眠っている間に台風は熱帯性低気圧に名前を変え、町に大量の雨と風を送り込んで去っていったらしい。目を覚ますと既に小雨の夕方になっていた。煙草を買うついでに散歩する。街路樹から飛ばされた大量の木の葉が排水溝に詰まっている。いつもこの町に漂っている空中の塵は雨に落とされて空気の色が違って見える。なまぬるい風が押したり戻したりして私の体を包んでいる。最近ひどくなった眩暈のためまっすぐ歩けない私は、更に道の右と左の間をふらふらと歩く。生ぬるい温度に包まれて何かに押されてゆらりいゆらりい歩く姿は何かを思い起こさせる。誕生だとか死だとか。歩いているこのまま、私の腐った魂に見合うように私の体は腐り始め、ぼたりぼたりと肉片を落とす。骨だけになった私の体は自動販売機に辿り着く。ガードレールにもたれて煙草を吸おうとするが、肋骨の間から煙が漏れてうまく吸うことができない。諦めて体を起こし帰ろうとしたとたん、なまぬるい突風が私の体をなぎ倒し、私の骨はばらばらになり車道に散らばる。何回も車に轢かれ白い粉となった私の体は雨に流され木の葉に紛れて排水溝に消える。台風が完全に去る明日には、なまぬるい風も私の骨もまるで元から無かったもののように町は普段の姿に戻るだろう。
ゲルニカの3枚のアルバムをまとめたCDを見つけたので買ってみる。やっぱり1枚目が一番しっくりくるなあ。計算しつくして作っているのか、なんも計算していないのか判別し難いところがいいなあ。メンバーの3人とも元気なのかなあ。
ポリシックスのミニアルバム「kaja kaja goo」も買ってみる。彼らの芸風だと転がり続ける必要があると思うのですが、「破天荒に元気」なまま固まってしまったように聞こえる。杞憂ならばいいのだが。
ブックオフで山田正紀の「不可思議アイランド」徳間文庫を発見、確保。すいません、絶版です。SFから時代小説までバラエティに富みすぎている短編集。「魚がどうして陸にのぼったのか、それは早急に考えられなければならない問題である。」から始まる「魚の研究」というショートショートが最高。魚が陸にあがった理由を(いわゆる雑文的に)とんでもない考察しているうちにおそらく誰も思いつけないであろう驚愕のオチ。
(駄洒落)周知の様に、獣医師十一人の衆智を集めても純一が重鎮である羞恥。
話は変わるが、「ヴ」は福沢諭吉の発明らしい。ということを調べているうちに雑文のネタを思いつくが、心の余裕が無いので出来上がるのは何時になることやら。仕事が忙しくてねえ。心の余裕がないのですよ。困った。この忙しさはあと平成十七年まで続く予定なので尚更困った。
ブックオフに行ってみると、フーコの振り子(ウンベルト・エーコ)文春文庫の上巻だけ大量に置いてあったので買ってみる。読んでみて面白かったら下巻を探してみよう。ついでに死者の書(ジョナサン・キャロル)も買ってみる。シシャノショ100円。今週は調子良かったのだが、またもや調子が下降気味。本を読むスピードがすごい勢いで低下しているため、積読本がまたもや増加中。シシャノショ。
ただ券が手に入ったのでJ2の試合を見に行く。サッカーの見方もよくわからないので空いている席に座るとそこはアウェイの応援席であった。はるばる福岡から川崎まで試合に来るのは仕事であるとは言えご苦労様である。福岡から川崎まで応援に来る人たちはよっぽどサッカーが好きなのであろう。TV観戦に慣れているので試合の様子がいまひとつわからなかったのだが、終始川崎が押し気味で、結局2対1で川崎チームの勝利。素人目に見ても福岡のチームは決定力不足のように思われる。なにしろこの試合のゴールは3点とも川崎の選手が入れたものだし。
マニアックス 山口雅也 講談社文庫 ミステリーよりもホラー側に重点を置いた短編集。じっくりと読まないと判らない凝りに凝った話を書く人だと思っていたのですが、この短編集はずいぶんすっきりと判りやすい話が多くて驚きました。判りにくい話では怖がりにくいということなのでしょうか。
「こりゃまたずいぶんと、とっ散らかしたもんだな。」 映画「逃亡者」より
溺れる魚 戸樫圭太 新潮文庫 タイトルだけ見たときは、なんとなく民族間の問題をテーマとした重い話かと思っていました。読んでみると次から次へと盛りだくさんのイベントで思わず「逃亡者」のT.L.ジョーンズの台詞を呟いてしまいました。謹慎中の警官が、罪の帳消しと引き換えに秘密任務に。公安と企業と恐喝とヤクザと過激派とで日活アクションを繰り広げる。読んでいる間は楽しめましたが、例えば冒頭に出てくる女装癖のある警官とかもっと掘り下げることもできただろうにと思ってしまいました。例えば窮地に陥った主人公が、女装アイテムの思いがけない使用で脱出するとか、拳銃を持ったヤクザをハイヒールでぶっとばして「女装癖をなめるなよ!」と啖呵をきったりとか、深く自身の女装癖を深く内省するとか、冒険を通じてトラウマが解消され女装癖が消えるとか。後半になると「女装癖」に代表されるガジェット達が、どこか行ってしまってしまうのが物足りない。
憂鬱なのは小雨が降っているせいではないのだが、深く考えると余計なことを思い出しそうだからこの際天気のせいにしてしまおう。そういえばコカコーラ社の凹が美味いので集中的に飲み始めたら、回収だそうで。厚生労働省未認可の添加物を使用していたらしい。私が好む飲料は何故、売れずにすぐ市場から消えたり回収されたりするのだろう。そういえば駅前で配布しているポケットティッシュは何故、いつも私に配る直前でなくなるのだろう。英文のスパムは何故、普通のメールが来ないというのに大量に舞い込むのだろう。煙草が切れるのは何故、いつも夜中なのだろう。教えてお爺さん。教えてお爺さん。教えてアルミのノミの寄与。ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレーヒーオーイーヨー。
私が応援するお笑いは何故、すぐ解散してしまうの。私が買おうとする本は何故、本屋に置いていないの。私が買いたいCDは何故、よくわからないコーナーに置かれているの。教えてお爺さん。教えてお爺さん。教えてある日のモーフィング爺よ。ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレーヒーオーイーヨー。
世界の人々は何故、愛し合うことをせずに争うのか。幸福は何故、いつも背後に憎しみを隠し持っているのか。知恵は何故、充足させることなく欠乏を照らし出すのか。教えてお爺さん。教えてお爺さん。教えてアルビノも祈りよ。ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレーヒーオーイーヨー。
ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレヒレヒレ。ヨーロレーヒーオーイーヨー。
ヨーロレヒレヒレヨーロレヒレヒレヨーロレーヒーオーイーヨー
ヨヒーオヒレーレロレヒヨーローロレーヒレヒレイーヨーヨレー
ラテンアメリカ五人集 集英社文庫
ブックオフで見つける。リョサとオカンポとアストゥリアスとパチェーコを一冊にまとめるという編集意図が良くわからない本。他の作者が一作のみなのに対し、パスだけ三作収録されているので、きっとパスの短編集を作りたかったのだろうと邪推。内容は政治的背景を色濃く反映した短編から実験作やら詩やら伝説集やらでまとまりが無い。語り手が「ぼくたち」というリョサの「小犬たち」が面白かった。
舞城王太郎 三島賞受賞記念に読んでみようかと思い本屋に行くが「阿修羅ガール」が見当たらなかったので「熊の場所」を買ってくる。短編は初めて読みましたが、話の断片の選び方や組み立て方が村上龍に似ていることに気がつきました。とすると舞城の長編はコインロッカーベービーズ的手法で書かれたのだろうか。マラソンを走るのに100mダッシュを422回繰り返す方法。
日光を見ずしてNice! と言う事なかれ。Nice ! 華厳の滝は濃霧のために何も見えず。ただ水の音が遠くから響いてくる。Nice ! 雨の中、東照宮に入ろうとすると入園料を取るということで、入り口の門を眺める。Nice ! 中に入れず雨に打たれて小一時間佇む。カノッサの屈辱か。眠り猫の姿を想像する。頭からzzzzzzの文字を吐き出している彫刻を思い浮かべる。眠っている猫の姿は徐々に消え、そこには眠りだけが残される。Nice ! 風神の四本の指は東西南北を表し、雷神の三本の指は過去現在未来を表している。風神雷神が現れるリングの四方は東西南北を表し、三本のロープは過去現在未来を表す。Nice ! そのうち神主さんが出てきて弓と矢の御祓いをはじめる。Nice ! 東照宮の門から遠い表参道をながめる。弓と矢は射手と馬のところに届けられる。Nice ! 流鏑馬はほとんど的を外れ、その度に観客から大きなため息がもれる。Nice ! 夕方のニュースでは的が射抜かれる場面だけが繰り返し流される。Nice ! 国内旅行はこれで十分。今度は海外旅行に行こうか。ニースがいいかな? そりゃ結構!
携帯電話、3年ほど同じ機種を使っておりますがメモリー25件しか登録してません。hotmailのアドレスも所有しておりますが3%しか使用しておりません。コミニュケーション不在の中心に居るのであろうか。
近所の本屋で売っているのがなくなったので舞城王太郎週間は終了。ということで「屈辱ポンチ」町田康 文春文庫 主人公は脚本家。妻が家を出てしまう。老プロデューサーから依頼された脚本のロケハンに行く先々で筒井康隆的な目に会う「けものがれ、俺らの猿と」。知り合いの復讐を20万で引き受け。嫌がらせを以って復讐となすべくバタバタしたあげく松坂牛を送りつけたりする「屈辱ポンチ」の二本でお送りします。んがとと。人間的に問題ある主人公がやる気を出したり出さなかったりでとんでもない目や奇妙な目にあってしまうというのはデビュー以来変わらないが、それでも飽きさせないといのは語り口の魅力だろうか。古典落語みたいなもんだな。
ネタばれが激しすぎるような気がしてきたので、削除。
講談社ノベルスの舞城王太郎を一通り読んでみました。
「世界は密室でできている。」ミステリに見せかけた青春小説。
「煙か土か食い物」ミステリに見せかけた英雄小説(帰郷篇)。
「暗闇の中で子供」ミステリに見せかけた何か。
「九十九十九」ミステリに見せかけた得体の知れない何か。
ゴールデンウィーク最後の日の午後ともなると、日が暮れるにつれてだんだん世 界から色が失われて灰色の世界になっていくのが感じられる。昨日の朝日新聞で高橋 源一郎が舞城王太郎の「九十九十九」を紹介していた。「ぼくは、ここには決定的に 『新しい』なにかがあると思った。(中略)徹底的な新しさとはなにか。それについ てぼくはあえてここで説明しない。」書評家として高橋源一郎がこういう言い方(と いうか言わない方)をするのは珍しいので試しに買ってみる。
「鶏が先か、卵が先か」問題については、以前考察したことがあったのだが、新たに、「鶏が先か」が先か、「卵が先か」が先か問題が勃発したらしい。そういう問題があるとは気がつきませんでした。考えてみよう。
「卵が先か、鶏が先か」と記述した場合、この文章の後半部分を聞くまではこの「卵」が鶏卵であるか、カエルの卵であるかそれともアイドルの卵であるか判断がつかず、宙ぶらりんの状態であるため聞き手に不安を与える恐れがある。素直に「鶏が先か、卵が先か」とするべきであろう。
どうしても「卵」のフレーズを先にしたいならば、次善の策として「鶏の卵が先か、鶏が先か」とする方法もあるが、一文中に「鶏」が二度出現するといういささか格好よくないこととなる。
「鶏が先か、卵が先か」とした場合、冒頭に「鶏」という単語が出現するおかげで、後半のフレーズの「卵」が耳に入った時点で、自然に「鶏卵」であることが連想されることとなる。即ち、「卵」としか記述されていないのに「鶏卵」であると思い込んでしまう。
そう、被害者が死ぬ間際に言い残した台詞が指し示すものが「鶏卵」である保証はどこにもありません。ダチョウの卵かもしれませんし、蛇の卵かもしれません。ムカシアカツノオオトカゲの卵か代議士の卵か人の卵子かそれを確かめるすべは無いといってもいいでしょう。
そもそも、あのダイイング・メッセージは本当に「卵が先か」だったのだろうか? 「タマゴが裂きイカ?」だったのかもしれない。「タマゴがシャチか?」の可能性もある。「タマ号が鮭か?」とは考えられないだろうか。「…した孫がさぁ、キッカー」なら親子三代のサッカー選手の話である。ひょっとすると「茹でたマンゴーが好きか」という可能性すら考えられる。いいえ好きではありません。しかし、今のところはなんとも言えません。僕は確かめたいことがあるのです。明日の朝、被害者の故郷を訪ねてみようと思います。
そう言い残し、探偵は去っていった。三十年経ったが、未だに戻らない。彼の消息を知るものはいない。犯人は誰だったのか、それもわからない。
ライ麦畑でつかまえて J.D.サリンジャー 野崎孝訳 白水Uブックス
ブックオフにいっぱいあったので買ってみる。サリンジャーって、ほんと小説上手いよなあ。例えば、冒頭1ページであっという間に主人公の少年が家庭内でうまくいっていないこと、兄とはそうでもないこと、主人公が痛い少年であることが伝えられる。それからどういうふうに痛いかを端的に伝える「秘密の金魚」も絶妙のアイテム。それから競技場の俯瞰からスペンサー先生の部屋の対比、と同時に老人への嫌悪感、それからそれから…。小説を構成する要素の繰り出し方がリズム(というか間合い)が絶妙で、その要素の選び方がまた上手すぎ。結局、現実と折り合いをつけることが出来ない主人公は、雨の中回転木馬を眺めるクライマックスシーンを迎える。そこだけを読むと単に雨の中の回転木馬を眺める話なんだけど、ここまでの数々のシーケンスがあるから、このシーンがすごく重く迫ってくる。考えようによっては非常に怖い場面になっている。
若い頃読んだのなら、これは僕の小説だと感じただろうなあ。今となっては、そうだ君の小説だと言うしかないや。
このタイトルが「誰かさんと誰かさんが麦畑」に由来しているとは知らなかったよ。(正確には主人公の記憶違いなんだけど)
Ymo - Yellow Magic Orchestra / Uc Ymo Premium
またYMOのCDが出るそうで。2枚組みベストアルバム。坂本龍一選曲・監修・解説・リマスタリング。未発表音源2曲収録(中本マリとの共演による、スタンダードナンバー「恋人よ我に帰れ」(初CD化)と、「Behind The Mask」のCMバージョン。)その他、「M-16」「開け心」ステレオバージョン、THE END OF ASIA(オリジナルアルバム未収録Ver)、CHAOS PANIC(オリジナル・アルバム未収録)、過激な淑女なども収録。
完全生産限定盤は、高橋幸宏デザイン(BRICKS)ブランドのYmoシャツと、Ymoバンダナを完全復刻、未発表写真も収めた特製ブックレット、高橋幸宏のグリーティングカードも収納。別に音だけ聴ければいいので通常盤でいいんですが。しかし、SONYに移ってもあいかわらずのアルファ商法ですなあ。と言いつつ買っちゃうんだろうけど。(もちろん通常盤の方。)
最近写真を撮らなくなったのは、自分が撮る写真が「人が写っていない写真」ばかりなのに気がついたせいである。ひとつ判ると、そこで安心してその行為をやめてしまう性格なのである。と、ここまで書いて、そういうことに気がついたから撮るのをやめたということに気がついてしまったので、撮るのをやめてしまっているのをやめてしまおうと思ったりする。難儀な性格である。
「人が写っていない写真」ばかり掲載しているサイトを見かけたりすると、この人は気がついていないのか、気がついた上で「人が写っていない写真」ばかりとっているのかちょっと気になったりする。こんな難儀な性格の人ばかりではないことは判っているつもりなのだが。
中条省平の「小説の解剖学」ちくま文庫 を読んでからサリンジャーを読むと、サリンジャーの小説のうまさ(特にテクニック)にばかり目が行って、素直に楽しめない。困った。
SMAPの世界に一つだけの花。もともとオンリーワンだから、ナンバーワンにならなくてもいいということなら、努力というものを否定しているような気がするんですが。努力しなくったってオンリーワンなんですから。それから、花は競って咲いていないということを前提にしていますが、花は競っているよなあ。生殖活動を前提に競っています。という風なことが頭をかすめて、この曲を聴くたびに頭の中にでかい字で「偽善」という二文字が浮かびます。しかしこの曲を聴くたびに、ジンときて半分涙目になっているのも事実だったりするのが困ったものだったりします。
ファッション誌に載っているブランド品も、フリーマーケットでは随分安く売られているなあ。
僕とフリオと校庭で 諸星大二郎 双葉社 そういえば読んでいなかった。ということで読んでみる。短編集。日常の後ろ側は理解し難いシステムで(が)働いていて、それに対して我々は全く無力である感に満ちている。そういえば、P・サイモンのこの曲、聴いたことないな。
風水火那子の冒険 山田正紀 カッパ・ノベルス 山田正紀の小説の登場人物は、デビューから一貫して、この世は生きる価値の無いところだし、自分は生きる価値が無いし、人間というものはそもそも屑であると心の底では考えている。長年のファンであっても「もうお腹いっぱい」と言いたくなるときがある。それは置いといて、推理小説の中篇集。並の作家なら長編を書いてしまいそうなアイディアが山のようにてんこ盛りで、もったいないなあ。
もし君が本当に僕の話を聞きたいというなら、まず君が知りたいのは多分、僕がどこで生まれただとか、あの殺人事件の密室トリックがどんなものだったかとか、殺人現場の白いトラがどうやって消えたのだとか、密室どころかビル全体がどうやって消えうせたとか「デビッド・カッパーフィールド」調のイリュージョンなんだろうけど、僕はそんなことを話す気にはなれないんだ。第一に、そういうのは僕が退屈なだけだし、第二に、もし僕が真実を論理的に話したとしたら、責任能力があると診断されて、この退屈ながらも冷たくて居心地の良い場所から放り出されて、裁判のやり直しなんてことになってしまうからね。(未了)
猫田一金五郎の冒険 とり・みき 講談社 わが道を行きながら固まることなく転がり続けるとり・みき。10年かけてこの一冊。そこここに唐沢なをきの影響が。
怪奇探偵小説傑作集3 久生十蘭集 ハムレット ちくま文庫 通勤時に座れた時だけ読んでいたので一月がかりで読了。昭和初期の小説ということで、小説を読むのに求められる常識がずいぶん今と異なっている。人が死んだり殺したりしているのであるが、”それはおいといて”話が終わったりするのは、時代なのか、この作者だからなのか。
ふと気がつくと、雑文読み日記の真似事のようなことをしているではないか。いかん。ウエブから消える前兆かもしれん。いかんいかん。
私家版鳥類図譜 諸星大二郎 講談社 ファンタシーから古代神話からギャグからテンコ盛りの一冊。どれも好きなんだけど、第6羽「鳥を見た」のような日常と怪奇が重なる話をもっと読みたいなあ。
文芸サイト むかっぱら(2002.4.23)に、「連続殺人鬼さんに20の質問」というのがあった。針井探偵(広域殺人犯46号)(http://www.ne.jp/asahi/nsc/gon/19.html)に答えさせようと思ったのだが、冤罪もしくは他人の罪をかぶっているという可能性もあるので(作者の私も半信半疑)どうも答えられなかった。針井探偵の最期については考えているのだが、それに合うトリックが思いつかないのと、本家ハリー・ポッターの出版が止まっていることもあって見合せている。
菌視灯台の2003-04-22のテキスト。文脈というのか文の繋がりというか非常に関節が外れて、読者を放り投げているのが面白かった。書き手というものは、通常、無意識的に文脈に囚われるものであるのだが、この「犬っぽい」 テキストの関節技は、意図的なテクニックなのか、力技なのか、それとも天然なのか。まだまだウエブには面白いテキストがあるのだなあ。
どうなることか。7/20(日)で「類似!『おざなり』と『なおざり』」というタイトルのテキストがあったので、私も調べてみました。なるほど「おざなり」と「なおざり」は音も意味も似通っていますね。
【なおざり】等閑 おろさか いいかげん
【おざなり】御座形 その場逃れの間に合わせ
「なおざり」の方が平安時代からある古い言葉であるのは確かのようで、「猶避」から「等閑」になったようです。
「おざなり」はそれより新しい言葉(江戸時代)のようですが、「なおざり」の音が置換して「おざなり」となったという説と、全く違う語源である(太鼓持ちが嫌な客にたいしていいかげんに芸を見せる様子)という二つの説があるようである。
全く放っておくのが「なおざり」で、一応手をつけてはみるのが「おざなり」のようである。ここらへん厳密な解釈は面倒くさいのでおざなりである。ちゃんとした語彙の検証はなおざりにされている。
調べてみると、まだまだ紛らわしい言葉はあるものである。
【おなざる】一度覚えさせると死ぬまで続ける。いいかげんな様子。
【ザザナリ】ざざむしですよ。と教えつつ、いいかげんな様子。
【なおさる】進化したのに毛むくじゃらで人語を解さない、いいかげんな様子。
【ザオリク】使えない呪文。いいかげんな呪文な様子。
【オザワナリ】忍者ハットリ君が党首に呼びかける、いいかげんな様子。
【ナルザザ】惑星キン・ザザに変化する、いいかげんな様子。
【ザリザリ】砂が口に入ったりする、いいかげんな様子。
【おさるなり】コアラの相棒なり。いいかげんな様子。
【さらなり】ふゆのつとめては、いいかげんな様子。
【オナジリ】オリジナリティを尊重しない、いいかげんな様子。
【ナザオリ】ラビオリ? ラザオリ? いいかげんな様子。
【リナザウ】コンセプトは良いPDAだが、起動に3分かかる、いいかげんな様子。
【オジナリ】滅多に会わない親父の弟なのでいいかげんに挨拶する様子。
【モナザリ】いい加減にアルカイックスマイルする様子。
このように、いいかげんな様子をあらわす言葉一つとっても、上に挙げたように微妙な表現が沢山ある。日本語を扱う以上覚えておいて損はないと言えよう。と、適当に締めくくって、いいかげんな様子で終わるザリナル。
NHKでサンダーバードを放映してたりする今日この頃。そういえば小学生の時スティングレーが好きだったなあ。などと思いつつ昼休み、会社の裏の雑貨屋に煙草を買いに行くとサンダーバードフィギア付ネスカフェ缶コーヒーを発見。これ、今年の初めにやってなかったっけ、売れ残りの横流し品かと思いつつも、どうしてもサンダーバード2号が欲しくなる。結局16本目にしてやっとゲット。なんかサンダーバード2号の厚みが足りなくてがゴキブリを思い浮かばせる。
「トカイデハ」:駄洒落ひとつで何処までひっぱれるかについての検討結果報告。
神の如き推理で犯人をあっというまに特定してしまうのだが、喋ることができないので誰もそのことを知らない。
そういえば子供の頃、出島に住んでました。マジで出島、マジデジマ。そのころは出島の周りは埋め立てられてしまったり中島川の河川改修工事のため削られたりで、何処から何処までが出島だったのか、よくわからない状況でした。マジで? 出島? マジデジマ。残念なことに、そのころはもうポルトガル人もオランダ人も住んでいませんでした。西洋人は誰もオランダ。マジで?出島?マジデジマ。出島商館跡というのが残っていましたが、完全な廃墟として放置されていましたので、子供の良い遊び場でした。ビバ! アソビバ! マジで? 出島? マジデジマ。誰もオランダ。今はどうなってるんだろうなあ。出島。ビバ! デジマ! マジデ!
ふと見上げれば 空に花 君に吐くべき 嘘もなき夜