ハマス指導者ヤヒア・シンワルと10.7(2023)及び10.16(2024)
パレスチナ解放運動の最大組織・ハマスの指導者であるヤヒア・シンワルについては、彼が10月16日にイスラエル軍の攻撃で死(以下「10.16」)に追い込まれてから、様々な報道を通じて興味深い事実関係が明らかになっています。米西側はハマスをテロ組織と決めつけ、2023年10月7日のイスラエルに対する急襲(以下「10.7」)を組織した張本人であるシンワルを極悪非道のテロリストと決めつけています。しかし、イランのプレスTV、ロシアのロシア・トゥデイ(RT)、スプートニク通信、中東のアルジャジーラなど、いわゆるグローバル・サウスを代表する、あるいはこれと緊密に連携する通信社・報道機関の紹介・報道からは、シンワルの人物像、10.7の国際的意味、10.16の国際的影響などについて、正反対の評価が行われていることを見て取ることができます。
私は、米西側の宣伝臭の強い報道よりも、グローバル・サウス側の報道の方がシンワル、10.7そして10.16について正しい評価を行っていると思います。もちろん、米西側報道の中にも評価できる内容のものもないわけではありません。私としては、一連の報道をまとめ、その上でパレスチナ問題解決に関する課題と問題点を考察するコラムを書こうと準備してきました。しかし、この夏の猛暑に負けたのか、持病の狭窄症が悪化する一方で、ついに近く、思い切って手術を受けることになりました。したがって、これは宿題にせざるを得ません。
しかし、シンワルの人物像、10.7の国際的意味、10.16の国際的影響については、入院する前に簡単でもいいから紹介しておきたいと思いたちました。
<シンワル「遺言書」>
シンワルの人物像を窺う上では、彼が残した遺言書(LAST WILL AND TESTAMENT)、特にその第二部(PART 2)が貴重です。私はこの遺言書の存在をイラン・プレスTVの報道によって知りました。プレスTVは全文を紹介していなかったので、いろいろ検索した結果、運良くYouTube上で英語翻訳版に遭遇しました。私がシンワルの遺言書を読んで強く印象に残ったのは、国共内戦を戦った当時の中国共産党指導者群像とダブルということです。一言で尽くせば、革命闘争への献身が全てであるという点において、シンワルと中国革命指導者は共通しているということでした。ちなみにシンワルは、長い期間をイスラエルの捕虜として獄中で過ごしたのですが、獄中にある間にへブライ語をマスターし、イスラエルの軍事戦略戦術、思想思考等を研究して将来に備えたといいます。この点も、延安時代の毛沢東、朱徳を彷彿させるものがあります。遺言書(第二部)の中身は次のとおり(要旨)です。
10.7の戦い(the Battle of the Flood of Al-Aqsa)において、私はあるグループ・運動の指導者ではなく、解放を夢見るパレスチナ人全ての声だった。私を導いたのは、抵抗は選択であるだけではなく、義務だということだ。私は、この戦いがパレスチナ人の闘争に関する書物の中の新しい1ページとなることを願った。この闘争においては、老人子供を別扱いしない敵に対して、全ての党派が団結し、あらゆる者が一つの塹壕に身を置くことになるだろう。この戦いは、肉体に対する精神の戦いであり、武器に対する意思の戦いである。私が後に残すものは個人的遺産ではなく、自由を希求する全てのパレスチナ人の集団的遺産である。
この遺言書が言わんとするのは、抵抗は無駄ではなく、我々が送るのは名誉と尊厳をもって生きる人生であるということだ。牢獄は私に、闘いは長く、前途は茨であることを教えたが、同時にまた、降伏を拒否する人々は自らの手で奇跡を生むということも学んだ。
我々のために世界が正義を実現することを期待するな。私は身を以て、世界は我々の苦痛を前にしても沈黙するままであることを見届けてきた。正義を期待するのではなく、自らが正義であれ。パレスチナの夢を自らの胸に刻み、あらゆる傷を武器に変え、全ての涙を希望の源泉に変えるのだ。
武器を下ろすな。殉教者のことを忘れるな。あなたの権利である夢について妥協するな。
我々は、我々の土地に、我々の胸の内に、そして我が子供たちの未来の中にとどまろう。
パレスチナ、私が死の間際まで愛した土地、私が抱き続けてきた夢をあなたたちに託す。
私が倒れてもくじけず、一時として倒れることがなかった旗を私の代わりに掲げ、我々の遺灰によって頑丈に作られた橋をこれからの世代が渡れるように私の血を供してくれ。一人の殉教者が出るたびに、千人の戦士がこの地の子宮から生まれ出ることを忘れるな。
私は自由の波における最初の一滴であり、私はあなたたちがこの旅を成し遂げるのを見届けるために生きたことを知ってほしい。
彼らの喉の中のとげとなれ。退却することを知らない洪水となれ。我々が権利の所有者であることを世界が承認しない限りおとなしくなるな。
<10.7>
10.7に関しては、私は、以下のような評価・記述に共鳴しました。○「西側エセ学者が言うような、物事の始まりは2023年10月7日にあるのではない。パレスチナ人に対するジェノサイドは数十年前に始まっており、10.7は数十年の弾圧に対する正統な反応である。」
(出所)2024年10月7日付プレスTV。同WSスタッフ記事「ファクトボックス」
○「ガザ地区のハマス政治局オフィスのメンバーであるバセム・ナイムは、ハマスがイスラエルに対して起こした作戦のメッセージは、パレスチナ人民の権利が尊重される時が来るまで、世界中の誰もが安全ではない、ということだと述べた。彼はまた、立案及び目標という点で10.7攻撃は「純粋にパレスチナ人(によるもの)」と付け加えた。」
(出所) 2024年10月9日付スプートニク通信記事。
○ヘズボラのシェイク・ナイム・カセムは、ハマスがイスラエルに対して起こした10.7を賞賛して、この攻撃は抵抗勢力が関与することによる西アジアの局面変化の開始を記すものだと述べた。
(出所)2024年10月8日付プレスTV。
○ナイジェリアの政治アナリストであるハルン・エルビナウイが挙げた10.7の意義。
(出所)同上。
*10.7は、抑圧されてきたパレスチナ人民の勝利の日として、また、解放闘争の歴史における画期的な出来事として歴史に刻み込まれるだろう。○イスラエル軍が押収し、ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)が入手したハマスの秘密会合記録には10.7攻撃に関する詳細な計画の記録がある。攻撃を決定するに当たっては、イスラエルとサウジアラビアの関係正常化を妨害しようとする考慮も働いていた(ことが明らかにされている)。
*数十年に及ぶテル・アビヴ当局による植民地主義及び占領と抑圧に対抗する歴史的軍事作戦の成果を見ることが重要である。
*10.7作戦は、パレスチナ闘争を世界世論の最前線に持ち出した。
*10.7作戦は、イスラエル当局と密かに外交通商関係を保ち、76年に及ぶパレスチナ不法占領を可能にしてきたムスリム諸国をさらけ出し、いくつかのアラブ支配者と不法イスラエル当局との秘密の関係を暴き出した。
*この歴史的作戦は、邪悪なアメリカ帝国とイギリス当局のジェノサイド的悪行を暴露した。イスラエル殺人者が約42000人(浅井:現在では43000人超)の無辜のパレスチナ市民を虐殺するのに使用したほとんど全ての爆弾はアメリカの提供によるものである。
*アメリカ人が口にする人権は中身の空っぽなレトリックである。アメリカ当局は、人権、なかんずく多くのムスリム諸国に対する極めつきの敵である。
*全世界は今日、イスラエルによるガザにおけるジェノサイドに、西洋文明のジェノサイド的証を見届けている。
(出張)2024年10月12日付NYT
<10.16>
シンワルの死が持つ(持ちうる)政治的意味に関しては、10月20日付のウォールストリート・ジャーナル紙(WSJ)及び同日付のNYTが掲載した分析記事が興味深い見方を示しています。虎は死して皮を残す、といいますが、シンワルは『死せる孔明、生ける仲達を走らす』で、アラブの親米諸国政府がパレスチナの大義に共鳴する自国の世論に直面して右往左往する状況を、WSJ及びNYTが一様に懸念している様を窺うことができます。<WSJ「死によってより広い支持を獲得した(?)ハマス指導者」(原題:"In Death, Hamas Leader May Have Won Wider Support Than When He Was Alive")>
シンワルの死に様は、多くのパレスチナ人とアラブの人々における(シンワルに対する)再評価を促すとともに、アラブ諸国政府に対してもシンワルの死に対する反応の仕方に一定の制約を課すものとなった(浅井:イスラエル政府は、シンワルが多くの人質を自分の近くに置くことで身の安全を確保しているとして、「卑怯なシンワル」というレッテル貼りを行ってきましたが、シンワルはほぼ単独で壮絶な死に方をした事実(11月4日の報道では、検視の結果、シンワルは死に至る3日間何も食べていなかったことが判明したことが紹介されています)、そして、イスラエル軍がシンワルの最後のビデオ映像を国内向けに流したことで、シンワルが最後まで戦士であったことが周知された事実は、パレスチナ人ひいてはアラブ世界におけるシンワル評価を高めたとする評価が一般的です)。アナリストは一様に、サウジアラビア、ヨルダンそしてエジプトといったアメリカの主要同盟国は特に微妙な立場に置かれていると指摘している。これらの国々の人口の多くはパレスチナの大義(ハマス自身に対するものではないかもしれないが)に対して共鳴しているのに対して、これら諸国政府はハマスをテロ組織と指定したことがあり、ハマスのイランとの関係に対して懸念を持ってきた。
カタールの独立調査機関である紛争人道研究センターの非常勤研究員、ムイン・ラッバニは、「シンワルの死に様は、敏感な時期にこれらの国々を窮地に追い込んだ」と指摘し、その背景として、「これらの国々の人々の政府に対する態度は、『政府の外交は何も達成できていないのに対して、もっと力の弱いハマス、ヘズボラはイスラエルを苦しめている』とするもの」であると説明している。ラッバニはさらに、「人々は、自分たちの指導者が有効な戦略を持たず、もっぱら米欧に依存していると見ており、それは自らの無能さを認めているということだと見なしている」と付け加えた。
中東地域全体の諸政府にとって頭が痛いのは、政府がイスラエルに対してより強い立場を取ることを要求する親パレスチナのデモの波が起こった場合に、それにどう対処するかという問題である。
<NYT「イスラエル抜きで進む中東のシフト」(原題:"A Mideast Shift Is Underway, Without Israel")>
1年前、サウジアラビアはイスラエルとの正常化取引でイスラエルを承認し、中東の様相を根本的に変え、イラン及びその同盟者をさらに孤立させようとしていたが、パレスチナ国家樹立については置き去りにするものだった。ところが今、平和取引の促進剤になると理解されていたハマス指導者殺害があったというのに、サウジとイスラエルの取引は遙か彼方へと追いやられている。
その代わりに、サウジは伝統的仇敵であるイランとの関係改善を進め、イスラエルとの外交関係については、イスラエルがパレスチナ国家を受け入れることを条件とすると主張しており、目を見張るような方向転換だ。 中東では外交上のデタントが進んでいる。しかし、それはイスラエルのネタニヤフ首相が構想していたものではない。10月、湾岸諸国外相はグループとしては初めてのこととなるイラン外相との会談を行った。これは、リヤドとテヘランとのライバル関係によって数十年にわたって血で染め上げられていたこの地域で大きな変化が起きていることを表している。
その後もテヘランの活動は続き、アラグチ外相はサウジ、イラク、オマーン、ヨルダン、エジプトそしてトルコを歴訪した。イランのメディアによれば、イラン外相によるエジプト訪問は12年ぶりになる。アラグチはトルコ到着に当たって、「この地域では、我々は戦争の広がりそしてガザとレバノンの戦争さらには避難民といった共通の悲しみに直面している」と述べた。
ネタニヤフは相変わらずパレスチナ国家創設を拒否し続けているが、サウジは新聞、公のスピーチを通じて二つの国家による解決を交渉テーブルの上に乗せている。そしてサウジは、イスラエルがサウジの承認を獲得するためには、二つの国家方式(をイスラエルが受け入れること)が唯一の道であると述べている。
何が変わったのか。ガザからは、瓦礫の下敷きになって生き埋めになっている子供たち、息絶えた赤ん坊に絶望する母親、イスラエルが援助物資の搬入をブロックしているために飢えきったパレスチナ人等々のイメージがあふれ流れ出しており、そのため、サウジ指導部としてはパレスチナ国家問題を無視することはもはや不可能になっている。
サルマン皇太子(MBS)に近いサウジのビジネスマンであるアリ・シハービは、「ガザがやり遂げたのは、イスラエルのこの地域への統合にブレーキをかけるということだ」と述べた。「サウジは、イスラエルが立場を変え、パレスチナ国家創設に本気でコミットしないのであれば、イスラエルといかなる関係を持つことも害になるだけだ、と見ている。」
今のところ、サウジ以下の湾岸諸国はイランの外交的歩み寄りの本気度に懐疑的である。イランの代理人と目されるハマスとヘズボラはイスラエルになぎ倒されたが、サウジを攻撃してきたイエメンのフーシ派に対しては、イランは相変わらず武器支援を続けている。
しかし、シハービは、「イランが手を差し伸べてくる限り、サウジはそれに応じるだろう」と述べるとともに、イランが本気であれば、「中東再編が本物になるだろう」と付け加えた。サウジは民主国家ではないが、シハービは、MSBは世論の動向に敏感であると指摘する。その世論はこの1年間でイスラエルに対して厳しくなっている。
湾岸地域は世界有数の若年人口国であり、サウジの場合、平均年齢は2022年で22歳である。市民の多くは、ソーシャル・メディアを通じて絶え間なく流れてくるガザの惨状に釘付けとなり、その結果、イスラエルに対するこれまでの前向きの立場を変えている。
2023年10月7日に先立つ数ヶ月間、サウジはイスラエルとの協定を計画していた。この協定では、イスラエルとの関係正常化と引き換えに、アメリカとの防衛協定拡大と民用原子力計画に対するアメリカの支持提供が予定されていた。
リヤドは長年にわたって二つの国家方式による解決の強力な支持者だったが、MBSが権力基盤を固め、サウジの内外政策を差配するようになるにつれて、二つの国家は対外政策上の優先目標ではなくなっていた。昨年行われたイスラエルとの正常化交渉では、パレスチナ国家はもはや条件として提起されることもなかった。シハービその他の事情通によると、リヤドが要求したのは、ヨルダン川西岸を統治するパレスチナ自治政府による領土支配権限を拡大するということだった。
しかし、ガザの事態はリヤドの曖昧なアプローチに鉄槌を下すものだった。MBSが9月18日に上級諮問委員会に対して行ったスピーチ(原注:アメリカの年頭教書に相当)の中で、彼は「サウジは、東イエルサレムを首都とする独立パレスチナ国家創設への努力をやめることはなく、そのことが満たされない限り、イスラエルと外交関係を樹立することはしない」と述べた。これは(ガザ事態勃発以来)最初となる、パレスチナ国家支持表明だった。