赤ちゃんが乗っています問題      

10. 赤ちゃんが乗っています問題 020213


 「赤ちゃんが乗っています」というステッカーを貼っている車を時々見かける。
 これに対して、このステッカーに一体どんな意味があるのかなどと、怒っている人もいらっしゃるようである。車の後ろに「赤ちゃんが乗っています」と書いてある場合,事実が事実として記述されているのであるから,「ああ,そうであるか(詠嘆)」と思えば良いのであって,「だから私にどうしろというのだ」と憤る必要は無いのではないか。
 たとえば「東京都」という標識に対して「ここが東京都だからといって,私にどうしろというのだ。都知事に就任して都政を改革しろと言っているのか。甘えるのも程々にしなさい。」と怒る必要はないのと同じである。「踏切」という標識に対して、「だから私にどうしろというのか、ここで踏み切れというのか、遮断機を空手チョップで折れというのか、電車を素手で止めろというのか。鳥だ! 飛行機だ! いや」と憤る必要も無い。「赤ちゃんが乗っています」というのは、まあ蜂の警戒色のようなもので、近づくと危ないぞという警告であるから、憤る前にその車からなるべく離れることが賢明であろう。
 しかし、事実の表記として「赤ちゃんが乗っています」を提示する姿勢は別に責められるべきではないと考えるが、事実を”ひとつだけ”表示するという姿勢は、いかがなものか。”他のあらゆる事実”に対して表示をしないという差別をしていることになりはしないだろうか。差別反対。他の事実についても等しく表記するべきである。
「大人が運転しています」
「黄色い車です」
「タイヤは4本ついています」
「タイヤはゴムで出来ています」
「整備不良です」
「もうすぐ急ブレーキします」
「しないかもしれません」
「この車種はリコール対象です」
「排気ガスはあなたの健康を害する恐れがあるので吸い過ぎに注意しましょう」
「ここから3つめの交差点を左に曲がると東京都方面です」
「燃料にはガソリンと呼ばれる化石燃料を使用しています。」
「二酸化炭素を産生して地球温暖化に協力しています」
「運転しています」
「20年ぶりに運転しています」
「右からアクセルブレーキクラッチのはずです。多分そうです。」
「道に迷っています」
「地図を見ています」
「走ったり止まったりします」
「自動車です」
「日本国は左側通行です」
「n ≧ 3 である整数 n に対し、 xn + yn = zn を満たす自然数の組 x, y, z は存在しないです」
「谷山・志村予想が正しければ、フェルマー予想も正しいです」
「数論の無矛盾な公理系は、必ず決定不可能な命題を含みます」
少なくともこれくらいの事実は表示しないと片手落ちといわれても返す言葉がないではないか。

 さらに考えるに、事実だけ表記するということは、事実ではない事に対して差別にあたるのではないか。差別反対。事実でない事も等しく表記すべし。彼らの権利を守れ。
「赤ちゃんがノッています。イエイイエイ」
「赤ちゃんがボッています」
「アカが乗っています(非国民)」
「アカを追いかけております(憲兵)」
「赤ちゃんがノッテルダム寺院」
「朝、ちゃんと掘っています」
「吾が『ちゃん』は大五郎」
「朝チュンは雀」
「アサシンが狙っています」
「朝目新聞はアカ」
「非国民め」
「言論の自由を守っています」
「赤チンを塗っています」
「赤ちんを咥えています」
「赤ちゃんを作っています」
「赤ちゃんを作る練習をしています」
「赤ちゃんのように剃っています」
「赤坂見附です」
「赤ちゃんが運転しています」
「車に見えますが赤ちゃんです」

 さらに進歩的な市民であれば、事実であるのか事実でないのか不明ないことも表示すべきではないのか。差別反対。事実であるのか事実でないのかよくわからないことの権利を守れ! これらも等しく表記すべし。
「赤ちゃんです」
「赤ち」
「あ」
「終末は近い」
「日本は右側通行ではないのですか?」
「2より大きなすべての偶数は、2個の素数の和です」
「男性は大きいバストを好みます」
「女性は大きいペニスを好みます」

 以上のすべてのステッカーを貼ることにより差別反対の進歩的な姿勢を体現することが出来ると言えよう。戦争反対。差別反対。私はペーパードライバーなので参加できないのが残念です。


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