94. 「漁師と壷と魔神とワイシャツと糸井重里」(20060917)


第八夜

ある日、漁師が魚をとっておりました。
「おお、偉大なるアッラーよ。私は一日に三回しか網をかけないと決めております。なのに一回目の網には一匹も魚がいないではありませんか。」
なあに、一発なら誤射かもしれない。そう気を取り直して二回目の網を投げましたが、これまた一匹も魚が取れませんでした。
「おお、偉大なるアッラーよ。魚が一匹も取れないでは五人の扶養家族をどのようにして養えばよいのでしょうか。福祉切捨ての小泉政治の犠牲者となれとおっしゃるのでしょうか。」
これが階級社会というものかと気を取り直して三回目の網を投げましたところ、やはり魚はとれませんでしたが、古い壷がひっかかっていました。古物商か、そうでなければ鉄屑屋に売ればいくらかにはなるだろう。その壷は厳重に封がなされていましたが、漁師は明けてみました。
すると壷の口から煙がもくもくと出てきて、それは魔神となりました。
「壷を開けたのはお前か?」
「そうでございます。」
「では、望みをかなえよう。どんな死に方が望みだ。お前の望んだ方法で今すぐ殺してやる。死んだら靖国に奉ってやろう。」
なにが言いたいのかよく分からないが、天皇の靖国神社参拝こそが重要であるというメッセージは伝わってくる。
「そんな無茶苦茶な。あなたを壷から救い出してあげたのに、どうして殺されなければいけないんですか。」
「俺はソロモン王に逆らった罰としてこの壷に閉じ込められたのだ。最初の百年はこう考えた。誰でも良い。ここから助け出してくれた者には、何でも望みを一つかなえてやろう。しかし百年は無駄に過ぎた。次の百年はこう考えた。俺を助け出してくれた奴は、この国の王にしてやろう。そして毎日三つの願いをかなえてやろう。しかしまた百年は無駄に過ぎた。次の百年はこう考えた、俺を助け出してくれた奴はこの世界の王にしてやろう。しかしその百年も無駄に過ぎた。そしてついにこう考えた。俺を助けてくれた奴は、その報いに望みどおりの方法に殺してやると。そう誓ったのだ。誓ったからにはお前を殺さなければならない。さあ、言え。お望みの方法で殺してやろう。」
漁師は震えながら言った。
「一見、もっともな理屈のように見えるが、落ち着いて考える必要があるのではないか。しかし、ちょっと待ってもらいたい。魔法は呪文を唱えてみないと、どこを狙っているのかがはっきりしない。私の命をとっても何にもならないではないか。命をとることだけは勘弁してくれ。」
魔神は答えた。
「それはできん。いくら命乞いしても無駄である。だが、心配のしすぎではないか。死んだからと言って一発だけなら誤射かもしれない。なあに、かえって免疫力がつく。そこまで命乞いするくらいなら、そもそも壷の口を開けなければよかったのだ。海風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ。では今すぐ八つ裂きにしてやろうか。」
「だが今、必要なのは冷静さでないか。」
「うるさい。」
漁師は考えました。
「死ぬ方法ですか。どうせ死ぬなら老衰で死にたいです。」
「よかろう。今から魔法でお前の細胞の体内時計の進行を加速させよう。それにより細胞分裂が活発化し、アポトーシス頻度が増加し、約1時間以内にお前は老衰で死ぬだろう。」
「ちょっと待ってください。今のは取り消しです。えーとえーと、他の人が死んだ後に死にたいというのはどうでしょう。」
「よかろう。それではお前を五十六億七千万年後に時間移動させよう。巨大化し赤色に変化した太陽の下で、絶滅した文明の跡地で一人寂しく死ぬが良い。」
「取り消し、取り消し。もうちょっと考えさせてください。それにしてもあなたのような巨大な魔神さまがこんな小さな壷に入っていたとはとても信じられないのですが。」
「何を言う。俺の言っていることが嘘だというのか。」
「嘘だとは申しませんが、なにぶんにもこの目で確かめないと。間違いだったら、事実が記事と違った結果になってしまったことをお詫びしないと。」
「では一度だけだぞ。」
そう言って魔神は煙となって壷に入ってしまいました。漁師はすかさず壷に封をして魔神を閉じ込めてしまいました。
「やれやれ、助かった。拾った壷はむやみに開けるものではないな。そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。 」


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