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123「ビッチ・ハイク」(中編) (20120912)

草の戸に日暮れてくれし菊の酒 芭蕉

「営業の仕事というものはな」

いいすからもう一杯頼みますか。飲みが足りないんじゃないですか。

「売れるものを売るのなら、俺たちはいらないんだよ」

チューハイですか、ハイボールですか、え、焼酎ロックでいきますか。男っすねえ。聞いてないから返事を待たずに注文する。

「いい営業ってのは、いらないものを、自分の力で売るんだよ。南極のイヌイットに冷蔵庫を売り、ゴビ砂漠の遊牧民に砂を売る」

出た、伝説の商社マンの話だ。うんうん、そうっすね。先輩の言うとおりっすよ。お、飲み物が来ましたよ。男ならぐいっといきましょう。何むせてるんですか。お前も飲めですか。じゃあ遠慮なく。こっちもロックお代わりね。

「派遣さん大丈夫ですか?」このリスに似た正社員OLは未だに私の名前を覚えていないらしい。驚異的な記憶力である。記憶力というか未記憶力である。

「そんなに飲んでないから大丈夫」

「いいか、南極のイヌイットに会えば冷蔵庫を売り、遊牧民に会えば砂を売る」

さっき聞きました。

「神に逢うては神を売り、仏に逢うては仏を売る」

臨済宗かよ。

「聞いてるのか、まあいいから飲め」

聞いてますよ。私のほうが沢山飲んでるような気がしますが。

「女に逢うては媚を売り、男に逢うては春を売る」

なんすかそれ、聞き捨てならないな。私のことっすか。そんな風に私のことを思っていたとは心外だな。

「ちょっ、ちょっ、冗談だよ。別にお前のことを言ったわけじゃなくて、言葉遊びだよ」

「えー、じゃあ私のことなんですか」

リス女が絡み始める。

「いやいやいやいやいやそそそそそそそそそんなことは全然全然なくて。」

「ひどーーーーい。ひどすぎます」

このリス女、静かにならないかな。あーあ、泣き出しちゃったよ。

営業部のイケメンに、リス女を紹介しろ頼まれてたからセッティングしたのに、イケメンは緊張したのかなにかリス女と視線も合わさないで私に絡んでばかり。まあ、営業成績トップの座を派遣の私に奪われたショックもあったのかな。そんな奴に仲介を頼むなよ。まったく下手糞だな。こいつ、女と付き合ったことあるのかよ。ここでこじらせちゃうと、社内の派遣の立場としては苦しいものがあるので修復に向かう。忙しかったので事前に根回しする暇がなかったのがまずかった。とりあえず泣いているリス女を化粧室に連れて行く。

「派遣さん、営業さんがひどいんです。」

泣き上戸かこいつ。

「うん、聞いてた聞いてた。ひどいね。人間のくずだね」

ビール一口だけであとはずっとウーロン茶だったのにこれだけ酔っ払うというのは才能だね。男殺しか。

「ほんとにひどいね。せっかく時間を作って飲みにつきあってあげたのに、全然話にならないね。」

「派遣さん、そこまで……は、ひどくないんじゃないですか」

やっと泣き止んだ。リス女も営業イケメンのことは気になっていたようで、誘われたのでよろこんでついてきたら、イケメンは緊張しちゃって話もできないので酒が進んで仕事の話ばかりになったというよくあるパターン。私のお腹の前で泣かないでください。ここにはリア充はいません。

「まあ、お互い両思いなんだから頑張ってよ」

「え?」

泣き止んだので席に連れて行く。座敷でイケメンが土下座しているのをリス女があわてて頭を上げてくださいとか言っている。馬鹿らしくなったのでひとりでタバコをふかす。

「じゃあ、私は先に帰るから」

「あ、おつかれした」

「お疲れ様です」

一気にお邪魔虫扱いである。毛糸洗いにジャミングというくらいジャマーである。駅まで送ろうかと義理で言い出す気配もない。あとで割り勘とか言うなよ。

 駅までとぼとぼと歩いていると、取引先の部長さんからの携帯が鳴った。

 で、咥えたとたんに玄関のインターホンが鳴る。これからという時になんだよ。放置しようとしたが、しつこくしつこく鳴るので部長さんはインターフォンに向かった。本妻だったらやばいな。仕事場に近いということで部長さんが買った寝泊り用のマンションだがら本妻さんも鍵を持っていないということは聞いていたが、ドアを開けたとたんに乱入されても困るのでクローゼットに隠れることにした。

 寝泊り用とはいえ、なかなか豪華なマンションでクローゼットも広い。仕事着ではない服が、ずらずらと吊るされている。白衣、看護婦のピンクの制服、警察官の制服。ここらへんまではわからないこともないが、熊の着ぐるみとか消防署の耐熱服とかどういうシチュエーションを想定しているんだろうか。そういう自分も部長さんに頼まれて婦警の格好をしているんだから大きいことは言えない。部長さんが玄関の方へ行ってからしばらく経つが戻ってこない。揉めているのかと思い、クローゼットから出てそっとリビングの扉に耳を近づけると話し声もしない。玄関の様子を伺うと、部長が腹から血を出して倒れていた。玄関の扉が閉まっているのを確認してから部長に駆け寄る。息してない。鼓動もない。ナイフで心臓を一突き。誰だよ。玄関にはチェーンしてあるから密室……ということは容疑者は私かよ。これ放置しておいても明日には無断欠勤で会社から連絡があって死体が見つかって、部屋中に私がいた痕跡が残っているだろうから逮捕されて、最初は任意同行か。事情を聞かれるんだろうなあ。いえ、枕営業ではありません、自由恋愛ですとか警察に説明するのやだなあ。真っ平ごめんである。ということは明日の昼までに犯人を見つければいいんだな。

 とりあえず婦警の格好まま部屋の外にでる。さてと、犯人の家はどこだったかな?

 独身者用のマンションの鍵なら開錠に1分かからない。小奇麗な部屋を観察し、椅子を部屋の隅に置いて座って待つ。朝まで帰って来なかったら面倒くさいことになるな。

 部屋の主の御帰宅である。部屋の灯りをつけて私に気がついた営業イケメンは凍りつく。

「お帰りなさい」

「な、な、なんで警察が」

「落ち着きなさい、私よ」

私の言葉に驚いて営業イケメンはジロジロと顔を見る。

「なんだ派遣さんか。どうして私の家に入り込んでいるんですか。不法侵入じゃないですか。警察呼びますよ。って警官のコスプレはそういう意味ですか。って意味がわからないよ」

「まあ、落ち着いて。忘れ物を届けにきたんだけど」

「何ですか忘れものっって」

 私は後ろに隠し持っていた金串を目の前に掲げた。

「部長さんが、忘れ物届けてくれって」

「なんすかそれ。なんか物騒ですね。部長さんってどの部長さんですか」

 さすが営業、話せば何とかなるかと必死だ。

「急に取引先の部長さんから電話で呼ばれてね。スケジュールはキッチリと決めて行動する人だったから、おかしいなとは思ったのよ。急に呼ばれたということは恋人からのドタキャンが入ったということね。貴方から合コンのお願いがあったのはその日の夕方だったよね。そして部長さんを殺すには、部長さんが今夜、あの隠れ家にいることを知っている必要がある。それはあの部屋でのデートを約束してドタキャンした恋人である可能性が高い。恋人が来たので、とりあえずドアを開いたところでチェーンを外す前に、あなたが金串でグサリ」

「その推理は可能性が低すぎるんじゃないか。そうだとしても、どうして僕になるんだ」

「部長さんのクローゼットにはいろんなコスプレ衣装があったわ。全部サイズが男性用。一番使われた形跡があるのは警察官の衣装」

「それは部長さんの衣装では」

「知ってるでしょ。部長さんはMなのよ。警察官の衣装を着た男性の恋人に攻められるのが好きに決まっているわ」

 でも何故僕なんだ。

「部長さんは私に声をかけたことからもわかるように、身近な人と付き合いたいタイプ。私の前任はあなたでしょ」

 どうやら図星だったらしい。

「それから、部長に突き刺さっていたこの凶器、居酒屋のシシカバブを刺していた金串でしょ?現地調達にも程があるわ。もうちょっと計画的に行動しなさいよ。営業は臨機応変が信条ですか?」

そんな薄い証拠で私を犯人にしようとしても誰も信じないよ。

「あら、でも部長さんは血で床に貴方の名前を書いていたわよ。真っ先に警察が取調べをするのは貴方じゃないかしら」

「ウソだ、部長の心臓を一突きにして即死だったんだ。でっち上げだ」

「白状したようね。言っとくけど録音してるわよ。このボタンを押せば知り合いの刑事にデータが送られるから。あ、30分操作しなくても自動的に送信するようになっているからあきらめるように」

「リス女に睡眠薬飲ませて寝付いた所で抜け出してアリバイを作るつもりだったんだけど、すぐに寝込んでしまって運ぶのに往生したよ。うまくいったつもりだったんだけどなあ。で、君はどうするつもりだね。」

「とりあえず、暑いから制服を脱ぎたいわ」

 逃亡を見逃す代わりに、それから一戦を交えたわけ。逮捕がかかっているから気合が入ってなかなか楽しかった。途中で殺意のこもった関節技の応酬になりかけたのもまた御愛嬌。とりあえず朝日が出る前に彼はどこかへ行ってしまった。

 なんか身体が辛い感じで出勤。営業イケメンと付き合うことになったリス女をどう慰めようか頭が痛い。

「あ、派遣さん、昨日はどうもでした」

あ、おはよう。

「それで、私なにか変なこと言ったりしてませんでしたか?」

いや、別に普通だったけど(途中で泣いてたけどな)

「私、お酒に弱くて、でも緊張しててビールに口をつけた所までは覚えているんですけど、そのあと気がついたら自分の部屋のベッドで。なんか失礼なことしてませんでしたか?」

いや、別に普通だったけど。

「ああ、よかった」

覚えていないなら「恋人が殺人犯だった」という悲劇は免れたわけだ。好きな人が失踪となるか好きな人が殺人犯だったとなるか、これは営業イケメンのこれからの努力にかかっている。私が部屋にいた痕跡は可能な限り始末したので、ついでに彼の痕跡も結構消えただろう。警察がどれくらい優秀か、リス女を泣かせるくらい優秀なら日本も大丈夫なんだけど。

さも誰を 殺めて 帰すも からみから

(五月雨を 集めてはやし 最上川)   芭蕉


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