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167. クリスマスでブイブイ言わす 20131219


 

小雨に降られて体が冷え切ってしまった。空を覆った雨雲は低く垂れこみしばらくは止みそうにない。守衛に挨拶をして地下階段を下りる。窓のない部屋は息苦しいが外の冷え込みは侵入してこない。

「外は寒そうだね」

 地下の隔離部屋の鉄格子の向こうから針井探偵が話しかける。

「こんな寒い時期にわざわざここまで来てくれるとは、忙しい警部殿にしては珍しい」

 コートを脱いだものの掛ける場所がない。仕方がないので畳んで椅子に載せる。

「まあそういうなよ。この前君がここを脱走して某議員事務所に押し掛けたときは大変だったんだから。もみ消すのに苦労したよ」

「そんな事実はなかったことになっているはずだよ」

「表向きはね。某議員は裏から手を回してこの病院をつぶそうとしてたよ。そうすれば君はここから移動しなくてはいけなくなるし、そうなれば君に報復しようとする人たちもチャンスが訪れるというわけだ」

「そうなっても私は別に構わないが。いい暇つぶしになるだろうし」

「君は暇で仕方がないし、私は仕事で忙しい。ちょうど良い塩梅という風にならないかなあ」

「暇なのも忙しいのも気の持ちよう次第だからね。犯罪も正義も考え方次第というのと同じだ」

 この精神病患者は何年鉄格子の中に入っていても生意気である。

「ところでわざわざここまで来ていただいたということは、なにか私に話でもあるんじゃないか」

 そこで、気分を害していることを押し隠しつつ、針井探偵に事件の概要を伝えた。

 鋭利な刃物で殺害された被害者が冷蔵庫内で発見された。被害者は飲食店勤務。事件発生後、同僚が一人行方不明。被害者は山下達郎のクリスマス・イブだけが入ったMP3プレイヤーを握りしめていた。

「はあ? 冬の雨の中わざわざそんなことを聞きにきたのかね。犯人は水泳部OBだ」

 また一気に結論だけ話すのか、こいつは。

「もうちょっと詳しく説明してくれないか」

 被害者は身の危険を感じていた。そして、自分に身の危険を及ぼそうとしている人物が誰かわかったのだ。クリスマス・イブの歌詞をよく読んでみればわかる。JASRACがうるさいから元の歌詞の掲載は割愛させてもらうぞ。

アン、メイは夜更け過ぎに 幸恵と変わるだろう

双子のアンとメイは夜間の飲食店のバイトで働くために、架空の人格をでっち上げた。そして交代で幸恵と名乗って働いたのだ。幸恵が消えたとしてもなりすましであることは発覚しにくい。それぞれが幸恵ではないというアリバイをあらかじめ作っておけるからだ。

三人いない 本人ない

つまり「アンとメイと幸恵の三人ではない。幸恵本人ではない」と被害者は訴えている。

きっとKill me箱内

犯人は私を冷蔵庫の中で殺すだろう。

人斬りの カリスマ水泳部

鋭利な刃物で、犯人は水泳部でカリスマ性を持った人(きっと元部長とか)

「な、なるほど……」

「警察は行方不明となった幸恵をさがしているかもしれないが、もともと彼女は存在しない。双子のアンとメイが、お遊びで作り出した第三の人格だからね。殺人事件が発生してビックリしてお遊びをやめたんだろう。だから殺人事件と幸恵は関係ない。多分、飲食店の店長あたりが犯人ではないのかな?」

「そういえば、あの店長は昔水泳の選手だったとか言っていたな」

「間違いない」

「どうもありがとう」

「おかまいもしませんで」

「長居をしまして」

「コートを忘れないように」

「おっと、これは」

「またおこしください」

「ではまた」

「また」

「じゃ、元気で」

「で」

 外に出ると既に雨は雪に変わっていた。さて、先に相談しておいてよかった。何故彼女がずっとクリスマス・イブのCDを持ち歩いているのかよくわかったよ。彼女のバイト先で犯行に及ぶのはやめておこう。なに、まだいくらでもチャンスはあるさ。

 警部は水泳で鍛えられた逆三角形の上半身にコートをはおり、待たせておいたパトカーに乗り込んで呟いた。

「メリークリスマス、針井探偵」


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