2月9日付のフォリン・アフェアズ(FA)WSは、トビー・マティーセン(Toby Matthiesen)署名文章「中東を再統一させたガザ-新・汎イスラム戦線:アメリカ最大の挑戦(?)-」(原題:"How Gaza Reunited the Middle East -A New Pan-Islamic Front May Be America's Biggest Challenge-")を掲載しました。FA・WSがこの文章を有料ではなく、一般向けに公表したのが「さもありなん」と納得できる、偏見とは無縁かつ卓抜した内容の中東政治論です。パレスチナ問題をフォローしていたおかげで、かくも優れた文章に出会えたのは本当に幸せです。「目からうろこ」とはこういう文章にこそ当てはまります。
 恥ずかしながら執筆者の名前は初見だったので、「何者?」という好奇心に駆られました。マティーセンはドイツ系スイス人、1984年生ということから気鋭の学者であることが窺えますが、その業績にも目を見張るものがあります。最初の著作"Sectarian Gulf: Bahrain, Saudi Arabia, and the Arab Spring That Wasn't"は2013年で出版社がStanford University Press、次の著作"The Other Saudis: Shiism, Dissent and Sectarianism"は2015年でCambridge University Press、最新作"The Caliph and the Imam: The Making of Sunnism and Shiism, a global history of Sunni-Shii relations"は2023年でOxford University Pressとあり、名だたる出版社を総なめです。博士論文に関してはthe Aaron Wildavsky Award for the Best Dissertation on Religion and Politics by the American Political Science Association (APSA)を受賞したというのですから、舌を巻くほかありません。
 パレスチナ問題について数回かけてアプローチすると予告させていただき、アメリカ・バイデン政権の中東政策について紹介したばかりですが、マティーセンの文章に接して、この内容を詳しく翻訳紹介すれば、すべて事足りてなお余りある、と確信しました。私の翻訳では心許ないのですが、その点はあらかじめお許しを願い、マティーセンの国際感覚・歴史感覚に裏打ちされた、透徹した分析力と慧眼に満ちた観察力を味わっていただけたら幸いです。
 やや長いので、全編を読み通すことを億劫に感じる方は、まず、最後の「(イランが勝利する可能性のあるゲーム)-A GAME IRAN CAN WIN-」から読むことをお勧めします。これだけ堂々とイラン(抵抗枢軸)のパレスチナ政策の対米勝利を予告する論者は他にないでしょう。しかも、ティラーセンの予告は「当たるも八卦」の類いの「予言」ではなく、緻密な分析・観察に裏付けられた科学的診断なのです。彼の予告に衝撃を受けないものはいないと思いますし、衝撃を受ければ、全編を読んでみようという意欲が湧き起こると思います。
 蛇足ながら、ティラーセンの最新作は大部なものらしいですが、幸いなことにアマゾンから電子書籍版が手頃な価格(¥2352)で出ています(最初の著作も電子書籍では¥1640)。私としては、この大部な著作に挑戦するつもりで早速買い求めました。

 ガザ地域における戦争はもはやイスラエルとハマスだけのものではない。(2023年)12月25日のイスラエルによる空爆はダマスカス近郊でイラン革命防衛隊高官を殺害し、本年1月2日にはベイルート南部のヘズボラの拠点を襲ったドローンでハマスの軍事部門創設者が暗殺された。ヘズボラとイスラエルは10月7日以来交戦しており、数人のヘズボラ高官が殺されている。紅海においては、シーア派・フーシが航行船舶をしきりに攻撃し、米英によるフーシのイエメン拠点攻撃を招いている。1月後半には、3人の米兵がヨルダン領内の軍事拠点でシーア派によるドローン攻撃で殺害され、アメリカはイラク及びヨルダン領内の複数の目標に対して一連の報復を行った。このような攻撃の応酬は、アメリカとイランとの直接軍事対決の危険を生んでいる。
 これらの衝突から浮かび上がってくるのは、イランが支援する武装勢力の緩やかな連合体・いわゆる抵抗枢軸の攻撃の手が中東全体におけるイスラエルとアメリカの利害に対して広く及ぶようになっているという事実である。しかし、これより注目されていないが、中東情勢を形作ってきた宗派的分裂という特徴は、この紛争の広がりにおいてはむしろ曖昧になっていることに注目する必要がある。すなわち、イラク、シリアそしてイエメンの内戦においては、シーア派もスンニ派もすべて絡んでいるのだ。長年にわたり、イランとサウジアラビアは地域支配の争いの中で宗派的忠誠心に訴えてきたのだが、ガザにおける戦争では宗派的緊張は争点にはならない。確かにパレスチナ人のほとんどはスンニ派であるし、ハマスはスンニ派イスラム運動の最右翼である、エジプト起源のムスリム同胞団に由来する。それにもかかわらず、ハマスはイラン、イラク、レバノン、シリアそしてイエメンのシーア派が率いるグループ・政権との間で強い同盟的結びつきを持っている。これはどういうことか。
 この点を説明する上では、抵抗枢軸云々よりも、一般のスンニ派及びシーア派の中でパレスチナ解放運動が長きにわたって占めてきた地位並びにパレスチナ解放闘争が一般アラブ民衆の対パレスチナ感情を強力な団結力に転化させてきたことに注目する必要がある。中東各地域で宗派的緊張の炎が燃えさかっているときでも、パレスチナ人の窮状はアラブ世界全体の共通した求心力となってきた。またこの数年間、スンニ派アラブ諸国の指導者はイスラエルとの「正常化」取引を追求するようになり、パレスチナ問題をますます無視するようになっているのに対し、イラン政府及びそのシーア派同盟軍はパレスチナ武装抵抗運動に対する中心的支持者となっている。さらにまた、2023年3月のイランとサウジアラビアの関係改善、フーシとサウジ及びイエメン内部各派の平和交渉、イラク及びレバノンにおける情勢の推移などの地域情勢の変化も加わり、宗派間対立は以前ほどには顕著ではなくなりつつある。
 ほぼ4ヶ月の悲惨な戦争を経た今、イスラエルのガザ攻撃は、イスラエルとの関係正常化に圧倒的に反対するスンニ派アラブ民衆とイランの抵抗勢力の核をなすシーア派武装勢力とを網羅する、汎イスラム連合の機運を覚醒させている。このような事態の展開は、アメリカ及びそのパートナー諸国にとっては、イラクの武装勢力やフーシと対抗する次元を超えた、戦略的挑戦を構成するものである。ガザにおける戦争は、長らく分裂してきた地域を一つにまとめることにより、アメリカの影響力をさらに損ない、長期的には、この地域におけるアメリカ軍の駐留自体が維持できなくなる可能性がある。さらにまた、パレスチナ・イスラム主義者を排除した、アメリカが率いるトップ・ダウンによる和平取引の押しつけに対しても、この新たな団結力は深刻な障害となって立ちはだかる可能性がある。
(植民地支配の影響)- COLONIAL CONSTRUCTS -
 中東の紛争において宗派的対立が大きな役割を演じてきたことは確かだが、その対立の演出者についてはしばしば誤解されている。教義的に言うと、シーア派とスンニ派との分裂は預言者・ムハンマドの後継問題に関わっている。スンニ派は、カリフと呼ばれる後継者はムハンマドのもっとも緊密な早くからの信奉者共同体の中から選ばれるべきだとするのに対し、シーア派は、イマームと呼ばれる後継者は預言者ムハンマドの直系子孫でなければならないと定める。その後、スンニズムとシイイズムはイスラムの二大宗派となっていくが、世界のムスリム多数派は前者である。シイイズムはイランが中心だが、これはサファヴィー朝が16世紀に十二イマーム派に改宗したことに由来する。また、イラクでもシーア派が多数派である。レバノン、イエメン、湾岸諸国、南アジアにもシーア派コミュニティが多数存在する。しかし、パレスチナ人の場合、スンニ派・オスマントルコ帝国の臣民として、また、アラブ語スンニ派・キリスト教徒として、この宗派的対立に影響されることがなく、シイイズム及び両派の分裂にさらされることもなかった。
 宗派的アイデンティティが政治的な意味合いを持ち、ネーション・ステートと交錯するようになったのは、第一次大戦後、西側植民列強が旧オスマントルコ帝国領土を民族的宗派的境界に沿って再編しようとしてからのことに過ぎない。レバノンとシリアでは、宗派的アイデンティティが政治及び法律の中心に持ち込まれた。レバノンでは、キリスト教徒とスンニ派が国家を掌握し、シーア派には権限がほとんど与えられなかった。イギリス政府もその支配下のイラク、パレスチナ、トランスヨルダンで、かなりのシーア派人口がいたにもかかわらず、スンニ派が率いる行政を確立した。イラクにおいては、シーア派コミュニティ及び宗教指導者の自治志向が強く、また、イギリス支配に反抗したこともあって、オスマン時代の政策を継続し、シーア派を脇に追いやった。また、イギリスがユダヤ人のパレスチナへの移住を支持し、アラブ人とユダヤ人に対する支配政策が差別的だったことは、この地域における人種宗教的カテゴリー化をさらに強化し、その累はパレスチナ人自身にまで及んだ。換言すれば、民族・宗教的な分裂の深まりは、教義・宗教的論争によるものであると同時に、植民地政策と現代ネーション・ステートの勃興によるものでもあったということである。
 しかし、国家建設の政治力学は多次元的に展開することがある。1948年以後、イスラエルが繰り返しパレスチナ人を追い出したことにより、新しいつながりと同盟関係が生み出されることとなった。すなわち、レバノンでは、1948年と1967年にパレスチナ難民がなだれ込んだが、その時は、レバノン国内の圧迫を受けているシーア派コミュニティが自らの解放を求めて動き出したのと重なることとなった。その後の数十年の間、パレスチナ難民は、レバノンのシーア派と連携関係を作るとともに、1979年のイラン革命を導くことになるイランの活動家とも交流するようになった。このイラン革命はイスラエル及びアメリカと緊密な同盟関係にあったシャー・パーレヴィを打倒した。革命指導者・ホメイニ師は1979年2月にイランに凱旋帰国した後、直ちにパレスチナ解放機構(PLO)を聖地・コムに招いた。その際、PLO指導者・アラファトは、イラン革命をムスリムにとっての「大勝利」であると讃えるとともに、パレスチナ人にとっての勝利の日であるとも述べた。その2日後には、在テヘランのイスラエル大使館がPLOに引き渡された。ムスリム同胞団代表団もイランを訪れたことが示すように、スンニ派の民衆及び政治運動団体は、イラン革命をシーア派による革命というよりも汎イスラム革命と受け止めたのである。
 他方、中東アラブ諸国の指導者の大半はイラン・イスラム共和国及び同国が支持する中東全域の革命運動を主要な脅威と受け止めた。これら諸国は、イラン革命がこれら国々におけるシーア派コミュニティ及びイスラム運動を力づけ、アラブ・イスラム世界における彼らの中心的地位に挑戦し、アメリカとの関係を複雑化することを恐れたのである。また、イラク・バース党政権が1980年にイランを侵略した際には、PLO以下のパレスチナ諸グループは、イラク及び湾岸諸国との関係をイランとの関係よりも重視し、イラクを支持する側に回っている。
(征服ならぬ分裂支配)- DIVIDING, NOT CONQUERING -
 2001年の9.11事件後、誤ったアメリカの干渉によって、中東全域で党派的闘争が激化し、多くの武装勢力が活動を活発化し、今日もバイデン政権が対応に苦慮することとなっている。アメリカが率いたイラク侵略の結果、イラン革命以来、イラン及びシリアに亡命していたシーア派イスラム諸政党がイラクで権力を握ることとなった。それと同時に、アル・カイダ等のスンニ派過激主義者もイラクで活動を活発化し、その結果勃発した内戦により、イスラム国(ISIS)とイランが支援するシーア派武装勢力(今日、イラク、ヨルダン及びシリアで米軍を攻撃目標にしている)が台頭することとなった。
 20年に及ぶスンニ派とシーア派との抗争及びISISによる力ずくのカリフ国家建設の動きを経て、西側諸国においては誤った観測が行われることとなった。すなわち、中東全般においてはハマスのようなスンニ派イスラム運動に対する民衆的支持は広がらないだろうという見方である。この見方によると、エジプト、サウジアラビア、UAEなどの国々ではムスリム同胞団は政策的に遠ざけられ、湾岸アラブ諸国の新しい世代の指導者は、パレスチナ問題よりもイスラエルが提供するテクノロジーやビジネス的結びつきをもっと重視するようになる、というのである。アメリカはこうした誤った想定の下で、湾岸諸国その他のアラブ諸国に対してイスラエルと関係正常化するように働きかけることとなった。この政策のもとでは、無期限にイスラエルの支配・占領の下にある、あるいは中東地域に難民として暮らすパレスチナ人数百万人の悲しみに向き合う有効な対策は欠落している。
 しかし、パレスチナ人を支持するという点に関しては、ほぼ一世紀にわたり、世界中のスンニ派及びシーア派のムスリムの間で広く合意ができあがっている。例えば、1931年にエルサレムで開催された、シオニズムに反対してムスリムの連帯を謳った会議では、エルサレムのアル・アクサ・モスクでの金曜礼拝を著名なイラク人シーア派聖職者が先導するよう、スンニ派参加者が提唱した。また、2000年にヘズボラがレバノン南部からイスラエル軍を追い出す立役者となり、2006年にイスラエルとの戦争をなんとか生き延びた際には、スンニ派及びシーア派双方から賞賛された。今回、ガザにおける戦争が始まった後も、ハマスは宗派を超えた支持を集めている。
 このような民衆的な動きは、アラブ支配層に対する圧力となって働くとともに、ハマスを積極的に支援してきたシーア派グループがスンニ派世界における影響力を増大することにもつながっている。自分たちの政権が西側を支持し、イスラエルと結びつくことによって疎外された多くのスンニ派アラブ人は、ベイルート、バグダッドさらには紅海において、親イラン武装勢力がイスラエルのガザ戦争に対する抵抗の主役となっていることを畏敬の念を持って見守っている。そして、これらの武装勢力こそが抵抗枢軸を構成し、イランのリーダーシップのもとで中東全域で連携する勢力となっているのである。
(枢軸と同盟)- AXIS AND ALLIES -
 増大する抵抗勢力の力について、宗教原理主義あるいは宗派的結束の表れに過ぎないとか、その表れそのものであるとかの受け止め方をするべきではない。その力は様々な要素によるものである。持続的資金力、忠誠と統制の双方を備えた組織構造、一貫したイデオロギー、これら勢力が属するコミュニティによる重要かつ社会的な後ろ盾、等々。同時にまた、西側及びイスラエルの軍事干渉並びに親西側アラブ諸国政権の政策という意図せざる要素に根ざしている面もある。そして決定的に重要なこととして、その力は、もっとも強力なパレスチナ・イスラム運動であるハマスがイランのシーア派同盟と次第に一体になりつつあることとも関係している。
 抵抗枢軸は9.11事件後の数年間に形作られた。ことの始まりは、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」にもじって、中東のメディアがこの名前を作り出したことにある。ブッシュは2002年の一般教書演説の中で、イラン、イラク及び北朝鮮という3国を無理矢理結びつけて「悪の枢軸」と名付けた。数ヶ月後にはボルトン国務次官(当時)がキューバ、リビアそしてシリアをリストに加えた。アメリカが中東地域の宿敵同士であるイランとイラクを同じカテゴリーに入れたのは、イランにとっては出鼻をくじかれることだった。というのは、イランはアメリカとの関係をリセットしようとしていて、アメリカが行っていたアフガニスタンでのタリバン作戦には一定の支援すら提供していたからである。アメリカがイラクのもう一つの敵国であるシリアをもリストに加え、9.11事件の処罰対象に3国をひっくるめたことは、イランにとってはさらなる侮辱だった。というのは、9.11事件は、スンニ派過激勢力であるアル・カイダのメンバーの仕業であり、実行犯はサウジアラビア、UAE、レバノン、そしてエジプトの国籍者だったからである。アメリカの政権交代(レジーム・チェンジ)の次なる対象となる可能性に備え、イランとシリアは同盟関係を強化するとともに、アメリカ及びイスラエルのヘゲモニーに対抗するべく、レバノン、イラクそしてパレスチナの武装勢力との連携も強化した。中東地域が宗派的対立・暴力に巻き込まれていく中、パレスチナ・イスラム運動に対する支持を強めるイランは汎イスラムという正統性の中心に座ることが可能となった。
 とは言え、イランとハマスの同盟関係樹立にはまだ数年の年月を必要としたし、その足取りも常に順調というわけではなかった。スンニ派イスラム武装勢力がシリア政権と対立したシリア内戦では、当時ダマスカスに拠点を置いていたハマスの政治指導部はシリア及びイランと深刻な仲違いに陥った。シリア国内のパレスチナ人難民キャンプが戦いの渦中に巻き込まれ、数多くのパレスチナ人が殺害された後、ハマス指導者は、アサド政権打倒を目指していたスンニ派反乱勢力の後ろ盾だったカタール及びトルコに拠点を移した。その結果、イランはハマスに対する支持を大幅に弱めたが、このことはイランの対外広報関係上の痛手となって働いた。というのは、イランは宗派的フロントを作ろうとしており、シーア派の運動だけを支持しているという批判をかわす上で、ハマス支持の立場が最高の反撃材料となっていたからである。
 ハマスがイランと完全によりを戻したのは2010年代後半になってからだった。その時になると、ハマスに対して継続的武器提供を行い、イスラエルとの武装闘争を全面的に支持する意思と能力がある域内国家はイランだけとなっていたからである(カタールもハマスに対する政治的庇護と資金提供を行っていたが、それはイスラエル経由であり、イスラエルの了承を得た上でのことだった)。イランの支持は、ガザのハマス政治指導部及び軍事部門・カッサム旅団にとって極めて重要なものだった。2017年にガザのハマス・リーダーとなったヤヒヤ・シンワールは、地域諸国の抗争に巻き込まれることを避けようとし、イランと直接のつながりを打ち立てることとなった。また彼は、2022年にはアサド政権との関係回復も実現し、かくして抵抗枢軸内におけるハマスの立場を打ち固めた。かくして、パレスチナ武装闘争におけるイラン(及びシリア)の役割も死活的に重要なものとなった。
 同盟関係には入ったものの、シーア派をメンバーの核とする同盟にとって、ハマスはどちらかといえば周縁的存在にとどまってきた。というのは、この同盟内で共有されるイデオロギーは優れてイラン・イスラム共和国と直結したシーア派解放神学であり、シーア派的色合いが濃厚な殉教概念であるからだ。したがって、シーア派であるレバノン・ヘズボラのイランとの結びつきは、ハマス・イラン関係より圧倒的に全面的である。もちろん、ハッサン・ナスララは長期にわたってヘズボラのトップであり、ヘズボラの政策決定機関はレバノン人聖職者によって構成されている。しかし、イランの最高指導者ハメネイ師はヘズボラの宗教的な最終のよりどころであるし、ヘズボラ運動の対外宣伝においても極めて重要な役割を担っている。このようなことはハマスについては当てはまらない。
 以上を踏まえるとき、枢軸におけるイランの組織調整はどこまで及ぶのかという疑問・問題が起こる。10月7日のハマスによる奇襲攻撃について考えるとき、ナスララもハメネイも、さらにはガザの外にいるハマス政治指導者ですらも、この攻撃に関して事前に知っていたとは見られない(もちろん、彼らはこの攻撃を賞賛したが)。同じく疑問・問題が起こるのは、ハマスのイスラエルとの戦いに、枢軸の他のメンバーがどの程度一緒になって戦う用意があったかという点である。
 この点に関して留意する必要があるのは、近年、枢軸の指導者たちが「舞台の一体性」("unity of arenas")と称する軍事ドクトリンを強調し始めたことである。「舞台の一体性」とは、あるメンバーが攻撃された場合には、他のすべての「舞台」(イラン、イラク、シリア、イエメンそしてパレスチナを含む)がその防衛に加わる、ということを意味する。しかし、10月7日以後、各舞台において何らかの軍事活動はあるものの、イランは直接介入しておらず、ヘズボラは地上侵攻あるいは大量ミサイル攻撃ではなく、通常のロケット攻撃に抑えていることは注目するべきである。
 その結果、枢軸問題を密接にフォローしている研究者は、2つの見方の間で分かれている。一つの見方によれば、「舞台の統一性」ドクトリンは理論に即して遂行されつつあり、現状は今後さらにエスカレートする戦争の初期段階にある、とされる。もう一つの見方によれば、枢軸の中核であるシーア派メンバー、特にイランとヘズボラは、ハマスに対する支持を示しつつ、全面戦争に巻き込まれることを避けている、とされる。ナスララの数多くの発言は後者の可能性を示唆しており、アメリカが2月初めにイラクの親イラン武装勢力に行った攻撃に対するイランの反応ぶりもさらなるエスカレーションを避けようとしていることを示唆している。他方でガザのハマス指導者は、枢軸特にヘズボラが、レバノンとイスラエルは長い境界線を接しており、強力なロケット装備を備えているので、もっと強い反応を示すことを期待しているとの兆候もある。
 研究者のコンセンサスは、枢軸を特徴付けるのはイランという核及びそれによる調整ということではあるけれども、枢軸のメンバーは必ずしもイランから命令されているわけではない、という理解に収斂しつつある。つまり、地理的、イデオロギー的、原理的にイランとの間に距離があるハマスやフーシなどは独立性が高い。これに対して、ヘズボラやイラクのシーア派のような十二イマーム派武装勢力に関しては、政治的、軍事的のみならず原理的にもイラン国家及びその指導力に直接結びついている、ということである。しかし、これら後者に属するグループも自国特有の利害関係と資金ルートを持っているし、米軍基地に対して多くの攻撃を行ったと名乗ったのは比較的新しいイスラム・レジスタンス(古くからのシーア派武装勢力の連合体?)であることからすると、イランとどこまで示し合わせた上で行動しているかについてはますます曖昧となる。
(イランが勝利する可能性のあるゲーム)-A GAME IRAN CAN WIN-
 中東の中でも、親イラン枢軸の武装勢力が戦争を拡大させているという批判を行うものはいるが、世論調査及びアラブ・ソーシャル・メディアでは、ハマス及びその武装抵抗ドクトリンに対してアラブの支持が厚いことを示している。同じ調査によれば、アメリカ及びアメリカと緊密に結びついている政権、すなわちサウジアラビアとUAE(2022年にイスラエルと関係正常化)、に対する支持が劇的に落ち込んでいる。サウジアラビアでは、人口の大半すなわち90%以上がイスラエルと国交を樹立することに反対、という世論調査結果がある。また、1月のアラブ・オピニオン・インデックス(16のアラブ諸国を対象としたドーハの調査)によると、回答者の3/4以上が、10月7日の戦争開始以来、彼らのアメリカに関する見方が否定的になったとされている。
 これらの見方がどのように形成されたのかを理解するのは難しいことではない。すなわち、親西側アラブ諸国政府が戦争をストップさせるためにほとんど何もしてこなかったのに対して、イラン及びその枢軸勢力は、自分たちこそが地域のリーダーであり、パレスチナ人の主要支持者であることを示すことができている。フーシを例に見てみよう。彼らはこれまでほとんど知られていないイエメン北部の反乱武装勢力だが、米英による間断ない砲撃に直面しても、バブ・エル・マンデブ海峡経由の海運を遮断することに成功している。フーシは支離滅裂な戦争を行うことで、以前は彼らさらには枢軸派の政策全般を支持していなかったアラブ民衆の間でも名をとどろかせることになった。この意味では、ガザの戦争は、過去数十年間のいかなる紛争にも増して、イスラム世界をまたぐ大きな団結をもたらしている。
 矛盾しているように見えるが、現時点での枢軸派に対する最大の反対勢力はISIS等のスンニ派過激派である。彼らこそ、イスラエルとアメリカがハマスになぞらえてきた勢力である。イスラエルとアメリカは10月7日の攻撃の野蛮性を宣伝する意味からこのようになぞらえたのだが、ISIS自身はハマスのことをナショナリスト過ぎてグローバリストではないと繰り返し非難している。そのISISは1月初めに、イランで行われたカセム・ソレイマニ(抵抗枢軸の中心的設計者)を讃える追悼式をめがけて大規模なテロ攻撃を行い、94人の死者と284人の負傷者を出した。この際にISISは、ソレイマニ追悼出席者はシーア派であるが故に死に値すると主張し、この攻撃はソレイマニ及び彼が代表するものに対する象徴的攻撃であるとした。サラフィー聖戦士グループがこの攻撃に訴えたのは、中東における存在感を示すとともに、スンニ派とシーア派が大団結した瞬間をめがけてシーア派とスンニ派との間の宗派的暴力に火をつけることを狙ったものと見られる。
 ソレイマニは、中東地域におけるアメリカの利益に対する攻撃を組織したために、2020年にトランプ政権によって暗殺された。しかし、2015年から2017年にかけて、ソレイマニはアメリカが率いる連合軍とともにISISに対する戦いのためにシーア派イラク武装勢力のとりまとめを支援していたのは不都合な真実である。ソレイマニ暗殺を受けて、イラクはアメリカ軍を地域から追い出すための努力を加速させることを示唆した。今アメリカがガザにおける戦争でイスラエルを無条件に支持し、イスラエルの時間稼ぎのために軍事的外交的行動をとっていることは、中東全域で西側及びイスラエルに対する抵抗を支持する動きが広がっていることに鑑みれば、アメリカ追い出しの動きを加速させる可能性がある。それに対して、枢軸勢力のネットワーク(イラン、シリア、フーシ、ヘズボラ、イラクのシーア派武装勢力)が、パレスチナ人が非常な困難に直面しているときにその真の支持者であることを示すことができる限り、アラブ諸国の枢軸批判勢力が有利な地歩を獲得できる可能性はない。
 したがって、アラブ諸国政府が傍観者であり続ける限り、枢軸側は、ハマスを支持し、軍事的抵抗を行う意思表示を行うだけで、中東全域における影響力を獲得できる。今後何が起こるとしても、イスラエル及び西側のこれまでの過ちの結果として、イラン及びその同盟者はますます影響力と行動力を高めていく可能性があると見られる。親西側アラブ諸国に関しては、その政策と自国民のパレスチナに対する共感との間の大きなギャップを埋めるための努力をしなければならないだろう。長い間パレスチナ問題をおろそかにしてきた親西側アラブ諸国としては、新たなアラブ蜂起の波に直面することを避けるためにも、パレスチナ問題の正しい解決を緊急に推進する必要があろう。
 アメリカに関しては、武装勢力をピンポイント攻撃することで軍事力を誇示する選択が満足できる政策かもしれない。しかし、ますます明らかになっていることは、アメリカがガザ休戦を実現し、イスラエルの占領を終了させ、そして最終的に実効的パレスチナ国家を樹立することができなければ、地域におけるエスカレーションをストップすることは不可能であるということである。こうした信頼できる、具体的なステップをアメリカがとらない限り、地域諸勢力はパレスチナ問題を自分たちのポイント獲得のために利用し続けるだろう。しかも、パレスチナ国家の建設という事業は、パレスチナのすべてのグループ及び地域のすべての主要国(サウジアラビアその他のアラブ諸国のみならず、トルコ、イラン、枢軸諸勢力を含む)の支持によって支えられない限り、成功することはまず考えられない。この事業を邪魔しようとする勢力は数限りない。また、イスラエル政府のこの問題に関するむき出しの立場を考えれば、以上のアプローチに対する障害はとてつもなく大きいものがある。しかし、こうした広い支持に支えられた正しい解決をパレスチナ問題に関して行わない限り、中東は持続的な平和を実現することができず、多くのものが夢に見てきた政治経済協力を実現することもできないだろう。それに代わるものは、果てしのない暴力の連鎖、西側の影響力と正統性の衰退、そして西側そのものに敵対する形での地域統合という危険性である。

(補足)
 「枢軸におけるイランの組織調整はどこまで及ぶのかという疑問・問題」、あるいは「舞台の一体性」("unity of arenas")と称する軍事ドクトリンの具体化という問題に関しては、イランの駐国連大使アミール・サエイド・イラヴァーニがアメリカ・NBCとの間で行ったインタビュー発言内容(2月7日付IRNA通信が全文掲載)が、ティラーセンの分析を裏付けており、参考になりますので、関連部分を紹介しておきます。

(質問) イラン政府がフーシその他の武装勢力に対してどの程度の支配・影響を持っているかが盛んに議論されている。端的に聞くが、(イランが)受話器を取り上げれば、彼らの攻撃をやめさせることができるのか。
(回答) この問題を理解する上では、イランと抵抗諸勢力との関係はNATOと比較可能であると言いたい。NATOの第5条によれば、NATOメンバー国が軍事攻撃に直面するときは、他のメンバー国は個別的または集団で対応することを選択できるとある。イランと抵抗諸勢力との関係についてもこの枠組みの中で考えることができる。
(質問) ということは、一種の防衛条約みたいなものということか。
(回答) イエス。抵抗勢力とイランとの間の一種の防衛条約である。それぞれは自分自身の決定、選択、利害関心がある。しかし、彼らは互いに全般的な調整及び協力も行う。このシステム内の一部がイスラエル当局によって被害を受け、その侵略に直面する場合、抵抗システムの他の部分は、パレスチナ人民に対する共感を示すべく、それぞれの支持の仕方がある。(When one part of the system has been damaged and faced aggression by the Israeli regime, the other parts of the resistant system will have their own reaction to support, to show their sympathy towards the Palestinian people.)フーシに電話をかけるということではない。ガザの兄弟姉妹を防衛する責任を感じるという事実(がポイント)だ。
(質問) イランはこれらのグループをどこまで支持するのか。武装させるのか。
(回答) 我々が明確に述べてきたとおり、パレスチナに関しては、武器を送っており、訓練も提供し、力を与えている。しかし、他の武装勢力については、一定の協調、協力、協議を行うということであり、そして多分資金提供もありうる。
(質問) フーシは先端兵器を使っているが、イランが提供しているのか。
(回答) 全然ない。彼らはもう8年間も戦争状態下にある。多くの経験を積んで、欠陥を克服できるようになっており、自力だし、自力で対抗できる。
(質問) 一般に「代理勢力」と呼ばれている彼らは、イランの意思を遂行する代理人ということか。
(回答) 「代理人」という言葉は(西側が)世論をミスリードするためのものだ。彼らは代理人ではなく、抵抗勢力だ。彼らの権利は国際法で承認されている。抵抗勢力は自決権を有し、占領当局に抵抗する権利を持っている。イランの代理人ではない。
(質問) しかし、彼らはイランに支持されているし、ある程度までは指令されているのではないか。
(回答) ノー。我々は彼らを指令していないし、命令もしていないことを繰り返さなければならない。我々の抵抗勢力との関係はNATOメンバー国のようなものだ。互いに協議するが、各メンバーの対応の仕方はそれぞれ違う(They have consultation with each other, but the reaction of each member is not the same as others)。シリア及びイラクでISISと戦ったとき、パレスチナ抵抗勢力は加わらなかった。なぜか。彼らにとっての優先事項ではなかったからだ。我々はそのことを理解していた。それは彼ら自身の決定だ。しかし、抵抗システムの他の部分はISISに対する戦いに加わった。というのは、彼らの優先事項であり、利益になるからだ。
(質問) しかし、あなたたちイランは彼らを指令するだけの影響力がある。 (回答) あなたは、イランが彼らを指令し、影響力を行使することについて繰り返すが、ノー、イランには彼らに対する影響はない。我々が共有するのは目標と相互理解だ。私は影響力という言葉は使わない。我々の間にあるのは相互の協議である。我々は、地域の状況の条件がどのようなものかに関する考え方を交換するし、一緒に何ができるかについても意見交換する。

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