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205. Revenant(長い留守の後に帰ってきた人、亡霊) 20170114

注:やまなし、落ちなし、意味なしのウツテキストです。

【1】
いつか人は塵に戻るものであり、生きている上において経験する喜びや苦しみは結局のところ清算され、最終的にはプラスマイナスゼロとなる。そうではないと考えるのは自由であるが、百年も経ってしまえばその個人の喜怒哀楽など他人にとって無価値となってしまう。したがって今感じている恐れやら苦しみやらは最終的には相殺され意味がなくなるのであるから、気にやむことはないと言える。しかしながら直面している現実の苦しみは避けられるものであれば避けたいものである。

さて今、私の前で斧を振りかざした見知らぬ彼に対して、このような人生の認識が役に立つかというと、考えてみたところ特に役に立たないように思われる。アポロキャップをかぶった彼が誰なのかについてはこの緊急時には些細な情報に過ぎないと脳が判断したせいか、誰なのかわからない。驚きのあまり次にとるべき行動を思いつくことができず、身体は硬直して動かない。特に足は動かない。斧を避けるためには、まず体の重心を移動させるべきであるが右に行くべきか左にすべきか決断が遅れている間にも斧は垂直に移動を続けている。

行動についての最適解を導き出すことに失敗しているのではないかとの焦りを他所に、彼のアポロキャップだけが目に入る。アポロ宇宙船が地球に帰還し海に着水した時、彼らを迎えた海軍の艦長が宇宙船の船長にかぶせたのがアポロキャップの始まりだとか、単にNASAの作業帽であったからだとか言われている。日本ではちょっとシャレオツな野球帽という位置づけであろう。アポロキャップはしばしばスタジャンと相性がよくなどと考えているその間、随意筋の手足が硬直しているのとは裏腹に不随意筋は意思に関係なくその機能を放棄すべく活発に動きはじめる。さしあたっては着衣のまま放尿と脱糞を実行する気配がある。ストレスに耐えようと副腎から血中にアドレナリンが放出される。アドレナリンはドイツ語であり副腎から分泌されるものというそのままの意味である。今はエピネフリンが正式名称である。なぜ日本ではアドレナリンと呼称されているかというとアドレナリンの発見者が日本人であることが大きくかかわっている。アドレナリンにより心臓は鼓動を速め瞳孔は拡大し血圧は上昇する。未だに体は動こうとしない。斧はなおも振り下ろされ続けている。結局は何もできないままに振り下ろされた斧は私の頭と同じ座標に到達するだろう。日本ではスタジアムジャンパーは和風の派手な刺繍が施されたものが一定のクラスタの間にて好まれており。結局のところ何もできないまま頭に衝撃が

【2】
眼の横のすぐに土が見える。どこか林の奥の方の枯葉がおり積もり腐ってできた土は柔らかい。腐葉土は独特の臭いがするものだが、息をしていないせいか私の鼻には何も感じれらない。

 仰向けになった私の視界の左半分は頭に刺さった斧で遮られていて殺風景なことこの上もない。周りには無数の木の幹がそびえ立ち、枝との葉の隙間からは空が見えるはずであるが、眼鏡ごと斧で叩ききられているので視界がかすみ、空の青と森の緑と木の幹の茶色と思われる色がぼんやりと混じって見えるだけである。青空が見えるということは、いわゆるところの昼間であるように思われる。白昼に死体を埋めることは一般的に非常識なふるまいと思われがちであり夜中に実行すべき作業であろう。しかしながら死体となった私の視神経が最後の活動であることを察知し、蝋燭の炎が消える一瞬前に輝くが如く異常に鋭敏に活動した結果、暗い夜空を明るく感じているという可能性もある。したがって非常識な行動は慎むよう私の横でせっせと穴を掘っている人物に忠告するのは思いとどまることにした。

   文字通り墓穴を掘っているところの彼は力仕事には慣れていない様子で、休み休み土をかき出している。浅い穴に埋葬されてしまうと夜行性肉食動物に掘り返され野ざらしになってしまう。死んだ後のことであるから私としては別に構わないところではあるのだが、死体が早期に発見されると穴を掘っている彼が逮捕される可能性が高まるのではないか。いや、それも別に私には関係ない話であるか。

   彼が作業中の間、私は特にやることもなく上を見上げている。時々上空を渡り鳥が通り過ぎているのが見える。自由に羽ばたいているように見える鳥たちも結局は何かに操られて決められた時間に決められた場所に飛んでいく。さしずめ決められた林の地中に埋められる私と同じようなものである。

   視界の反対側には青空の色とはまた違った青い色の塊が見える。多分ここまで私を運ぶために使用したブルーシートであろう。ブルーシートに包まれたまま埋葬されると自然に還るのに時間がかかるような気がするのであるがどうなんだろうか。血液が付着したシートを別途に処分すると事件が発覚する手がかりを増やすことになるので私と一緒に埋めた方がよいと判断したのであろうか。人が死んで気が動転しているのであろうから、彼の判断は責められない。彼を責められないからと言って私を責められても、私はこのような状態であるから手も足も出ないのでご勘弁いただきたいところである。

  ブルーシートは建築用資材として開発され当初はオレンジ色であったが、オレンジの塗料は毒性があるのではいかとのいいがかりをつけられ、青色に変更された。結局のところ塗料の毒性については問題なかったが一旦変更された色はオレンジに戻ることはなかった。一旦死んだ私が再び動くようにはならないということの暗喩である。

小さな甲虫が土を這い次第に私に寄ってくる。まだ死にたてであるから食べ頃はもう少し先のような気がする。気が早い虫である。虫に忠告するとしても伝える方法がない。しかし生きている時であっても虫に私の意思を伝える術はないのであるから結局は同じようなものだ。虫の知らせというわけにもいかない。

空がずいぶん暗くなってきたような気がする。

穴を掘っていた彼はこれ以上穴を掘るのをあきらめたようで、しばらく座ってへたりこんでいた。シャベルが太い木の根にぶち当たったか、土の固さに根負けしたのか、岩を掘り当て心が折れたのか、それくらいで心が折れてもらっては情けないと言いたいところであるが、頭の骨を折っている私が行っても説得力はない。彼が穴を掘るシャベルを動かさなくなったのは心が折れたせいなのか彼がシャベルことはない。

ブルーシートが再び私の顔を覆う。枯葉の上をずりずりと引きずられていく。私を支える地面が消え私は一瞬の無重力状態を楽しみながら穴に落ちていく。穴に放りこまれた拍子に私の顔を覆っていたシートがめくれ私の周りの穴と青空が見えた。ここが私の墓となるのか。墓碑銘には「自ら墓穴を掘ることのなかった男」と記してもらおうか。

私を埋めようとして彼はシャベルで土をすくい穴に放りこもうとする。見慣れた顔が青空の逆光に浮かび上がる。斧が顔に刺さっていない自分。さらに土が私の顔にかけられ何も見えなくなる。休むこともなく穴に土が放りこまれる。次第に重くなる土に私の胸が押され押し出された空気が私の声帯を震わせる。意味をなさないその声に怯えた彼は更に急いで土をかけ続ける。

【3】
息をこんなに長い間止めているのは、退屈な中学の授業中に息を止める記録に挑戦して以来だ。その時は2分半が限界だった。深呼吸を繰り返してから息を止める。目いっぱい肺に空気を吸い込んだままでは肺にダメージがありそうなので少しずつ空気を吐き出す。呼吸を止めていると血中の酸素濃度が低下し、二酸化炭素濃度が上昇する。酸素濃度の低下は呼吸を速めようとし、二酸化炭素濃度の上昇は呼吸を大きくしようとする。肺は停止している状態に耐えられないので更に少し息を吐き出し、肺と口中で息を出し入れする。新鮮な空気が得られなくても少し時間稼ぎができる。目の前がチラチラしはじめ限界がくる。授業中なので音がしないように静かに口の端から息を吐き出す。口を大きく開けてゆっくりと新鮮な空気を吸い込む。生き返った心地がしたものである。土の中に埋められた今の私は二度と生き返った心地がしないだろうというところが異なるところである。

今の私は二分半どころではなく時間単位で息を止めているのだが、特に息苦しいと感じないのはありがたい。ひょっとして極限状態におかれた私の肉体で突然遺伝子が発現し、二酸化炭素を分解して酸素を発生させる酵素が発現したのかもしれない。その場合、代謝エネルギーとして何を用いているのであろうか。服を着ているし、そもそも土の中であるから光エネルギーを利用しているとは考えずらい。体内脂肪を利用しているのであれば効率的にダイエットする方法が編み出されたと言える。

画期的なダイエット法のパテント料を得て土の中で億万長者となった自分を想像しているうちに次第に意識が途切れていく。夢の中に降りていくように現実感が薄まっていく。そのまま眠りからさめず、私は土に還っていくのだろう。誰もがそうであるから、これは特別なことでもない。

意識が戻ったことにも気がつかない私は甲虫として土から這い出し、木肌を登りはじめる。目的地はわからない。ただ登らなければいけないという衝動に身を任せるだけである。枝の先端に辿りついた私は羽根を広げ飛び立つ。どこへ行きたいのかわからない。二三度旋回して上を目指す。自分が埋まっていた地面がチラと見える。埋められた場所の土の色は今ははっきりとわかるが、もう少し時間がたつと土も乾燥し周りと区別がつかなくなるだろう。木の高さを超え更に上に飛び続けていく。虫の視界は広いが細部の区別がつかない。更に速度を上げようとした瞬間に鳥に喰われ、地下から空を眺めていた私の視界から鳥は姿を消してしまう。私は土に還る作業に戻る。

【4】
すっかり日も暮れて月もどこに出ているかすらわからない。森の中は黒い闇の中であるがLEDランタンが明るいので土を掘る作業は続けられる。掬った土を放り投げると地面に落ちる前に森の闇に溶け込み消えてしまうように見える。土が地面に落ちる音だけが遠い暗闇から聞こえてくる。土を掘り続ける彼の姿を地面に横たわったまま眺める。彼のスニーカーの靴ひもは真新しい白であったが、穴を掘り進めるにしたがって土で汚れていくのが見える。穴を掘るのに使用している大きなスプーン状の器具を何と呼称するかについては統一されておらず、西日本では足をかける部分があるものがシャベル、ないものがスコップなのだが、東日本では逆となる。大型のものがシャベルで小型がスコップという区分もあるが、これもまた東日本では逆である。東西でなぜこのような齟齬が発生したかについては当事者である器具は喋ることがないので不明であり頗る(すこぶる)不満である。

【5】
人は死んで土に還るなどと言われるが、これは人は大地から生まれ出てきたとの考えがどこかに残っているからであろう。来たところへ帰るのは自然なことのように思われる。しかしながら還られるほうの土は人を受け入れるのを待っているだけなのであろうか。人が元の場所に戻るのであれば、土も元の場所に戻りたいのではないだろうか。土は最初から土ではなく元々は岩が砕けてできたものである。土が岩に戻るときは、還っていた人も同行で岩に還るのだろうか。岩は寿命のつきた超新星が爆発するときに核融合により重い元素として発生したものが元である。すると岩はいずれは超新星に還るのであろうか。また更に遡ってビッグバンに還るのであろうか。その時に人は同行して還るのであろうか。

 私の上に載せられていく土の周期的な衝撃が届かなくなってきた。そろそろ穴を埋め終えたころであろうか。地面からランタンが持ち上げられこの場所から去っていく。結局のところ斧を突き立てた彼が誰であったのか未だに思い出せないし、そもそもなぜこのようなことになってしまったのかについてもわからない。地中に残された私は土に還っていく。土がいつ還っていくのかはわからない。

  【6】
死体を埋め終えて車に戻るとドアのガラスに黒い影が映る。私の後ろに誰かが立っている。振り返るとアポロキャップをかぶった男が斧を振り降ろそうとしている。気がつくと青いシートに包まれた私は地面に横たわっている。

身体を動かそうとしてもどうにもならないのはシートが体に巻きついているでいであろうか、それとも死んでしまっているせいであろうか。さっきまで私が掘って埋めた穴と同じ場所を掘っている。そろそろ夜が明けても良い頃だと思われるが空はあいかわらず黒くわずかに流れる風も冷たい。

穴の底に埋められている私を掘り当てたところで、彼は途方にくれたように掘り起こされた私と、地面に横たわる私を交互に眺める。仕方なく私の上に私を放りこむ。土に還ることに専念していた私はとつぜん男が放りこまれてきたのには正直な所迷惑に感じた。しかしながら放りこまれた方も自分の意思で飛び込んできたのではないのであるから、ここはひとつ穴の底の先輩として寛容に受け止めるしかあるまい。と寛容を装ったところで特に私にできることもないので静かにこの状況を受け入れるだけである。男が放りこまれてきたが土はまだ放りこまれてこない。このまま放置されるのだろうか。土に還る努力をしていた私の身体に放りこまれた男のからだが私の身体と一部同化していく。

穴の底の私の上に私が放りこまれてからしばらくたつというのに土が放りこまれてこない。私の上には穴の縁の土に囲まれた空が見える。このまま折り重なったまま放置されるのだろうか。私と彼が一体化しているところからすると彼の思念が私の頭に流れ込んできてもよさそうなものだが、今のところ私にとっては彼は単なる物体である。現代におけるコミュニケーション断絶が可視化されたともいえる。

穴の縁が明るく照らし出される。どうやら夜が明け始めたようだ。私どもを穴に放りこんだ者は穴を埋めることはあきらめ、日常の昼の生活に戻ることにしたようだ。このまま日が高くなり私どもが直接日光に照らされていけば私どもは干乾しになりミイラと化すのだろうか。天候が悪くなり雨水が穴に流れ込んでしまい偶然にも適度な湿度が保たれれば死蝋と化してしまうのだろうか。

穴の形に切り取られた青空が次第に灰色を帯びていき風と共に黒くなる。降り出した雨は森の土に吸い込まれていく。土に吸収されない雨は落ち着く場所を探して下に下に流れていく。雨の時だけに現れる小川が私どもの穴にたどり着き穴を水で満たしていき、私の視界は黄土色の泥水となる。水たまりの上には小川に運ばれてきた落ち葉が浮かび、多分上から見ると水たまりなのか窪地であるのかわからないようになる。適切な湿度と低温が保たれている条件下では死体は十日ほどで死蝋と化すと言われている。死蝋となった状態で私が掘り出されたとしてもそれはもう手遅れでいまさら死蝋というものである。

後から放りこまれた男が死体であるのか、まだ息があるのかそれとも人形であるのかそもそも私の想像の産物であるのか判然としない。ずいぶんと頭がぼんやりとしている。死んでいるのだから当然であろうか。

【7】
年齢を重ねると歳月の流れる速さがどんどんと速くなると言われている。とするとこれ以上年齢を重ねることがない死んだj状態の私が感じる歳月の流れは速度が無限大に近くなるはずである。したがって既に宇宙は熱的死を迎え、拡大する宇宙は収縮に転じ、悪と善との最終戦争は勃発し終了し、弥勒菩薩は降臨し、宇宙の果てのレストランは時間旅行者で満員御礼となっているはずである。それにもかかわらず私の頭上には穴の縁に囲まれた空が見える。気がついた頃には水はひいていて穴の底に少し溜まっているだけである。とすると先に述べた理論に誤謬があるのか、それとも私が既に死んでいるという仮定が間違っているかである。それとも宇宙が収縮した最終形態がこの土に掘られた穴なのであろうか。現状を把握すべく検討を続けていても私の上の男はじっと私に覆いかぶさり続けている。私に覆いかぶさっている男の顔をよく見ると左右逆転しているが私の顔によく似ているような気もする。

【8】
ここで私に覆いかぶさっている私によく似た男が仮に私であると仮定した場合、彼は私の生霊とかドッペルゲンガーであるということになる。俗にドッペルゲンガーに出会った者は近いうちに死んでしまうなどと言われているが、既に死んでしまっているのでその心配はない。SF的に解釈すると多次元宇宙または未来もしくは過去からの訪問者なのか。さきほどのように現在が宇宙の終わりであるとしたならば、時間の流れが終端で乱れ因果律が破壊されているために複数の私が出現してしまったという可能性もある。仮にここが仮想的な電脳空間であった場合にはシステムのバグにより現実には発生しない同一人物の出現という事象が発生していることも考えられる。

彼が私ではない場合には、彼は私によく似た顔の持ち主であるということになる。
・我々は生き別れの一卵性双生児であった。
・整形手術で彼が私の顔に似せた。または私が彼の顔に似せた。
・整形手術の担当医師がたまたま同じで、医師が考える理想の顔=同じ顔に整形した。
・他人の空似
などの事象が考えられる。

しかし顔が似ているからと言って同じように顔に斧を突き立てて殺されることもないだろうに。同じ術者による患者の連続殺人ということであれば、手術時になんらかの情報を埋め込んだチップとかを顔に埋め込んだが誰に埋め込んだかわからなくなり、手当たり次第に患者たちの顔を叩き割って確認しているというのはどうだろうか。そんな無差別殺人を行うならば動機は多少の財宝とはならず、国家規模の秘密が隠されていると考えてよいだろう。国を股にかけて活躍するエージェントが現れるかもしれない。

単に私が所有する財産を横取りするために、私を殺害したあとの替え玉として彼が用意されたという可能性もある。もちろん私の方が替え玉という可能性もある。替え玉による財産横取り作業が終了した後、用済みとなった替え玉は殺害される。穴に埋められてから今まで死体が発見されなかったことから、この場所は死体の隠し場所として安全であると判断され、彼がこの穴に放りこまれたという蓋然性が高い。

【9】
替え玉として用意された男は替え玉であることが発覚しないように、その男であるように努力する。そのうちに替え玉は自分自身がその男であるかのように錯覚をはじめる。自分が彼ではないことを知らないと思い込み、自分自身が何者であったかは深層心理の中に押し込めてしまう。自分自身を忘れ去る努力のあまり自分が殺されているのも忘れ、地中に埋められていることも忘れてしまう。長い間忘れ去られていた自分の白骨化した身体が掘り出されてしまう。自分は忘れているはずなので自分が白骨であることを理解できない。

【10】
顔の上に土が投げ込まれた衝撃で目が覚める。自分が自分自身なのか替え玉なのか。死体が自分の身体の下敷きになっていれば自分は替え玉である。おそるおそる自分の体の下の土をまさぐってみる。水たまりでぬかるんだ土は死体なのか泥なのか判然としない。私の上に折り重なった死体が泥と化した私の死体をまさぐっている。穴の上を見上げると私と私の上の私の死体に私がシャベルで土を放りこもうとしているのが見える。死体である私に見つめられていることに気がついた私はシャベルを振り上げ私の頭に振り下ろそうとしている。

【11】
死体を放りこむための穴を掘ると、私の死体が埋まっていた。死体の上に私の死体を放りこみ土をかぶせていく。埋まっていた私と目があったような気がしたが、構わず埋めていく。最後のひと掬いの土をかぶせて振り返ると私が私の頭にシャベルを振り下ろそうと

動かなくなったことを確認すると私はそのシャベルで再び穴を掘りはじめる。森の奥の土は思ったよりも固くなく、まるでだれかが今穴を掘って埋めたばかりのようである。穴の底には私の死体が折り重なって埋まっている。私は自分の身体を穴の底に横たえ土がかけられるのをじっと待っている。脳天を割られた私の死体が、自分が私であると思い込んだままのろのろと起き上がりシャベルを探している。私の死体はゆっくりと土を掬い私の身体の上に土を載せていく。足元から順に折り重なっていく土の重さが心地よい。顔に土が重ねられる時に私の死体と視線が交わる。私の身体がすべて土に覆われ、土が放りこまれる音と振動に包み込まれる。

穴の中に折り重なったいくつもの死体は、いつか一つの私となる。シャベルを片手に地表をさまよう私とは何故だが二度と会えることがないことだけは、なぜだか私にはわかっていた。

<終わり>


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