プールらしき      

-8. プールらしき 000812


子供をプールに連れていく。天気も悪くなかったが比較的すいていて快適。プールでは眼鏡を外さなければいけないので、あっというまに子供を見失う。なにしろ視力が0.1無いと何にも判別できないのである。

近視になって眼鏡をかけるようになったのは中学2年の時からであるから、かれこれ20年の付き合いである。当然、勉強のしすぎではなく、寝転がって本を読む悪癖のせいである。故星新一氏もこれで眼を悪くしたそうである。それから近視の度は進む一方で、現在0.1も無い。乱視もひどいので眼鏡を作るときには大抵、「レンズを浜松から取り寄せますので時間がかかります。」というふうに云われる。浜松には何があるのだろう? きっと浜松にはレンズ鉱脈があってトンネルのなかで鉱夫がレンズを掘っているのに違いない。そうでなければ、浜松沖合いの黒潮と寒流がぶつかりあうところがレンズの良い漁場になっているのに違いない。もしくは、富士山の火山灰のアルカリ土壌が、よい塩梅にレンズ豆の栽培に適しているのに違いない。鉱夫または漁師もしくはお百姓さんがとってきたレンズは、新鮮な内に築地の市場で競りに掛けられ、最上級の物は赤坂の料亭に、そうでないものは眼鏡屋さんに運ばれ、食卓を賑わすことになる。

さて、視力が0.1無いとどういうことになるかというと、眼鏡無しでは日常生活が送れないようになってしまう。20cmくらいに近ずかないと物が判別できない。かといって接近すれば口臭いと言われる。ということで、ほとんど一日中眼鏡をはずせないし、歯磨きも欠かせないようになる。風呂にはいるときも眼鏡は掛けている。でないと自分の体を洗っているのか、風呂桶を洗っているのか自分でも判らなくなる。外すのは顔と頭を洗う時と、寝る時くらいである。

眼鏡は自分の死期が迫ってきたことを悟ると、自ら死地に向かうという性質がある。私の経験では、ご主人様に屍骸を見せたくないと、アフリカにあると推定される眼鏡の墓場に黙って旅立って行き行方不明になったこと2回。その他には、もう寿命だと悟り、足の下に割り込み踏み割られたこと3回。できるならご主人様の手に掛かって死にたいが、破片でご主人様の手を怪我させては申し訳ないと、布団の下に自ら潜った後踏み割られたこと1回。至近距離からキックされたサッカーボールからご主人様の顔面を守るために、間に入って粉砕されたこと一回である。

私の目の代わりになってくれた、彼ら眼鏡達の冥福を祈りたいと思う。安らかに眼鏡の墓場で眠れ。と、落ちもないまま締めくくることにする。ちゃんと落ちれば嬉しいのだが。大村昆も云っているではないか。「嬉しいと眼鏡が落ちるんです。」

意味もなく一人で水に浸かっていてもしょうがないのでプールサイドにあがり、ジュースらしき物を飲んだりポテトチップスらしき物を食べたりする。マイルドセブンライトらしき物にライターらしきもので火らしきものをつけ、煙らしき物を吸ったりする。吸いがららしきものは、灰皿らしきものに捨てる。ポイ捨てしないのは、市民らしき者の義務でしょう。プールサイドには綺麗なお姉さんらしき人がいたりするが、形は判らないので、色彩を眺めたりする。

どうしてプールは水色に塗っているのかなあなどと考える。水色はなぜ透明でないのだろうなどと考える。水色は恋の色というのは本当だろうかなどと考える。自分らしき者の人生らしきものを考える。平均寿命まで生きるとしても、もう人生の折り返し地点である。いままで与えられてきたものを返済するターンに入ったのかな、などと考える。休憩時間になって我が子らしき子供が戻ってくる。体らしきものをバスタオルらしき物で拭いてやり、うどんらしき物を食べさせる。どうすれば、うどんらしき物をこれほどまずく作れるのかと考える。眼鏡を外していても味覚は正直である。

我が子らしき子供達が、また泳ぐというので今度は離れないようについていく。2時間らしきほど遊んで一番下の娘らしき子供が疲れて眠そうにし始めてるらしくなったので帰る。帰り道は眼鏡を掛けてもいいのではっきりと景色が見える。我が子の顔もハッキリ見える。薄曇りだったのに結構焼けているものである。


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