ダイダラボッチのぼっちは一人ぼっちでと言う時の ぼっち と同じで、「法師」がなまって ぼっち となったものです。なるほど、すてきだなと思って盗作したりするのだな。それは ぼっち ではなくて なっち。まあ、すてきだなと思って盗作するのではなくて、すてきだなと思って倒錯していれば、なにかある種コアなファンが増えたのではなかろうか。あんまりそんなこというもんじゃない(つっこみ)。
この場合の法師は本来の意味である仏教の僧侶ではなく、少年を意味する。何故、僧が小僧になったのかよくわからないのだが、と書いてみて漢字が同じことに気がつく。なるほど、僧と小僧は通じるものがあるのだなあ。なるほど、お寺では衆道が流行るわけだ。あんまり僧いうこというもんじゃない。
ぼっちの謎は解けたため、残りはダイダラである。法師がなまった結果 ぼっち となっているなら、ダイダラも何かがなまった言葉に違いない。ま、違いない。(流行語大賞落選)。ここで逆転一発ホームランお願いします。代打ら あぶさんズ(複数)。世界に平和を。ダイダ・ラマ。いくじなしね。抱いたらいいじゃない。15台のマシンで合体だ! ダイダラー15 それがそれが愛。私だけ……。だいだらひかる。おとうさん、御粥をだいだら食べなさい。いつもすまないねえ。それは言わない約束でしょ。
どうもどれもしっくりこない。ということで調べてみる。風を起こす大型のフイゴである蹈鞴(たたら)をデイタラと呼び、それがなまってダイダラになったという説もあるそうだ。あながち、デイタラめでもなさそうだ。でも、どうしてふいごが巨人の名前になったのか今ひとつ理解できません。大きいものはフイゴなのか。そうなのか、ではポルトガルが誇るサッカーのスーパースター フィーゴは大きいのか。地上で一番大きい動物はフイゴなのか。あんまり象いうことはいうもんじゃない。
ダイダラボッチというと巨人で足跡が沼になったり湖になってたり小便が河になってたり、転んで手をついたら岩に手の跡が残って岩手になったりしているのだが、結局のところ、いわゆる妖怪の一種である。あんまり巨大すぎて面白い話も出来にくいのか、もののけ姫とゲゲゲの鬼太郎くらいでしか見たことがない。実際にこのような巨大な生物が存在したと仮定した場合、さまざまな疑問が発生する。その桁外れに重いはずの体重を支えることが物理的に可能かとか。こういう、もし妖怪が実在したらという仮定の話は仮定に仮定を重ねないと話が進まないので、無益に終わってしまうことが多い。あんまりそうIFことはいうもんじゃない。
ダイダラボッチは妖怪でありますから、西洋風に言うとモンスターであります。モンスターではありますが、特徴としては大きいことくらいしかないので、携帯用ゲームのキャラクターに採用すべく、縮小した上に可愛くデフォルメして持ち運び便利なモンスターにしてみようとしても、うまくいかないような気がします。あんまりそいういうことポケモンじゃない。いや「モン」しか合ってないし。
しかしダイダラボッチは何を食って生きているのか。ゲゲゲの鬼太郎に出演したときは九州を食べていた。実際に存在する生物だと仮定すると、人に似ていることから雑食性であろう。何を食べるかいろいろな食品を目の前に並べてみて調べるのがよいのではないか。これは勘ですが、小麦粉を水で溶いて焼いた下町の食べ物だけは一口だけ食べて、あとは残してしまうような気がします。特に日が暮れそうなときには更に食べないような気がします。余りそうな 夕方もんじゃ焼きじゃない?
ダイダラボッチは、たいていは一人しか目撃されないが、繁殖はどうしているのか。そもそもひとりぼっちなのか。ダイダラボッチは法師であることから雄であると思われる。生殖行為はいつどこで行われているのか目撃証言は無いところをみると、日本本土内ではあるまい。きっと海の真ん中まで泳いでいって誰もいないところで行うに違いない。はるばる泳いで行って、雌と落ち合うことができなければ大変な悲劇である。どれくらい悲劇的かと言うと、堀江青年くらい悲劇的である。これがほんとの、太平洋一人ボッキ。いやいや これがほんとの ではなくて。
ところで今まで存在が確認されていない雌はどこにいったのか。隠れているのか。引きこもりなのか。ニートなのか。パラサイトシングルなのか。ピーターパンシンドロームなのか。何故出てこない。出てきてもなんら得がないから出てこないのか。そんなに損をするのが怖いのか。あんまり損なこというもんじゃない。
まあメスのダイダラボッチも恥ずかしがらないで出ておいでよ。一人で居るより二人で居る方がさびしくないから。