2月2日、バイデン政権は、3人の米兵が殺害されたことに対する報復として、イラク及びシリア領内の85カ所に対する大規模な空爆に踏み切りました。同日、米欧諸国(12カ国+EU)の800人以上の現役官僚(約80名がアメリカ人官僚で、国務省官僚が最多)が署名する、イスラエルのガザ地区に対する軍事行動を支持するバイデン政権に対する反対の意思表示声明が発表されました。この声明は、「イスラエルのガザにおける行動を一方的に支持し、パレスチナ人の人道問題を無視することは道義的失敗であると同時に政策的失敗である」と指摘し、「我々の政府の政策は国際人道法に深刻に違反し、民族浄化・絶滅をもたらす可能性すらある」と批判しています。800人以上という多数の現役官僚が公開の声明で自国政府を批判するのは過去に例がありません。この一事をもってしても、パレスチナ問題に関するイスラエル・ネタニヤフ政権の狂気じみた政策(ハマス壊滅までは軍事作戦を継続する)を支持するバイデン政権(及びこれに追随する欧州諸国政府)がいかに危険な領域に踏み込んでいる(迷い込んでいる、というべきでしょう)かが理解されます。
 私は1月25日のコラムでパレスチナ問題に関する私の基本的判断を示しました。同時に、そこで指摘した5つのポイントについて、さらに考察し、その結果をコラムで紹介することを予告しました。5つのポイント中の最重要ポイントはアメリカ・バイデン政権の中東政策の誤りを正すことにあることも指摘しました。したがって、一連の考察の最初に取り上げるのがバイデン政権の中東政策になるのは理の当然です。
 10月7日以後、アメリカのメディアでは、パレスチナを主題とする中東問題に関する多くの論考が発表されています。玉石混淆ですが、五感がいたく刺激される(thought-provoking)文章も散見されます。私の独断と偏見を披瀝するよりも、これらの文章を紹介しつつ、私の感想・意見を付け加えるアプローチが適切であろうと判断しました。
 私の基本的問題意識は、①歴代アメリカ政権の中東政策は多々問題があるが、特に米ソ冷戦終了後、世界一極支配を志向してから問題がさらに深刻化してきた、②特にバイデン政権は、「二足のわらじ」(オバマ政権以後のアジア太平洋最重視戦略を踏襲しながら、中東におけるパワー・ポリティックス伝統政策にも固執)とイスラエルに対する過剰な思い入れという2点で、その中東政策はこれまでの政権以上に重症かつ支離滅裂、③(以上の2点からの延長として)パレスチナ問題に対する徹底的軽視、④足腰の定まらない対イラン外交、⑤動脈硬化的確信犯(バイデン)+凡庸な外交ブレーン(ブリンケンとサリヴァン)という最悪の外交チーム、以上5点です。この5つのポイントに即して、バイデン政権の中東政策の問題点を考えたいと思います。

一 米ソ冷戦終了後のアメリカの中東政策

 このテーマに関しては、2023年10月7日のハマス奇襲攻撃から約10日後の10月18日付でフォリン・ポリシーWSに掲載されたスティーヴン・ウォルト(ハーヴァード大学教授)署名文章「アメリカ:イスラエル・パレスチナ戦争の根本原因」(原題:"America Is a Root Cause of Israel and Palestine's Latest War")が秀逸です。まずは、その論旨に接してください。

 (イスラエルとパレスチナの闘争の長い歴史を踏まえるとき、今回の戦争にのみ着目して「犯人捜し」をする(浅井:結論は奇襲攻撃を仕掛けたハマスが悪者ということになる)ことは問題の本質から目をそらすことになることを注意喚起し、パレスチナ問題の根本原因を見極めることの重要性を指摘した上で、根本原因を特定する作業そのものも、パレスチナ問題の長い歴史の中でどの時点を起点に置くかという判断自体が恣意的にならざるを得ない-1917年のバルフォア宣言、1936年のアラブの反乱、1947年の国連による分割案、1948年の第一次中東戦争、1967年の6日間戦争等が起点になり得る-ことを認めた上で、筆者としては、アメリカが中東問題に絶対的影響力を掌握し、アメリカの利益に奉仕する中東地域秩序を構築することに取り組み始めた1991年を起点として問題を考えると断った上で)1991年を起点とするとき、少なくとも5つの出来事・要素が10月7日以来の悲劇を生み出すことに関わっている。
 第一の契機は、1991年の湾岸戦争及びそれを受けたマドリッド平和会議である。湾岸戦争はアメリカの軍事力・外交力を見せつけ、サダム・フセインの脅威を除去し、地域のバランス・オヴ・パワーのあり方(に関するアメリカの政策)を押しつけた。当時のソ連は崩壊直前であり、アメリカはドライバー・シートにでんと収まった。次いで、ブッシュ(父)大統領、ベーカー国務長官以下の中東チームは同年10月にマドリッド平和会議を招集した。この会議には、イスラエル、シリア、レバノン、エジプト、EEC(後のEU)そしてヨルダン・パレスチナ合同代表団が参加した。
 この会議で具体的結果が得られたわけではないが、アメリカ主導の平和的地域秩序構築のための布石が敷かれた(ブッシュが再選されていたらその後の事態がどうなっていたかは興味深い「もしも(if)」である)。しかし、マドリッド会議は致命的な欠陥を内包し、その後の問題の種をまくものでもあった。すなわち、イランはこの会議に招聘されなかった。これに反発したイランは、「拒否」陣営会合を組織し、ハマス、ジハードを含むパレスチナ諸グループに働きかけを行った。(全米イラン系アメリカ人評議会の創設者である)トリタ・パルシ(Trita Parsi)は著書『反逆同盟』(Treacherous Alliance)の中で、「イランは自らを地域大国であると考え、マドリッド会議に招請されることを期待していた」、なぜならば、この会議は「イスラエル・パレスチナ紛争に関する会議であるだけではなく、新たな中東秩序を形成する重要な契機と見なされたからである」。イランのこの会議に対する反応はイデオロギー的というよりは戦略的なものだった。イランは、自らの利害に関心が払われない場合には、新地域秩序を作ろうとするアメリカ等の試みを妨害する意思があることを示した。
 その後の事態は正にそのようになった。自爆テロをはじめとする過激的暴力は会議が設定したその後の交渉プロセスを妨害し、交渉による解決を支持したイスラエルの動きを邪魔した。時の経過とともに平和は遠のき、イランと西側の関係は悪化し、ハマスとイランの結びつきは強まっていった。
 第二の決定的出来事は2001年の9.11事件及びそれを受けたアメリカによるイラク侵略(2003年)である。バース党・イラクはパレスチナの大義を支持していたとはいえ、アメリカのイラク侵略決定はイスラエル・パレスチナ紛争とは無関係だった。ブッシュ(子)政権は、サダムを取り除くことでイラクの大量破壊兵器の脅威を除去し、敵対諸国・勢力にアメリカの力を見せつけ、テロリズムに打撃を与えることによって、中東全域の民主的かつラディカルな変革への道を敷くことができると信じた。
 不幸なことにブッシュ政権が得たものは、イラクの混迷という高い代価と、中東におけるイランの戦略的立場を劇的に高めるという結果だった。サウジアラビア以下の湾岸諸国は同地域におけるバランス・オヴ・パワーの変化を警戒し、イランの脅威という共通の認識が地域諸国の関係(対イスラエル関係を含む)にも重要な変化を及ぼした。また、イランはアメリカ主導の「政権交代」(regime change)を警戒して核兵器製造能力獲得を目指すこととなり、アメリカ及び国連による制裁強化を招いた。
 今日振り返るとき、第三のカギとなった出来事はトランプ大統領によるイラン核合意(JCPOA)脱退及びイランに対する「最大限の圧力」政策の採用だった。この愚かな決定は次のような不幸な結果を招いた。すなわち、アメリカのJCPOA脱退はイランが核兵器製造能力に近づくことを許し、ペルシャ湾及びサウジアラビアの石油輸送及び設備に対するイランの攻撃を導き、対イラン圧力・転覆政策にはコストとリスクが伴うことを示した。
 果たせるかな、以上の事態の展開はサウジアラビアのイランに対する警戒を高め、核インフラ取得に対する関心を高めることになった。また、イランの脅威増大という強迫観念はイスラエルと湾岸諸国の安保協力の必要性という考えを助長した。
 第四の展開は、トランプのJCPOA脱退決定の論理的延長の一環としてのいわゆるエイブラハム合意である。この合意(アマチュア戦略家・クシュナー(トランプの義理の息子)の創作品)は、イスラエルとモロッコ、バーレーン、UAE及びスーダンとの間の一連の二国間協定の総称である。これらの協定のアラブ側当事国はもともと、一つとしてイスラエルに対して敵対姿勢を鮮明にしていたわけでもなく、また、イスラエルに危害を与えるだけの能力も備えていないことから、この合意は地域の平和に資する意味合いは持ち得ないと批判されている。そもそも、イスラエル支配下にある700万人のパレスチナ人の命運が未解決である限り、地域の平和実現は難しいという批判も免れない。
 トランプ政権に代わったバイデン政権も同じ道を歩んでいる。ますます右傾化を強めるイスラエル政府は過激な入植者たちが取るパレスチナ人に対する過激な行動を支持し、このことが過去2年間にパレスチナ人の死亡と強制退去を飛躍的に増加させてきたのだが、バイデン政権はそれにストップをかける有効な手立てを講じようとしなかった。また、バイデン政権はJCPOA即時復帰を大統領選挙公約に掲げていたが、それも果たすことができなかった。その代わりとして政権が推進したのは、サウジアラビアに対するアメリカの安全保障プラス核技術提供を誘因にして、同国とイスラエルとの関係正常化を推進することだった。
 しかし、この政策はパレスチナ問題と無関係であり、サウジアラビアが中国と接近することを防止することに主眼があった。しかも、サウジアラビアに対する安全保障上のコミットメントをイスラエルとの関係正常化にリンクさせたのは、(人権問題を抱える)サウジアラビアとの取引に対して消極的な議会対策上の必要によるものだった。ネタニヤフ政権と同じくバイデン政権も、パレスチナがこの政策を妨害し、あるいは彼らの窮状に国際的・地域的関心を向けさせるだけの力はないと思い込んでいたのである。
 バイデン政権にとって不幸なことに、サウジアラビアとイスラエルが関係正常化するという噂は、ハマスにとって、バイデン・ネタニヤフの以上の思い込みが決定的に間違っていることを示す格好の材料となった。この事実を認めることは、ハマスが行ったこと、特に10月7日の攻撃の暴力性を正当化するということではなく、ハマスの決定特にそのタイミングは、パレスチナ問題とは無関係な動機に導かれたバイデン・ネタニヤフ主導の中東関係展開の試みに対する反撃だった、という事実を確認するということである。
 第五の要素は、ある出来事というよりも、いわゆる和平プロセスを成功に導くことに一貫して失敗してきたアメリカの政策・アプローチそのものである。アメリカはオスロ合意(その名が示すようにノルウェーの仲介で実現)以来、和平プロセス調停役を独占してきたが、その様々な努力は一つとして実を結ばなかった。クリントン、ブッシュ(子)、オバマは、一極世界における最強国・アメリカは「二つの国家による中東問題解決」にコミットしていると繰り返し宣言したが、結果はますます実現から遠ざかり、今やほとんど不可能になっている。
 これからの(多極化に向かう)世界秩序は誰にも獲得するチャンスがあり、いくつもの影響力を有する国々はアメリカが独占してきた「ルールに基づく秩序」に挑戦しようとしている。中国、ロシア、インド、南アフリカ、ブラジル、イランをはじめとする国々は、パワーがより公平に共有される多極的な秩序を公然と要求している。これらの国々が求めるのは、他国には従うことを要求するが、自らに不都合なときには無視する(手前勝手な)ルールを振りかざすアメリカの思い通りになる世界ではない。
 アメリカにとって都合の悪いことに、以上に指摘した5つの出来事及びその中東地域に対するインパクトは、現状変革志向の立場をとる国々に有力な根拠を提供している(例えば、ロシアのプーチン大統領は最近アメリカが中東問題を独占してきたことを批判した)。これらの国々の言い分は次のようなものだろう。
 「中東を見ろ。アメリカは30年以上にわたってこの地域を独占管理してきた。その「リーダーシップ」が生み出したものは何か。イラク、シリア、スーダンそしてイエメンを破壊した戦争。救命装置なしでは存続不可能なレバノン。無政府状態のリビア。(巨額債務で)崩壊寸前のエジプト。テロリスト・グループが跋扈する国々。核兵器ににじり寄るイラン。安全からほど遠いイスラエル。安全も公正もないパレスチナ人、等々。ワシントンがすべてを取り仕切ってきた結果がこのざまだ。アメリカの指導者の主観的意図はともかく、彼らが繰り返し示してきたのは、積極的結果を生み出す知恵も客観性も持ち合わせていないということだ。」
 中国当局者がさらに次のように付け加えることは容易に想像できる。
 「中国は地域の誰とも良好な関係にあることを紹介したい。我々のこの地域における死活的関心はエネルギーに対する安心できるアクセスという一点のみだ。だから、我が国は地域が安定した平和を保つことにコミットしている。昨年、イランとサウジアラビアの関係改善に中国が手を貸したのはその一例だ。中東におけるアメリカの役割が減退し、中国の役割が増大することは世界のためになることは明らかではないだろうか。」
 以上のようなメッセージが汎大西洋コミュニティ以外の世界では鳴り響いていることを承認しないとしたら、それは持つべき注意力が備わっていない、ということだ。また、台頭する中国の挑戦に取り組むことが最優先事項だと考える者(米西側)は、アメリカのこれまでの行動がどれほど世界危機に貢献してきたか、そして、過去にとらわれることが今後の世界におけるアメリカの立場をいかに損なうことになるか、を考えてみることだ。
 バイデンとその外交チームの名誉のためにいえば、彼らは過去一週間(浅井:10月7日から執筆時点まで)最善を尽くし、自らが部分的にせよ作り出してきた危機を管理するべく努力してきた。しかし、バイデン政権の外交チームはしょせん熟練工に過ぎず、設計者ではない。そして、今の時代は世界政治における制度的設計がますます争点となりつつあり、新しい青写真が求められている。バイデン外交チームは、アメリカのパワーに備わる道具及び政治機構を駆使して短期的問題に対応することには向いているが、アメリカの世界的役割(中東の様々な顧客の扱い方を含む)に関する時代遅れのビジョン(浅井:アメリカによる世界の一極支配)に凝り固まってしまっている。彼らが中東の向かっている方向を読み誤り、バンド・エイド的対応しかできていないことは明らかである。これでは、いくら精力的かつ技巧の限りを尽くすとしても、傷の根本を癒やすことはできない。
 バイデン・ブリンケン政権の政策による最終的結末が10月7日以前の現状への回帰であるとするならば、残りの世界はその結果を受け入れず、違ったアプローチを行うときが来ていると結論づけるだろう。

 丸山真男は、国際認識及び歴史認識における他者感覚の重要性を力説しました。私は「丘の上の町」を自認するアメリカに決定的に欠落しているのがこの他者感覚であると認識しています。他者感覚の欠落は、「世界の中心に座る」意識だけが肥大化する天動説的国際観を導きますし、建国300年にも満たないアメリカという条件も合わさって、歴史に対するまともな感覚を育むことを妨げます。ウォルトの分析が秀逸であるのは、豊かな他者感覚に裏打ちされており、1990年代以後のアメリカの「唯我独尊」的対外政策を透徹した目で観察し、21世紀世界の歴史的方向性(多極化)を的確に判断し、中国、ロシア、イラン等を見る目に曇りがないからです。
 一つだけ蛇足を付け加えるならば、米西側ではパレスチナ問題の「元凶」(諸悪の根源)と決めつけられるイランですが、ウォルトの指摘する5つの出来事・要素は、そういうイランに関する米西側のイメージ・通念そのものがアメリカの誤った対イラン政策の積み重ねの所産であることを説いています。短い文章の中で、パレスチナ問題がなぜ今回の事態を生むに至ったのかを分かりやすく解き明かしたこととあわせ、ウォルトの文章には脱帽です。

二 「二足のわらじ」とイスラエルに対する異常な思い入れ

 バイデン政権は、トランプ政権時代の「一国主義」外交を批判して伝統的「国際主義」外交への回帰(多国間・二国間同盟関係の重視)を掲げ、オバマ政権が打ち出したアジア太平洋重視・対中東関与縮小戦略を踏襲する方針を明らかにしました。また、イランを敵視したトランプ外交を批判し、対イラン関係の改善を視野に入れた対中東政策の見直しも視野に入れました。しかし、総論的にはトランプ外交との違いを際立たせましたが、各論になると、ウクライナ問題を焦点とした対ロシア政策は別として、アジア太平洋重視戦略の中心は「対中対決」、対中東関与縮小戦略の中心は「イスラエル重視(その系としてイラン敵視)」であり、トランプ政権の政策を実質的に踏襲する点で、むしろ継続性が際立つ結果になりました。特に対中東政策に関しては、ウォルトの分析が明らかにしているとおりです。
 なぜ、バイデン政権の中東政策はトランプ政権の政策を踏襲する結果になったのか。この点に関しては、2023年11月13日付geopoliticaleconomy WSが掲載した、ベン・ノートン署名文章「バイデンがイスラエルを支持する地政学的分析」(原題:"Why does the US support Israel? A geopolitical analysis with economist Michael Hudson")が解明しています。この文章は、geopoliticaleconomy WSを主宰するベン・ノートンが、「イスラエルがアメリカの対外政策に占める重要性及びアメリカが中東地域を含む全世界を支配しようとする動機」について、マルクス主義経済学者のマイケル・ハドソンにインタビューした内容を整理したものです。ハドソンに関しては、私は2023年5月29日のコラムなどで紹介したことがあります。専門は経済学ですが、国際問題全般について高い見識を持っています。ノートンの文章自体、ノートンが問題を提起し、ハドソンがそれに答える詳細な文章が付属しています。ただ、この問答があまりにも長いため、ノートンがダイジェスト版を作成しました。以下は、そのダイジェスト版の大要です。
 この文章から理解できることは、①バイデンのイスラエル重視は尋常なものではないこと(1986年に「イスラエルが存在していなかったとしたら、アメリカはこの地域における利益を守るために、イスラエルを作り出さなければならない」とする認識を披瀝した後、今日まで一貫してその認識に固執している)、②「中東→アジア太平洋」という戦略重点の移行とは概念図式的レベルのものであり、アメリカにとっての中東の地政学的・戦略的重要性は微動もしていないこと、の2点です。

 イスラエルがバイデン政権の対外政策に占める重要性を理解する上では、バイデンが、イスラエルはアメリカの地政学上のパワーを、世界的に死活的に重要な地域の一つである中東に拡大する上での支柱と認識していることを強調する必要がある。バイデンは早くも1986年(上院議員時代)に、イスラエルが存在していなかったとしたら、アメリカはこの地域における利益を守るために、イスラエルを作り出さなければならない、と述べた。
 中東(より正しくは西アジア)は石油と天然ガスの世界最大の貯蔵量を誇り、アメリカの伝統的目標の一つは石油及び天然ガスの世界市場価格の安定を維持することにある。しかし、冷戦終了・ソ連崩壊の1990年代以後、アメリカは世界のすべての地域に対する支配を目指すようになった。そのことを端的に表明したのは国家安全保障会議(NSC)が1992年に明らかにしたいわゆるウォルフォヴィッツ・ドクトリンである。「アメリカの目標は、アメリカの利益にとって死活的な地域が敵性国家によって支配されることを排除し、アメリカ及び同盟国の利益に対する世界的脅威が台頭することを防止する障壁を強化することである。これらの地域には、欧州、東アジア、中東・湾岸地域、そしてラ米が含まれる。これら地域の資源が集権的・非民主的な勢力に支配されることは我が安全保障に対する重大な脅威を生む。」2004年に発表された国家軍事戦略も、その目標は「全面的支配」("Full Spectrum Dominance")、つまり、いかなる状況をも支配し、軍事作戦を通じていかなる敵をも打ち破る能力を維持することである、と述べた。
 中東に関しては、アメリカは伝統的に「二つの柱」戦略-西のサウジアラビア、東のイラン-に依拠してきた。しかし、1979年のイラン革命でその一つの柱を失ってから、アメリカの中東支配においてイスラエルの重要性が次第に高まっていった。この地域の戦略的重要性は石油・天然ガス資源だけではなく、地球上でもっとも重要な通商ルート(特にスエズ運河、イエメンのバブ・アル・マンダブ海峡)が位置することにある。世界の多極化が進行し、地域におけるアメリカの影響力が弱まっている中で、アメリカが支配を維持する上でのイスラエルの重要性が高まっているのだ。
 世界の石油価格決定においては、今やサウジアラビアとロシアが中核的役割を果たしている。サウジアラビアは伝統的にアメリカの忠実な属国だったが、今日ではますます非同盟的な対外政策を営むようになっている。その大きな理由の一つは、中国が地域諸国の最大の貿易相手国となっていることだ。それに加え、中国は「一帯一路」イニシアティヴという世界的インフラ・プロジェクトを通じて、世界貿易の中心をアジアに引き戻しつつある。そして、このイニシアティヴにとって決定的に重要なのは中東、より正確には西アジアであり、それはこの地域がアジアと欧州とを結びつける地域であるからに他ならない。
 アメリカが新しい交易ルート建設計画で「一帯一路」に必死に挑戦しているのは正にこのためである。アメリカは特にインド-ペルシャ湾-イスラエルという交易ルートを建設しようとしている。
 以上のすべてのプロジェクトにおいて、イスラエルはアメリカ帝国のパワーの延長として重要な役割を担っている。バイデンが「イスラエルが存在していなかったとしたら、イスラエルを作り出さなければならない」と述べた今日的理由は正にここにある。現にバイデンは、2022年10月27日にホワイトハウスでイスラエルのヘルツォグ大統領と会見した際にもこの発言を繰り返し、直近では、昨年(2023年)10月18日にイスラエルで行った演説の中でもこの発言を繰り返した。

 バイデンの「イスラエルが存在していなかったとしたら、アメリカはこの地域における利益を守るために、イスラエルを作り出さなければならない」という確信犯的認識から直ちに明らかになるのは、アメリカの中東における死活的利益を"中東におけるアメリカの分身"ともいうべきイスラエルの絶対的安全保障と直結させているということです。バイデンとネタニヤフとの個人的関係は良好とはいえませんが、イスラエルの安全を脅かす可能性のある存在を敵視する点において、歴代両国政権と同じく、両者は戦略的立場・認識が一致しています。
 アッバス率いるパレスチナ自治政府(PA)の前身はアラファトが率いたパレスチナ解放機構(PLO)ですが、オスロ合意が成立するまでは、PLOは長らくテロ組織という烙印を押され続けていました。アラファト・アッバスが「二つの国家」方式を受け入れたということは、国家としてのイスラエルの存在を認め、武力解放闘争路線を放棄したことに他なりません。
 しかし、パレスチナ人すべてがアラファト・アッバス路線を支持しているわけではありません。それを端的に示したのは、2006年のガザ地区の民主的選挙でハマスが勝利し、PA統治にノーを突きつけたことでした。ハマスは、国家としてのイスラエルの存在を認めず、武力解放闘争を通じてパレスチナ全土でパレスチナ人国家を樹立することを主張しており、ガザでの勝利は民意がこの主張を支持していることに他なりません。
 しかし、バイデンに連なるアメリカ歴代政権はこの「不都合な真実」に目を背けました。トランプ政権に至っては、オスロ合意自体を足蹴にし、ネタニヤフ政権のパレスチナ問題に関する強硬路線に迎合して、大使館を東エルサレムに移転し、アラブ諸国とイスラエルの関係正常化を推進しました(エイブラハム合意)。
 バイデン政権は、クリントン政権が仲介したオスロ合意に基づく「二つの国家」方式によるパレスチナ問題解決路線に回帰しつつ、「テロ組織」と断定するハマスを排除し、将来的パレスチナ国家の正統統治機構としてPAの復権を助長・支援する政策を推進するとともに、この政策・路線と基本的立場を同じくするサウジアラビアにイスラエルとの関係正常化に応じることを働きかけてきました。アラブ世界の雄であるサウジアラビアのイスラエル承認は、アメリカ主導の中東地域の平和と安定の実現につながる、というのがバイデン政権の中東戦略の基本的構想であるといえるでしょう。
 なお、パレスチナ人心を失って久しいPAを将来的パレスチナ国家の統治機構に据えるというバイデン政権の発想は、「アラブの春」「カラー革命」の失敗から何も学んでいない旧態依然のもので、パレスチナ問題解決に障害を設けるだけです。ちなみにアラファト自身は、将来の選挙でハマスが勝利する場合にはハマスに政権を明け渡す、と述べたことが伝えられています。
 ハマスにとっては、バイデン政権の構想の実現を許すことは、パレスチナ問題の辺縁化を許すことに他なりません。周到かつ隠密な準備の上で10月7日に決行されたイスラエルに対する奇襲攻撃は、「パレスチナ問題の解決なくして中東の平和と安定はあり得ない」ことを国際的に再認識させ、イスラエルとの関係正常化に前のめりになっていたサウジアラビアに再考を迫り、パレスチナ問題辺縁化を追求してきたバイデン・ネタニヤフ政権に痛撃を加えることを目的とした、「パレスチナ問題の主役はハマスであること」を誇示する、優れて政治戦略的意図に出た軍事作戦だったといえるでしょう。ハマスとしては、ネタニヤフ政権の軍事壊滅作戦を耐え忍び、組織としての生き残りに成功しさえすれば、パレスチナ問題の国際的解決及びパレスチナ国家建設における主役の座を確保できるという展望のもとで行動していると見られます(日中戦争を戦った毛沢東の持久戦論を彷彿させるものがあります)。

三 パレスチナ問題に対する徹底的軽視

 2023年10月23日付のニューヨーク・タイムズが掲載したスティーヴン・エアランガー(NYT外交担当特派員)署名文章「イスラエル・パレスチナ紛争の想定を打ち砕いた戦争」(原題:"War Has Smashed Assumptions About Israeli-Palestinian Conflict")は、ハマスの戦略的意図に出た軍事行動が、パレスチナ問題を徹底して軽視してきたイスラエル・ネタニヤフ政権及びその背後にあるバイデン政権に与えた打撃・衝撃の深さを指摘する優れた分析です。彼自身はアメリカの世界的リーダーシップに望みをつないでいることは最後の文章から読み取れますが、分析自体の価値を損なうものではありません。

 ハマスの奇襲攻撃により、過去数年間のイスラエル・パレスチナ紛争を規定してきた一連の想定がひっくり返ることとなった。イスラエルは今回の事態をアメリカで起こった9.11テロ、1973年にエジプトとシリアに率いられたアラブの奇襲攻撃で開始された第4次中東戦争(このときもイスラエルには不意打ちだった)になぞらえている。粉々になったのは以下のパラダイムである。
(ハマスは押さえ込みでき、紛争は制御可能範囲内という想定)
 ネタニヤフ首相は、パレスチナを西岸とガザとに分裂させる戦略を実行してきた。彼は、ハマスがガザを支配することを許すことで、アッバス率いる統治体であるパレスチナ自治政府(PA)の力を弱めようとしてきた。そこで働いていた論理は、カタールの財政援助を受けたハマスがガザ支配に対する責任を持つことを通じてより穏健となるとともに、その支配を損なうことにつながりかねないイスラエルに対する攻撃を思いとどまるだろう、ということだった。イスラエル側が好んで口にしたのは、"ガザ市民により良い生活を認めることで、ハマスにおとなしくするインセンティヴを与える"ということだった。イスラエルは、カタールがハマスに資金提供することを認め、自らもガザ市民の暮らしをよくするために電力、水、食料そして医薬品を提供してきたし、限られた数のガザ市民にイスラエルで働くことも認めてきた。そうすることで、イスラエルはエジプトと一緒になって、ガザ市民を「開かれた牢獄」に閉じ込めてきたのである。
 以上の戦略はパレスチナ国家創設を妨害するという目標を達成するためのものだ、と評されてきた。しかし、今回の奇襲攻撃の結果、紛争を管理して押さえ込む、という以上のイスラエル側の構想は打ち破られた。
(イスラエルは不敗であり、軍事的な圧倒的優位性を持つという想定)
 イスラエルは、いかなる敵国よりも優れたテクノロジー的優位性を提供するというアメリカの政策をバックに、中東最強の軍事力を保有している。イランとの戦争の可能性に備えるイスラエルは、ちっぽけなガザを基盤とするハマスに対してはもちろん、イラン及びヘズボラに対しても、アメリカの協力のもとで良好な諜報力を持っていると確信してきた。
 しかし、9.11に直面したアメリカと同じく、資源に遙かに乏しい敵は不意を襲う攻撃を遂行することで戦略的成功を達成したのである。イスラエルの過信、慢心、テクノロジーに対する過度の依存、そして10月7日はユダヤ人の休日であったことが積み重なったことで、10月7日の敗北が導かれた。そして、ハマスが極秘裏に計画を進める能力は、ガザにおける人的諜報力に対するイスラエルの自信に甚大な打撃を与えた。
(アラブ世界はパレスチナ問題があっても前進するという想定)
 ネタニヤフは、イランに対する警戒(核計画、ハマスやヘズボラに対する支援、中東の覇者になろうとする野望)をイスラエルと共有するアラブ世界に対する接近によって賞賛を獲得してきた。アメリカの支持、仲介も得て、ネタニヤフは、2020年にバーレーン及びUAEとアブラハム合意を結び、関係を正常化した。モロッコとスーダンがそれに続いた。イスラエルとアメリカはさらに、アラブ世界の雄であるサウジアラビアに対しても、相互防衛条約及び民生用核テクノロジーと引き換えに、イスラエルとサウジアラビアの関係正常化についても交渉してきた。
 しかし、問題はパレスチナに対する見返りが皆目明らかではなかったことだ。イスラエル側では、アラブ諸国は今やイスラエルを地域から除去できない存在であり、ビジネス、テクノロジー、公益の相手であると考え、パレスチナ問題を大きな障害とは考えていない、という思い込みも生まれていた。
 サウジアラビアが、ヨルダン川西岸におけるイスラエルの入植政策が緊張を高めていることなど、イスラエルがパレスチナ人に対して大きな譲歩を行わないことに対していらだちを表明してきたことは確かである。しかし、サウジアラビアの最高実力者であるサルマン皇太子(MBS)は9月(2023年)に、「日々(関係正常化に)近づいている」と述べたのだ。
 だが、10月7日以後はもはやそうではなくなった。すなわち、今やイランはハマス、ヘズボラ、パレスチナ・イスラム・ジハードと一緒になって「抵抗枢軸」を呼号し、パレスチナの大義の真のチャンピオンを名乗っている。サウジアラビアはイスラエルとの交渉を中断し、イランとよりを戻そうとしている。
 スンニ派諸国はハマス、イスラム過激派、イランに対して好感を持っているわけではない。しかし、ガザ及び西岸におけるパレスチナ人の窮状に対するアラブ世論の同情を前にして、関係正常化は当分お預けである。パレスチナの大義に対するアラブの民衆的反応とアラブ諸国指導者のクールな判断との間には緊張関係がある。ハマスが狙ったのはパレスチナ問題を再び中東問題の中心に据え直すことであり、その奇襲攻撃は過去10年に類を見ないパレスチナ支持のデモをアラブ諸都市で引き起こし、ハマスの意図どおり、パレスチナ問題を再び中東問題の最前線に引き戻した。湾岸諸国指導者はハマスの勝利を望んではいないが、その実際の行動は世論に引きずられている。
(アメリカは中東を無視できるという想定)
 アメリカは長年にわたり、「二つの国家」方式による解決にコミットし、西岸に対するイスラエルの入植政策を非難するというリップ・サーヴィスを行ってきた。そして、トランプ大統領の下でエイブラハム合意を仲介し、サウジアラビア以下の湾岸諸国を重視し、パレスチナ問題を脇に置いてきた。ワシントンにとって中東よりはるかに重要なのは、中国であり、アジア・太平洋であった。そして、2022年以来はロシアのウクライナ侵攻があって、アメリカはNATOをモスクワに対峙させる必要に迫られた。
 ただし、バイデン大統領はそれ以上に、イスラエルに対する揺るがない支持及びイランの脅威に直面するアラブ諸国と確信を共にするという努力に傾注した。そして、今回の戦争に終わりが来るとした場合、アメリカのみが平和への新しいパラダイムを提供することができると見られるだろう。バイデンは、イスラエルを抱え込み、イランに対抗することで、未来に対する青写真を打ち出すという正統性を持っているというわけだ。イスラエルのアナリスト曰く、「ネタニヤフはアメリカが導くことを必要としている。」
 バイデンは中東から戻って行った主要演説の中で、「アメリカのリーダーシップが世界を一つにまとめている」と述べ、さらに「アメリカがウクライナに背を向け、イスラエルから遠ざかるとしたら、すべてをリスクのもとに置くことになる」と付け加えた。アメリカ系イスラエル人で、ダートマス・カレッジとへブリュー大学で教鞭を執ってきたバーナード・アヴィシャイは、イスラエルにおいてかつてない道義的権威を持っているワシントンのみがこの戦争を収拾できるとし、「パレスチナの自決に最終的に取り組む新たなパラダイムを確立するという望みを提供できるのはアメリカだけだ」と述べた。彼はさらに、アメリカの二つの国家による解決という主張は「陳腐な発言」と見られてきたが、「それを具体化するために何かするタイミングはまだある」と付け加えた。

四 足腰の定まらない対イラン政策

 バイデン政権の対イラン政策が曖昧模糊としたものであることに関しては、一で紹介したスティーヴン・ウォルトの「ますます右傾化を強めるイスラエル政府は過激な入植者たちが取るパレスチナ人に対する過激な行動を支持し、このことが過去2年間にパレスチナ人の死亡と強制退去を飛躍的に増加させてきたのだが、バイデン政権はそれにストップをかける有効な手立てを講じようとしなかった。また、バイデン政権はJCPOA即時復帰を大統領選挙公約に掲げていたが、それも果たすことができなかった。その代わりとして政権が推進したのは、サウジに対するアメリカの安全保障プラス核技術提供を誘因にして、同国とイスラエルとの関係正常化を推進することだった」というくだりが明らかにしています。そしてその主たる原因が、二で述べたバイデンのイスラエルに対する異常なまでの思い入れ及び、三で指摘したパレスチナ問題に対する徹底的軽視に由来するものであることも、容易に理解できるところです。
 しかも、ウォルトの指摘からも理解できるように、第二次大戦後のアメリカは、米ソ冷戦時代とアメリカ一極覇権主義時代とを問わず、地域大国・イラン及びその中東政治に占める重要性を正しく認識して対イラン政策を営むことがありませんでした。したがって、アメリカ政治の「嫡出子」とも言うべきバイデン政権に突然変異的な対イラン政策を期待することにそもそも無理があると言うべきでしょう。
 その点を認めた上で、1月28日に3人の米兵が殺害されてからのバイデン政権の迷走ぶりは際立っており、アメリカ国内で厳しい批判の対象となりました。しかし、バイデン政権を批判する論者も、「攻撃を抑え込むことができる唯一の方法はガザ停戦である。なぜならば、武装勢力はパレスチナ人と連帯して行動していると主張しているからだ」とズバリ問題の核心を指摘したバーバラ・スラヴィン(後述参照)を除けば、トランプ以下の共和党強硬論者の「主戦論」は例外として、出口戦略の見通しが立たないイランとの全面対決は選択肢にないという点で、バイデン政権と大同小異です。対イラン戦略を含む中東戦略の欠如こそがアメリカ政治の根本問題であることを理解させられます。
 以下では、1月29日付のニューヨーク・タイムズが掲載したデイビッド・サンガー「米兵の死を受けたバイデンの選択肢」(原題:"Biden's Options Range From Unsatisfying to Risky After American Deaths")及び、1月29日付のThe Hillが掲載したブレット・サミュエルズ(ホワイトハウス担当)&ブラッド・ドレス(防衛担当)「米兵殺害を受けたバイデンの対応」(原題:"Biden weighs high-stakes response to Iran after US troops killed in Jordan")を紹介します。

<デイビッド・サンガー「米兵の死を受けたバイデンの選択肢」>
 1月28日に3人の米兵がドローン攻撃で殺される以前から、バイデン政権はこのようなときについての計画を立てていた。つまり、イランの代理勢力が攻撃を思いとどまるようにし、イランにメッセージが間違いなく届くようにする反撃を行うタイミングの検討である。しかし、そのような反撃の選択肢は極めてリスキーなものを含め様々だ。極めてリスクが高い選択肢としては、シリアやイラクに駐在するイスラム革命防衛隊(IRGC)メンバーを標的にするとか、さらに進んではイラン領内のドローンやミサイルの製造元を攻撃することとかなどが含まれる。しかし、その攻撃の結果如何では別の戦線が開かれ、より強力な敵に直面することにもなり得る。要すれば、バイデンがこれまで避けようとしてきたことすべてをやらざるを得なくなる可能性があるということだ。
 そこまでには至らない攻撃の選択肢もないではない。例えば、イランに対して反撃を控えてエスカレーションを防ぐようにメッセージを送った上で攻撃を行うやり方だ。この方法は、2020年にIRGC司令官のソレイマニを殺害した際に功を奏したことがある。ソレイマニを殺害したときは中東で全面戦争が勃発することが深刻に懸念されたが、双方が自重した。
 イランが戦争に直接参入することを望んでいないことは当時と変わっていないが、米兵の死傷者などが増えたことで、アメリカ側の国内的政治圧力(共和党)、軍事的考慮、地域の脆弱性等は、4年前と今日とでは違ってきている。アメリカの8代政権期間を通じてイランは一貫して敵だったので、攻撃対象には事欠かない。例えば、アメリカは主要なドローン製造工場を特定している(ただし、米兵殺害のドローンがイラン製かどうかは特定されていない)。また、イランとイスラエルとの衝突が勃発した場合に攻撃するべきイランのミサイル格納庫や空港も特定している。さらには、イランの防空・通信システムや基幹電力設備を無能化させる詳細なサイバー攻撃の選択肢("Nitro Zeus")も用意されていたこともある(JCPOA合意後の2015年に棚上げ)。
 しかし、これらのプランは一度として実行されてこなかった。理由はただ一つ。アメリカもイランも、いったん全面衝突が始まってしまった場合に、攻撃・反撃のサイクルから抜け出すすべを見いだせないということだ。アメリカとしては最終的勝利に確信があるとしても、アメリカの同盟国特にイスラエルがどれだけの被害に見舞われるかは想定もつかない。トランプでさえも攻撃計画を引っ込めた。
 バイデンの今回の対応を非難している共和党議員たちの発言には以上の考慮がまったく抜け落ちている。もちろん、そういう勇ましい発言は、大統領選挙年に当たっては政治的アッピールを持つ。バイデン政権の中にいるものすら、これまで何をやっても「デタランスを回復する」という目標実現に失敗してきたことを認めている。
 しかし、問題はバイデンが何を思いとどまらせようとするのか自体がはっきりしていないことだ。アメリカ情報筋によれば、イランは代理勢力に対して武器、資金、そして時には情報を提供しているが、イランが事前にヨルダンにおける(ドローン)攻撃のことを知っていた証拠はないという。イラン外務省スポークスマンは29日に記者会見の席上、武装組織はイランから「命令を受けた」のではなく、独自の判断で行動した、と述べた。つまり、武装組織の行動を肯定せず、その攻撃から距離を置いたわけだ。しかし、イランが武装勢力を全面的に支援してきた以上、武装勢力の行動については、イランの主観としては肯定できないものを含めて、すべてに責任があるという議論も成り立つ。外交問題評議会のイラン問題専門家・レイ・テイケイ(Ray Takeyh)は、「これはイランの代理戦争戦略に内在するリスクである。アメリカの報復がイラン領を対象とせず、代理勢力のみに限定される限りは成功するが、今や事態は収拾不可能になりつつある」と述べた。
 制裁手段を取り尽くしてしまったバイデンにはもはや中間的選択肢はなくなっている。大統領選挙の年にあり、しかも2つの戦争を抱え込んでいる。第3の戦争を始めないで、イランに対米攻撃支援を断念させるにはどういう方法があるのか。これがバイデンの現在の試練である。
<ブレット・サミュエルズ&ブラッド・ドレス「米兵殺害を受けたバイデンの対応」>
 バイデン政権は、武装勢力による米兵殺害により、イスラエル・ハマス戦争開始以来絶対に回避したいとしてきた事態、すなわち、衝突拡大の引き金を引くことなしにイランのこれ以上の攻撃を思いとどまらせるという至難なタイトロープ的対応、に直面している。国家安全保障担当のカービー報道官は29日、「我々は第3の戦争を望まないし、エスカレーションも望まない。しかし、我が身を守るために必要とされることは絶対にやるし、今回の攻撃にはしかるべく対応する」と述べた。カービーは、「アメリカはイランとの戦争を望んでいないが、(バイデンはイラン国内に対する攻撃を考えているかを質問されたのに対して)テーブルの上にあるかどうかについては言わない」と述べた。カービーはさらに、「週末の攻撃が事態を拡大させるものであることは間違いないし、対応が必要なことも明確だ.(しかし)大統領の決定を先取りしない」とも述べた。インタナショナル・クライシス・グループのイラン・プロジェクトのアリ・ヴァエスは、「バイデン政権にとってのジレンマは、イランの鼻に触れないで鼻血を出させるにはどうするか」にある、と問題の難しさを形容した。
 スティムソン・センターの中東問題専門家であるバーバラ・スラヴィンは、米兵殺害のドローン攻撃が「危険なエスカレーション」であるとして、アメリカの反撃が厳しいものになると予想した上で、これまでも厳しい対応をしてきたのに攻撃激化を抑え込むことができなかったことを指摘し、「これ以上何ができるか、私には分からない」とした。そして、「攻撃を抑え込むことができる唯一の方法はガザ停戦である。なぜならば、武装勢力はパレスチナ人と連帯して行動していると主張しているからだ」と述べた。

五 動脈硬化的確信犯(バイデン)+凡庸な外交ブレーン(ブリンケンとサリヴァン)

 私はバイデン政権登場以来の対外政策を観察してきましたが、アメリカ政治の衰退も極まれり、という感慨を禁じ得ません。パワー・ポリティックスではあっても、キッシンジャーのような深い歴史的洞察力を伴った国際政治学者・政治家からは、私は多くを学びました。しかし、ニクソン・キッシンジャー以後のアメリカ政治は衰退の一途です。「一国主義」のトランプがあまりにひどかったので、「国際主義への回帰」を掲げたバイデン政権に淡い期待を抱きましたが、瞬く間にその期待は打ち砕かれました。動脈硬化的確信犯(バイデン)と彼に忠義を尽くす凡庸な外交ブレーン(ブリンケンとサリヴァン)から多くを期待するのがそもそもの誤りです。
 2023年11月14日付のポリティコに掲載されたグレグ・カールストロム「バイデンによる中東の惨状」(原題:"Joe Biden's Middle East Mess")は、中東問題に関するバイデン外交の惨状を的確に描き出しています。ちなみに、カールストロムは、10年以上にわたってエコノミスト誌の中東特派員で、著書には2017年出版の『イスラエルの余命』(原題:"How Long Will Israel Survive: The Threat From Within")があります。

 サリヴァン大統領補佐官は(2023年)9月29日に行った演説の中で、「中東地域はこの20年の中でもっとも平穏である」と述べた。このような発言は、数日後(10月7日)のハマスの奇襲攻撃が仮になかったとしても、問題山積の中東情勢とかけ離れたものであり、諸問題を直視しない者だけがなし得る発言だ。問題は、サリヴァン発言はバイデン政権の基本姿勢そのものであるということだ。
 政権が中東地域におけるバイデン・ドクトリンと称するものの中身はサリヴァンの上記演説の中で示されている。政権が目指すのは中東地域の統合であり、そのための具体的政策は、①アラブとイスラエルの関係正常化、②対イラン外交、③経済統合促進、という3本柱である。これ以外の要素はすべて脇に追いやられ、イスラエルとパレスチナの紛争も無視される。エイブラハム合意を拡大し、イランとの休戦を達成しさえすれば、政権は中東への関与から解放されるというわけだ。
 バイデンの中東政策の中心に座るのはアラブとイスラエルの関係正常化であり、これはトランプ政権から継承したものだ。政権は長い時間をかけてサウジアラビアによるイスラエル承認とエイブラハム合意への参加を説いてきた。その際、イスラエルの政策決定に対するサウジアラビア以下のアラブ諸国の外交的テコが強まることはパレスチナ人に対する助けにもなる、とも主張された。それが希望的考え方に過ぎないことは、アラブ諸国の対イスラエル影響力がゼロであることに示されている。
 2020年に最初にイスラエルを承認したUAEとバーレーンは、イランに対する反感をイスラエルと共有していた。サウジアラビアもそうだ。アメリカとしては、この脅威認識が軍事安全保障同盟を強固にする接着剤になることに狙いがあった。例えば、アラブ諸国とイスラエルがミサイル防衛を統合できれば、アメリカに頼らなくても、イラン及びその代理勢力から地域を守ることができるようになるだろう。さらに進んで、「アラブ版NATO」の結成だって考えられるようになるかもしれない。
 しかし、それはしょせん夢物語だ。UAEがイスラエルを承認した数週間後、UAE大統領の対外政策顧問であるアンワル・ガルガシュは、このことは「第三国・者」(イランを意味することはほぼ明らか)に対する同盟を作ることを意味するものではないと述べた。彼は昨年私(筆者)に対して、「エイブラハム合意は我々の利益を促進するためのものであり、イランと戦争することはその中には含まれていない」と語った。
 10月7日以後の数週間、湾岸諸国がイスラエルの側に立ってイランの代理勢力と戦おうとしてこなかったことは当然である。これら諸国が神経をとがらせているのは、ガザの戦いが地域全体の紛争に発展する可能性だ。サウジアラビアは、2019年の産油地帯に対する攻撃で石油生産が一時的にせよ半減したことを記憶している。UAEは、2022年のドローン攻撃で3人の移民労働者が殺され、自らの「安全なオアシス」というイメージが損なわれたことを今でも苦々しく思っている。これら二つの事件はイランが支持する勢力によるものだった。
 10月7日以後、アメリカは2隻の航空母艦からなる戦闘群を地中海に派遣するなどの対応をとったが、湾岸諸国は中立維持に腐心してきた。サウジアラビアは、3月に設定したイランとのデタントにコミットしている、というシグナルを発し続けてきた。UAEの指導者は、イスラエルに対する好意的姿勢を公にし、ハマスを壊滅させる構想に対しても熱心であることを非公式に明らかにしたが、その彼らも地域紛争でいずれかの側に立つことは避けようとしてきた。アメリカの望む地域安全保障同盟と自国の直接的利益との間の選択を迫られた時、湾岸諸国は自国の利益を最優先した。
 バイデン・ドクトリンの二つ目の柱である対イラン外交に関するバイデン政権のアプローチもナイーヴである。
 バイデン政権はJCPOAへの速やかな復帰に失敗した後、カネで平穏を買うという「ミニ・ディール」を追求した。紆余曲折を経たものの、イランは(2023年)9月に、60億ドルの凍結資産と引き換えに5人のアメリカ人の釈放に応じた。それから一ヶ月も経たないうちに、イランが支援するハマスは地域を紛争に陥れた。もちろん、5人の釈放とハマスの攻撃との間には何の結びつきもない。現にイスラエルの軍事・諜報筋は、イランはハマスの行動に驚いたことを指摘している。イランがハマスの攻撃を承認し、権限を与えたとする信頼できる証拠はない。
 とは言え、イランは大量の資金を投じて代理勢力のネットワークを構築してきた。JCPOA(締結)のロジックは、イランの核計画の脅威はこれら代理勢力の脅威よりも大きく、したがって、後者の脅威をおろそかにしてでも前者の脅威を限定する選択は正当化できるトレード・オフだ、ということにあった。しかし結局、バイデン政権の政策は両方の脅威を抑え込むことができなかった。
 三番目の柱である経済統合促進も愚策だ。2022年10月、バイデン政権は鳴り物入りでイスラルとレバノンの協定調印を見守った。敵対する両国が合意したのは、両国間の洋上の国境線を分け合うもので、大統領エネルギー顧問のアモス・ホッチスタインのペット・プロジェクトだった。そこで想定されたのは、経済的利害の相互性という網で両国を縛ることだった。この協定によれば、イスラエルがすでに巨大なガス田を発見している地域から遠くない海域で外国企業が試掘を始めることが想定されていた。両国が化石燃料発掘から利益を上げることができれば、戦争回避の大きなインセンティヴになるという理屈だ。
 しかし、イスラエルとハマスの戦争開始から6日目である10月13日、ロイター通信はレバノン海域での最初の探査の結果、石油も天然ガスも発見されなかったと報じた。ヘズボラがハマスに対する支持を示すべくイスラエル北部に対する砲撃を続け、イスラエルとレバノンが戦争に向かう中で、両国を戦争から引き戻すはずだった構想は幻想に終わったのである。
 物事の核心をなすものは、バイデンが強調したことよりも彼が無視したことだった。すなわち、イスラエル・パレスチナ紛争こそが問題の根源であり、中東地域を戦争の瀬戸際に導く問題はほかにはない、ということだ。ハマスが奇襲攻撃をかけるまでの2023年という年は、30年前のオスロ合意で限定的自治政府を組織したパレスチナ自治政府(PA)が統治するヨルダン川西岸地域に住むパレスチナ人にとって(ネタニヤフ政権による圧政による)最悪の年だった。
 アメリカはこの数年間、パレスチナ領における現状を無期限に維持すると主張するネタニヤフの言うなりだった。アメリカは、(イスラエル寄りの)仲介者であることすらやめて完全な傍観者となり、イスラエルとアラブ諸国の関係正常化がイスラエルとパレスチナとの和平実現に取って代わるかのごとき言説に終始してきたのである。
 アメリカの政策が漂流状態なのはこの問題だけではない。アメリカは、中東における軍事プレゼンスを縮小して、欧州及びアジアに注力するというシグナルも発してきた。しかし、中東には問題が山積している。例えば、エジプトのシシ大統領は無用な箱物プロジェクトと武器輸入に大金をつぎ込んだ結果、深刻な債務危機に陥っている。エジプトはIMFにとって2番目の債務大国であり、2024年には対外準備の85%に当たる290億ドルの対外債務償還に迫られている。エジプト・ポンドは過去2年間で価値が半減し、インフレは9月に年率にして38%を記録した。ところが、こうしたアラブ最大国家の危機的状況について見解を問われたアメリカ当局者は肩をすくめるだけだった。エジプトに関するアメリカ当局者の関心は、紅海上の2つの島をサウジに譲渡する取引にシシが応じるよう説得することであり、その理由は、サウジとイスラエルの関係正常化取引に資するからだというのだ。
 イスラエルとパレスチナが共に内紛を抱えている中で、バイデンがイスラエル・パレスチナの和平プロセスに大きな進展をあげることは困難だろう。エジプトを財政危機から引っ張り出すことも、レバノン指導者に内政に真剣の取り組むように説得することも簡単ではない。しかし、現実的な中東政策である限り、中東に問題が山積しているという事実から出発しなければならない。
 中東問題は大統領の机の上にある。ところがバイデンは、イスラエルに全面的に肩入れし、明確な出口戦略もないまま、この壊滅的戦争を(ネタニヤフと一緒になって)共同管理しようとしてきた。例えば、バイデン政権はエジプトに対してガザからの難民を引き受けるように圧力をかけた。しかし、難民の定住化を恐れるエジプトがその要求を受け入れるはずはない。また政権は、アラブ諸国がガザに多国間平和維持部隊を派遣するよう求めた。しかし、軍事的道義的泥沼化を避けたいアラブ諸国は難色を示す。政権は、「ポスト・ハマス」のビジョンもないまま戦争を続けるイスラエルを批判するものの、その戦争自体は支持し続けている。このように、バイデン政権には中東問題に取り組むプランがゼロなのだ。

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