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163. 須臾ビルヂィング 16384F カウンセリング室 20130505


 ビル建設時の一時的な資材不足により、フロアの建設にはコンクリートが使用されず、ガラス、アクリル、水晶等の透明マテリアルが主に採用されることとなった。これによりフロア住民は空中に浮かんでいるような錯覚に陥り深刻な社会問題となり、透明不安化症候群と呼ばれた。透明な床、壁、天井は塗料により不透明化され、すぐに透明化革命戦隊と名乗る過激派により塗料が剥がされた。


 するとあなたは柱と壁が崩れて自分自身のみならずフロア全体が天井と床に潰されるのではないかと不安を感じて仕事が手につかないとお悩みなのですね。
 しかし、それはいわゆる杞憂というものです。このフロアを構成している資材が実は全部透明であると知った時に、無意識のうちにその堅牢性に不安を覚えたためにそのような思いにかられるのです。
 そのような不安を覚えたとしても無理はないが、科学的に考えるとここは単純なビルディングではなく、軌道エレベーターであるから、構造に脆弱な点があった場合にはそのフロアが潰れるのではない、ビル全体が静止衛星軌道上から吊り下げられていると考えるのが正しい。従ってフロアの構造に脆弱性があった場合には、そこから千切れてフロアが落下すると考えるのが正しい解釈である。
 なるほど、安心できました。天井と床の間で潰されるという不安は解消できそうです。でも今度はビルが千切れて虚空に放り出されるという不安で夜も眠れなくなりそうです。

 大丈夫です。この診療所の壁にいつの間にかヒビが入って、空気がシュウシュウ漏れていて、ヒビの大きさが日に日におおきくなっているような気がするのもきっと気のせいです。床と天井がギシギシいっているような気がするのもきっと気のせいです。ビルの外壁に外壁の強度補修用鉄骨仮組みが見えるような気がするのも気のせいである。床がどんどん傾いていっているような気がするのも気のせいです。この世の終わりではありません。大丈夫です。

 なるほど、安心できました。ありがとうございます。

 では、次回は来週の同じ時間においでください。

 ところで、先生はいつごろからこのビルが軌道エレベータであると思い込んでいますか?

 それは私が二十四歳になったころ、就職活動に行き詰まり、バイトに明け暮れていたころ、高層ビル建設のバイトが割がよいという噂を聞いたところから始まります。通常の建築関連バイトでは建設現場に集合なのですが、そのバイトは医療センター集合でした。最初に綿密な健康診断を受けさせられたのは変だなと思いましたが、その日の分のバイト代も出ると聞いていたので我々としては文句はありません。その夜はそのまま医療センター内の病棟に宿泊しました。翌日、バイトの採用合格者が発表されたが、大量の志願者に対して数人の採用者であったのは不思議だった。それから私たちは別室に通され、いくつかの予防接種と、何枚もの契約書へのサインの後、作業服に着替えさせられた。作業服と言われたがどう見ても宇宙服である。ヘルメットを着用して密封され、移動用寝台に寝転んだと思うと呼吸用パイプから甘い匂いがしたと思ったとたんに意識が薄れ、気がつくと宇宙空間にいたのです。

 どうしてそこが宇宙空間だと思ったのですか?

 身体がふわふわと浮いていたのです。目の前は黒い空が広がっており、またたかない星がいくつも見えていました。手がかりがないので身体の方向を変えることはできなかったのですが、顔の向きを変えてあたりを見回すのですが、ここから宇宙船?宇宙ステーション?などは見えません。それに気がついたときにパニックになりました。めちゃくちゃに手足を動かして叫びました。でもどうにもなりません。命綱はないか、なにか身体を移動させるための噴射装置はないかと探してみましたが、どうにもこうにもなりません。そこで私は、

 ところで、そこが宇宙空間ではないかもしれないと思ったのですね。

 そうです。実は私は大きなビルの中に居て、生活していることにい気がついたのです。そこで私はいろいろな悩みや不安を訴える患者さんの悩みを聞いて、そして解消するお仕事についています。

 それは、あなた自身の悩みや不安が形をともなって訪問しているのではないですか?

 そんなことはないような気がします。自分自身の不安から目を逸らそうとしたため、形をかえて患者の姿になって私を訪問しているというのですか。

 そうです。それだけならいいのですが、自分自身の不安が抑えきれなくなってしまったと無意識に思ってしまった場合、訪れる患者さんが訴える不安をなだめることができなくなりました。そのとき、あなたはどうしましたか?

 結局、自分の不安が妄想となって患者の姿となって現れるというふうに無意識で思っているわけですから、手に負えない強い不安を訴える患者さんは、居なくなってしまうようにしてしまえばよいのだ。どうせ幻覚なのだから。

 そうして、殺して、死体はどうしましたか? おかしいですね、幻のはずなのに不安を殺しても死体は残ります。そこで、この壁に作り付けの扉を開くと、宇宙空間が広がって、未だにどこにもたどり着けない私が宇宙服のまま漂っています。もともと宇宙服姿の私が不安を抱いているのですから、そちらに返してあげるのが筋というものではないでしょうか。死体はそちらに放り投げます。宇宙空間では物を投げるのがむずかしく、宇宙服の私の所まで届いたものもありますし、見当違いの方向に投げてしまい、どこか遠くにいってしまった不安もあります。そして、

 そして?

 何度も何度も放り投げても、強い不安は姿を変えて何度も患者として私を訪れます。そう、あなたのように。  いいえ、違います。不安は私ではなく、あなたなのです。

 そのとたん、私の周りの風景は黒く塗りつぶされ、私を中心に一気に収縮した。彼の周りの空間はすなわち私となり、彼はいつの間にか宇宙服を着ている。私が長い間相手していた宇宙服の人物がだんだんと彼に近づき一体化する。私の身体が裂け始め、裂け目から宇宙空間が裂け、光が漏れ始める。光は広がり、彼はそこに病室の白い壁をみつけ身体ごとそこに飛び込む。

 目が覚めましたか?見知らぬ顔が覗き込む、

 いいえ、私は今から夢をみるところです。


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