一覧 トップ 


124「ビッチ・ハイク(奥の細ビッチ)」(後編) (20120913)

 ドアを開けるとゴミをつんざく猫の突進。正社員の誰よりも商品を売っても、期間が終了すれば非正規雇用者はばっさりとクビ。結局の所、企業の目的が利益を上げることから現状維持になってるところの歪が私のような非正規雇用者というかパートというかバイトというかに押し寄せてきているわけだ。あんまり成績がいいので枕営業とか陰口ささやかれているのは知ってたけど、だれが仕事のために客と寝るかよ。自分の営業力の無さを棚に上げてしょーもない連中だよ。馬鹿じゃねえの。自由恋愛だっちゅーの。

 仕事にかこつけて自分の部屋の世話をしてこなかったので、えらい惨状。ゴミやら洗濯物やらで床が見えるところがない。とりあえず猫に餌をやりつつゴミを集める。雑誌やらコンビニの袋やら弁当の殻やらをでかいビニール袋に入れる。新聞とってなくて助かった。片付けの時に嫌にならないように、生ものが入った袋はきっちりと口を結んでいる。偉いぞ私。なんか衝動買いしたものの段ボール箱。アイポッドが二台発掘される。オーパーツ! 脱いだまま放置された服、特に下着は別の袋に集める。服が袋一杯になったところで洗濯機に放り込み洗濯を開始する。洗剤を使うのは何日ぶりだろう。洗剤一遇のチャンスというわけだ。読み捨てた雑誌、駅の売店で買った新聞、文庫本。とりあえず捨てるためにゴミ袋に入れる。断舎利、断舎利。

 三分の一ほど床が見えたところでうずたかく積もったゴミの下敷きになった指輪が見つかった。見覚えの無い指輪が何故落ちているか。透明に光るのはダイヤか?でかいなあ。そんなことより指輪には指がはまっていることのほうが重大な問題である。指の先には掌が、その先には手首と二の腕が。その先はゴミに埋もれていて、あるのかないのかわからない。あれば大変だし、なければもっと大変である。指をみると血の気がないようで、生きている指のようには思えない。酔って帰ってきたときにマネキンを連れ込んだか。指の形からしてカーネルサンダースではなさそう。ましてやサトちゃんでもケロヨンでもない。指の細さからして女性。私は女性を連れ込んで囲う金満家か、それとも青髭か。

 掘り出しを続けるか、警察に電話するか、まず大家さんに連絡するか三択を迫られた私は、なんか腹が減っていることに気がついたので三択を放り投げ、ファミレスに行く事にした。現実逃避と言えば言え、自分の家に手が落ちていてなお平静でいる者のみ石を投げよ。

 気が変わったので喫茶店でモーニングを注文する。チェーンのコーヒー屋のバイトはさわやかな笑顔とハキハキとした挨拶が気持ちよい。心がこもっていないことを微塵も感じさせない所がすばらしい。真似したいものだ。サーモンのサンドイッチをコーヒーで流し込みながら今後のことを考える。部屋の掃除が終了したらちょっと旅行でもして一息ついたら次の仕事を探すか。

 なにか忘れているような気がしたが、部屋に戻って旅行の支度を始める。洗濯は終了していたが、干すのが面倒くさいのでそのままゴミ袋に直行。着替えは出先で買えばいいか。バッグに財布とカードだけ入れて出発の準備完了。この猫、飼いはじめた記憶がないということは野良猫か?首輪もしていないし、というか飼い猫は首輪するものなのかよくわからないが、とりあえず外に逃がす。元の野良にかえす。野良のものは野良に返せとイエス様も言っていたし。

 まだまだなにか忘れ物があるような気がしたが思い出さないことにした。なにかゴミの山のなかで光った様な気がしてならないが、気のせいだよん。ばーははーい。では私の部屋よ、しばしさらば。

 

腐っても住み替える予想 今の家

(草の戸も住みかはる代ぞ 雛の家 芭蕉)

 

 いつもだと、この時間はオフィスで液晶画面に向かっている頃なので電車の中も新鮮。ああ、電車なのに座れる。窓からのさわやかな日差し。臭いオヤジも少ない。化粧の匂いもしない。気の抜けた母親家業の人は市場に買出しにお出かけか。糸と麻を買うのか、そのあとはおしゃべりばかりなのか。ターミナル駅に到着する前におなかがすいた。さっきモーニング食べたばかりのような気がするのに。

 

すく腹や 昼抜きうどんの上、何か?

(行く春や鳥啼き魚の目は泪  芭蕉)

 

 

 本格的に旅行に行く前にとりあえず元部下の家に転がり込む。できれば二人で遠くに出かけたいところだが、この不況下、正社員は休みもなく、奴隷のようにこき使われていてそれどころではない。一緒に旅行に行ってと言い争ったとしても社畜の死んだような目線がかえって来るだけである。無理強いするのは最初からあきらめて、楽しいことだけやろう。

 

争うと あんた馬鹿だと死の光

(あらたふと青葉若葉の日の光  芭蕉)

 

 まあ、昼は会社の奴隷で夜は私の身体の虜だけどな。がはは。泊まらせてもらう代わりに飯と身体を提供。決して軽い女というわけではない。元上司という権力をかさにきた単なるパワハラである。立っているものは親でも使えという家訓に従っただけである。若いだけあっていつでも勃てるしな、(がはは)。既に首になったそう若くもない派遣社員と同棲というのが、なんかだんだん重荷になってきたみたいだから一人で旅行に行く事にする。とりあえず北か。寝顔をみているとなんだか清清したような顔に見えてきたのがいまいましい。油性マジックで髯を描くことで勘弁してあげる。とりあえず浅草へ。朝から一戦交えたので、発車時間ギリギリにやっと間に合う。

 

無職やな 部下ともシタの ギリギリっす。

(むざんやな 兜の下の キリギリス  芭蕉)

 

 指定席に座って目を閉じたとたんに眠り込み、目をあけると終点。旅情のかけらもない。数駅だけ乗り継いで日光。日光をミスに結婚するなかれ、だっけ?

 列車から降りた観光客の大群は駅前のバスに乗ってどこかへ流れていく。とりあえず急ぐ旅でもないから駅前のベンチで寝起きの頭をさます。目の前には名も知れぬ山がせまっている。冬にはスキーができるかな。斜面が険しすぎるような気もする。地雷を踏みそうな予感を感じながら駅前食堂に入ってみる。これまた地雷かもと思いつつラーメンを注文。出された時点で既に麺が延びている。この歯ごたえは中華麺ではなく湯葉ではなかろうか。出されたものは文句言わずに食べなさいとの親の教えがうらめしい。

 真夏の徒歩に備えて服屋を探し回る。観光地に住んでいる人はどうやって日用品を確保しているのだろうか。駅の裏手に服屋を発見。Tシャツを何枚か確保する。

 ラーメンで腹はいっぱいにならず、胸がいっぱいになったままである。東照宮に向かって歩く。途中の渡れない赤い橋が時橋というのはなにか寓意があるのだろうか。歩いているとなぜか男性二人ずればかり目立つ。しかもなぜかこちらに声をかけようともしない。ナンパ目的で日光参拝する人も少ないだろうが、どうやらゲイカップルが大量に歩いているようだ。それとも若い坊さんの団体かなあ。

 

あら彼と? アホか馬鹿かと ホモばかり

(あらたふと青葉若葉の日の光  芭蕉)

 東照宮の色遣いは聞きしに勝る下品さで、私の中のセンスの悪さを刺激する。これだけ詫び寂び渋さ知らずなのはかえって清々しいくらいだ。こういうずうずうしいセンスが今の若い世代に足りないものではなかろうかなどと三流評論家のようなことを言いつつ見て回る。眠り猫の拝観は有料なのでパス。駅前の道路で寝ていた猫がそうだったのかもしれないと思うことにする。さすが左甚五郎。まるで生きているかのようなアメリカンショートヘアー。引き続き、無料の部分のみ探して回る。初代暴れん坊将軍家康の愛馬の墓を見る。実家の墓より立派である。この世の無常を感じる。感じなくてもこの世は無常なのだから感じるだけ無駄であるが、生きているのだから感じるものはしょうがない。東照宮をあとにしてテクテクテクテク歩く。暑い。体中の水分が汗になってしまう。坂だ。しかも登り坂だ。汗が乾いて白く塩になるほど暑いのに坂だ。坂だと塩だ(坂田利夫だ)。あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ、あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ、あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

「続く」


    一覧  トップ