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2001年3月18日 インドと夕日と不安な飛行機インド行きの飛行機に乗り込む。自分ははじめての海外旅行である。ちょっと緊張。 とりあえず成田空港の交通アクセスの悪さに閉口する。誰か何も言わないのだろうか? 航空会社はエア・インディア。とにかく安いので。添乗員はサリー風の制服で入り口で「ナマステ〜」と声を掛けてくれる。気分がインドっぽくなる。 9時間のフライト。機内食はインド風なのか日本風なのかよく分からないものが出た。なんだコレは?うまいのか?まずいのか? インド(デリー)に着いたのは現地時間で18:30を過ぎていた。夕方だ。夕日の色はここでも紅い。 荷物の受け取り。成田で荷物の引換証を作ってもらったが、適当に流れてくる荷物を皆適当に持っていっている。誰もチェックしない。何のための引換証だ?インドっぽい。 イミグレーションを出ると大量の蚊と、それに勝るとも劣らないくらいウザイ大量のガイドに囲まれる。 「ハロー、ハロー、インドは初めてか?」「オレが安いホテルに連れて行ってやる」「両替ならオレがしてやる」 とにかく追い払っても追い払っても次々にやってくる。この時点で葦座的にはかなり気圧されてしまった。 で、気が付いたら両替所でインドルピーを作らないまま空港の外にいた。いきなりピンチである。 「オレが両替屋まで連れて行ってやる」そう言って近づいてきたインド人は数人で我々を取り囲み、胡散臭げなタクシーに乗り込ませようとする。 コレに乗ったら絶対面倒な事になる(確信)。 つーか、誰や?おまえ。 とりあえず無視してデリーの街中までのバスを探す。が、見つからない。 はっきり言ってかなり困った。いきなりピンチだ。道も分からない。金も無い。町も離れている。日も暮れてきた。 そんな時に救いの手が。数人の日本人を含む旅行者達を乗せたバスの運ちゃんが我々を乗せてくれた。 これでとりあえず駅の方まで行けるらしい。更にそこで3人の日本人と知り合いになる。そのうち一人はバス代も無い我々にRs100を貸してくれるいい人であった。 当初の予定ではデリーはとっとと去るつもりだったので今夜中に鉄道のチケットを手配するつもりだったのだが、リクシャーワーラーやガイド達のアグレッシブなアクションに加え、金が無いという致命的な問題点から諦める事にした。 で、例の金を貸してくれた彼らが適当な安宿を知っているというので、とりあえず今日はそこに泊まる事に。 何でもヒッピー系の外人がよく利用するところらしい。確かにそれっぽいのがいっぱい居る。 で、宿に着いた我々は皆で適当にダベる。コレも貴重な情報交換だったりする。 両替屋にも連れて行ってもらって、何とかルピーを手にすることが出来た。いやいや、ホンマ助かりました。 とりあえず今日のところは何とかなったが、結構不安を残す第一日目でしたわ。 2001年3月19日 切符と旅券とアヤシイオヤジオレのパスポート、何処? なんと、2日目にしてパスポートを無くす(爆)。本気か?オレ?一人で大パニックである。 が、心当たりは一つしかない。そう、あの闇両替屋だ。 だが、ココはインド。とっくに闇に流されていても不思議は無い。つーか無くしものはまず見つからない国であることぐらい初心者でも分かる。 あ〜あ。いきなりゲームオーバーですか? 朝7:00にそれに気づいて例の両替屋に行くが、まだ開いていない。 ・・・・・・・・。 とにかくこうしていても仕方ないので、鉄道のタイムテーブルでも探しに行きますか。 確かガイドブックによるとデリー駅の2階に外国人向けの窓口があるとの事。そこに行けばタイムテーブルの手に入れ方も分かるでしょう。 が、その窓口のところにアヤシイインド人発見。我々を見るや近づいてくる。 「何のようだ?」「タイムテーブルを探している」「それならこっちだ」 インド人は我々を連れて駅を出て、これまたアヤシイ旅行会社のオフィスへ我々を連れ込んだ。 はっきり言って後から思えば典型的な悪徳旅行会社の手口である。『地球の歩き方』とかにもばっちり載っているくらいの胡散臭さだ。 が、パスポートを見失って半自暴自棄な葦座は決意しました。必ずこいつらからタイムテーブルをかっさらってやる、と。 途中まで騙されたのがすげー悔しいので。 で、オフィスに着くとヤツラはタイムテーブルを取り出し、説明をはじめる。ありがたい。タイムテーブルの読み方までレクチャーしてくれるんかい? で、こんな会話を繰り広げる。(*注 当然原文は英語ね。) ガイド 「お前らは何処に行きたいんだ?」 オレ 「さあ、決めてない。そんなことよりこのタイムテーブルはいくらだ?」 ガイド 「(書かれている定価を見せて)25ルピーだ。」 オレ 「そうか、じゃ、それよこせ(と言って50ルピー札を出す)。」 ガイド 「(とりあえず金を受け取って)で、何処に行くつもりなんだ?」 オレ 「知らん。いいからこのタイムテーブルよこせ。あとつりもちゃんと払えよ。」 ガイド 「ちょっと待て、いいから話を聞け。つりを用意するのに時間がかかる。その間予定を聞かせろ」 オレ 「うっさい。決めてないっつってんだろ?。いいから早くよこせ。」 当然ヤツラは適当に現地ツアーを組ませて金を巻き上げようという魂胆らしいが、そんなものに乗る気は全くナッシング。 この間、一緒に行った鯵はオフィスの下に待たせていたのだが、そのうちヤツラが変なことを言い出す。 「お前らはカップルか?」と。当然ながら鯵は男である。 「ただの男友達だ。」するとヤツラは 「お前らはホモか?」 何を言っているんだ?こいつらは? が、旅を続けていくうちにこの謎は解けるのだった。 とにかくこんな押し問答をしばらく続けた後に結局タイムテーブルを定価で買い叩く事に成功。ヤツラの商売道具だとおもうが、知ったことではない。 で、再び例の両替屋にGO!やった開いてますがな! 「おやじぃ、オレのパスポート、知らない?」するとオヤジはニカッと笑って名前と生年月日を聞いてきた。答えるとパスポートを出してくれた。間違いなくオレのだ。 やった、神はまだオレを見放してなかった!オヤジはチップとしてオレから$5受け取ると、チャーイをいっぱいご馳走してくれた。 「神様が見ているからな、悪いことは出来ないのよ」両替屋のオヤジは壁にかけてあるハヌマーンという神様の絵を見ながら言った。 この神様、雲に乗って宙を自在に舞う太陽の化身らしい。そしてこの太陽によって我々は食物を得ている。コレは我々が神を食べているのと同じ意味なんだ、と、オヤジは言う。神は我々の祈りによって生かされ、我々は神の恵みによって生かされる。オヤジは語る。このオヤジ、一見めちゃめちゃ俗物なのに、根源的な人間のありかたを既に見つけていやがる!インドの宗教はおくが深い!! あ、そうだ。このオヤジと、日本に帰ったらココの宣伝をするようにって約束していたんだ。という訳で宣伝。 デリー駅前のメインバザールを西へ、「HARE RAMA GUEST HOUSE」の向かいの闇両替「Deep International」をよろしく。きちんとチェンジャーシートを発行してくれるし、銀行より親切で営業時間も長いのでオススメです。レートはそんなに良くないけど。 で、折角なのでデリーにあるハヌマーン寺院にお参りをしてから、バラナシに向かう列車に乗り込む。ありがとう、ハヌマーン! 列車は予想を反して時間通りにやってきた。確かにインドの交通事情は良くなっている・・・・らしい。 よくあちこちの旅行記でインドの鉄道はぼろくそに言われているが、大したことはなかった。我々は初めてということもあって中流クラスの車両に乗ったのだが、もっと下のクラスでも大丈夫そうだ。 (身分制度の厳しいインドでは列車の車両も厳しく区別されている。一番下と一番上では天と地の差で、料金も10倍以上違う。) ただ、特急のはずなのに街中に入ると時速10kmぐらいで走ったりする。最初は「?」とか思ったが、すぐに理由はわかった。 線路を一般人が生活の場にしているから。 急ぐと彼らを轢いちゃうんですよね。でも絶対年に数人は轢かれていると思う。 あ、一つだけ問題があった。 なぜか俺らの席(指定席のはずなのに)に座り込んだインド人のオヤジの足がたまらなく臭かったこと! 2001年3月20日 ガンガーと土産物と感動の朝日午前5:00ごろ、バラナシに到着。当然まだ日も昇っていないので真っ暗だ。 にもかかわらず商魂たくましいリクシャーワーラーが我々を取り囲む。 激しい人いきれ、駅構内いっぱいの浮浪者、大量の乞食、何処からか流れてくるスパイスの香り、そしてそれに混じった糞尿のすえた匂い。都会なデリーとは一味違ったインドである。 適当にリクシャをチャーターしてガンジス河(ガンガー)へ向かう。目指すはバラナシ最大のガート(沐浴場)ダジャースワメード・ガート! 頼んだリクシャはじいさんだった。 あ、リクシャ-っていうのは日本のタクシーみたいなもの。大抵3輪でエンジンの積んだ「オートリクシャ-」と自転車式の「サイクルリクシャ-」がある。 えっちらおっちら扱ぐ姿はなんだかこっちが申し訳ない気がする。つーか、大丈夫かじいさん?倒れたりしてもこまるぜ? 我々の心配をよそに無事にガートに辿り着く。朝日を見るのには丁度よい時間だ。 朝日に祈りを捧げるためにたくさんの信者が集まってきている。ほとりではバラモン達が鐘を鳴らしながら朝日が昇るのを待っている。 我々はガンガーの神々しい朝日に祈りを捧げるようにして魅入っていた。
が、一歩気を抜くとあっという間に取り囲まれて、物売りが始まる。結局珊瑚のわっかやら、菩提樹の数珠やらをライターと交換したりした。 その後、ネパール行きのチケットを手配するために街中の方に戻ったが、オートリクシャ-のオヤジにボラれる。最初Rs10とか言っていたのに、関係ないホテルとかに連れ回されて、Rs50も要求しやがった! そのリクシャーワーラーに紹介された宿のオヤジも目で「いいから払え」と訴えかけている。やろう、グルでやんの! 結局払う羽目になって、ぷりぷりしながらネパール行きのバスのチケットを買いに行く。が、次にバスが出るのは2,3日後になるとの事。仕方ない、しばらくバラナシでうろうろするか・・・・・。 帰りが多少不安だったので往復チケットを買う事にしたが、コレはあとで後悔する事になるのだった・・・。 そういえばこの日は鯵の誕生日。ささやかながら誕生日パーティーということで、ホテルでちょっぴり豪華なディナーを食らう。ついでにインドビールも試してみる。「キングフィッシャー」というインドではメジャーなビールらしい。うん、美味いっすよ。 2001年3月21日 ガートと火葬とクミコハウスオートリクシャ-のオヤジに連れられて結局泊まる事にしたHOTEL Varunaのすぐ近くにあるバーラト・マーター寺院というお寺に行く。 なぜかゴミ捨て場の向こう側にあったこの寺院はインドの立体地図を御神体にしているらしい。 中は10m四方くらいの建物の真ん中に文字通り立体地図があるだけ。 ホントにコレにお祈りしている人がいるんだろうか? 何か白人系の観光客相手に現地ガイドっぽいインド人がレーザーポインタを御神体に当てて説明をしていた。 そういうことしてもいいの?これ・・・・・? それからガートそばにある「クミコハウス」という宿へ移動する。 安い上に日本人客が多くて情報交換がしやすい事で結構有名な宿だ。 場所はガート側に日本語で「久美子ハウス」と書かれているのですぐに分かるはずだ。 ガートには「オレは深夜特急のドラマに出た。ギャラもらってそのギャラで店を建てた。是非見に来い」といって客引きをするガキが多い。 確かにそんな話は聞いたことあるが、数が多すぎるだろ!?おい!? つーかオレ、深夜特急見てないし。 インドに来る日本人が全員見ていると思ったら大間違いだぜ!! で、クミコハウス到着。 シャンティーさんと言うインド人のオヤジに出迎えられる。 部屋は別々がいいか?と聞いてくるので、一緒でいいと答えると、割と流暢な日本語で 「そうか、男同士抱き合うのが好きか!!そうか、そうか!」 と嬉しそうにダブルの部屋に案内してくれた。 この尋常じゃないノリに少々圧倒される。 「ここのボス、私じゃない。久美子さん。」といって紹介されたのはこのホテルのオーナーで日本人の久美子というおばさん。 どういう経緯か、このシャンティーさんと結婚してバラナシで外国人向けのホテルを経営しているという。 その後、シャンティ−さんの紹介の布屋に案内される。 おいらは一応お土産でもついでに見れればいいや、とか思っていたので布屋のオヤジとヒンドゥ教の話とかしながら絹などを見せてもらっていたが、そっち方面に興味の無い鯵は先に宿へと戻った。 結局シヴァファミリーの描かれたタペストリー状の布をRs250で買った。 最初はRs480とか言っていたから結構値切ったつもりだが、たぶん現地価格には遠く及ばないと思う。むぐぅ。 ついでなので宿に戻る途中にマニカルニカー・ガートに行ってみようと思う。 いわゆるヒンドゥ教徒の火葬場で、撮影なども一切禁止という結構厳しいところだ。 途中道すがらインド人の子供にたかられる。 「こっから先は火葬場だ。」「外国人は入れない。」「とっても危険だから近づくな。」 黙殺。 現地に着くと確かに大量の煙が上がっている。 キャンプファイヤーのように組まれた薪の上に布にくるまれた死体が置かれ、次々に荼毘に臥されている。 やや離れて眺めていると、アヤシイオヤジが手招きしている。 何でも中に入れてくれるらしい。 すたすたとオヤジの後について火葬場の中に入る。 ホントにすぐ目の前、自分の足元で人が焼かれて灰になっている。 が、不思議と嫌悪感も感動も沸かなかった。 「ああ、人が焼かれているねぇ」 ホントにそんな感じ。 こんな近くで人間の死体が焼かれるのなんて初めてだったけどね。 なんだか「ハナマサ」っていう焼肉屋の焼肉食い放題の部屋の匂いに似ている気がするねぇ、この煙。 で、オヤジのガイドが始まる。 「ココで荼毘に臥されることはヒンドゥ教徒にとって最大の悦びだ。」「ほう・・・・。」 「ここで荼毘に臥されて灰をガンガーに流すと、その死者はニルヴァーナへ行ける。」「なるほど。」 「でも、外国人や蛇にかまれて死んだ人、妊娠中に死んだ人はしきたりで荼毘に出来ないので、そのままガンガーに沈める。」「ふーん。」 「ところで人を焼くための薪、非常に高い。貧乏な人、薪代が無いので荼毘に臥せない。」「?はぁ?」 「そういうわけで薪代$50寄付していけ!」「はい!?」 $50といえばこっちでちょっと切り詰めればツーリストプライスでも一月は暮らせる金額です。 なめんな!! 「人はお金をあの世に持っていくことは出来ません。そんなことならココで寄付して功徳を積んだほうが身のためです。」 「もしあなたが死んだら、あなたは誰かの寄付が無いと埋葬されないのですよ?」 オレはまだ暫く死ぬつもりは無い。 つーかさっき外国人は荼毘に臥せないって言ったじゃん!? ま、でも、ガイドはよかった。 お陰で近くで荼毘も見れたしね。だまって受け取れ。 Rs10を差し出す。 するとオヤジ切れる。 「ふざけんな!こんなはした金受け取れるか!!」 「うっせー、黙って取っとけ!!」 するとオヤジは強引にRs10札をオレのポケットに押し戻した。 オレはそのまま無視してすたすたと帰る。 オヤジはすぐに諦めたが、ガキがまとわりついてせびりに来る。 仕舞いには調子にのってオレを小突きだす。 一瞬、本気で殴り飛ばそうかとさえ考えたが、ここで対日感情を悪くするのもよくないと思い、さっき突っ返されたRs10を渡して黙らせた。 このガキども、コレで満足か??とっとと去ね!! 宿に着くと、ドミトリーで鯵が既に他の宿泊客の皆さんと友達になっていた。 混ぜてもらって旅の話などをする。 鯵の話によると、一人で帰ってきたキミを見てシャンティーさんは 「こんな所ではぐれたのか?ダメだ、もうキミの友人は帰ってこない。あとはお祈りするしかない。」 とか言って、線香を焚いてお祈りをはじめたらしい。 おい、あの布屋はあんたの紹介じゃ なかったんかい!! つーか勝手に殺すなって!! 2001年3月22日 バラナシと花火とゴールデンテンプル暇つぶしに街をうろつく。 シルク売りのオヤジに声を掛けられ、店を覗く。 適当に見せてもらって、まあまあのが3枚ほどあったので買ってみる事にする。 オレ「へい、オヤジ。この3枚でいくらだ?」 オヤジ「Rs2700だ」 冗談言っちゃいけネェぜ!そりゃいくらなんでもメチャクチャだ。 オヤジはこれは正真正銘の本物の絹だから高いのだ、と熱弁。 試しに糸くずを燃やして証明する。 この証明法、バラナシで絹を買おうとすると絶対一度は目にする。 ちりちりと焼け、いい香りがするのが絹。逆にぶすぶすと焼けて、煙につんと刺激臭があるのが綿だ、と言う。 この証明法、どのくらい信憑性があるのでしょうか?詳しい人、是非教えてください。 とにかくだ、オレはそんなに金持ってない。 お土産用のアヤシイ絹にRs2700も出せるか!! オヤジ「じゃあ、いくらなら買う?」 オレ「Rs700。」 オヤジはふざけんな、という顔をする。が、ココで負けてはいけない。 オヤジ「馬鹿にしてるのか?Rs2700だっていい値段だ。トモダチプライスだぞ!?」 でたよ、トモダチプライス。胡散臭いこの上ないつーの。 結局奮闘の末3枚Rs1100でゲット。もっと上手い人なら更に下げられると思うが、最初の値段がいかにメチャクチャな数字かは分かって頂けると思う。 次はゴールデン・テンプル。 よく場所がわからなくてうろうろしていると、インド人のガキが案内してくれるという。 中は撮影禁止になっていて、写真もとれない。 ヒンドゥ教徒以外立ち入り禁止のエリアもあって確かに案内無しではちょっと大変だったかも。 とにかくバラナシでトップクラスに大きなお寺。 名前の通り、金色にペイントされたシヴァ像などが安置されている、聖地だ。 途中坊主が祝福をしてくれると言うのでお願いしてみた。 で、あの、よくインド人がしているビンディーみたいなおでこのぽっちを付けたところで突然儀式を止めてRs100よこせと言い出した。 何ィ!?正気か?坊主!! Rs50でごまかそうとすると怒り出してRs100よこせとせびる。 逃げようとしたが、狭い路地でインド人に囲まれてしまっていて逃げられない。 仕舞いには順番待ちのヒンドゥ教徒まで並び始めてプレッシャーを掛けてくる。 くそぉ、マジかよ、この生臭坊主!! 「分かった!だがなぁ、これはお前に払うんじゃない!神に払うんだ!分かったな!?」 そう叫んでRs100を出す。 坊主は理解したのかしないのか、にっこりとそれを受け取り、儀式の続きをしてくれた。 なんだかなぁ。 で、一通り見終わって外に出ると、案内のガキがチップをよこせとわめきだした。 ま、役にはたったしなぁ、そう思い、Rs20ほど渡す。 するとなんでさっきの坊主にはRs100渡したのにこっちはRs20なんだと言い出す。 「うっせー、黙れ。さっきのは神に捧げた金だ!!お前は神か?お前はシヴァか?そうならRs100出そうじゃねぇか!!」 そう怒鳴ってガキを突っ返す。 この他にもやけに日本語が達者な自称医学生(日本語は大学で学んで、現在NHKなどの通訳の仕事をしていると言っていた)やら、自称「金持ちの客引き」のインド人(ホントに金持ちだった。時計も日本円で30万ぐらいするヤツをはめていたりした。)やら胡散臭いこの上ない人たちとも出会う。 あ、それからガンガーで沐浴もしてきました。天気が悪くてちょっと寒かったけど。 ついでに本屋でヒンドゥ教の本と「カーマ・スートラ」の解説書を買ってきました。 でも本は貴重品らしく、めちゃめちゃ高かった。 宿での夕食後、宿仲間でビールを飲もうと言う事になった。 バラナシではガート周辺では酒を売ってはいけない、という法律がある。 というのはヒンドゥ教やイスラム教で酒を禁止しているから。 でも何故か手に入るんだよねぇ。 でも流石に10本以上欲しいと言ったら、ビビってましたよ、店のオヤジ。 で、店の奥に連れて行かれてこっそり渡される。やっぱり罪悪感はあるらしい。 ガンジャーやバング(マリファナの一種)やハシシュ(チャラス)は平気で売るのに・・・・。 そうそう、とりあえずバング・クッキーを2つ買いました。この時。 有名なのはバング・ラッシー(マリファナの樹脂をヨーグルトで割ったもの)だけど、ラッシーはこの場で飲め、と言われたので持ち帰りの出来るクッキーの方を。 それから一緒に買いに行ったヤツが「花火をやろう」と言い出す。 インドに花火なんてあるの? 案の定「fireworks」と言っても通じない。 仕方ないので2人でボディランゲージ。 「ええーと、Do you have fireつけるとシュシュシュ〜〜〜、バー-ン。」 「Beautiful fireが出るもの」 とか適当に言っていたら集まっていたオヤジのうちの一人が「うちにある」といって持ってきてくれた。 アヤシイマッチョの描かれたパッケージの中には10個ほどの丸い塊が。 ほう、これがインドの花火か。 オヤジはこれを「バング」だか「バウム」だかって言っていた。 とりあえず帰って皆で買ってきたビールを飲む。 インドでたまに出される「インド式シャンパン」もやってみる。 作り方はカンタン。ビールにほんの少しスプライトを混ぜるだけ。 言われてみればそこかしこシャンパンっぽいと言えなくもない。 つーかこの胡散臭さがインドだね。 で、次は花火だぜ。 宿の屋上に上がってさっきのアヤシイ塊に火を付ける。 「ばぁぁん!!」 すごい音がして破裂。マジでビビった。 日本の爆竹の数十倍の威力があると見た。 これがインドの花火な訳?わびさびも何もあったものじゃない。 つーか人が殺せるんじゃないの?この花火。 試しにステンレスのコップをこの「花火」の上にかぶせて点火したら、コップは20m近く垂直に吹き飛んだ。 こんな危険なもの、インド人は何に使うんだ? 2001年3月23日 バスと荒野とネパール国境早朝、ネパール行きのバスに乗り込むために駅前のツーリスト・バンガローに向かう。 朝7:40には集合しているように、と言う話だったので7:30頃に着くようにリクシャーに乗って行く。 が、誰もいない。 日本人は時間に几帳面なんだよ!!(普段はルーズなくせに) 7:50頃になってようやくぽつぽつと集まり始めた。 よかったよ、オレらだけだったらどうしようと思っていたところだ。 で、飯を食ってバスに乗り込む。 8:30に出発予定だったが、実際は9:00を過ぎてからの出発。ま、インドだしね。 で、この日は・・・・・何もしてない。 ただひたすら荒野と田園風景を眺めながらバスに乗っているだけ。 ホントにこの写真みたいな感じ。
何でか知らないけど、インドには建設途中で放棄された(と思われる)建物が多い。 やたらに目に付く。 材料のレンガもちゃんと用意してあるし、場所だって腐るほどある。 でも作りかけのまま人が近くに誰もいない。 レンガの風化の仕方を見れば「ちょっと一休み」じゃないことは明らかだ。 謎だ。 あ、一つ変わったことがあった。 急に道が混みだして、渋滞し始めたので何事か?とか思ったら・・・・・、 ゾウが道をふさいでおりました(驚)!! ・・・・・・・・・・・・・・。 さすが、インドだネェ。 ま、とにかくバスに揺られること9時間、ようやく国境の街スノウリに到着。 インドの出国手続き、ネパールの入国手続き、ヴィザの購入を行ってネパール側へ。 スーパーあっけない。 それからネパールルピー(以下NRs)への両替。 大体$1=IRs46、NRs71ぐらいだったかな(当時現在)? ちょっとNRsの方が貨幣価値は低い。 つーかイミグレイショーンも小さくてボーとしてたら無視して通り過ぎてしまいそうだ。 インドとネパールは政治的にはあまり仲は良くないようだが、民族レベルでの交流は多いらしく、国境ものんびりしている。 荷物検査も無い。バング・クッキーも見つからなかった。 つーか見つかっていたら、帰って来れなかったかも(シャレにならない笑)。 で、国境越えの旅行会社の手配した宿に泊まる。 なんか国境を越えたとたん人隣が変わった気がするのは気のせいだろうか? ネパール人のほうが日本人に気質が近いせいか、親しみやすい気がする。 宿のおっさんもいい人だった。 だが、問題が二つあった。 一つは宿の屋上レストランのダール(スパイスで味をつけた豆のスープ)の不味いこと! 本気で吐くかと思った。 オレは味で鯵が料理を残すことろを初めてみた気がする(シャレではない)。 なんか、テラコッタ粘土みたいな味がするんだよ!! いや、粘土は喰ったこと無いけど、そんな感じ。 もう一つは蚊!! 確かに今までも蚊には多少悩まされたけど、ココのは比にならない。 とりあえず蚊取り線香を焚いてみるが・・・・・マラリアだけは勘弁である。 |