82. 「ほとんど短期記憶のない男」(20051124)


短期記憶というのは、例えば住所録から電話番号を読み取って電話を掛けるまでの間に記憶するような短時間で消えてしまうような記憶のことを言います。これは人によって違いますが、だいたい数字なら七桁、単語なら七単語くらいの容量しかありません。その意味では、現在の電話番号は人間の記憶の限界に挑んでいるとも言えます。この短期記憶を繰り返し覚えることによって

                      ……えーと、何だったかな。

自分のことで恐縮だが、まず、人の顔を覚えることが出来ない。顔と名前が一致しない。名前も覚えられない。社会人として大変まずい。相手の機嫌を損ねて交渉に失敗する。上司に怒られる。ところでこの目の前で怒っている人はいったい誰だろう。

さっき書いたかどうかよく思い出せないが、いわゆる親友といわれる人の顔を思い出せなくて焦ったことがある。しかし、人生というものはよくしたもので、そうこうしているうちに親友といえる人が一人去り二人去りで結局いなくなってしまったため、今後は親友の顔を思い出せなくて焦ることはない。

思い起こせば、学校ではいわゆる記憶に重点が置かれる教科に全くと言ってよいほど興味をそそられなかった。そこがアメリカでもカナダでもいいじゃん。何か問題でも? 名前が違うというあたりに本質的なものがあるとは思えなかったのである。昔いたどこだかの誰かがたまたまその名前をつけただけではないか。調べてみるとアメリゴ・ベスプッチが大陸を発見したと嘘をついたことがアメリカ大陸の名前の始まりらしい。ちょっと待てそれならアメリゴ合衆国のはずではないか。たった四文字もちゃんと記憶できないとは恐るべし。それともアメリゴが訛ってアメリカとなったのか。地方出身者の集まりか。明るい根っこの会か。NHK話し方講座を聴講するがよかろう。しかし一旦アメリカが定着した後は、それ以上訛りがひどくなることもなくアメリカで定着している。さすがNHK話し方講座。すごいぞNHK話し方講座。ほめてつかわす。受信料を口座振替にしてあげようぞ。

しかし、大陸を発見したと嘘をついた人の名前がたまたまアメリゴだっただけで、それがスーザン嬢だったら今はスーザンヌ合衆国だろう(多少訛っている)。たまたまアンドレーエフ氏だったら現在はエンドロポーフ合衆国だろう(多少訛っている)。それがたまたまディスコビッチダゴービニャアナ氏だったらディスコビッチダゴービニャアナ合衆国となったことであろう(これだけ長いと訛りにくくなる)。となれば名前なんて、どうでもいいじゃん。たまたまアメリカだっただけじゃん。たまたまそうなったというだけのものを苦労して覚える必要があろうか。いや、実はあるのだが、馬鹿だから気がつかないのである。鎌倉幕府が1192年に開設されたという数字自体にその本質があるのだろうか。1193年とか1194年に多少ずれていたら、歴史が大きく変わっていたのだろうか、いや、多分変わっていたのだろうが、馬鹿だからそこら辺に思いが至らない。

そこらへんで努力していたら少しは記憶力が向上していたのかもしれないが、なにしろそういうものに興味が全く湧かなかったのだからしょうがない。それでよく卒業できたものだ。聞くところによると、いざというときには脳外に記憶する(特に紙片や机や下敷き等)方法が採用されたことが現在に伝えられている。ディスコビッチダゴービニャアナとか何度繰り返したって覚えられるものか。

そういうわけで記憶力が少ないのに加えて、なにしろほとんど人/外界に興味をもてないので、人の名前と顔を覚えることができない。頼むから俺を一人にしておいてくれと思いつつ人と接するから記憶できるわけがない。そういうのは世間を狭くして自分の首を締めるものだというのは重々分かっているのだが、性格もしくは病気に近いものがあるのでどうしようもない。言い換えればディスコビッチダゴービニャアナと言ってもよい。何と言い表してもその現象と本質に変わりがあるわけではない。

それに加えて、えーと、

                      えーと、それから何の話だったかな。なんだかディスコビッチダゴービニャアナという言葉だけ覚えているんだけど、何かな、これ?

 

                   えーと、

 

         えーと、話は終わってたっけ?

(20051125:下条さんの指摘〔感謝!〕により年号の訂正)


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