修行中
またもやウイルスメールがガンガン来るようになりましたので、もう手遅れかもしれませんがメールフォームを撤廃しました。(メールフォーム内にメールアドレスが記載されていたため。)ご了承ください。
1月25日のテキストの続きですが、マスターの正体とその意図、何故唐突にギリシャ神話の世界が紛れ込んできたのか、あの二人の娘の活躍、そしてこの店の存在は!?という続きを書いていたのですが、面白くないとの御指摘を受けましたので没にしました。私の不徳の致すところで申し訳ない。修行しなおして参ります。
頼まれて一ヶ月ほど夜、バイトをすることになった。
店に行くとマスターから買出しを頼まれた。
「ちょうど、メデューサの首を切らしていたところだ。市場まで買いにいってくれないか。」
しょっぱなから厄介な仕事である。
「はあ、いいですけど」
カウンターに置いてあった銀のお盆を借りて買出しに出かけた。探検隊を組織する余裕がなかったので手漕ぎの船を一艘借りた。船頭さん、領収書をお願いします。マスターは経費で落としてくれるだろうか。途中で寄った島で羽が生えた靴を手に入れた。これを履くと空を飛ぶことが出来ます。メデューサの島に辿り着くと、羽が生えた靴に履き替え、空中から音をたてないようにそっと近づく。ひらりひらり。まるで夜の蝶のようだ。メデューサを直接見ないようにお盆を鏡代わりにして、サクッと首を切り落とした。袋に入れた首を持って店の裏口から入ると相変わらずマスターが店を開く準備をしていた。
「意外と早かったね。わたしにメデューサの首を見せなさい。」
「では、お目にかけましょう!」
マスターは石になってしまった。
しょうがないので、マスター抜きで閉店まで働いた。
「じゃあ、今日はこの辺で帰ります。」
固まっているマスターにも一応声をかけて店をあとにしました。
「ただいま。」
「おかあさん、お帰りなさい。」
二人の娘が出迎えます。ああ、今日のバイトは疲れた。それにしても今日のバイト代は出るのかなあ。それと船賃は経費で落ちるかなあ。あと29日間、私が店を切り盛りしなくちゃいけないのかなあ。
>乱歩Rがどうすれば面白くなるか考えてみました。キャラクターから考えると藤井隆は怪人二十面相で決まり。主役の明智探偵の孫は本上まなみ。菅野美穂の正体は黒蜥蜴(孫)。ほんでもって黒蜥蜴と明智探偵(孫)は許されない恋愛感情を抱く。小林老人は怪人二十面相と許されない恋愛感情を抱く。事態の混乱に筧利夫がキレて全員を射殺する。全員が死亡したところで岸部一徳が部屋に入ってくる。不敵な笑みを浮かべる岸部一徳のアップ。どこからか声が聞こえる。「君の復讐はこれで終わりかね?」驚いてあたりを見回す岸部一徳。そこへ明智小五郎(天知茂)がさっそうと現れる。死んだはずの全員が起き上がる。そう、これは君の正体を暴くための罠だったのだよ。(スパイ大作戦のテーマが流れる。)チャッ、チャッ、チャッチャ、チャッ、チャッ、チャッチャ。
いつか白馬に乗った雄牛さまが…
>まだです。と言いますか、1月に入ってから急に作業が立て込んで参りまして、盆と正月が一度にやってきたような感じです。よく考えてみると、盆には特に何をする訳でもないし正月は寝正月で何にもしないから、盆と正月が一度にやってきたような忙しさというのは、暇でしょうがないことを指すような気がしてきました。
光学式マウスが安売り(¥600)していたので買ってみる。マウスケーブルが非常に細くていかにも断線しやすそうだったので、適当にUSBケーブルをみつくろって付け替えてみる。動作しなくなる。もとのケーブルに戻しても動作しない。あっという間にジャンクの出来上がり。
鴨とアヒルのコインロッカー 伊坂幸太郎 何故書店を襲撃して広辞苑を強奪しなければならなかったか、という謎は魅力的。このお話で、主人公が関与するのが事件の最後の閉めというのが弱い。青春小説としてはもっと事件に関与しないとなあ。パン屋再襲撃とか熊を放つとか村上春樹の直接的な影響があからさまというのはもうちょっと工夫したほうがよくないか。
NGPのオフ会。数年ぶりかな。会社の最寄り駅の隣の駅で開催されたので、異常に早く到着してしまい困ったのでうろうろしてみる。会場があるビルがエッシャーの絵に描かれているような複雑怪奇な構造で、目の前に見えている場所にどうやって辿り着いたらいいのか皆目わからない。散策するのは諦めて店の前で座って他の人の到着を待つ。
>どこらへんが、でしょうか?
仕方ないのでカプラ付きのEtherカードを買ってきました。
なにしろ古いノートPCなものでUSB1.1だとストレージ系は遅くてかなわない。ということでUSB2.0のPCカードを買ってきました。装着しようとしてEtherカードと物理的に干渉して2枚同時に使用できないことに気がつき、とほほ。
よ〜く考えよう お金は大事だよ〜
このCMソングは印象に残るのでCMとしては成功であると思われるが、日本ではお金のことをむやみに口にするのは卑しいという考えが根強く残っているので、企業イメージを損なっているという側面も否定できない。お金の事しか頭にない企業というイメージが一旦ついてしまうとそれを払拭するのは難しいので、クリーンなイメージを打ち出すCMもやったほうがいいのではないか。生命保険会社であるので生命を大事にするイメージ。または健康も大事にする企業というイメージを打ち出すというのはどうだろう。健康を保つためには肉中心の食生活を改め、野菜類をとることが重要である。そこでこのようなCMを流すことを提案したい。
よ〜く考えよう オカラは大豆だよ〜
>どこらへんが、でしょうか?
私信:藤井隆はマシュー南として探偵役をやったほうが光るような気がします。それと小林老人というのはありふれたアイディアだと思うので、まさかねえ。
そういえば厄年ということで、我に艱難辛苦を与えたまへと常日頃思うてゐるところではございますが、厄は本人だけなら別にいいけど子供に厄が回ってきたりするのよ、と説得され厄除大師に行ってまいりました。平日に熱が出たと嘘をつき、会社をサボってこれでゆっくりと寝られると思うておりましたところ前述のように説得されしぶしぶお寺に向かいました。厄払いというと神社という印象があるのですがお寺でもやっているのですね。
平日というのに厄除け大師は人でごった返しておりまして、これだけ厄年の人が一箇所に集まれば彼らの頭上に集まった不幸の総量は相当なものであろう。集まった不幸は陰のエネルギヰとなり周辺の暖かい空気を引き寄せ上昇気流となり上空で黒雲を産み集中豪雨を降らせるのではないかと思われましたが、そのようなこともなくやはり厄というのは迷信であったかと思う間もなく本堂に集められ坊主が現れました。どうして坊主というものは宗教的な話を避けて道徳の話をしたがるかという疑問が顔に出ようとするのを押し殺し、ありがたいふりをしました。若い坊主が護摩を焚き始めました。これが燃え広がって本堂に集められた百数十人の厄年の人が逃げ遅れれば、日本に占める厄が減って、日本の景気もよくなるのではないかなどと考えておりましたが、一向に失火する気配もない。本気で日本の経済の行く末を考えているのか宗教法人よ。日本経済に貢献する気がさらさらないのであれば、宗教法人に対する免税について考え直したほうがいいかもしれない。
と、小泉総理に成り代わって景気対策を考えているうちに太鼓が鳴り始めました。十数人の坊主が読経をはじめます。金物の音が二種類(長い音、短い音)が鳴り響きます。ノングルーヴのテクノだなあ、これ。と聞きほれているうちにあっという間に読経も終わり、護摩の炎も消えてしまいました。こんなんで厄はおとされたのかなあ。ご本尊を拝んで本堂から退席。ご本尊というのが教祖様の像で、お釈迦様の像ではないのは何故ですか。よくわかりません。
ということでお札をいただいて家路につきましたが、厄は落ちたのでしょうか、落ちなかったのでしょうか。実感がわきません。それとも私自身が厄の本体だったという落ちなのでしょうか。
ハードディスクがもうどうしようもなく一杯になってしまったので新しいのを買ってきました。一気に容量が20倍となりましたが、やることは別に変わらないので御座いました。とりあえずシステムのインストールが終わったので一段落。ついでにUSBの外付けケースを買ってきて古いHDを入れてみたのですが、電源容量が足りないみたいで動作不安定なのがやだなあ。適当に安いケース買ってきたんだけど、追加電源をPS/2ポートからとるというのは一般的なのだろうか。
と、環境を整備してたらFTPのパスワードなくしちゃってあせる。ほんでもってアップロードできるかのテスト。
Garagebandいいなあ。これのためにMac買ってしまうかも。今使っているThinkPadが壊れたら、ですが。というかもう既に買ったときから壊れているんですが。
>どこらへんが、でしょうか?
頭が痛いので朝から寝る。
勢いがついたのでカゴの中から掘り出して、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を読む。ミステリ風味の青春小説。悪くない。しかし決定的なところで重さに欠けることに気がつき、「陽気な〜」で感じた違和感の正体に思い至る。私は、小説には軽みを求める人種ではありますが、「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ」という言葉をもじれば、フィクションであるならば、「陽気に伝える時は、本当に深刻なことを紛れこまさせなければいけないんだ。」と思います。
読み終えても頭が痛いので昼寝。
勢いがついたのでカゴの中から掘り出して、伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」を読む。リアリティのある世界とリアリティに欠けた世界を並行して語る手法は村上春樹の影響かなあ。謎の繰り出し方はうまいなあ。喋る案山子は未来を見ることが出来るのに、何故自分が殺される事を知っていながらそれを防げなかったか。という謎がおもしろい。この話では重みに欠けるという点は気になりませんでした。百年の時の流れの重みが裏にあるからだろうか。
読み終えても頭が痛いのだが、寝すぎで眠れない。
結論として伊坂幸太郎は「買い」。
「陽気なギャングが地球を回す」 伊坂幸太郎 NonNovel 出た当初に表紙だけ見て、講談社ノベルズ路線を後追いしているのかなと思いスルーしておりました。どうやら評判が良いらしいのでカゴの中から掘り出して、古畑任三郎を見ながら読んでみました。古畑任三郎は、舞台を外国に設定するなら、レギュラーを廃止して主人公を徹底的に孤立させたほうがよかったのではないかと思いました。お話自体は犯人が大ポカをして馬脚を現すと言うたぐいのプロットで、小説だったら評価は低かっただろうなあ。映像であることを前提としたTVだと面白いと感じる。というところが面白かったです。「陽気な〜」はよく出来た銀行強盗もので、なるほどよく出来たお話。こういうコンゲーム的な小説を読むとどうしても山田正紀と比較してしまうのが苦しいところ。読後何も残らないように軽く書いているところが惜しいなあと思ってしまうのですが、それが作者の意図するところというのもわかるしなあ。無い物ねだりなんだろうなあ。
元旦早々うちの金魚が産卵いたしまして、どうやら水草が水槽に入ると産卵したくなるものらしいです。また卵を隔離しなくちゃ。
明けましたが、特におめでたいと言いたい気持ちを抱けないので、単に明けましたと言うに留めておこう。New Year comes. 自分の心に嘘をついてはいけない。ただ心の決めたままに。マイウエイ。いや、イマジン。想像するんだ。元旦なんてないのさ。想像するんだ。年越しなんて嘘さ。簡単なことさ。世界中の人が炬燵に入って蜜柑を食べながらカルタをするのさ。
大晦日の格闘番組をザッピングして見ていました。何と言っても格闘家精神に溢れていたのは長井秀和。反則攻撃で噛みまくっていたのが残念。ブラッシーの再来だ。間違いない。そういうわけで、試合自体はグダグダだったのですが、最後の決め技が凄かった。「笑いで年越しだなんて日テレには今年笑えないこともありましたよねえ? (ニヤリ)芸人にCCDカメラをつけるくらいなら、プロデューサーにCCDカメラ付けた方が面白い絵が撮れるんじゃないんですかぁ。間違いないっ。」日本テレビの番組なのに勇気あるなあと思いました。涙目だったし。そのあと、他の番組での暴露話「彼は楽屋に戻って『4回も噛んでしまった。間違えた!』と言っていた。」というのが面白かったです。