ロシア・ウクライナ戦争はウクライナの劣勢が顕著になる中で、フランス、イギリス、ポーランド、バルト三国など、ロシアに対して強硬な立場を取る国々から、地上軍派遣、ウクライナに供与したミサイルによるロシア攻撃許可など、ウクライナに対する軍事支援を強化する趣旨の主張が高まっています。ウクライナの敗北を認め、問題の政治的解決に踏み切るべきだとする主張も出てきていますが、それはまだごく一部の識者・専門家に限られています。
 NATOのストルテンベルグ事務総長は5月24日にエコノミスト誌とのインタビューの中で、ウクライナに武器を供与している国々に対して、「(ウクライナに課している)制限のいくつかを解除することを考える時が来た」と述べ、ウクライナが「脚の長い」武器でロシア国内の軍事目標を攻撃することを武器供与国が許可するべきだと主張しました。5月27日には、NATO加盟国国会議員会議が宣言を採択し、ウクライナが西側供与の武器でロシアを攻撃することを禁じてきた制約を撤回することをNATO諸国に要求しました(翌28日付ニューヨーク・タイムズ(NYT))。また、EUのボレル対外上級代表は5月28日、EU諸国国防相がこの問題について同日討議することを明らかにしつつ、このことが「エスカレーションのリスク」を伴うことを自ら認めました(同日付スプートニク通信)。フランスのマクロン大統領も同日、ドイツのショルツ首相との共同記者会見の席上、「砲撃・爆撃の起点となっているロシア領内の軍事施設を破壊することをウクライナに認めるべきだ。ただし、それ以外の軍事及び民間の対象を攻撃することは認めるべきではない」と主張し、「我々はウクライナにおけるエスカレーションを望んでいない。しかし、ウクライナに武器を供与しておきながら、防衛のための使用を認めないと言うことができるだろうか。砲撃・爆撃の起点となっているロシア領内の軍事施設を破壊することをウクライナに許すことはエスカレーションには当たらない」と強弁しました(同日付スプートニク通信)。
 ウクライナに課しているロシアの核反撃の可能性を未然に防止することを対ウクライナ支援政策の前提に据えてきたバイデン政権(今年の年頭教書でも確認)ですが、5月14日にウクライナを訪問してゼレンスキー大統領と会談したブリンケン国務長官は、その後の共同記者会見の席上、「アメリカが供与した兵器をどのように使うかはウクライナが決めること」と発言(ウクライナ・クレバ外相との共同記者会見)し、さらに帰国後はこれまでの政策の前提を見直すべく米政府内部の工作を行っている、と伝えられています(5月29日付のNYTとウォールストリート・ジャーナル紙は、政策転換が近いとするブリンケン発言を報道)。
 これらの発言は、今回のコラムで紹介するロシアの非戦略核演習が初めて公表され、演習が実施されているさなかに相次いで行われた、という点に事態の深刻さが浮き彫りになります。後で紹介するように、核兵器使用の敷居を低くすることを主張するロシアの専門家の判断の立脚点は、米ソ冷戦時代に西側諸国が核の恐怖のもとでの「冷たい平和」に慣れきってしまい、その「平和」が核デタランスに基づく、極めて不安定でもろいものであることを忘れてしまっている、という認識にあります。したがって、西側諸国に核の恐怖に関する認識を新たにさせるためには核兵器使用の敷居を低くする必要がある、とするのです。如上の西側諸国の動きは、非戦略核演習の公表・実施がストルテンベルグ、ボレル、マクロン、ブリンケンに影響を及ぼすに至っていないこと、つまり、「平和ボケ」がそれだけ深刻である可能性を示すものとして、ロシアをしてますます核デタランス強化の必要を確信させる可能性が高いと思われます。
 そのことは、5月28日、ウズベキスタンを公式訪問したプーチンが記者会見で行った発言(ロシア大統領府WS)に直ちに現れています。プーチンは、攻撃目標設定及び発射ミッションは高度な技能を備えたスペシャリストのみが技術的偵察データに基づいてなし得る領域であることを紹介し、それはウクライナ軍がなし得ることではなく、ストーム・シャドウ、ATACMSなどのミサイル・システムを提供したNATO諸国の専門家によってのみなし得ることを強調しました。その上で、以下の発言が続きます。

 したがって、NATO諸国、特に欧州諸国、とりわけ欧州小国の関係者は何が危機に瀕しているのかについて十二分に理解するべきだ(these officials from NATO countries, especially the ones based in Europe, particularly in small European countries, should be fully aware of what is at stake)。彼らは、自分たちの国が小さくかつ人口稠密であることを心に留めるべきであり、これはロシア領土内部に対する攻撃について語る前に判断材料とするべき要素だということだ(They should keep in mind that theirs are small and densely populated countries, which is a factor to reckon with before they start talking about striking deep into the Russian territory)。
 このように述べた上でプーチンは、西側諸国で強硬論が台頭している直接原因はハルコフ(に対するロシア軍の侵攻に対する警戒感の高まり)だが、敵側がロシアの住宅地帯を攻撃し続ける場合には、ロシアとしては安全(緩衝)地帯を作らなければならなくなると6ヶ月前から警告しており、今回の事態(ハルコフ)を挑発したのは敵側だと強調しました。その上でさらにプーチンは、ロシアの特別軍事行動を導いたドンバス問題に言及し、敵側は平和的に問題を解決すると言ってロシアをだましながら軍事手段に訴え、ロシアを戦略的敗北に追い込もうとしたことをリマインドし、その時もロシアは敵がロシア領(ボルゴグラード)を犯そうとする時には安全地帯を作り出すことを強いられると警告した、と指摘しています。
 こうした過去の事例を紹介しつつプーチンは、敵側は自分たちが原因を作ったことについてはいっさい頬被りを決め込んで、もっぱらロシアが新しい戦線を作り出すとあげつらうと難詰します。そしてプーチンは、彼らは自分が巻いた不誠実な種を自ら刈り取らなければならないと結論づけます。そして、以下の発言が続きます。
 今問題になっている長距離精密兵器の(ロシアに対する)使用ということに関しても同じことが起こりうる。もっと一般的に言って、この果てしのないエスカレーションは深刻な結果につながる可能性がある(More broadly, this unending escalation can lead to serious consequences)。仮に欧州がこのような深刻な結果に直面するとしたら、米ロ間の戦略的軍事パリティを考慮した上で、アメリカは何を行うのだろうか(If Europe were to face those serious consequences, what will the United States do, considering our strategic arms parity?)。答えることは難しい。
 彼らはグローバルな紛争を望んでいるのか。彼らは戦略兵器について合意することを望んでいたと考えるが、彼らが本気でそうしようとしているかは見えない。そのことについて話はするが、合意が実現するためにたいしたこともしていない。次にどうなるかについてはwait and seeだ。
 前置きが長くなりました。しかし、以上の最近の彼我の言動を踏まえる時、ロシアの非戦略核兵器演習の公表及び実施並びにその背後にあったロシア国内の「核デタランス」論争の内容を理解することの重要性は大きいことが理解されると確信します。

<ロシアの非戦略核演習の公表と実施>

(ロシア国防省声明)

 5月6日、ロシア国防省は声明を出し、プーチン大統領の命令により、「近い将来」に「非戦略核兵器の準備及び配備に関わる実際的側面」の検証を目的とする演習を行うと発表しました。声明は、演習を行う目的については、「非戦略核兵器の準備及び配備の実際的側面」の円滑化並びに「ロシアの領土保全及び主権を保障するため」に「装備及び人員の即応性を強化すること」と述べ、また、演習の理由として、「西側当局者によるロシアに対する挑発的な声明・脅迫」を挙げました。また、ロシア・トゥデイ(RT)テレビ局は、この非戦略核演習は三段階で行われること、国防省の発表内容は第一段階のものであることを報道したということです。
 ロシア国防省の声明にある「西側当局者による挑発的な声明・脅迫」という点に関して、ロシア大統領府のペスコフ報道官は同日行われた記者会見で、フランスのマクロン大統領の発言(ウクライナが敗北に瀕するならば、西側は同国に地上軍を送ることを考えるべきだ)を取り上げ、また、イギリスの動き(浅井:ウクライナはロシア国内の標的を攻撃するためにイギリス(提供)の武器を使用するいかなる権利も有する、としたキャメロン外相及びシャップス国防相の発言)も踏まえつつ、「これは緊張エスカレーションのまったく新しいレベルで、かつてないものであり、特別の注目と措置を必要とする」("This is a whole new level of escalation of tensions, it's unprecedented, and of course it requires special attention and special measures,")として、西側の最近の動きが今回の演習決定の直接原因とする認識を強調しました。
 また、スプートニク通信(5月6日)は、同日発表されたロシア外務省声明の内容を次のように紹介しています。「これは緊張エスカレーションのまったく新しいレベルで、かつてないものであり、特別の注目と措置を必要とする」と述べたペスコフ発言をさらに敷衍展開したものであることは明らかです。
 ロシア外務省は、来るべき戦術核ミサイル(ママ)演習は、ウクライナに地上軍を配備し、また、ウクライナにおける代理戦争をロシアとNATOとの全面戦争にエスカレートしようとするそのほかの侵略的行動を取ることを脅迫する「西側諸国首都の「熱い連中」の頭を冷やす」助けになるはずだ、と述べた。
 この演習の狙いについては、西側当局者による最近の好戦的な声明、力任せにロシアに圧力をかけ、ロシアの安全保障に脅威を加えようとするNATO諸国による情勢を深刻化させようとする西側の行動、という脈絡のもとで理解しなければならない。
 この(西側の)行動には、より先進的な兵器のウクライナへの移転を含む「直接支援」に加え、欧州及びアジアを軍事化するべくロシアとの軍備管理協定を無効にするアメリカの決定を含む。
 この演習は、西側が作り出している戦略的リスクがどのような破局的結果をもたらすかを認識させ、ウクライナ支援及びロシアとの直接軍事対決を慎まなければならないことを認識させるためのものである。
 モスクワは、NATOがウクライナに引き渡すことを検討しているF16戦闘機は核兵器搭載可能であり、その供与決定は「意図的挑発」となるとすでに指摘している。外務省は次のように強調する。すなわち、ポーランドが自国領土にアメリカの核兵器を配備する用意があると述べていること、フランスの傭兵がすでにウクライナで戦闘に就いているという報道等も含め、西側ブロックのこうした努力は、「我が国に「戦略的敗北」を負わせようとする敵対アプローチの一環として、ウクライナ危機をNATOとロシアの直接軍事衝突にエスカレートさせようとする」意図的な行動を意味するものである。
 モスクワは、「キエフ当局及び西側煽動者は、自分たちの向こう見ずな動きは情勢をさらに爆発的な「臨界量」に近づけていることを最終的に認識するべきであり」、自らの立場を再考することを強く促した。

(演習「第一段階))

 5月21日、RTは「ロシア、戦術核演習開始」(原題:"Russia launches tactical nuclear drills")と題する記事で、「ロシア南方軍管区の部隊は戦術核演習の第一段階を5月21日に開始した旨、国防省が確認した」と報じました。さらにこの記事は、「国防省は、一週間前に演習を公表する際、ロシアと西側とのエスカレーションが続く中で、この演習は、いかなる外部の脅威にも対応する能力を証明することで、デタラントとしての役割を担うことが意図されている、と説明した」と付け加えています。(浅井:私が毎日直して残している資料にはロシア国防省の一週間前の演習公表に該当するものは見当たりません)。この記事は、今回の非戦略核兵器演習がロシアの核デタランス強化を目的とすることを明らかにしています。
(浅井注) 最初に断っておきますが、「デタラント」「核デタランス」とは日本語で「核抑止力」として理解されているもののことです。私も長らく「抑止」という言葉を使ってきました(例えば、2015年8月29日の「コラム」:「日米軍事同盟「肯定」論の虚妄性-「抑止力」という言葉の魔術性を考え直す-」)。しかし、誘いに応じて書いた文章「「抑止力」という言葉の魔術を考え直す」(2015年8月29日のコラム)で、「抑止力」は、日本国内の反核意識を考慮した日本政府による「デタランス」の意図的誤訳の産物であることを明らかにしました。「デタランス」の本質は「目には目を、歯には歯を」であり、「核デタランス」とは「核兵器(能力)による報復決意(意志)によって相手側に攻撃を思いとどまらせる」ことです。しかし日本政府(外務省)は、アメリカの「核の傘」(拡大核デタランス)受け入れに対する国内反核世論の反発を回避するため、「抑止」という当たり障りのない言葉を当てたのです。中国では「威懾」という「デタランス」の本質を表す訳語を使っています。後述するロシアにおける「核デタランス」論争も、この本質を踏まえた議論です。したがって、ここでも「デタランス」で一貫することを最初にお断りします。詳しくは、上掲2015年8月29日のコラムで確認願います。
 この脈絡で注目されるのは、同日(6日)付のスプートニク通信が掲載した「ブラフにあらず:ウクライナから手を引けというNATOに対する厳重警告」(原題:"Russia's Not Bluffing': Tactical Nuke Drills are Deafening Warning to NATO to Stay Out of Ukraine")と題する文章です。この文章は、米陸軍在籍20年のキャリアを持つ軍事外交オブザーバーであるアール・ラスムッセン(Earl Rasmussen)の同通信とのインタビュー発言を紹介するもので、米西側が読み取るべきロシアの警告内容を、アメリカ人・ラスムッセンをして米政府当局者に対して語らしめることが意図していることが読み取れます。
 ラスムッセンはまず、ロシア国防省、クレムリンそしてロシア外務省が一斉に出した声明について、「これはロシアが真剣であるという西側指導者に対するシグナルであり、ブラフではない」と指摘した上で、「西側指導者が直接関与によって事態をエスカレートするならば、ロシアは西側の軍事力を破壊するという直接的対応をするだろうし、ロシア国家を守るためには戦術核兵器の使用ということになり、最終的には全面核戦争になるだろう」と警告します。その上でラスムッセンは、「ロシアはそうすることを望んでいるとは私は思わない。彼らは西側指導者に対してこれ以上エスカレートするなという警告を送ろうとしているのだ、と私は確信する」、「(西側の敵対的アプローチは)極めて重大な挑発、エスカレーションであり、それをするなと言いたい」と強調しています。
 "米西側の軍事エスカレーションに対して核デタランス強化で対抗せざるを得ない。しかし、ロシアは戦術核兵器使用を決断せざるを得ない事態に立ち至ることは回避したい。だから西側はこれ以上挑発的エスカレーションをするな"。これが戦術核演習実施声明に込められたロシアの本心であることを読み取ることは難しいことではありません。

(演習「第二段階」)

 5月23日から2日間ベラルーシを公式訪問したプーチンは、今回の非戦略核演習の「第二段階」として、「ベラルーシの今次演習への参加」を公言しました。この第二段階の演習内容に関しては、核兵器の貯蔵施設から部隊への運搬、ミサイルへの核弾頭装着、核部隊の展開が含まれます(5月23日付RT)。ちなみに、ベラルーシに対する戦術核兵器の配備は、同国の要請に対して2023年3月にプーチンが応じることを表明して行われました。具体的には、イスカンダル戦術ミサイル・システムの配備及びベラルーシ戦闘機に対する戦術核兵器搭載のための改修が行われました。
 会談後にルカシェンコ大統領とともに記者会見(5月24日)に臨んだプーチンは冒頭発言の中で、「我々は、非戦略核兵器の実戦使用のための演習を両国で同時に行うという指示に関する実施状況を検証した」と述べました。さらにベラルーシの記者の質問に対して、ルカシェンコが、2023年に同国に戦術核兵器が配備されてから、今回が3回目の合同訓練セッションになることを明らかにしたのを受ける形で、プーチンは「ロシアは従来から、戦略核演習とともに非戦略核デタランス戦力(non-strategic nuclear deterrence forces)を含む演習を定期的に行ってきている。唯一の違いは、ベラルーシにロシアの非戦略核兵器を配備してからは、ベラルーシとの合同演習を開始したことだ。ロシアは、ベラルーシの安全をロシアの安全と同視している」と述べました。さらにプーチンは、アメリカの戦術核兵器が配備されているところでは、NATO諸国も同じような訓練を定期的に行っていると指摘しつつ、「我々がやっていることは予定されていたルーティンの演習であり、何かをエスカレートさせることを目的にしているわけではない」と強調しました。

<ロシアにおける「核デタランス」論争>

 今回の非戦略核演習の発表に関して、RTは同じ5月6日に、昨年(2023年)6月から7月にかけてロシアの専門家の間で行われた「核デタランス」論争に関わるいくつかの文章・記事を再度まとめて掲載しました。私にとっては唐突感が否めず、しかし、今回の演習発表との関連性があることは明らかであるので、その関連性の所在を理解することにほぼ3週間にわたって悪戦苦闘させられました。以下に紹介するのは悪戦苦闘の経緯及び、その結果得られた結論です。

(論争の火付け役:カラガノフ文章)

 この論争の火付け役となったのは、2023年6月13日付で『ロシア・イン・グローバル・アフェアズ(RIGA)』誌(WS)に掲載されたセルゲイ・カラガノフ(Sergey Karaganov)署名文章「難しくても必要な決定」(原題:"A Difficult but Necessary Decision")です。この文章の再掲載に当たり、RTは冒頭の紹介文において、「この文章はロシア専門家の間で大議論を引き起こした」とし、その理由は、カラガノフがかつてエリツィン及びプーチン両大統領の顧問を務め、現在はモスクワの著名なシンク・タンクである外交防衛政策評議会(the Council on Foreign and Defense Policy)会長であることにあるとし、さらに「RTは、読者が全文を読むことが助けになるだろうと判断した」と意味深長な言葉で結んでいます。ちなみに、再掲載に当たってのタイトルは、「カラバノフ:人類をグローバル・カタストロフィから救うことになるロシアの核兵器使用」("Sergey Karaganov: By using its nuclear weapons, Russia could save humanity from a global catastrophe")でした。
(浅井注) 若干ややこしいのですが、カラガノフは最初、『プロファイル』誌に"By using its nuclear weapons, Russia could save humanity from a global catastrophe"というタイトルでこの文章を発表したのですが、ほぼ同時にRIGAが"A Difficult but Necessary Decision"というタイトルにしてロシア語と英語で掲載したということのようです。この事実関係については、カラガノフが同年(2023年)9月26日にRIGAで発表した文章「第三次大戦を如何に防ぐか」(原題:"How to Prevent the Third World War")の冒頭で自ら説明しています(ちなみに、カラガノフが9月26日の文章で意図したのは、6月の文章の内容を改めることではなく、当時の主張内容を補強し、新たな論点を補足的に紹介すると同時に、6月に彼に対して行われた批判に答えることにあると、彼自身が説明しています)。
 カラガノフの主張は多重かつ多岐にわたりますが、「核デタランス」という一点に絞って私なりの表現でまとめると、次のようになります。
*米西側は、米ソ冷戦時代の「核相互デタランス」によって辛うじて維持されていた「(冷たい)平和」に慣れきってしまい、「平和は所与のもの」と錯覚するまでの知的退廃に陥っている。
*米ソ冷戦に勝利した(と錯覚する)米西側指導層は世界支配を追求し、これに抵抗するロシア(その後は中国)を無力化(あわよくば抹殺)する戦略に乗り出している。
*ウクライナは当面の対決の焦点・天王山である。
*米西側は、ウクライナの反転攻勢を支援するため、対ウクライナ軍事支援を強化している。
*「平和」に安住しきった米西側は(ソ連時代より弱体化した)ロシアの核デタランス(ドクトリン)をもはや「ホンモノ」(=「ロシアは最終的に核兵器使用に踏み切る覚悟がある」)と受け止めていない。
*ロシアの核デタランスが「ホンモノ」であることを米西側に納得させない限り、全面核戦争という最悪局面(カタストロフィ)に行き着く。
*ロシアの核デタランスが「ホンモノ」であることを米西側に納得させる(=ウクライナから手を引かせる)には、核兵器使用に関するロシアの決意を米西側に認識させなければならず、「核(使用)の敷居」を低くする(=戦術核使用の決意)以外にない。

(「核デタランス」論争)

 この日(5月6日)のRTは、カラガノフの主張に触発されて2023年当時にRT上で掲載・転載された以下の文章・記事を同時に再掲載しています。
○6月16日付イルヤ・ファブリチニコフ(Ilya Fabrichnikov)署名文章「対西側核兵器使用の主張に反対する理由」(原題:"Why I disagree with the call for Russia to use its nuclear weapons against the West")。ファブリチニコフは外交防衛政策評議会委員。
○6月17日付RT記事「核攻撃呼びかけに対するロシア専門家の反応」(原題:"'Using nuclear war to save the world is like using a guillotine for a headache': Russian experts respond to call for atomic strike") 5人の専門家の発言を収録。5人とは、アレクセイ・マカルキン(Alexey Makarkin ポリティカル・テクノロジー・センター副議長・教授)、セルゲイ・ポリェタエフ(Sergey Poletaev ヴァトフォー・プロジェクト共同創設者・編集長)、アレクサンダー・ドゥギン(Alexander Dugin 哲学者)、エレナ・パニーナ(Elena Panina 元国会議員・国際政治経済戦略研究所所長)、イルヤ・グラシュチェンコフ(Ilya Grashchenkov 政治学者・地域政策開発センター所長)。原題にある「世界を救うために核戦争に訴えるというのは頭痛対策にギロチンを用いるようなもの」とは、パニーナの議論の要諦。
○6月22日付ドミトリー・トゥレーニン(Dmitry Trenin)署名文章「ロシア・ルーレット(核戦争)をもてあそぶアメリカと同盟国」(原題:"The US and its allies are playing 'Russian Roulette'. You'd almost think they want a nuclear war")。トゥレーニンは世界経済国際関係研究所主任研究員、ロシア国際問題評議会(RIAC)委員。
○6月26日付フョドル・ルキャノフ(Fyodor Lukyanov)署名文章「核爆弾使用で西側をしらふにできない理由」(原題:"Why Russia cannot 'sober up the West' by using a nuclear bomb")。ルキャノフはRIGA編集長、外交防衛政策評議会幹部会議長、ヴァルダイ国際ディスカッション・クラブ研究ディレクター。
○6月27日付セルゲイ・カラガノフ署名文章「対西欧核攻撃を考慮すべき理由」(原題:"Here's why Russia has to consider launching a nuclear strike on Western Europe") 。RTは、「カラガノフは(核兵器使用の)ルールを緩めることを唱えたが、異なる意見のものもいる。例えば、ルキャノフは核兵器使用で西側をしらふにはできないと考え、ファブリチニコフはNATOの餌に食いついて究極兵器を使用するべきではないと考えている」とする紹介文を添えた上で、これらの批判に答えるカラガノフの文章を再掲載。
 日本における議論との比較でいえば、ロシア国内では「核デタランス」そのものを否定する主張は、議論に値しない「平和主義」・「平和主義者」と一括りにされて脇に追いやられます。ロシアにおける論争では、「核デタランス」(概念)の肯定を共通の前提(議論の出発点)にした上で、カラガノフの主張内容を具体的に吟味・検討する、というのが特徴的です。私の目にとまった主要な論点を私なりの表現でまとめれば、以下のとおりです。
○ウクライナにおける特別軍事行動は自衛権行使であることに関しては世界大半の理解があり、しかも、ロシアが軍事的に成功を収めている状況下で、核デタランスについて議論する必要はない。飛び地・カリーニングラード、同盟国・ベラルーシ等に対するNATOの非核攻撃(conventional attack)に対する核オプションは(現行核ドクトリンのもとで)引き続き保持されている(ポリェタエフ)。
○戦争に勝利するための(核兵器以外の)手段・資源を使い尽くしたわけではなく、まだ豊富にある状況の下で、核による世界の終局(a nuclear apocalypse)につながる問題を取り上げることは無責任だ(ドゥギン)。
○プーチン等による「核大国・ロシア」(核デタランス)について西側に対して注意喚起が度々行われてきたのに、NATOの介入エスカレーションを阻止できていない事実は、その効能が期待を下回っていることを示している。したがって、以下の対応が必要。
*核ドクトリンの見直し。
*ロシアの行動は西側が設定するルールどおりにはならないという明確なシグナルを発出すること。
*核時代における人類保全の唯一の保証はアルマゲドンに対する恐怖であるから、政治及び人々の認識にこの恐怖を呼び覚ますこと。
(トゥレーニン)
○核デタランスのみで戦争勃発を未然に防ごうとする発想はロマンチックでノスタルジックすぎる。すなわち、
*米ソ冷戦時代に「冷たい平和」が維持されたのは、核デタランスを含む諸々の制度(institutions)が総合的に機能した結果である。
*1990年代以後、米西側は自らが作った諸制度を無視・軽視(浅井:「ルールに基づく国際秩序」強調)した中で、核デタランスのみが辛うじて余命をつないできた。
*制度としての核デタランスに息を吹き返させるためには、多極化した21世紀国際社会にふさわしい諸制度の構築(浅井:中ロ共同声明「平等で秩序ある世界の多極化と国際関係の構築」)が不可欠。
*核デタランスだけで米西側の野心を封じ込めようとする(カラガノフ的)発想はロマンチックかつノスタルジックすぎる。
(ルキャノフ)
 以上の論点中、ポリェタエフ及びドゥギンの批判は、2023年6月当時の戦局・戦況に関する楽観的判断に立ってカラガノフの主張の失当性を指摘し、「核デタランス」問題の議論を門前払いにするものです。しかし、当時のロシアはウクライナの反転攻勢(及びこれを支援する米西側の軍事援助強化)に直面していました。したがって、両者の楽観的判断にはクエスチョン・マークがつきます。一歩譲って、当時の議論としては「一つの見識」だったとしても、非戦略核演習命令が初めて公表された今日的状況を両者はどう判断するのか、という疑問は不可避です。
 トゥレーニンは、ロシアの「核デタランス」が所期の効能をもはや発揮していないとし、米西側はロシアの核デタランスをもはや「ホンモノ」と受け止めていないとするカラガノフに同調するとともに、「核時代における人類保全の唯一の保証はアルマゲドンに対する恐怖であるから、政治及び人々の認識にこの恐怖を呼び覚ますこと」の必要性を主張する点で、「「核(使用)の敷居」を低くする(=戦術核使用)以外にない」とするカラガノフの主張と基本的に同じです。
 私が個人的にもっとも高く評価するのは、国際秩序を維持する制度の一つとして「核デタランス」を捉える視点からのカラガノフ批判を行ったルキャノフの議論です。私の国際政治理解の基本はヘッドレー・ブル『政府なき(国際)社会』(The Anarchical Society)ですが、ブルが解明したのは、中央政府がない国際社会が社会として成り立つことを可能にする諸制度(外交、国際法、戦争、バランス・オヴ・パワー等)の機能上の可能性と限界についてでした。ルキャノフの論点は核デタランスをも制度の一つとして捉えることによって、ブルと基本的に同じ主張を展開していると思います。

(論争に決着をつけた非戦略核演習決定の公表)

 すでに紹介したとおり、ロシア国防省が今回のロシアの非戦略核兵器演習の目的は戦術核兵器使用の可能性を念頭においた核デタランスの強化(核使用の敷居を低くすること)であることを公表したことを踏まえ、RTは1年前のこれら文章を再掲載することで、"いろいろ議論はあったが、カラガノフ、トゥレーニン、ルキャノフ等の主張・論点がロシア政府の政策を反映するものである"ことを紹介することに主眼があった、と考えられます。すなわち、今回の非戦略核演習決定の公表は、非戦略核演習を公表しないというロシア政府の従来の方針・プラクティスの修正であること、そして、この修正は米西側に対する核デタランス強化・回復という意図によるものであることについて、ロシア国内の有識者(核デタランスについて一家言を有する各領域の専門家)を説得する必要性を認識したためだ、と判断されるのです。ちなみに、ポリェタエフとドゥギンの論点は従来のロシアの公的立場を「弁護」するものでした。
 以上については、核デタランス理論の今日的最高権威の一人であるローレンス・フリードマン(Lawrence Freedman ロンドン大学名誉教授)の署名論文「ロシア・ウクライナ戦争とデタランスの持続性」(原題:"The Russo-Ukrainian War and the Durability of Deterrence" 2023年12月4日付でオンライン発表。『サヴァイバル』誌Vol.65にも掲載)が以下のように論じていることが参考になります。ちなみに、フリードマンは、私が国際戦略研究所(IISS)で研修中(1980年8月-1981年7月)に接した、核デタランス理論に私が理解を深める手引きとなった古典的名著"The Evolution of Nuclear Strategy"(1981年。完全改訂版はAmazonで入手可能)の著者です。この労作に接した時の感銘が余りに大きかったため、私は彼が私よりずっとシニアだと思い込んでいました。しかし、今回この文章に接して、彼が1948年生であり、この名著を著したときは33歳の若さだったと思い知らされ、驚愕し、敬意を深めた次第です。閑話休題。
 フリードマンは、ウクライナ戦争遂行上のプーチンの基本的スタンスは「核によるデタランス確保」にあると指摘しています。具体的には、「核デタランス分野におけるロシア国家政策の基本」と題する核ドクトリン(2020年6月)に示された、「国家存続そのものを脅かす、伝統的兵器使用による侵略」(条件d)、つまり、「ウクライナに同盟するNATO諸国が戦争に参加する可能性」に対する核デタランスの強調である、としています。プーチンの以上の基本的スタンスの具体的事例として、フリードマンは以下のケースを紹介します。
*2014年8月:ドンバスに対するウクライナ軍攻撃に対抗するためのロシア正規軍介入に際して、「ロシアは核大国である」ことについて対外的に注意喚起。
*2022年2月:侵略開始数日前に年次核訓練実施。
*2022年2月27日(ウクライナに対する全面侵攻を発表した3日後):ショイグ国防相・ゲラシモフ参謀総長に対して「デタランス部隊を戦闘任務特別態勢に転換すること」を命令。
*2022年9月21日:ウクライナ南部4省併合及び全面動員を発表した際、西側の核カタストロフィの脅迫に対する対抗措置として、「使えるすべての手段」で祖国・人民を守ると表明。
*2022年10月14日:「NATO当局者がウクライナ敗北はNATO敗北と同義であると述べているが、NATOは戦場に軍隊を送り込む狙いがあるのだろうか」という記者の質問に対して、「NATO軍派遣によるロシア軍との直接衝突は世界的破局であり、そういう危険なステップを取らない賢明さを望む」と回答。
 フリードマンはまた、下記3ケースを紹介するに当たって、「プーチンは、西側が核戦争のリスクを増大させていると非難するが、(2020年の核ドクトリンで定めた)レッドラインに関しては常に一貫した立場である」とコメントをつけています。
*2022年10月:ロシアがウクライナ戦争で核兵器を使用する準備をしていることを否定、「そうする必要はない。政治的にも軍事的にも意味がない」と述べた。
*2023年3月21日:中ロ首脳共同声明の中で、5核保有国首脳による核戦争防止共同声明に言及し、核戦争に勝利者はなく、核戦争は起こしてはならない、と再確認。
*2023年6月:戦術核兵器使用という考え方を拒否、「まず、その必要性がない。次に、その可能性を考えるだけでも「核(使用)の敷居」を引き下げる要素となる」と述べた。
 以上の具体例を検討したフリードマンは、「戦術核兵器使用に対する関心を一貫して否定することは、…(核兵器使用の)脅迫からは戦略的価値を引き出すことができないとクレムリンが評価していることを意味する」と結論します。ただし、フリードマンは、だからといってプーチンが考えを改めないということを意味するものではない、とも述べて慎重に留保をつけています。今回、ロシアが非戦略核兵器演習決定を公表したことは、フリードマンが用心のために留保を付した部分が現実になったことを意味します。
 すなわち、プーチンが今回初めて非戦略核演習実施の決定を公表したことは、それなりの重みを持たせることを意図しているということです。フリードマンの上記結論をもじるならば、「核兵器使用の脅迫によって核デタランスの戦略的価値を高めることに狙いがある」ということ、要すれば、核兵器使用の敷居を低くすることで核デタランスを強化する、ということになります。
 ロシアは昨年(2023年)のウクライナの反転攻勢を挫折させたのみならず、今やウクライナの敗北が米西側でも現実味を持って語られる状況まで戦局を有利に進めています。これに危機感を深めた米西側は、これまで(ロシアの核報復を招く懸念から)タブーとされてきた軍事行動を公然と主張する状況が現れるに至りました。ロシアからすれば、従来機能してきた「核デタランス」の効能が低下していることを意味します。米西側をしてこれ以上「妄動」させないために、これまで公表してこなかった非戦略核演習の公表に踏み切ることで核デタランスの効能回復を図る、という戦略的意図に基づいた政策修正ということです。

(参考:フリードマンの「カラガノフ論争」評価)

 フリードマンは、カラガノフ文章及びそれが巻き起こしたロシア国内の「核デタランス」をめぐる論争についても入念な検討を加えています。
 フリ-ドマンによれば、ロシアは西側がウクライナに武器移転することを阻もうと試みてきたが、武器移転は減るどころか質量ともに増加する一方(浅井:トゥレーニン指摘のポイント)であることを背景として、「(対西側)デタランス(信憑性)回復のために核の敷居を低くするべきだ」とするカラガノフ(フリードマンのカラガノフ寸評:「ロシアの安全保障政策コミュニティにおいて評価が確立した人物」)の主張が出てきた、という判断です。ちなみに、フリードマンはカラガノフの主張を次のように要約しています。
*西側がウクライナに(対ロシア)降伏を強いた場合にのみ、ロシアはウクライナを友好的緩衝国にできる。
*ロシアがウクライナ降伏を実現できずにいる原因は、ロシアが「核(使用)の敷居」を高く設定しすぎてきたこと、(米ソ冷戦開始から今日に至る)75年の相対的平和に安住した西側が核兵器を恐れることを忘れてしまったことにある。
*核というアルマゲドン兵器は神からの授かり物であり、その「地獄の恐怖」を忘れたもの(西側)に思い起こさせ、(ウクライナからの)退却・(ウクライナの対ロ)降伏を納得させなければならない。
*そのためにも「核(使用)の敷居」を低くする必要がある。
*友好諸国(中国、グローバル・マジョリティ)は(ロシアの核使用に)反対するだろうが、「勝者には裁きはない」。
 フリードマンは、「核(使用)の敷居」を低くするというカラガノフの主張の支持者としてトゥレーニン(フリードマン寸評:「かつては西側に対するロシア売り込み論者、今は戦争強硬論者」)を挙げ、彼が2023年6月22日にRIGAで発表した論文「ウクライナ紛争と核兵器」(原題:"Conflict in Ukraine and Nuclear Weapons")の内容を紹介しました。フリードマンがトゥレーニンの主張として紹介するのは次の諸点です。
*アメリカは、核兵器ではなく第三国(ウクライナ)を使って、ロシアにとっての戦略的要衝地域(ウクライナ)でロシア(核超大国)を敗北させる、という「あり得ない任務」を自らに課している。
*米・NATOはロシアのリアクションを絶えずテストしてきた結果、ロシア指導部が核兵器使用に踏み切るだけの覚悟はなく、核への言及はブラフに過ぎない、と思い込むに至っている。
*以上の判断のもと、米・NATOは、戦場でロシアをボロボロにすることによって、(ロシア社会)内側から不安定化させようとしている。
*このプロセスが最終的に行き着く先は米ロ核戦争である。
*したがって、世界的カタストロフィを回避するため、ロシアは「西側のルール」には従わず、「核の弾丸」を「拳銃に装着」して「(核の)恐怖」という意識を彼らの中に再び甦らせなければならない。
 同時にフリードマンは、両人の主張に対するロシア国内の反対論にも注目しています。フリードマンがこれらの反対論の主要論点として紹介するのは以下の諸点です。
*西側はロシアが核デタランスを放棄しようとしている(=核使用に傾いている)と主張しているが、これは悪意に満ちた歪曲であり、ロシアのデタランス・ドクトリンに変更はない。
*核使用によってロシアと西側との問題を解決することはできない。カラガノフは西側政治家が倒錯したイデオロギーに染まっており、新しい挑戦に知的に対応することはできないと決めつけている点において、彼らを過小評価している。
*核使用はロシアの国際的立場を悪化させるだけである。カラガノフはこのリスクを過小評価している。
*戦術的核使用は全面核戦争のリスクを生み出す。カラガノフ等は西側が核の階段を上る用意があるというリスクを過小評価している。

(フリードマン論文の致命的欠陥)

 以上の優れた内容を確認の上ですが、フリードマン論文には致命的欠陥があることは指摘しておく必要があります。それは、フリードマンの議論の出発点には、「ウクライナ侵略を決定することで証明されたプーチンの性格的無鉄砲さ」("a recklessness in Putin's character that he had demonstrated by deciding to invade Ukraine in the first place")という判断が横たわっていることです。もちろん、精緻な議論を展開することを信条とする彼はいわゆる「確信犯」的言論とは無縁です。プーチンに関する以上の判断も、「(侵略決定という)彼の行動は、大胆な戦略的手法というよりも、感情的激発(の結果)だった可能性が大きい。これは証明不能な仮説ではあるが、プーチンが(ウクライナ侵略という)非合理的な決定を行ったという事実によって信憑性を獲得することになった」という彼なりの思考過程を踏んだ上での結論として示されています。
 けれども、私が2023年8月22日のコラムで紹介したミアシャイマー・シカゴ大学教授の指摘、すなわち、ロシアがウクライナに対する特別軍事行動に踏み切るに至った背景にはロシア弱体化を執拗に追求する米・NATOの東方拡大戦略があった、という事実関係については、フリードマンは無言です。私に言わせれば、フリードマンがこの歴史的背景を承知していたならば、プーチンの決定は「感情的激発(の結果)というよりも、大胆な戦略的手法だった」という真逆の判断を下していたはずでした。

<ラブロフ外相発言>

 ラブロフ外相は、5月18日に外交防衛政策評議会第32回総会で発言し、プーチン訪中の結果も交えて、ロシアの現状認識を披瀝しました。この発言では今回の非戦略核演習については直接言及していません。しかし、ラブロフが発言の中でトゥレーニン、カルガコフそしてルキャノフについて極めて好意的に言及していることは、以上のカラガノフ論争における3人の発言内容と照らし合わせ、私には極めて印象的でした。このコラムの締めくくりに代えて、ラブロフの3人い対する評価発言を紹介する次第です。

(トウレーニン)

 我が欧州の隣人たちは、反ロシア・レトリックをひけらかしている。マクロン、キャメロン、ボレル(EU対外政策代表)その他による「ロシアとの不可避的戦争」に関する言辞は誰もが耳にしている。在席のトゥレーニンの文章(浅井:特定できていません)を記憶しているが、その中で彼は、パートナーとしての欧州は我々にとって少なくとも一世代は意味を持たない、と述べている。私は彼とまったく同じ意見だ。ほぼ毎日、我々は現実にこのことを経験している。我々の感情を抜きにして、多くの事実がこの予測を支持している。この予測は正しいと思う。

(カラガノフ)

 我々は、西側がゼレンスキーの(和平に関する)原則に固執しながら、真剣な交渉の用意はないというこれ見よがしのサインとしてウクライナに「脚の長い」兵器の供与を行っていることを見届けている。つまり、彼らは戦場で物事に決着をつけると言っているのだ。我々にはいつでもそれに対応する用意がある。
 我々は、多極化する世界の諸現実に従ってロシア及びパートナー諸国の利益に即した新しい国際的なバランス、メカニズム、法律を構築するために一貫して努力していく。カラガノフは最近のインタビュー(浅井:これも特定できていません)の中で、そういう努力の重要性について詳述した。この問題については我々にも考えがあり、それをあなたと分かち合いたいし、あなたの考えも聞きたいと思っている。

(ルキャノフ)

 これまでの欧州大西洋安全保障モデルが完全な失敗であることは、我々皆が理解している。ルキャノフは、アメリカ及びその同盟諸国のインド太平洋戦略のもとでのアプローチを「アジアにおけるNATOの具体化」と表現した。欧州大西洋安全保障の中身としては、伝統的にOSCE、NATO・ロシア評議会及び平和のためのパートナーシップを含めたNATO・EUとの関係が含まれてきた。
 しかし、おびただしい数の条約・協定を含め、以上のどの一つとして今日なお有効に残っているものはない。そのすべては、西側によって廃棄、破壊される憂き目に遭った。同時に西側は、NATOを通じてアジア太平洋地域、彼らの言うところのインド太平洋地域(主に東南アジア)で指導的役割を担う意図を宣言している。彼らは、欧州大西洋地域とインド太平洋地域の不可分の安全保障を宣言したが、そこにNATOの化身であるブロックを含めている。欧州大西洋モデルの実現に失敗して、アメリカ主導のNATOはユーラシア大陸の南東部分を自らの支配下に置こうと決心した。
 以上の背景のもとで、我々としてはいかなる安全保障の枠組みを作るかということを考えなければならない。プーチン大統領はユーラシア安全保障概念に基づいて構想することを提起している。我々にとってはCISが絶対的優先地域である…が、新たな地政学的環境の下では、EAEUのポテンシャルを引き出し、これを中国の一帯一路イニシアティヴと緊密に調和させ、上海協力機構に新しい刺激を与え、また、独自の統合プロジェクトとなろうとしている中央アジア・ビッグ・ファイブとの結びつきを発展させていくことが求められている。