12. 1227年―遊牧論あるいは戦争機械
pp.451~: 内射的・装飾・ファシズム・ドルガバ
報告: 2005/06/16
6月16日の会は,前々回と同じく,総勢9名という大所帯で行いました。世話人としては本当にありがたいことです。
大田さんの発表でしたが,分かりやすさを考慮して僕が少し介入しながら会を進めました(大田さんはやりにくかったかもしれません。すみませんでした)。丁寧に読み進めたために予定よりも進めませんでしたが,その分,理解度は高まったのではないかと思います。
議論となった論点をいくつか挙げておきます。
内射的-投射的 (introjectif-projectif)
まずは,道具と武器の区別に関してドゥルーズとガタリ(D&G)の挙げる諸特徴のうち,内射的-投射的(introjectif-projectif)という概念のペアが「よくわからん」ということで問題になりました。おそらくハイデガーのいう「道具連関」と異なるものとして武器を定義しようとしているのだろうということや,メラニー・クラインの概念の応用かもしれないということまでは詰めましたが,やはり今ひとつ漠然としていますね。
ちなみに,クラインについては以下のWEBサイトが参考になるかもしれません。
クラインでいう「取り込み」と「投影」が,D&Gの「内射的」と「投射的」にそれぞれ対応しています。ラカンの「対象a」はこの人がいわばもとネタですね。あまり知られていませんが,精神分析の歴史では結構重要な人のようです。
また,速度や情動(とくにクライストにおける)など何度か話題に出ている事柄についても再度議論されました。
装飾
次にオオシカさんから,武器との関わりで出てきた装飾について質問が出ました。ここで建築や文字言語(エクリチュール)の問題と絡めて議論が行われました。個人的にはおかげで理解が深まり,有意義な議論でしたね。
D&Gとファシズム
最後に,林さんや大田さんといったドイツ畑の方を中心にエルンスト・ユンガーやナチに関して議論が行われました。やはり「D&Gとファシズム」という問題は非常に重要だと改めて思いました。技術と政治体制がどのようにアレンジメントされているのか,そしてそのなかで「大衆」(もちろんわれわれのことです)はどのような情動を持つのか,常に問われるべき問いですし,それゆえ,20世紀初頭のファシズムの歴史は避けては通れない問題としてありますね。
ちなみにエルンスト・ユンガーについてはこちらのWikipediaの項目を。
あと,どうでもいいことですけど,「D&G」って,「ドルチェ&ガッバーナ」ともとれるんですよね。最近ようやく気づきました。 ――大久保