことにしてしまう。時間になったので建物に入る。仕事を終え、建物をでる。駅に向かう道には横断歩道がなく、車道を横切る為には地下道に潜る必要がある。階段を下りてゆくと地面がどんどん上がって行く。自分の足音が響く地下道を歩いて行くと、台風で増水した河の堤防が決壊し、濁った水がどっと地下道に押し寄せる。さっき眺めていた木の枝や小汚いゴミが足元を過ぎ去っていく。次の瞬間
▼と、鬱なことしか思いつかないので、何も考えないことにしてポール・アルテの「第四の扉」「死が招く」を一気読み。面白いけど、私には本格推理属性がないので、面白いなあという感想しか浮かばない。考えることを止めているので以上で感想は終わり。
▼久しぶりに音で遊びたくなったのだが、MIDIのセッティングが面倒くさいので、ゲームボーイカメラでDJごっこをする。こんな感じ→「001」(3分、3MB)とかこんな感じ→「002」(3分、3MB)とか。多分、聴くと耳が痛くなるのではないかと思いますのでお勧めしません。
「ウエルカム・プラスチックス」「オリガト プラスチコ」「ウエルカム・バック」プラスチックス
80年1月のデビューアルバムから81年3月のラストアルバムまで。24年も前ですか。LP持っているからという理由でCD買うのが延び延びになっていたのですが、なんか安売りしていたのでまとめ買い。聞きなおすとやっぱりデビューアルバムのかっこよさと音のスカスカさが小気味よい。でもこんなに音が入っていたっけ。三枚のアルバムに渡る、リズムマシンのTR-808の音の変遷が面白い。
萌えというのが未だによく実感できない。実感が無いなりに萌えというのが何かということを考えてみると、小さいもの・可愛いものに対して抱く感情というものは昔からあったわけで、それを商品化するための回路が萌えであると言えないか。萌えには興味ないけど、萌えている人はそこら辺に自覚的なのかどうかという方に興味がある。とわからないくせに暴論を書いているような気がするので、学習する意味で「涼宮ハルヒの憂鬱」谷川 流 を読んでみる。だめだ、やっぱり萌えは商品化回路にしかみえないや。SFとしてはどうなんだろう。ハルヒの存在とその解釈にもう二ひねりほど欲しいような気がします。何か足りない何か足りないと考えてやっと思い当たりました。学園物なのに鳥坂先輩がいないのだ。登場人物全員が心の底からの本気ではないように感じられて、そこが不満。(まあ、これは年寄りの繰言のような気もします。いわゆるライトノベルの読者層にとっては、私が求めているようなものは逆に嘘臭くて箸にも棒にもかからないようなものかもしれない。)しかし、読み終わって勝手に頭の中でエンディングテーマが流れ出したのは初めての体験だったので自分で驚きました。誰が何と言う曲を歌っていたのかよくわかりませんでしたが。
仕事で気持ちの入っていない作文を書いたら、どうも頭の回路の配線が変わってしまったらしく、ここで書くことが何も思いつかない状態に。
久しぶりにMS-DOSでも触ってみるか、と古いThinkPad(486マシン)のスイッチを入れてみるが立ち上がらない。分解して中を覗いてみると基盤が腐っている。その時突然に破壊神が私に憑依し(後略)。心配になって古マックノート(powerbook180)をチェックすると液晶とHDが死んでいる。その時突然に破壊神が私に(後略)。Powerbook520の(後略)。ということで三台分の部品の山が廃棄処分となりました。Apple//cとか98Noteとかいつ破壊神が降臨するかと思うと、恐くて通電できません。
キャストパズルというのがあって、簡単に言うと「固い知恵の輪」なんですが、その「STAR」というやつが好きで、というのも「星」が「自分の尻尾を咥えた蛇」につかまっているという単純そのものの形で、これが一見外れるように思えないのに外れてしまうというこれまた不思議。オリジナルは既に所有しているのですが、100円ショップでミニチュアのがあったので買ってみる。キーホルダーになっているのだが、残念なことに知恵の輪なので、ポケットに入れておくといつの間にか星が外れて何処かへいってしまうという欠陥商品。
ついでに100円ショップで木製パズルを4つほど購入。立体組み立てパズルというと私の世代だと、ビックリーグガムのおまけのパズル。3つは分解・組み立てできたのだが、一つはどうしても組み立てできなくて困る。そうこうしているうちに元の形を忘れてしまう。いろいろやっているうちにエキセントリックな作品ができてしまう。
大西科学の「壮年期の終わり」にぶっ飛ぶ。未読の方はここからネタバレですのでご注意ください。イチローとグールドの話から何処に着地するのかと思っていたら、根拠の無い得体の知れない不安に到着。それでもって最初のフリが利いている。大西さんはなんだか恐い話を書かせると、ちょっと他の人に書けないものを書くのがすごい。
ここで、オーストリア軍に潜入したドイツ軍スパイの歌が、何故アメリカ民謡に日本語の詞をつけて歌われているのかという根本的な疑問が発生するが、面倒くさいので略。
「猫めしのまるかじり」東海林さだお 文春文庫
本業の方の漫画と相性が悪かったこともあって、エッセイの方は全く読んだことがなかった。食わず嫌いはよくないということで、キオスクで購入。予備知識無しで読んだのだったら、将来有望な新人と評価したと思う。各エッセイに新たな視点と表現とアイディアがあって(普通、こういうものは書き続けると磨耗していくものだ)、文章が(味はあるけど)うまいとは言えない(こういうものは書いていくうちに、否応無く上手くなっていくものだ)、特に落ちも無くスウと終わってしまう(上手くなってしまうと、無意識のうちに〆てしまうものだ)。ということで「今後が楽しみな新人の要素」を持っているのだが、これがベテランの作品なのだから驚異的。存在自体私には信じられない。奇跡的な才能としか言いようがない。
三つの小さな王国 スティーブン・ミルハウザー 訳/柴田元幸
白水Uブックス サイキさんが褒めていたので読んでみる。3つの中篇からなる本で、アニメーション作家の話と王妃の話と画家の話。例えばアニメーション作家の話は、新聞社に勤める漫画家が自宅でアニメーションを一人で作る話で、でもこれだけでは何も紹介していないのとほとんど同じで、例えば何故新聞社に勤め続けているのか、何故漫画家なのか、何故自宅で一人で作っているのか、何故一人なのか、何故彼なのか。それぞれにこの話でなければならない必然性があって、完全な要約を作ろうとすると、この小説の全文をそのまま載せるしか方法が無い。そもそも一言で言える事は一言で言うべきであり、一言で言えないからこそ助長な散文で小説を書かざるを得ないのである。その意味では、この本は小説の本来の姿であると言える。
アルプス一万尺の謎
「アルプス一万尺」 アメリカ民謡(Yankee Doodle ) 作詞者不詳
アルプス一万尺
小槍の上で
アルペン踊りを
さあ 踊りましょう
ランラララ ラララ
ランラララ ラララ
ランララララララ
ランランランランラー
さて、この一見陽気な童謡は 槍ヶ岳(標高3180m)のそばの山(小槍)(標高3100m)の上で踊ろうという風に解釈されている。 確かに1万尺は、1尺が約30.3cmであるため約3000mとなり小槍の標高に、ほぼ合致する。
しかしながらこれほど有名な歌でありながら、日本語の作詞者は不明である。つまり、この解釈は作者本人に確認したわけでもない。即ち「槍ヶ岳の歌である」というのは、もっともらしい解釈の一つにすぎないと言える。この解釈の不可解な点は、何故最高峰の槍ヶ岳の頂上で踊ることを目指さず、横にある低めの小槍で踊ることを勧めているのかという点である。およそ高きを目指す山男の心情にそぐわない歌であると言わざるを得ない。
それでは、この歌に歌われているアルプスが本場ヨーロッパのアルプス地方を指しているとすればどうだろう。 アルプスの山々は、最高峰モンブラン(4807m)をはじめ,マッターホルン,ユングフラウなど4000m級の高山がそびえたつ。1万尺(3030m)では、アルプスの山を歌ったとは思えない。即ちこの歌はアルプスの山ではなく、アルプスの高山地帯一帯を指すと考えるのが自然である。
日本アルプスにおいては、槍ヶ岳のそばの低い山が小槍である。では、ヨーロッパのアルプス地方では小槍は何を意味するのだろうか。
これは文字通り「小さな槍」を意味する。その上で何かを行うということは、その行為が命にかかわる非常に危険なことであることを示している。
さて、その危険とされる行為は「アルペン踊り」である。なるほど断崖絶壁の上の小さな頂で陽気に踊ることは確かに危険である。しかし本当にそれだけの意味なのであろうか。ここで「ある表記」の重大性が露呈する。一行目においてこの場所が「アルプス」と示される。しかし最後のフレーズでは「アルペン」すなわち「アルプス」のドイツ語読みである。これは「ドイツ語をうっかり喋るということは、槍の上で踊るようなもの。即ち『死』を意味する。」ということの表現に他ならない。そして歌い手は「さあ、踊りましょう」即ち、「ドイツ人であることを白状して、我々に処刑されなさい」と迫っている。
この情景を具体的に描くとこのようになる。
ヨーロッパで繰り広げられた戦争。推測するに第一次世界大戦。戦線はアルプス地方にまで拡大していた。極寒の氷河地帯を、ある国の小隊が極秘任務を受けて山脈越えを試みようとしていた。祖国の危機を救うための命を掛けた任務。しかし、その任務を感知していたドイツ軍は妨害すべく、密かにその小隊にスパイを紛れ込ませていた。小隊長はスパイの存在に気がつくが、だれがスパイであるのかわからない。スパイはふと気が緩んだ瞬間に母国語ドイツ語を口から漏らしてしまう。
ドイツのスパイではないかと責められた彼は、せめてもの道連れと拳銃を乱射する。
ドイツのスパイは処刑され、そしてまた彼に殺された小隊のメンバー数人も氷河の中に埋められた。この後、小隊の作戦が成功したのかどうか、それは歴史の闇の中である。
cnn.co.jp/world/CNN200408240020.html (リンク切れのためgoogleのキャッシュ)
cnn.co.jpワールド 2004.08.24
ローマ(ロイター) イタリア・アルプス山脈で20日、氷河の中から第一次世界大戦中に死亡したオーストリア兵とみられる3人の遺体が発見された。遺体を見付けた山岳救助隊員の男性(46)が23日、ロイター通信に明らかにした。
男性によると、スイス、オーストリアとの国境近く、標高約3640メートルにある氷河に「汚れのようなものを双眼鏡で発見、見に行ってみた」ところ、氷河の中で、ほとんど完璧な形で冷凍保存されている遺体を発見した。兵士らが身にまとっていた制服なども、ほとんど損傷がない状態だったという。
作文に駄目出しされて、まだうんうんうなっているので手短に。
歳三さんの凶人日誌(9月6日)にあった「雑文書きが読んでいそうな作家」。
・筒井康隆:ほとんど読んでいると思う。「虚人たち」以後が特に好き。
・東海林さだお:読んだことない。
・中島らも:小説をいくつか読んだ。酒を飲まなければもっといいものを書けたろうにという気持ちと、酒をのんでいたからこそこれを書けたのではという気持ちもある。
・椎名誠:エッセイを数冊読んだが、何故か波長が合わない。
・町田康:詩集以外の文庫は読んだ。顔がいいところが気に食わない。
・土屋賢二:三十過ぎて、腹が痛くなるまで笑った数少ない人。という意味あいでは私の中では「笑い飯」に匹敵する地位を得ている。
・宮沢章夫:数冊読んでみましたが、どうも薄いような気がする。それが持ち味であることは分かるが。
・大槻ケンジ:ボーカリスト。
・丸谷才一:エッセイの気取り方が、傍からみると間抜けなところが垣間見える会社の取締役を思わせる。
・内田百閨Fわりと読んでいると思う。エッセイは好きだが、小説はもうなんというか別格。旧かなづかいの古本を探している。
下条さんが挙げた、「このほかに雑文書きが読んでいそうな作家&本」
・別役実:二冊読んだような気がする。一篇だけおもしろかったような記憶がある。
・小林信彦:作品は面白い。作者も底意地の悪さが面白い。
・清水義範:昔SF作家だったころはこんなに売れるとは思っても見ませんでした。私の中では、切実じゃない筒井康隆というカテゴリーに入っています。
・渋澤龍彦:大人になってから読もうと思ってそのまま幾年月。
・種村末弘:読んでない。
・荒俣宏:「理科系の文学史」はボロボロになるまで読んだ。(でも中身を思い出そうとしても思い出せない。)
・北杜夫or遠藤周作:北杜夫派。遠藤周作ではどうしても笑えない。何故だろう。
・横田順弥&かんべむさし:ヨコジュンは一時期はまった。かんべむさしはサラリーマン小説のころから読まなくなったなあ。どちらも笑いから遠いところに行ってしまったような。平井和正の「超革命的中学生集団」はタイトル変えて復刊してますよ。
・星新一:私にとって昔は神様だった。今は仏様になっている。
・田辺聖子:「お聖どん・アドベンチャー」くらいしか読んでません。
・太宰治、中原中也、萩原朔太郎、梶井基次郎、堀辰雄、石坂洋次郎。真面目に読むと再発見があったりするので、忙しい中年は真面目に読まない。
・「ボートの三人男」(ジェローム・K・ジェローム):最近読んで面白かった。
・「悪魔の辞典」(アンブローズ・ビアス):学校の遠足のときに持っていって弁当食べながら読んだ。おもいっきり退かれた。
・「ユーモア・スケッチ傑作選」:ユーモアの波長が私と合わなかった。
・「世界SFパロディ傑作選」:多分読んでいないな。金が無い学生は、アンソロジーは当たり外れが大きいので、なかなか買えなかった。
・ナンシー関:結構読んでいる気がする。消しゴムハンコもあれくらい彫れればなあ。
・山田風太郎:忍法帖シリーズは、数年おきにまとめて読み返したくなる時がある。
・山口瞳:読んでない。
・飛浩隆:さっき読んだ。「象(かたど)られた力」ハヤカワ文庫JA SF界に久々の大型新人登場。ってデビューから20年も経っているではないか。次回作が「猫られた力」とか、「犬られた力」とか、「麒麟られた力」とかだと嬉しい。短編集。「デュオ」音楽SFサイコ本格叙情ミステリ。すごいレベル高いだけに、ほんのちょっとのことが気になる。ああ、描写したほうがもっと良くなるのに説明しているぅ。「呪界のほとり」ファンタジー系SFちょっとライトノベル風味。これシリーズものの冒頭だよなあ。物語派の人だとここからお話が始まるのだけれども。「夜と泥の」中心をとりまく戦闘のイメージが凄かった。中心のイメージがどうも私のアレから外れているなあ。最初からアレだったほうがいいような。好みの問題ですか。そうですか。「象られたちから」メインアイディアはもうなんというかSFでしか味あえないセンスオブワンダーというか大法螺というか。それでもってセンチメンタルだったり大破壊だったり。明日「グラン・ヴァカンス」を探しに行こうっと。
4日の日記に書いた誤解釈は、三行目までの解釈で止めておけばよかったかな。まあ、もうアップロードしちゃったからいいか。▼とりあえず今日はTOKIOの10周年記念アルバムを買ってみました。ジャニーズ事務所の歴代ヒット曲のカバー集。ジャニーズに興味が無い私でも、ほとんどの曲を歌えるのにびっくり。ジャニーズ事務所の偉大さがわかります。実をいうとキンキキッズのフラワーのアレンジをSketchShow(細野晴臣と高橋幸宏)がやっていたので、その一曲のために買いました。アレンジを聴こうと思うと、ボーカルが非常に邪魔で困る。フラワーは曲自体は好きなんだけど、それはそれ、これはこれ。あれはあれ。ああ、それそれ。▼いっしょにSketchShowのRemix集も買ったのだけれど、こっちは凡庸でした。これは予想どおり。予想が当って悲しい。▼小学生のころから作文とか読書感想文が大嫌いでした。結局のところ、読み手が希望するものを書かなければいけないというのが嫌であるようです。なぜこんなことを書いているかというと、明日までに社内用の作文を2つほど(計二十枚程度)書かなければいけないのですが、嫌で嫌でしょうがないからです。気を抜くと内心思っている事、例えば「以上のように、ここ十年間における経営判断を詳細に分析した結果、会社の時間とリソースを浪費し、結果的に顧客および株主に損害を与えることが、わが社の経営陣の目的であることがわかった。それに従い、私も会社の資材・資金・時間を無駄に浪費し、ひいては経営状態を悪化させることに鋭意努力することこそが、わが社の経営方針に貢献することになるということを心に刻み、より一層の努力を惜しまない所存であります。」などと書いてしまいそうで恐い。▼では、今から作文モードに入ります。
ギャランドゥの謎
下条さんのくだらな日記平成16年9月2日によると、西城秀樹を主神とする宗教施設のことを称して「伽藍堂」というそうである。ここらへんでメディアリテラシーを試されているような気がするが、それは置いておいて、ではその宗教法人「伽藍堂」の所在地が何処なのかということについて調査してみました。しかし、調査するまでもなく、大ヒット曲「伽藍堂」の歌詞においてはっきりと歌い上げられていました。
区や市 けれど
最初に、地名の話であることが宣言される。
狛江に府中
あっけなく、狛江市と府中市にあることが判明した。
伽藍堂 伽藍堂
二箇所あることから、「伽藍堂」も二回歌われている。
その濡れ田畑 売るんだ 人に
私有財産を所有することは罪悪なので、売却して浄財として寄付せよということである。新興宗教によくある手口である。
伽藍堂 伽藍堂
二箇所あることから、「伽藍堂」も二回歌われている。
鋤と居る 白い旗 黒い奴隷 素に頭突き
ここらへんで神様が降りてきたようで、発言内容が錯乱してきている。場が持たないので、冷静に白けた目で見ている人には頭突きで攻撃している。
神を降り 見出したまうで 踊る
教祖に神様が降りきて、踊っている。
伽藍堂
一回しか言っていないということは、ここから先は府中または狛江のどちらか片方の「伽藍堂」の話ということである。
艀(はしけ) 奴隷の嘘 逢いに 血ら 付かせて
新興宗教によくある方法だが、恐怖感を煽って信者の信仰心を高めようとしている。
男の死線 熱め では 狛江は 僻む
どうやら府中支店のお話らしい。
苦や 死 けれど 狛江に府中
新興宗教によくある方法だが、恐怖感を煽って信者の信仰心を高めようとしている。
伽藍堂 伽藍堂
二箇所あることから、「伽藍堂」も二回歌われている。