FAQ of Hancha      

46. FAQ 030207


Q. 「半茶」という用語によい定義がないのはなぜでしょうか?

A. 多くのウエブ用語によい定義がないのはなぜでしょうか?「すべての事象に半分だけ茶々を入れる」という短いスローガンを気にかける人は誰もいないようです。しかし、このスローガンはあまりにも短いので、混乱を招く可能性があります。このスローガンに登場する用語を次のように展開するといいかもしれません。
  半茶とは、繰り返し発生する一群の雑文のことを指します。その状況にオチを適用することになります。
  オチとは、雑文で起きる一群の構造 ―緊張と緩和―のことを指します。
  ネタとは、これらの文章を解決するために適用できる正規化された設計の構造を指します。
定義に関するもっと広い議論は、The_two_bloom.orgにあります。

Q. 半茶は何故「テキストサイト」ではなく「雑文サイト」なのですか?「雑な文」だからですか?

A. 雑な文という言葉の表す概念はとても広いので、どんな種類のテキストにも適用可能です。どう考えても雑文とは言えない場合でも、雑な文ならみな「雑文」という用語を使う人がいますが、これは誤った態度であると考えられています。「雑文」の定義は各所で論議されていますが決着はついていないようです。

Q. 半茶と、ドメイン固有のソフトウェアアーキテクチャ・ソフトウェアおよびそのエンジニアリング・その他の分野の研究とはどんな関連がありますか?

A. 関連ありません

Q. 雑文を記述するのに最適なフォーマットは何ですか?

A. 自分で選んでください。半茶の雑文のほとんどすべては、次のような形式で記述されています。
  [もしも] ある[テーマ]で
       ある[例]のような
       [オチ]が
       [文章]を伴って現れた
  [ならば] いくつかの[理由]で
       [駄洒落]や[論理のすり替]を適用して
       [ネタ]を組み立て、
  [さらに] [新たな雑文]や[別のテキスト]へ導く

 雑文は、様式上、多くのバリエーションがあります。 半茶の中で、完全に同じフォーマットを使用しているものは2つとありません。フォーマットの中には、純粋に物語のような形式になっているものもあります。おそらく最も一般的なフォーマットは、これの逆で、なにげない記述から始まって、オチや、無理な論理展開や、駄洒落がその後に記述され、なげやりに終わっています。

Q. 半茶の管理人は誰ですか

A. 半茶の管理人には名前はありません。便宜的に半茶と名乗っています。

Q. このサイトに管理人のプロフィールがないのは何故ですか?

A. 必然性があるなら書きます。もしくは、必然性が全くもって無い場合にも書きます。

Q. 半茶の管理人の性別は何ですか?

A. 大多数の研究者は、半茶の管理人の性別はオスであるとの主張をしています。しかしながら野生の半茶の貴重な産卵シーンを撮影したという論文の存在を無視するわけにはいけません。しかし、その報告の信頼性には疑問が投げかけられています。今後の研究の成果に期待されます。

Q. 「オチの放棄」とは何ですか?

 あるオチがその雑文を最適にするということを分析的に「証明する」ことはたいていは不可能です(ここで「オチ」の概念を定義することは困難です。またそのオチにどんな利用法があるのか見ることすら困難です)。その一方で、ネタについて誤った・怪しげな正当化を行うような「とにかくこうなんだ」というストーリーを思いつくのはとても簡単です。最高に良心的な半茶であっても、あるネタがどうしてそれほど有効に機能するのかを完全に理解しているわけではありませんし、応用の可能性を完全に理解しているわけではありません。

かつて匿名氏は次のように書きました。

半茶が書く雑文をはっきり理解するのは、困難なことが多いです。しょっちゅう目にするので「これは雑文だ」ということはわかります。それから、半茶においては雑文の途中でオチをつけるのを放棄していることが多々あります。オチを導入して雑文がよりよくなれば、「これはよい雑文だ」ということもわかります。しかし、雑文の方を見た場合、どうしてオチが必要なのか、そもそもオチが必要なのか、さらに雑文って無くてもいいんじゃないか。というか半茶はいらないんじゃないか。生きているのか死んでいるのか。等ということを理解するのは難しいものです。ある雑文のオチをはっきり理解する方法というのは、雑文を読むときに自分自身を見ることだ、と私は思います。

半茶が書く雑文についてオチを記述しないことがあるのはなぜかというと、実は彼自身も知らない場合があるからなのだ、と思います。 半茶がオチを無視してしまった、ということではありません。オチに対する半茶の(無)理解の結果が、グダグダな雑文となったということなのです。

Q. もし、半茶に掲示板があったら素敵じゃないでしょうか?

A. それは春風の中、青空に舞うタンポポの種のように好ましいかもしれません。でも、掲示板は人と人とのコミュニケーションのためのものです。もしもそのツールが、他の人たちとのコミュニケーションを促進するならば、それはよいものです。しかし、半茶が鬱状態の場合は、他の人たちとの無差別なコミュニケーションは、最もよい結果を発生させるものとはいえません。

Q. Logページにある番号がめちゃくちゃなのですが。

A. 通常、列挙した事項に番号を振る場合は1から開始され、事項毎に1増加します。これを序数と言います。しかし、必ずこの規則に従わなければいけないのでしょうか。ウエブとは自由な空間ではなかったのでしょうか。更に、Logページに記載されている数字は本当に序数なのでしょうか。あなたが見ているのは本当にウエブサイトなのでしょうか。あなたが操作しているのは、本当にパソコンなのでしょうか。単なる箱かもしれませんよ。

Q. FAQとは何ですか?

A. FAQで七行詩を書いてみました。

 空を漂い飛ぶ古代の山師  Floating Ancient Quack
 フロイト博士は既に裏切り者  Freud Already Quisling
 好意と怒れる二次方程式  Favor Angry Quadrate
 幻想的なる天使の静けさ  Fantastic Angel Quiet
 好ましくは厳格なる奇癖  Favorite Austerity Quirk
 四つのうち一を浪費せよ  Fool Away Quarter
 最後の自閉症患者は誰だ! Final Autistic, Qui vive!

Q. なぜ半茶は、もっと雑文を書かないのでしょうか?

A. なぜなら、半茶がそれを書いていないからです。半茶は非常に飽きっぽく興味がうつろいやすいのです。半茶が鬱状態でないなら、半茶は何かを知る可能性が高くなります。そして何かを知ったなら、半茶は雑文を書くことができるのです。

Q. 世の中にネタは、何個あるのですか?

A. 誰もが知っていなくてはならないネタのうち、まだ発見されていないものはほとんどない、と考えている人もいれば、各分野に固有の文書化すべきネタはもっとずっと多いと考えている人もいます。おそらくどちらも正しいのでしょう。雑文を書いてみてください。そうすれば、新しいネタを発見できるでしょう。

Q. 駄洒落というのは、必ず繰り返して使わなければならないんですか?

A. あなたが、とてもラッキーで、直面しているオチに対する完全なネタのセットがすでにあって、そのネタに対しては次から次へと流れるようにギャグを応用することができ、一度も後戻りせずにオチにまでたどり着く、なんてことも原理的にはありえるでしょう。でも、実際にはそんなにラッキーなことはめったにありません。

Q. 半茶が雑文祭に参加しません。

A. 雑文祭の縛りがキツイ場合、その縛りを満たす雑文を書く欲求に抵抗できる半茶はほとんどいません。それどころか追加の独自縛りを追加することさえあります。雑文祭の縛りが緩いか、ほとんどない場合には、半茶は「もっと上手に書ける人がいるのに、わざわざ書く必要も無い。」と考えがちです。一番悪いのは「何でも自由に書いて良い」場合です。この場合、半茶は何を書けばいいのか途方にくれます。

Q. このサイトはつまらなくないですか?

A. もっと具体的な質問にしてください。


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