アメリカとNATOがウクライナに対して西側供与の武器でロシア領内を攻撃することを許可したのは、この行為がロシアによる核報復を招くことはないという判断に基づくものです。しかし、この判断の底流には、"ロシアがちらつかせる核による報復はしょせん'虚仮威し'に過ぎない"とする米西側の認識が働いています(6月10日のコラム参照)。要するに、ロシアの核戦力は米西側に対する「デタランス」としての威嚇・脅迫の役割と機能を果たしていないということです。
 ロシア国内では、ロシアの核報復の意志に対する西側の軽視を根本から改めさせないと、なし崩し的な戦争のエスカレーションは最終的に核戦争に行き着かざるを得ない、という危機感・問題意識が高まっています(5月30日のコラム参照)。この危機感・問題意識の高まりは、ロシア外務省のリャブコフ次官が現行核ドクトリンの改定の可能性に言及したことに端的に反映されています(6月11日付ロシア・トゥデイ(RT))。
 ロシアにおける危機感が掛け値なしのものであることは、RTが紹介したドゥミトリー・スースロフとドミトリー・トゥレーニンの文章から明確に理解することができます。両者に共通するのは、核戦争勃発の温床とも言うべき米西側の核「不感症」に対する危機感であり、この「不干渉」を払拭し、米西側を「正気」に戻すために、ロシアがなすべき方策について論じる姿勢です。特に、6月10日付RTが紹介したトゥレーニンの文章は、現行核ドクトリンの改定すべき内容を具体的に提起(核兵器使用のカギとなる条件を「国家存続に対する脅威」ではなく、「国家の死活的利益」とするべきである)しており、上記リャブコフ発言と時期的・内容的に符合する点で重要だと思います。
 「核戦争反対」は念仏であってはなりません。国際社会は、ロシアの危機感・問題意識を共有し、ウクライナ問題の根本(NATOのロシアを包囲する東方拡大戦略が原因で、ロシアのウクライナに対する特別軍事行動は強いられた結果であるという因果関係)を踏まえて、米西側の軍事一本槍政策を厳しく批判し、米西側が問題の政治解決に「舵を切る」よう国際的圧力を強めることが喫緊の課題となっています。ちなみに、中国のウクライナ問題の平和的政治解決案はブラジルも賛同して中伯共同提案となり、50カ国以上(中国外交部報道官の紹介では100カ国以上)の賛同を得ていると言われます。私たちも「他人事」意識を払拭し、国際社会の一員としての当事者意識を我がものとすることが求められていると痛感します。
 スースロフとトゥレーニンの文章(要旨)を紹介するゆえんです(強調は浅井)。

<スースロフ:「核実験のデモンストレーションを考える時」(原題:"It's time for Russia to think about a 'demonstrative' nuclear test")>

*この文章は5月29日にプロフィル(WS)に掲載された文章を、RTが英語に翻訳して5月30日に掲載したものです。ロシア語原題は"Пора подумать о демонстрационном ядерном взрыве"で、RTの英語タイトルは原題に忠実であることが分かります。なお、スースロフは外交防衛政策ロシア評議会メンバー、モスクワ高等経済学院世界経済・国際政治学部副学部長、ヴァルダイ・クラブ専門家とのこと(RT紹介文)。
 (米西側がウクライナに対して西側供与武器によるロシア領内攻撃許可の動きを強めていることを紹介した上で)そうした決定は紛争を根本的に違うレベルへと導くものであり、2022年2月24日以来存在してきたもっとも明確な「レッド・ライン」のうちの一つを取り除くことを意味し、アメリカ及びNATOブロックがロシアに対する戦争に直接参加することのシグナルとなる。
 西側が今になって原則放棄を議論しているのには、少なくとも二つの理由がある。第一かつ主要な理由は、戦場におけるウクライナ軍の劣勢が増していることである。(この点に関しては)NATO指導者が、(戦場の)結果次第で新世界秩序の性格が決定されるので、結果如何はウクライナにとってだけではなくNATO諸国にとっても死活的に重要である、と一貫して言い続けて来ていることを忘れてはならない。換言すれば、西側自体がウクライナ紛争に世界戦争としての位置づけを与えており、ウクライナの敗北は自らの戦略的敗北、西側中心の国際秩序の最終的崩壊を意味する、と捉えているのである。したがって、前線の状況が悪化すればするほど、西側がエスカレーションのリスクをとる意志はますます大きくなるだろう。
 第二の理由は、西側が「レッド・ライン」を踏み越えて紛争関与を深める毎に、ロシアは西側との関係悪化のエスカレーションを躊躇してきたことである。その結果、西側はロシアの軍事行動開始当初はエスカレーションに対する危惧が高かったのに、次第に危機感を失ってきている。このことは、西側文献が繰り返し指摘するところである。その結果、ウクライナ敗北のコストはロシアとの直接軍事対決のリスクよりもはるかに大きいと信じ込むようになった。今では、ロシアが西側諸国に対して軍事的損害を与えることはないと論じる向きがますます大きくなっている。
 このロジックの行き着く先は必然的に第三次大戦ということになる。西側のウクライナ紛争へのこれ以上の関与を今ストップさせなければ、ロシアとNATOとの全面戦争は不可避となるだろう。しかも、非核戦力におけるアメリカ及びNATO31カ国の優位性故に、この戦争は必然的に核戦争に移行するだろう。ロシアの現行核ドクトリンのもとでも、以上のシナリオは核兵器使用を是とする公的根拠となる。
 カタストロフィに直結する事態の発展を防ぐ唯一の方法は、ロシアによるデタランス・脅迫を劇的に増大させる政策の採用である。他方、ウクライナに対していかなる政治的条件も課さずかつウクライナと西側との安全保障関係のあり方に関しても条件を課すことなく、現状のままで軍事行動を「凍結する」という選択肢(西側の一部から提起されているもの)は問題外である。
 ロシアは、以下のことをアメリカとNATOに言い渡すべきである。
 第一、ロシアの「昔からの」領土(浅井:ロシアが併合したクリミア及びウクライナ南部4地方を除くロシア領)に対する攻撃が行われた場合には、世界のどこに存在するかにかかわらず、アメリカを含む関係国のいかなる施設をも攻撃する権利を留保すること。
 第二、ロシアのかかる攻撃に対して米・NATOがロシア領に対して非核攻撃を行う場合には、ロシアは、核デタランス・ドクトリンに全面的に基づいて、核兵器を使用することがあり得ること。
 第三、核兵器国であるイギリス及びアメリカの施設に対する攻撃の可能性並びにアメリカが直接軍事反応する可能性が取り沙汰されていることに鑑み、現在行われている戦術核兵器使用演習に加え、戦略核兵器使用演習を行う可能性もあること。
 最後に、ロシアの本気度(the seriousness of Russia's intentions)を確認し、ロシアがエスカレートする用意があること(Moscow's willingness to escalate)を相手側に確信させるため、核実験デモンストレーションも選択肢に入っていること。テレビを通じて核のキノコ雲を生で世界中に放映することは、1945年以後大国間の戦争を防止してきた核戦争の恐怖を西側の政治家に思い起こさせることが期待できるだろう。

<トゥレーニン:「核兵器が世界を救うことができる理由」(原題:"Here's how nuclear weapons can save the world")>

*この文章は、インターファックス通信に掲載された文章(浅井:日付の記載なし)を、RTが英語に翻訳して6月10日に掲載したものです。ただし、最初に掲載された時は上記表題でしたが、翌日(6月11日)に「ロシアが第三次大戦を防止できる理由」(原題:"Here's how Russia can prevent WW3")と改題の上で再掲載されました。インターファックス通信に掲載された際の原題を検索してみたのですが、「昔取った杵柄」はもはや通用せず、見つけられませんでした。この点について情報をいただけるとうれしいです。なお、トゥレーニンは、5月30日のコラムで紹介したように、核デタランス論争の火付け役・カラガノフを支持する立場で発言した人物で、世界経済国際関係研究所主任研究員、ロシア国際問題評議会(RIAC)委員です。
 核デタランスは神話ではない。核デタランスのおかげで冷戦時代は安全だった。
 デタランスは心理的な概念である。核武装した相手に対し、こちらを攻撃することで所期の目標を達成することはできず、戦争に訴えれば確実に自らも絶滅の運命にあることを確信させなければならない。対決していたソ連とアメリカとの間の相互核デタランスは、大規模な核攻撃の応酬によって双方が確実に破壊されるという事実によって補強されていた。ちなみに、相互確証破壊の略語はMAD(気が狂った)である。正に的確な表現だ。
 核デタランスが「神話化」されたのにはいくつかの理由がある。冷戦終了後、核戦争を引き起こすと考えられる理由が消滅した。経済協力を特徴とするグローバリゼーションの新しい時代が夜明けを迎えた。歴史上初めて、アメリカによる単独ヘゲモニーが世界規模で確立した。核兵器は、対決時代より数を減らしながらも大国の武器庫にあったが、核兵器が使用される懸念は色あせた。
 もっと危険な理由としては、新しい世代の政治家が登場したが、彼らには対決時代の記憶及び核兵器保有に伴う責任感と無縁であることが挙げられる。とりわけ、アメリカの(自分だけは別格だとする)例外主義への確信と欧州の自己保全意識ゼロの「戦略的寄生主義」が結合していることは危険極まりない。ウクライナにおける非核代理戦争のもとで、核兵器国であるロシアを戦略的に打ち負かそうとするアイデアが生まれたのは以上の環境のもとであった。
 このアイデアのもとではロシアの核戦力は無視されている。ロシアは1962年のキューバ・ミサイル危機を引き合いに出してアメリカの自制を喚起したが、アメリカはこじつけだとして無視した。
 以上の状況に直面して、ロシアはデタランスを活性化することを強いられた。(具体的には)ベラルーシと協定を結んで、ロシアの核兵器が同国に配備された。最近、ロシアの非戦略核戦力が演習を開始した。ところが、西側諸国は相変わらずウクライナ紛争のエスカレーションを追求している。思い切った歯止めをかけないと、NATOとロシアとの直接軍事対決そして核戦争につながりかねない事態となっている。
 この最悪のシナリオは、ロシアがさらにデタランスを強化すること、より正確に言えば、西側の「核感覚をしらふに戻す」('nuclear sobering up')ことによってのみ防止することができる。西側が認識しなければならないのは、核兵器国・ロシアの死活的利益がかかっている非核戦争に勝利することは不可能ということであり、西側があくまでこの戦争に執着する場合には自らの壊滅を招くということである。これこそが伝統的核デタランスの要諦である。
 デタランスという言葉自体には防衛的な意味合いが含まれるが、理論的に言えば、デタランス戦略は「攻撃的」意味合いにおいても使われ得る。攻撃的な意味における核デタランスとは、一国が敵側に対して壊滅的な第一撃を与えることに成功し、なおかつ、敵側が反撃してくるならば、手元に残った戦力で敵側を完全に破壊し尽くすと脅迫しうるケースが該当する。米英版のデタランスは正にこれで、文字通り「脅迫する」ことを中心概念としている。ちなみに、フランスは「デタランス」に代えて「ディスエイジョン」(思いとどまらせること)という言葉を使っている。

(核デタランス政策に対する非核兵器のインパクト)

 非核兵器が核デタランス政策に影響を及ぼすことは間違いない事実である。アメリカは目標を達成するために巨大な非核兵器庫を作り上げてきた。アメリカは軍事同盟を解体しないどころか、それを拡大し、新たなネットワークを作り上げてきた。アメリカは、アメリカが率いるグローバル・システムを保全するという名目のもと、同盟諸国がコミットメントをますます増強するように要求している。ラムシュタイン・フォーマット(ウクライナ防衛コンタクト・グループ)のもと、50カ国がウクライナに対する軍事支援を組織する会合に加わっている。こうして、核兵器に訴える必要のない条件の下で核兵器国を打ち負かすことは可能だという考え方が導き出された。アメリカにとって残された唯一の課題は、核兵器国・ロシアに対して、人類全体を救うという大義の下、いかなる状況下でも核兵器を使用せず、自らの敗北を受け入れるように仕向けることである。
 このようなとてつもなく危険な幻想は、核デタランス戦略の活性化によって一掃することができるし、また、そうしなければならない。そのためには、核兵器使用に関する現在の敷居が高すぎるので、この敷居を低くしなければならない。核兵器使用のカギとなる条件を「国家存続に対する脅威」ではなく、「国家の死活的利益」とするべきである。

(核兵器国間関係における新局面の開始)

 世界の核兵器国間の関係において、新しい局面が始まったと言える。ところが我々多くの心理は1970年代、1980年代の心地よい状況の次元にとどまっている。当時は、米ソ関係は戦略的政治的パリティに立脚しており、アメリカは対等の立場でソ連とやりとりすることを強いられていた。しかし、1991年以後、このパリティは失われた。アメリカからみれば、ロシアはもはや階段を転げ落ちていく斜陽国家である。ウクライナ紛争の開始に当たって、アメリカはウクライナの戦場が超大国・ロシアの墓場となるという希望を抱いた。アメリカはその後いくらか酔いから冷めたとは言え、米ロ対等のステータスを承認することは議論にも値しないと考えていることには変わりがない。ここに、冷戦時代と今日との根本的な違いがある。そして、ロシアはアメリカの認識が間違っていることを証明しなければならない。
 今日のロシアは、アメリカが率いる西側との対決が長期間、おそらく一世代間は我々を待ち受けていると想定しなければならない。ロシアの将来、ロシアの世界における立場・役割、そしてグローバル・システムのあり方は、この対決の帰趨如何にかかっている。結果を左右する正面舞台はウクライナではなく、ロシア国内(経済、社会、科学テクノロジー、文化芸術)である。なぜか。敵は、ロシアを戦場で打ち負かすことは不可能であることを認識しているが、ロシア国家は一度ならず内的混迷によって崩壊してきたことを記憶しているからである。だからこそ、彼らは資源的優位性を後ろ盾にして持久戦にかけているのだ。

(世界多極化の反映としての核多中心化)

 冷戦時代は米ソ二極だったが、今日では、中国が米ロとのパリティを目指しているし、インド、パキスタン、朝鮮そしてイスラエルは、英仏(NATO加盟国)とは異なり、独立した立場を維持している。したがって、冷戦時代の戦略的安定という概念は今日の核状況の性格付け・特徴づけとしては不十分だし、当てはまらない。
 姿を現しつつある多極的世界秩序の下における戦略的安定とは、核兵器国間において直接的にも間接的にも軍事衝突が起こる理由がない状況を指すものでなければならない。そして、この状況は、核兵器国が互いの利益を尊重し、平等及び安全保障の不可分性という基礎の上で問題を解決する用意がある場合に可能となる。以上の意味での戦略的安定を9カ国の間で確保するためには大変な努力が必要であるし、何にも増して根本的に新しい世界秩序モデルの形成が必要となるだろう。また、この戦略的安定は、ロシア-中国、アメリカ-インドといった国家の組み合わせにおいて現実性を持つことになるだろう。ロシアに関して言えば、5核兵器国との戦略的安定は問題なしであり、アメリカ、イギリス及びフランスとの戦略的安定だけが問題となる。