2月26日にウクライナ支援国首脳会議を主催したフランスのマクロン大統領は会議後、ウクライナに、「縦深攻撃遂行」を可能にする「中長距離ミサイル」を提供するための新たな多国籍軍についての構想を発表するとともに、将来的にはウクライナを支援するための地上軍派遣の可能性も排除しないと発言(ロシア・トゥデイ(RT)は「公式には地上軍を派遣するというコンセンサスは存在しない」、しかし、「動態学的にはいかなることも排除することはできない」とマクロの発言を引用)、フランスとしては「ロシアがこの戦争で勝てないことを確保するために必要なすべてのことを行う」と強調しました。中長距離ミサイル提供も地上軍派遣もNATO軍とロシア軍の正面衝突に直結するもので、従来、アメリカ以下の米西側がその可能性を否定してきたものであるだけに、特に地上軍派遣の可能性を口にしたマクロン発言は大きな波紋を引き起こしました(ロシアは警戒感をあらわにし、米独等は火消しに躍起になりました)。
 私もこの報道に接したときの即座の反応は「マクロン、血迷ったか」でした。しかし直ちに、なにゆえにこの時期にかかる過激な発言をあえてしたのか、という疑問も起こりました。しかもマクロンは3日後(29日)記者団に対して、この発言を撤回することを拒否するとともに、「これは極めて深刻な問題であり、私が述べた言葉のすべては熟慮の上のものだ」("These are sufficiently serious issues; every one of the words that I say on this issue is weighed, thought-through and measured,")とまで強調したのです(同日付RT)。
 私たちがマクロン発言の真意を正しく理解する上では、ウクライナが戦略的要衝都市・アヴディフカの放棄を余儀なくされたことに集中される、もはや挽回不可能なウクライナの軍事的劣勢及び、アメリカ議会が、対ウクライナ支援問題を不法移民取り締まり問題と同列に置く共和党(背後にトランプの影)の強硬姿勢によって身動きがとれなくなっていることを考慮に入れることが不可欠です。さらに言えば、ウクライナ軍がアヴディフカ放棄を余儀なくされた原因の一つがロシア軍の猛攻に対抗するための武器弾薬が底をついてしまっていること、その事態をもたらした原因の大きな一つはアメリカからの軍事支援がストップしてしまったことにあることを考えれば、ウクライナ問題そのものがアメリカの内政上の都合によっていかようにも振り回されてしまう、という厳しい現実を突きつけたことを指摘しないわけにはいかないでしょう。マクロンの上記発言は、アメリカの都合・勝手次第で振り回される欧州の安全保障政策のあり方に対する根本的な問題提起を意図したものではないか、と思われるのです。
 私の見方を共有する文章としては、①2月28日付ニューヨーク・タイムズ(NYT)掲載のロジャー・コーエン(NYTパリ支局長)署名文章「ロシア向けに同盟諸国を挑発したマクロン」(原題:"Seeking to Unsettle Russia, Macron Provokes Allies")、②3月1日付中国網掲載の揚震(上海政法学院東北アジア研究センター副主任)署名文章「一時的衝動ではないマクロン発言」(原題:""不排除北约向乌克兰派兵" 马克龙此言并非一时冲动")、さらには、③3月2日付ロシア・トゥデイ(RT)掲載のフョドル・ルキャノフ(RTは、ロシアのグローバル・アフェアズ誌編集長、外交防衛政策評議会幹部会議長、ヴァルダイ国際ディスカッション・クラブ研究部長と紹介)署名文章「NATO軍のウクライナ派遣をオープンに提起したマクロンの理由」(原題:"Here's why Emmanuel Macron suggested openly sending NATO troops into Ukraine")を挙げることができます。
 これら文章の共通点としては、次の諸点を挙げることができます。
 第一のポイントは、敗勢濃いウクライナ情勢に関するマクロンの深刻な危機感・問題意識を共有していることです。緒戦におけるウクライナの予期せぬ善戦と「勝利」以後支配的だった米西側の楽観論は、ウクライナの反転攻勢の挫折そして今回の戦略的要衝都市・アヴディフカ放棄を受けて暗転しました。首脳会議を急遽招集したマクロンの行動は切迫した危機感の表れです。「ウクライナ敗戦はもはや時間の問題」と断言した揚震のようにあけすけではありませんが、コーエン文章はもちろん、ルキャノフ文章もウクライナに関する状況認識は同じです。
 第二のポイントは、ウクライナがロシアの「脅威」に対する防波堤になるというこれまでの楽観論が崩壊し、欧州が「ロシアの脅威」に直面する事態に如何に対処するかが喫緊の課題として突きつけられているというマクロンの焦燥感を、コーエンとルキャノフは正確に捉えていることです。コーエンは、マクロンの意図は「欧州がウクライナにおける「行動を変える」必要性を訴えること」にあると喝破し、ルキャノフは、欧州では「ロシアとの戦争という恐怖」が最重要問題になりつつあると指摘しています。
 第三のかつ最重要のポイントは、三者とも、マクロンの「地上軍派遣」というどぎつい発言に幻惑されないで、マクロンの欧州社会に対する問いかけを正確にキャッチしていることです。すなわち、「欧州の自由と開かれた社会を脅かしているロシア進撃・ウクライナ敗北を如何にして食い止めるのか、という問いかけ」(コーエン)、「世界最強の軍事同盟であるNATOが「絶体絶命の境地にあるウクライナ」を救い出すため(に不可欠)の派兵ができないでいる。そのような軍事同盟にいかなる意義があるというのか」(揚震)、「状況が変化する背景のもとで拠るべき足場を求めるという欧州の「集団的潜在意識」(を代表する)という役割」「社会的快適性を最優先してきたことに代えて安全保障の緊要性を最優先させる意識の変革を行おうとする試み」(ルキャノフ)は異口同音に、アメリカ頼みを卒業し、欧州の軍事的・安全保障上の自主独立を実現することこそが今問われているとする、マクロンの年来の主張の有意性を確認しています。
 以下に3人の文章(大要)を紹介します(強調は浅井)。
 なお、ロシア政府(大統領府のペスコフ、外務省のザハロワ)がマクロン発言を額面通りに受け止める形で警戒感を前面に押し出した中で、ルキャノフがマクロン発言の政治的含意について「ひねった」考察を行っているのは興味深いことです。RTはこの文章の末尾で、ルキャノフの文章はコメルサント紙に掲載されたものをRTが英語に翻訳・編集したものと断っていることからみても、彼個人の見方にとどまらない可能性を示唆しています。

(コーエン文章)
 「西側軍隊のウクライナ派遣を「排除すべきではない」というショッキング発言によって、マクロン大統領は欧州の将来について考えることを迫った2019年にNATOは「脳死」状態であると形容し、昨年(2023年)には欧州がアメリカの戦略的「従属者」になることを警告したマクロンならでは(の発言)である。同盟諸国間のコンセンサスなしに振る舞うことで、ロシアに対する「戦略的曖昧性」を重視するよりも、西側の分裂をむき出しにし、ウクライナ防衛に対するNATO諸国の意志の限界を明らかにしようとした可能性がある。27カ国会合後に彼自身が述べたように、欧州がウクライナにおける「行動を変える」必要性を訴えることが、マクロンにとってははるかに重要だったのである。
 2年前のロシアのウクライナ全面侵攻以来、西側は紛争をウクライナに抑え込み、核戦争にエスカレートしかねないロシアとNATOの直接対決を避けることに腐心してきた。しかし、そのためにウクライナはロシアの大軍を食い止めるために孤軍奮闘を強いられてきた。その結果ロシアは最近、東方正面で領土を獲得し、ウクライナは武器弾薬不足に直面している。大統領選挙年でアメリカの支援には不安定要因がつきまとう。勢いづいたプーチンがどこでストップするかは誰にも分からない。こうした状況に対しても「これまで通り」というのは、フランスからすれば不真面目だと映る。
 「ロシアを打ち負かすことは欧州の安全と安定にとって不可欠である」と述べたマクロンの言葉は、米独好みの「ロシアを勝たせてはならない」という慎重な定式化を打ち消そうとしたものである。マクロンの言葉からは、西側がプーチンに与えている戦略的免責に対する憤激がのぞいている。
 他方、マクロンの戦略的アプローチには疑問も抱かせる。ロシアが2014年にクリミアを併合した5年後の2019年に、マクロンは新欧州「安全保障構造」にロシアを巻き込もうとした。さらにマクロンは2022年に「ロシアを辱めてはならない」と声明し、ロシアの全面侵攻以後もプーチンとの電話会談を繰り返した。そして今、マクロンはプーチンとの対決の先頭に立っている。
 この点を留保した上でなお承認しなければならないのは、マクロンが提起している根本問題、すなわち、欧州の自由と開かれた社会を脅かしているロシア進撃・ウクライナ敗北を如何にして食い止めるのか、という問いかけには誰も答えていないという事実である。特にトランプ再選の可能性を前にして、マクロンは答えを示す必要性を強調しているのかもしれない。マクロンは、「我々の未来をアメリカの有権者に託すのか」と問いかけ、「アメリカの有権者の答えが何であれ、私の反応はノーだ」と述べた。
 これまでの西側のアプローチは、ウクライナを延命させてきたとしても勝利には導いてこなかった。マクロンからすれば、それでは十分ではないということのようだ。「我々の目標を実現するのに役に立つことはすべて可能である」と述べた上で、マクロンは、ウクライナの命運は「我々にかかっており、我々がなすべきことである」以上、欧州は行動するべきである、と付け加えている。
(揚震文章)
 フランスはウクライナ危機に際して一貫して慎重かつ抑制的であり、アメリカ等からは「消極的」と非難されたことすらある。今回、マクロンの発言がかくも激しいのはなぜか。若くして志を得た国家元首のマクロンの政治手腕は年齢にマッチしないほどに老練であり、今回もまた例外ではない。つまり、一時的衝動に駆られたものではあり得ず、深謀遠慮を経た上のものだということだ。具体的にいえば、マクロンは今回の言動を通じて以下の政治目的を達成したいと考えている。
 第一は政治的責任の所在を明らかにすること(中国語:'定责')である。目下の戦況はウクライナにとって極めて不利だ。2月17日、ウクライナは死守してきた最後の城塞都市・アヴディフカを放棄した。この戦略拠点都市はドネツク北方10キロの地に所在し、ハリコフからイジュム、ドネツクに至る物流線上の要衝であるとともに、ルガンスクからクリミアに至る陸路における交通上の要衝でもある。アヴディフカを放棄したことはウクライナ大平原を守るべきよすがを失ったことを意味し、縦深侵攻に長けたロシア軍にとってはますます有利となる。衆目の一致するところ、ウクライナ敗戦はもはや時間の問題であり、確率の問題ではなくなっている。このことは、ウクライナ軍に巨大な人的及び装備上の損失をもたらしたにとどまらず、より重要なことはウクライナ軍の士気を打ち砕いたことである。誰がウクライナの敗戦に対して責任を負うのか。マクロンがこのときにかくも激越な提案を行ったということは、アメリカがあえて終焉を迎えることはないと確信しているためだ。今後「決着をつける」となればアメリカが真っ先に対象になる。つまり、アメリカが地上部隊派遣に応じなかったことがウクライナ敗戦をもたらした、ということになる。
 第二は相手を抱き込むこと(中国語:'拉拢')である。現在の戦況に直面しているゼレンスキーの心境は消沈かつパニックに違いない。マクロンがゼレンスキーとしては思っていても口にできないことを言うことで、ゼレンスキーはこれに感激するだろう。ウクライナの戦後再建にフランスが加わるとすれば、ゼレンスキーの(マクロンに対する)好感が役に立つ可能性がある。もちろん、マクロンが求めているのはゼレンスキーの感謝だけではなく、プーチンの好感も当て込んでいる。なぜならば、マクロンの今回の動きによってプーチンはバイデンの腹の底を見通せるわけで、アメリカが地上部隊派遣に踏み切れないことは(プーチンが)好き放題をする上での最大の保険となる。あるいは、マクロンの今回の行動によって可能となった(アメリカの動きを見極めることの)効果はプーチンに対する民衆的支持率を高めるかもしれない。
 第三は土台をぐらつかせること(中国語:'拆台')である。フランス人は昔から民族的プライドが極めて強い。悠久にして輝かしい歴史、強大な工農業の実力、地縁政治上の有利なポジション、これらはフランスが世界的大国を目指す上での最大の資本だ。しかし、アメリカがNATOを通じて欧州を支配していることは、フランスが世界的大国となる上での最大の障害となっている。(以上の背景のもとで)マクロンが提起した「派兵」説はNATOの土台をぐらつかせる効果を持っている。つまり、世界最強の軍事同盟であるNATOが「絶体絶命の境地にあるウクライナ」を救い出すため(に不可欠)の派兵ができないでいる。そのような軍事同盟にいかなる意義があるというのか。しかも、NATOは欧州諸国の主権を侵害する基礎の上で成り立っている(というのがマクロンの言わんとするところだ)。
 以上から分かるとおり、一見過激な主張と見えるマクロン発言は、実は知恵と工夫をこらした上でのものなのだ(ただし、かかる政治手段がフランスの国益増進と欧州の平和及び繁栄に資するかどうかについてはなお観察する必要がある、と揚震は付言する)。
(ルキャノフ文章)
 マクロンは、NATO軍をウクライナ紛争地帯に展開する可能性を提起することで「西側集団」(the "collective West" )に警鐘を鳴らした。その後の3日間、西側同盟諸国はマクロン発言から距離を置き、(NATO軍派遣)計画はないと確言した。マクロンは中身を伴わない大言壮語を行う傾向があることで知られており、今回のエピソードもその種のものと片付けることは簡単だ。
 しかし、もっと複雑な説明もあり得る。すなわち、状況が変化する背景のもとで拠るべき足場を求めるという欧州の「集団的潜在意識」(を代表する)という役割を無意識に担っているということだ。
 旧世界(欧州)における戦略的自主性という議論は、(欧州の)連帯のためにのみ必要とされるアクセサリーとして扱われてきたために、中身を伴わないできた。それに加えて欧州は、アメリカという後ろ盾があること、それにもまして脅威そのものがないという状況の下で、そういう類いのことに煩わされる必要がないことに満足してきた。ところが2022年になって3種類の面倒が持ち込まれた。一つは欧州がロシアの報復主義・失地回復主義と見なす不安材料である。二番目はロシアと戦う経済的コストを欧州が担わされるという事実である。そして三つ目は、累次サミットで宣言されたことと関係なく、アメリカは国内問題を優先させて欧州から身を引いていくという現実である。
 旧世界は長年にわたって、防衛分担を巡ってアメリカと火花を散らし、表面を取り繕うことでお茶を濁してきた。それもまた、欧州が脅威の存在を信じていなかったからである。その状況が変化したとき、防衛に関する支出及び能力という問題は、大西洋同盟においてアメリカではなく欧州側にとっての課題となった。アメリカ人は正直なところウクライナ戦争がどういう形で終わるかはどうでも良いし、ウクライナ問題と国内問題に同時的に対応する余裕もある。むしろ、国内問題の方が明らかにより重要であり、ウクライナについて負担することはお荷物になっている。これに対して欧州では、ロシアとの戦争という恐怖は上層部によって喧伝されることで、最重要問題となろうとしている
 西側世界が「独裁国家」(ロシアと中国に対する彼らの言い草)と対決するべく動員されている状況の下では、欧州の戦略的自主性という問題を提起することは馬鹿げている(ように見えるかもしれない)。しかし、そういう能力を保有することは欧州が意味ある存在であるためには必要条件である。(マクロン発言は)社会的快適性を最優先してきたことに代えて安全保障の緊要性を最優先させる意識の変革を行おうとする試みなのだ。
 (マクロンの狙いが)成功するための条件は極めて芳しくない。欧州の人々は平穏であることに慣れてしまっている。エリート層は集団的に資質に欠けているため、戦略的アプローチを行うために必要な能力について自信を失っている。ところが、正にそのことがリスクを増大させる。というのは、軽度のパニックが加えられたとき、(無能なエリートの)「認知症と勇気」というごくありふれたミーム(遺伝子)と反応しあってしまうからだ。したがってまた、アメリカの政策はおそらく不可逆的に変化しつつあることを認識した上でのマクロン発言(あるいは西側の世界支配の終焉が遠くないとつぶやいたボレル発言)のようなぎこちないアプローチから特定の結論を引き出すべきでもない(ということにもなる)。

(追補)
 ちなみに、揚震が「アヴディフカを放棄したことはウクライナ大平原を守るべきよすがを失ったことを意味し、縦深侵攻に長けたロシア軍にとってはますます有利となる。衆目の一致するところ、ウクライナ敗戦はもはや時間の問題であり、確率の問題ではなくなっている」と述べたことが誇張ではないことは、3月2日付NYT掲載の「ロシア進軍を助ける脆弱を極めるウクライナ防衛態勢」(原題:"Surprisingly Weak Ukrainian Defenses Help Russian Advance")と題する報告記事が明らかにしています。この記事は、商業衛星会社Planet Labsによる映像の解析に基づいて、アヴディフカ以西のウクライナ軍の防衛態勢は「歩兵部隊が敵に最接近して射撃するための接続塹壕以外に何もない」と指摘しています。その理由についてこの記事は、ウクライナ軍元将官の発言を紹介しながら、防衛体制強化には多大なコストを必要とするけれども、ウクライナには所要の資源を投入する余裕はないことを挙げています。

PAGE TOP