電気グルーヴ Singles and Strikes すいません。酔った勢いでレーベルゲートCDを買ってしまいました。新曲「弾けないギターを弾くんだぜ」のタイトルが素晴らしい。
Kraftwerk Aerodynamic アルバムからのシングルカット。すいません、CCCDを買ってしまいました。オリジナルが長短2バージョンとリミックス2曲。ドッドドッドドド ドッドドッドドド ドッドドッドドド ド ド ド というリフをいかにして飽きさせずに7分間聴かせるかというのがこの曲の肝と思うのですが、リミックスの1曲目は今風のテクノに引き寄せ、2曲目は、このリフを前面に押し出してリフ自体を聴かせるという正反対の解釈で面白かったです。
握手のエチケット
意義:握手は、もともとはヨーロッパの習慣に由来する。おそらくは、手に武器を隠し持っていないことを示す意味があったと言われている。本来の意味に立ち返れば、左利きの人は左手に武器を隠し持っていないことを示す必要があるので、左手で握手する必要があろう。剣ではなく「弓や鎖鎌等の両手を使用することが必須の武器」を使用する職業の方は、両手で握手する必要がある。カポエラの達人は足で握手する必要があり、大木金太郎は頭で握手する必要がある。適宜選択されたい。
実践1:握手は原則として、女性、上位者、年長者の方から求めるもので、男性、下位者から求めるのはマナーに反する。しかし、相手が握手の為に手を差し伸べてきたら、すばやく応じるのがエチケットである。職場でおやつを食べる順番と同じである。
実践2:握手の時は、きちんと相手の目を見ながら握手をしないと失礼にあたる。相手が野生動物ツキノワグマ、ホッキョクグマ、ライオン、ピューマ、トラ等の場合、視線を合わせることは敵意の表明であり、おまえのハラワタを食い散らしてやるとの意思表示であることから、結果として決死の作業となる。エチケットを守るためには仕方がない犠牲である。自分が今挨拶しようとする相手が野生動物でないことをあらかじめ確認しておくことが現代の激しいビジネス状況において生き残る知恵である。
実践3:相手の目を睨みつつ、手をひじの高さまであげ、更に相手の手を握る。通常、どの程度の固さで手を握るかということは難しい問題であるが、耳たぶの柔らかさになったら出来上がりです。それなら最初から耳たぶで握手すればよかろう。あまり力なく握るのは、西洋では「死んだ魚のようだ」と言われ悪い印象を与える。握力が弱い人は、あらかじめ死んだ魚を握って差し出すと違和感がない。逆に満身の力をこめるのも問題である。悪意の表れと思われます。相手から痛いぐらいに握られた場合、悪意が存在します。さあゲームの始まりです。貴方は負けずにギュッと握り返すべきです。それでも相手が力を緩めない時は、右手首を起点に人さし指をたてて、内から外へ回して相手の腕をつかむ。そのまま流れるように親指と人さし指で相手の手首を回転の方向へ思いきりねじり上げる。背面から膝の後ろを押さえつけるように足で蹴り、かがんだ後頭部に肘打ち。そのまま腕ひしぎ逆十字に入るか、マウントポジションをとれば自分が圧倒的に優位であることを相手に決定的に印象付けることが出来、今後のビジネスの交渉に有効となる。
世界の半落ちでピアスを準備するインストールは出来ていた気持ちを叫ぶ
そろそろ注意標識を描くのにも飽きてきた。
昔、授業中の暇つぶしとして小さい折鶴作る事に熱中した。私の最小記録は0.5mm角の紙(一回だけ成功)。1mm角なら10回に1回、2mm角なら3回に1回程度の割合で成功していたと記憶している。道具を使わないで指先だけ折るのだから我ながら馬鹿である。このように、暇があるということはまことに恐ろしいことであることよ。傍から見ていると、人差し指と親指でなにかを揉んでいるようにしか見えなかったはずである。ほとんど勘と念の世界。こういうのは続けていないと出来なくなるもので、今5mm角(面積比100倍)でやってみたが、失敗。(今、ググってみたら「0.5mm角の紙を折った世界最小の折鶴」というのが出てきてビビル。)まあ、私は道具を使わず指先で折るのでこれだけ小さいとエッジがシャープにならないので、人様にお見せできるようなものでもない。
雑記草(040227)で折鶴の話題が出ていた。そこから知った秘傳千羽鶴折形に載っている母鶴の背中に子鶴が乗っている(巣籠)を折ってみた。上にある図は展開図。巣籠の折り方は紙に切れ目を入れる方法だが、切れ目を入れずに折る方法を開発した人がいるらしい。まことに恐ろしい世界である。
今朝、金魚が死にました。
そういえば、今日は何処へも出かけていないなあと思い、散歩に出る。
一日寝る。
「きみの血を」シオドア・スタージョン ハヤカワ文庫 1961年の作品であることを考慮すれば傑作なのですが、ホラーやサイコものの流行が過ぎ去った後ではインパクトが弱いと言われても仕方が無いかも。主人公の手記を含む、医師の診断記録を含む、医師の上官との書簡の交換を含む、ファイルを読者が読んでいる様子を読むという重層的な入れ子構造。この話はフィクションと宣言されることにより、この話により読者に引き起こされる情動の根拠が揺り動かされる不安、そして読み手自身がフィクションかもしれないとふと思わせる不安。やっぱり傑作かも。
ふてね。
最近なぜか寝苦しい。
こういうのも絵日記というのだろうか。
まだ本調子でないので仕事休もうかと思ったのだが、世話になった先輩が本日付で退社するのでふらふらしながら会社に行ってみる。
頭痛がひどいので風邪薬を飲んで一日寝る。
ペニス 津原泰水 を読み始める。三ページ読んだところで、ああ、この人は通常の三倍の密度で書こうとしている人だと感じる。読んでいると息が詰まってきたので山田正紀の「超人軍団」と「幽霊軍団」を立て続けに読む。何にも残らないように書いてあるので何にも残らない。
「特に書くことがないのなら、ケーキを食べればいいじゃない。」
特に書くことなし。
特に書くことなし。
夜冷える
夜冷えるせいか、朝は体がこわばる。なるべく関節を曲げないようにぞろりぞろりと起き上がり体が目覚めるまでコーヒーをざるぶざるぶと何杯も流し込む。頭が目を覚ますと憂鬱が空からしゅるしゅると降りかかり肩に積もってくるのが嫌で、なるべく何も考えないようにする。目の前にいあすふとした蜘蛛の巣が張ったままうすらぺえとほうけたようにじゃりんじゃりんと顔を洗ったりばそばそと髭を剃ったりすべれぼうとスーツに着替えたりする。駅に向かって自動的に体が動く全自動社畜装置。電車に乗り込むと今日も相変わらずぎゅらんぎゅうと身動き出来ない。今日は珍しく人の隙間から外が覗ける。ぢゅらみに詰まった車両からばらさこす外を眺めると、線路沿いにぼげふえ並んだ家がひゅおらひょおらと過ぎ去っていく。ひょりひょりと鳴く縁日のヒヨコの様に個々の区別のつかない家家のそれぞれの壁にはそれぞれにらふたすい大きな目がついていてをだるふい沢山の睫をばさらむばさらむと扇の様にひらふかしながら、ぎゆひぎゆろと私を見ているような気がして仕方がない。電車は住宅地を抜け、ひゅらむひゅらむと高層ビル街に出る。ビルの壁面にぎょらみんぎょらみんと並んだ無数の眼がびよらぬんと一斉に私を観察している。
じゅらちじゅらちと地面に穴を掘ってまたその穴をざつほづざつほづと埋めるがごとく意味の無い作業を終え、さひるしと帰途につく。
とぼらりと歩く橋の下の運河には、びたりいびたりいと水がゆふあれく流れる上を船がディーゼルエンジンの音をぎかるぎかぎかと響かせてらひりいらひりい進んでいる。見上げるとぎちりしき夜空にさるはつしモノレールがしゅぴれえと音も無くされじくと過する。そのされじく上にはへけれこきヘリコプターがばだでぃだでぃだでぃだでぃだでぃと爆音をたててどこかへ墜落していくかのようにしゅれひる飛んでゆく。天蓋にはぴきりるぴきりると金星がまたたき隙あらばビルの向こうの何処かへへだべらぼうと堕ちようとしている。水面から金星までの垂直の距離の間に私の居るべき場所は無い。
ごげらごぎ社畜電車にほふえいづい乗り込むとぎろそい酔っ払いとひろごあいさいふぁがさぉつみくさえおしている。電車は動き出すが、窓の外は暗くをちしでくビルの壁の眼が私を見つめているのかはよくわからない。そふきでひ次の駅にふぉるつむ近づくとゆひらと車両の明かりが消えぐぬむらす暗闇の中でぃすごけき暗闇を抱いたばるでよむしょぶ電車は音も無く進んでいく。このままぐふそれかすれまにぬしどさふみな。それともぅむさづぐぐざぬまどふすれがみなのだろご。むちふすぐれはがしくのふすれたまれちいればそ、きれそそむなびどざじし私の体はくれがむし終着駅へ向かってふへらほうさ運ばれていく。
「チョーク!」チャック・パラニューク 早川書房 奇矯な母親に育てられたセックス中毒の主人公。アルツハイマーで入院している母親は息子を他の誰かと間違い続けるが、息子と認めることは決してない。入院費を稼ぐ為にレストランで食事を喉に詰まらせた演技を繰り返し、命を救うヒーローを作り出し続ける。キリスト教のモチーフ(というかそのもの)がそこかしこに出てくるので、日本人が読んでも実感としてわかりずらい面がある。そういうわけで、私は主人公の切実さが十分には理解できていないのではないかという恐れが多分にあるのですが、鬼面人を驚かすいつものチャック・パラニューク的ガジェットを剥ぎ取れば、そこにはいっそすがすがしい青春小節の骨格が。
最近ニュースを見ないので米国における狂牛病の発生による牛丼騒動というものをよく知らないのですが、噂によると牛丼を安く提供することが難しくなり、代替として豚を使ったメニューが出てきたらしい。外食を一人で食べることが滅多に無く、つまり牛丼屋さんというものに入ったことがないため想像するしかないのであるが、豚めしというのは強烈なネーミングですね。同じように動物の名前が頭につく料理といえば真っ先に思い浮かぶのがネコまんま。ネコまんまは、ネコが食べるような料理という意味合いだと思うのですが、調べてみるとネコまんまと言っても各地方により、どんな料理なのか異なるようです。
一口にネコまんまと言っても色々な種類があるものである。
まだ見ぬ豚めしがどんなものなのか、これを参考に考えると
等が豚めしであろうか。
更に吉野家では豚めしではなく豚丼だそうである。豚丼というからには
豚めしの上記の可能性に加えて、
丼の蓋、即ちどんぶりぶたを開けると、その下にはタドンが。ぶた+タドン=ぶたたどん→ぶたどん。なんだこの静けさは。客はそのタドンに火をつけ、暖をとる。客が一斉にブタドンを注文した場合には、店員は一酸化炭素中毒に気をつける必要がある。一酸化炭素中毒による事故を未然に防ぐためにも、狂牛病問題の早期の解決を望むものである。