プロデコーヌと共に去りぬ      

79. 「プロデコーヌと共に去りぬ」(20050829)


 この前、ふと、もし自分が二十歳で子供を作ったとすれば、孫がいても不思議ではない年齢だという事実に気が付き愕然とした。おじさんを通り越し、おじいさんである。道理で白髪も増えようというものである。大きなノッポの古時計を買わなきゃ。チクタクチクタク。大きなノッポの古時計、おじいさんはジジイ。おじいさんである割には電車で誰も席を譲ってくれないのは何故だろう。公衆道徳の低下を憂えるものである。

 不惑をとうに過ぎた。若い頃は年をとると分別がついて物事に的確な判断ができるようになり、人格的にも円熟するのだろうと思っていた。さあ、どうでしょう。いざ自分が年をとってしまうと、行動力、決断力が低下し、我が強くなって的確な判断の足を引っ張り、人間関係もどんどん狭くなってきている。だめじゃん。人間的に小さくなってきたので、世間との軋轢も増え、ストレスは増える一方である。道理で季節の変わり目でもないのに髪の毛が大量に抜け落ちようというものである。誕生日プレゼントにクシを送ろうとしたら、そこにはあの長くて美しい髪はもうありませんでした。あやうく賢者の贈り物の二の舞になるところであった。これが世に言うオー・ヘンリーの罠である。類似したものにオー・スザンナ待ってて遅れの罠、オーちゃんバケラッタの罠があることが知られている。

 という風に、兎角にこの世は住み難いのだが、住み難いこの世の唯一の心の支えであったテレビ番組「内村プロデュース」というか「内林プロデコーヌ」が今年の九月一杯で終了という話を聞き、私は全身の力が抜け、目はかすみ、耳は遠くなり、足は萎え一夜にして白髪の老人と化してしまい、あろうことか背中にはたてがみが、腹にはウロコが生え、穴という穴からは得体の知れない液を垂れ流し、歯は全て抜け落ち、腕には奇妙な形の蟲が無数にたかり、額には角が、尻には尻尾が生え、足はヒヅメと化し、その足跡からは地獄の臭いが立ち上り、そのあまりの臭さに三里上空を飛ぶ渡り鳥が絶命してポロポロと地面に落ちてくるという小説を読んでいるが、なかなか面白いね、これ。

 さて、話は戻るが、この番組があるから辛い一週間を乗り切れたのに。あの他には代え難いダラダラ感。要所要所で無駄に張り切る感。完成度よりも勢いが大切感。今こそ政権交代の時期ではないか菅。カンカンカンカン言っていると、かんかんのうを踊りだす勢いというものである。ではひとふし。 かんかんのー きゅうのれすー さんしょならえー さんしょならえー さーいほーいしーくんさん……、あ、もういいですか。そうですか。

 と言う風なことを書いている内にも、やはり時は非情にも、時の過ぎ行くままに、ああ河の流れのように、河は流れる橋の下、私は更に馬齢を重ね、無駄に生きていずれ無駄に死ぬのである。

 おや、この橋の下で野垂れ死んでいるのは確かに俺だが、するってえと、この俺はいったい誰だ。(了)


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