一週間の謎      

1. 一週間の謎 010804


一週間
ロシア民謡 訳詞 音楽舞踊団カチューシャ

日曜日に市場に出かけ
糸と麻を買ってきた
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー
月曜日にお風呂をたいて
火曜日にお風呂に入り
水曜日に友達が来て
木曜日に送っていった
金曜日は糸巻きもせず
土曜日はおしゃべりばかり
恋人よこれが私の一週間の仕事です
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー


ロシア民謡として知られるこの歌は一般的にロシア娘の呑気さを歌ったものと言われる。しかし、実は多くの謎が提示されている疑問の多い歌である。

この歌に接した時、誰もがまず思うのは、一週間の仕事と歌いながら実際には、金銭を対価とした労働を全く行っていないことである。糸と麻を買う資金はどこから捻出されたのであろうか。ロシア皇帝の遺産か? この疑問についてはおいおい謎がとけるであろう。

また、次によく指摘されることであるが、不可思議なことに、月曜日にお風呂をたいているにもかかわらず、月曜日に入らない。湯冷めするではないか。厳寒のロシアである、下手をすればお湯が冷めるどころか氷が張ってしまうことも考えられる。命に関わる問題である。

これにはいくつかの可能性が考えられる。例えば、下女説である。この歌の主人公は、高貴な御方に仕える下女であり月曜日に焚いたお風呂は高貴な御方が入る。主人公は残り湯しか使わせてもらえない。この仮説では、最初に指摘された金銭を対価とした労働をしていないという理由を説明できる。ここでは結論を保留して、他の可能性を考えてみよう。

主人公は、下女でなく一般的な生活者であると仮定すると、二日に分けて入浴するというのは明らかに不自然である。そこで、深夜にお風呂を焚いて、12時を越えた後に入浴したと言う可能性を検討する。この場合、矛盾は無くなったように見えるが、もっと根本的な疑問「何故、一週間に一度しか入浴しないのか?」がクローズアップされる。恋人がいる妙齢の女性ならなおさらである。ここで、更なる疑問が提示される。この歌の主人公は本当に女性なのか? 歌詞を表面的に聞いたとき、糸と麻を買い、糸巻きをする人は一般的には(特に帝政ロシア時代には)女性であると言ってよいであろう。言ってよし。しかし、歌い手は明言している「糸巻きもせず」。糸巻きしないのである。更に決定的な言明がある。歌い手は「市場で糸と麻を購入した」とアリバイを主張しているが、

日曜日には市場は閉っているものである。

そう、歌い手は嘘をついているのである。では、この歌はまったくのデタラメで検討に値しない歌なのであろうか。

この歌は最後に「恋人よ」と呼びかけている。実際に恋人に呼びかけることを想像してみるがよい。名前や人称代名詞やニックネームで呼ぶのが普通である。「恋人よ」と呼びかける場合は「目の前に当人がいない時」に限られる。別れてしまった恋人や、遠いところにいる恋人に、直接は声が届かないときに使用されるのである。何故会えないのであろうか。これだけ仕事もせず暇そうなのに。

考えられる理由は一つ。「牢獄に入れられているからである。」

歌い手は市場が開いていない日曜日に市場で買い物をした、と主張している。これは、闇の市場を示しているのである。闇の市場で購入する麻=大麻である。つまり日曜日の行動はこう解釈するべきである。

日曜日に闇の「マーケット」での大「麻」の取り引きを裏から「糸」を引くことを「かって」出た。

なんと、この歌い手の正体はロシアマフィアであったのだ。

もちろん歌い手は、裏では大麻取り引きをおこなっているが、表の顔としてカモフラージュのための商売をしている。これが実は風呂を使用できない理由である。他の日には浴槽を使用できないのである。一週間で収穫できて、日当たりの悪い浴室で栽培できるもの、以上の条件を満たすものを推理すると、カイワレダイコンの栽培を表のビジネスとしてやっているのである。一週間で収穫して出荷、浴槽を清掃しやっとお風呂に入れるのであろう。風呂から上がったらすぐに種まきである。表では青年事業家、裏の顔はロシアマフィア。彼は男性であろう。なんと、一週間の歌の主人公は男性であったのだ

水曜日に友人が来て、泊まって帰っていった。これはあまりにも漠然としてして状況を特定しずらい。毎週水曜日に泊りがけで遊びに行くことができる人。すなわち毎週木曜日には仕事を休む人である。定休日木曜の職業とは? そう、医者である。医者とロシアマフィアの癒着…。麻薬の横流しであろうか、臓器密売の打ち合わせであろうか。想像するだに恐ろしい光景である。

さて、問題の金曜日である。金曜日は本来、糸を紡ぐ日であることを主張している。しかし、歌い手は月曜日に糸を買うはずである。糸を買う人は、糸を紡ぐ必要はない。この歌詞も裏の意味があるのである。糸巻きを「せず」である。「糸を紡ぐ」というのはロシアでは慣用句として字義以外の意味を持つ。糸を紡ぐ時には手は忙しいが、口と頭は暇である。即ち、「無駄話をする」という意味を示す。日本語で言う「油を売る」と似たような意味である。ロシアマフィアが無駄話をする。これは「官憲に捕らえられ、口を割る」ことを示している。

金曜日は糸巻きもせず=金曜日は黙秘を貫いたが
土曜日はおしゃべりばかり=土曜日には口を割り、仲間をサツに売ってしまった。

最後に「恋人よ」と呼びかけているのは、恋人に対し、「私はロシアマフィアの沈黙の掟を破ってしまった。君にロシアマフィアの手が伸びるかも知れない。逃げなさい。」と伝えているのである。

ロシアマフィアの沈黙の掟を破った歌い手とその恋人の運命やいかに!?

というところでこの歌は終っている。残念ながら本考察もここで終了である。


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