- 本日も沢山のご参詣を賜り誠にありがとうございました。午前中の本堂での挨拶でお話しました心得は出来たでしょうか?1年の感謝と、これから1年への安泰のお願い、そして最も大切な懺悔。悪いことをした事への謝りを心の中で必ず言われてくださいと申し上げましたが、ちゃんとされましたね。まさか人殺しをして謝りに来られた方はこの中におられないでしょうが(笑)殺生はしていますよね。私も本日を迎えるにあたり、暖かくなりましたので、皆様が虫に刺されないようにと境内全域に殺虫剤を撒きました。これも本来はいけないことですよね……。懺悔しました。
- さて、これからこのお話を永遠様と仏教の関係について掘り下げてみます。例えば、キリスト教やユダヤ或いはイスラムには永遠様は祀られていますか?祀られていませんしありえませんよね。まあ日本の神だからってことは別にしまして、シークやヒンズーも一つの神のみに「祈り」を捧げます。これらの宗教はこの「祈り」一辺のみの信仰だからです。絶対神は一神教の典型ですね。懸命に祈り続けます。これに反して仏教は多神です。多くの神様を信仰します。よく、イエス・ノーをはっきり言わない!日本人!と指摘されます。たしかにそうでしょう。でもこれは本当に悪い事なのでしょうか?以外に答えがはっきりしない事もあるし必要なんじゃないですか。イラク戦争は本当に終わったのでしょうか?今話題のテレビ局とIT業者の争いは白黒で終わるんでしょうか?中國と日本、韓国と日本は、白黒はっきり出来るんでしょうか?ちょうど中間にしておいた方がうまく行くことがむしろ多いのではないでしょうか。一神教の「祈り」の宗教ではその中間を探せないんです。ところが日本仏教は違うんです。悪神と善神がありますが、そのどちらも祀るんです。典型的なのが鬼子母神様ですね。鬼の角を外して田九と記して祀ることを許します。悪神の王様とでも申しましょうか大蛇も、祀ります。稲荷も八幡もすべて併せて祀ることが出来ます。今御開扉をされてお気づきの方も多いと存じますが、内陣の永遠様には両脇に別の神様が鎮座されていましたね。一方が悪神で一方が仲裁役の神様です。これを三諦勧請ともうしますが、どっちにもならないようにちゃんと座して中道を目指し、利益を頂くようになっておられるのです。「祈り」というのは一神では成就しません。そこから争いを招く事になってしまうからです。ですから最初申し上げた答えは、永遠様は仏教、即ち「戒・定・慧」の三学を持すお題目で完成するのです。懺悔して許すことが出来るのです。ちなみに戒は生活です。生きる基盤で、まず基礎があって、定である想いを静かに願う、心の言葉ですね。ここに謝りも含まれます。そしてそれを覚る智慧を(仏教思想)備えなければなりません。私達仏教徒が言う「祈り」とはこれを指します。ある程度は生活をしっかりさせ心を無にしてしかもその世界、ここでは永遠様ですが、それを知る智慧を持っての行為を指しているのです。食べるのもない、家もない衣服もない状態からでは利益は生じないのです。自己努力をしっかりやって行動を見せた時、その力を授かるのです。それは努力した人が破産してもOKですよ。頑張ったんですから。ただ遊んでばかりで、パチンコに勝ちますように!なんて願ってもそんなのには利益はありません。何れにしましても、御利益を証明しているのが、本日のこの日本晴れですよ。佛天の証しが、目の前にあります。殺虫剤を撒いたことを許して下さいましたよ(笑)。どうぞ、自信をもって信仰を続けてください。本日は、本当にありがとうございました。 (録音テープより)
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