−1
自然数でない数−1は、その名に恥じず不自然な振る舞いを示す。
例えば自分の好意を素直に表現することはせず、相手のことなどどうでもいいように思っているかのような言動となる。ツンデレである。ツンデレは自然ではない。しかしながら自分の気持ちをストレートにぶつけた結果玉砕してしまうという経験を経たあとであれば、当然の事ながらそれら不利益を受けないようにと行動するツンデレは自然である。このように同一の行動が一方では不自然で他方では自然であると観察されることは不自然ではあるが、上記の状況が自然に発生したことをかんがみれば、自然であり不自然でもある状況というものがごく自然なものであることがわかる。
このように思春期のデリケートの感情の揺れは、量子力学的な不確定性を示す性質があり、猫が死ぬ。
不自然であるべき運命を背負った−1にとってこれは由々しきことであり、ある場面ではツンデレでありまた同時に素直になり、そして両方とも不自然で猫を生き延びさせなければいけない。これは非常に難しいふるまいであると言えよう。
このように自然数でない−1にとって、不自然に存在することは逆に自然となり、逆に自然に存在することは不自然が自然である−1にとって存在自体が難しくなることが示された。
すると−1は
(1)自然に存在しない。
または
(2)不自然に存在しない。
のいずれかの非存在様式を示すこととなる。
(1)自然に存在しない場合
それにもかかわらず、私の目の前に所在なくたたずんでいる−1は確かに存在しているように見えるのである。しかしながら−1は確かに存在しているように見えるので(1)に示した前提は不自然であり、不自然数−1が存在するという前提としてふさわしいものであるといえる。
(2)不自然に存在しない場合
本前提は二重否定の構文であり、解釈としては
1.不自然な状態では存在しない=自然な状態では存在する。
もしくは
2.存在しない状態であるが不自然である。
のいずれかであると解釈される。
いずれかであれば自然だが、あいにく−1は不自然数であるので両方の条件を同時に満たすことが不自然であり適切な状態である。したがって本前提の不自然に存在しない状態は適切であると言える。
以上より−1は
(1)自然に存在しない
かつ
(2)不自然に存在しない
の両前提を同時に満たすことから
(3)自然であろうが、不自然であろうが存在しない
すなわち−1は存在しないということが証明された。
−1が存在しないことが証明されたにもかかわらず、私の前から−1はいっこうに立ち去ろうとしてくれない。仕方がない、−1が消えてくれないのならば、−1の前から世界の方を消すようにしよう。世界を消すことが無理ならば、せめて私を。
できれば不自然な方法で。