昨年(2023年)12月6日付の人民日報海外版が、私の敬愛する陳映真に関する文章を掲載しました。陳映真夫人・陳麗娜が中国現代文学館に寄贈した彼の資料の贈呈式兼陳映真研究計画始動式が行われたことを紹介するものです。主催は中国作家協会、中国作家協会港澳台弁公室と中国現代文学館が担当して行われたこの会合には、中国と台湾の学者30人余が出席し、彼を追憶し、記念するとともに、彼の文学精神の研究、伝承に関して研究討論を行ったことが紹介されています。陳麗娜夫人が述べた(と紹介されている)発言は、今回の催しの意義を余すところなく伝えていると思いました。若い頃の彼の祖国・中国に対する熱い思いを知る私にとって、中国の今回の催しは彼の人生を永遠に中国の歴史に刻み込むということであり、彼に対する中国の最高級の評価の表れとして、「陳さん、良かったね。波乱の人生が最後に報われたね」とねぎらう気持ちでいっぱいになりました。
 私は最近、家永真幸著『台湾のアイデンティティ -「中国」との相克の戦後史-』(文春新書)が刊行されたことを知り、なんとなく気になって買い求めました。その中で、中国と台湾との相克の歴史という脈絡における陳映真評価が行われていることに感慨を覚えたばかりでした(ちなみに、著者は2011年9月2日付のコラム「私における陳映真と1960年代の台湾」の記述について部分的に引用していることに驚きました)。
 陳映真に対する追慕の念を含め、人民日報海外版所掲文章を翻訳してコラムに残すことを思い立ちました。もしまだご覧になっていない方の参考になれば幸いです。

タイトル:「彼の作品を理解すればするほど、彼に対する尊敬はますます深まる -両岸の学者が台湾の作家・陳映真を追憶し、記念するー」(原題:"我们越了解他的作品,就会越敬重他"-两岸学者追忆和纪念台湾作家陈映真-)
 台湾の著名な作家・陳映真の夫人・陳麗娜は、次のように述べた。「今を去る2000年に私と映真は初めて中国現代文学館を訪れ、展示されている巴金、魯迅、老舎、茅盾など大陸作家の原稿、資料を見る機会があった。映真は非常に感激した。これらはすべて、彼が青少年時代に密かに読んだことがある作品であり、彼が中国に対する確固としたアイデンティティを抱くに至ったものであるからだ。彼の作品及び原稿がこの文学の殿堂入りすることができるとは、彼はついぞ考えたこともなかった。これは彼の文学的成果に対する最高の礼遇である。」
終始一貫した国家統一の追求
 陳映真は忠誠なる愛国主義者、著名な思想家、理論家、文学者であり、台湾愛国統一陣営の傑出した指導者であり、中国作家協会の第7期及び第8期委員会の名誉副主席であった。彼は長きにわたって台湾の思想文化の陣地を堅守し、雑誌『人間』等の進歩的刊行物を創刊し、多くの文学作品及び文芸理論関係の文章を創作し、台湾同胞の愛国愛郷の伝統を称揚し、多くの台湾同胞が祖国統一を追求する道に歩むよう影響力を発揮した。1988年、陳映真は「中国統一連盟」を結成してその最初の主席を担当した。2006年、彼は祖国大陸に定住し、2016年に北京で逝去した。
 中国作家協会副主席の李敬澤は次のように述べた。「陳映真の文学精神、崇高な理念及び輝かしい人格、社会主義に対する飽くなき追求、マルクス主義に対する科学的探求、両岸平和統一に対する熱心な願望は、中国文学に豊富で貴重な遺産をとどめ、両岸同胞が手を携えて共に進むことを励ましている。」
 陳映真は両岸インテリ層に広範な影響力を持ち、「台湾の魯迅」と称される。彼は1937年に台湾苗栗竹南鎮に生を受け、小学時代に父親の書斎で魯迅の小説集『吶喊』を読んだ。彼はかつて、「魯迅の作品を通じて彼の中国に対する深い関心と愛情を読み取り、私は小さいときから中国は私の祖国であるという一体感を抱いた」と述べたことがある。
 大学時代、陳映真は小説『麺攤』で台湾文壇に頭角を現した。1968年、陳映真は「マルクスレーニン主義、魯迅等左翼書籍読書会を組織」等の罪名で逮捕された。7年の獄中生活の中で、彼は理想のためには死を厭わない、志を同じくする同志たちと知り合うと共に、「理想と志のために家族を失い、命を落とした世代の物語」を深く認識することを通じて、「都市プチ・ブル分子から憂国憂民、愛国の知識分子」となり、左翼的傾向と濃厚な人文的関心がその創作人生を貫くこととなった。
 「彼の作品を理解すればするほど、彼に対する尊敬はますます深まる」と(いうタイトルにもなっている発言)は、北京大学中文系教授・賀桂梅によるものである。陳映真が入った文学世界は魯迅そして1930年代の中国左翼文学に始まるが、陳映真の創作はその左翼文学の発展の系統を明確に受け継いでいる。
残した豊富な文学遺産
 1985年、陳映真は住宅資産を抵当に入れ、社会的弱者に関心を当てることを信条とする雑誌『人間』を創刊し、底辺民衆の変転浮沈を文字で活写した。創刊号のカバー・ストーリーは「内湖のゴミの山で生計を立てようとする人々」だった。雑誌はわずか4年続いただけで、第47号をもって財政困難で停刊したが、台湾同世代人に対して消すことのできない影響を生み出した。雑誌『人間』は数多くの青年作家を団結、育成し、左翼進歩的文学の火種を蓄積した。
 「私は陳映真の雑誌『人間』で働いたことがある後輩であり、彼の政治理念の信奉者でもある」と語る台湾作家・藍博洲は、陳映真より一世代後の人であるが、その成長過程で彼の文学及び思想から決定的な影響を受けた。「陳映真は日本占領末期に台湾で生まれ、両岸対立が作り出した悲劇、台湾底辺人民の苦痛を見届け、他の作家とは異なる思いやりを持ち、非常に豊富な思想と文学的遺産をとどめた。私は陳映真を読んで初めて台湾社会を真に理解した」と藍博洲は語った。
 李敬澤が「陳映真は一貫して自らの信奉する理想を堅持し、動揺することはかつてなく、実践する文学者、行動する思想家であった」と語ったように、陳映真は数多くの文学的思想的論戦を提起かつ参与し、真理のため、民族のため、国家統一の追求のために戦った。「台湾に生を受けた中国人」とは陳映真が自らに与えた定義である。「私は中国の作家であることに誇りを持つ」とは、彼が世人に向けた宣言であった。
 陳映真は、台湾現代文学は中国新文学の台湾における延長及び発展であり、中国文学の不可分かつ重要な構成要素である、と主張した。彼はまた、「文学台独」のでたらめと危険性を摘発する一連の文章を執筆した。中国人民大学文学院教授・趙遐秋は、陳映真の愛国主義を宣伝し、把握するに当たっては、その主要な内容及び特徴を把握すべきであり、空疎に流れるべきではなく、陳腐な郷愁・別離に閉じこもってもいけない、と述べた。「陳映真の愛国主義の時代的特徴及び主要内容は国家の統一擁護、中国文学の統一擁護、「台独」特に「文学台独」反対にある」と趙遐秋は指摘した。
両岸青年に対する持続的影響
 藍博洲は、陳映真は理想主義者たるものが歩むべき道を選択したが、これは彼が一生を通じて実践した誓いであった、と述べた。理想主義者たるものにとって孤独は必修科目である。左派の立場を堅守した陳映真は孤独であった。「死んでも悔い改めない統一派」である陳映真は特に、台湾の一部から批判され、あるいは故意に忘却された。しかし、彼の理想信念は歴史的に正しい(ことが立証される)ものである。
 「陳映真の人格力量は、何よりもまず中国人たることに対する彼のアイデンティティ及び選択に体現されているが、これは当時においては甚大な胆力を要するものであった」と中国社会科学院哲学研究所所長・張志強は述べ、陳映真は自らの体内に中華文明に内在する精神力を融合し、この力が弱小な民族及び底辺の人民に対する彼の関心を促し、全人類の命運との深刻な関連性を生み出した、とした。
 2017年末の陳映真逝去1周年に際し、台湾人間出版社は『陳映真全集』全23巻(450万字)を出版し、陳映真の文章(小説を含む)820本を収録した。人間出版社の刊行者・呂正恵は、『陳映真全集』はジャンルを問わず、編年形式で陳映真のすべての作品、文章、インタビュー等を時間順に配列したと語った。全集は陳映真研究の重要なベースであるとともに、1960年から2010年に至る50年間の台湾の政治、社会、思想状況を理解する上で必要不可欠な資料でもある。
 今回の北京催し会場では、両岸ゲストが共同で『陳映真全集』、雑誌『人間』全巻及び陳映真の様々な時期の作品の初版本を展示した。中国現代文学館常務副館長・王軍は、中国現代文学館は国内で最初の、そして世界では最大の文学系博物館であると紹介した上で、今後は収蔵した文献に基づき、陳映真の文学資料に関する研究、開発、展示を推進し、彼の文学精神の社会的影響を拡大していくと述べた。
 全国台聯(中華全国台湾同胞聯誼会)副会長・紀斌は、陳映真と全国台聯は深いつながりがあり、陳映真の死後、全国台聯は一連の活動を行って陳映真の思想及び作品を大学、青年の間に広めることを進めてきたと紹介した。紀斌はさらに次のように述べた。「陳映真精神の価値は彼が死去したから忘れ去られるようなことがあってはいけないし、彼の作品はもっと多くの人々が理解し、読む価値がある。彼の原稿、創作背景等について研究を深め、その作品について広く伝えることによってのみ、さらに多くの人々が陳映真氏を理解、認識することができるし、陳映真精神を感得し、伝承していくこともできるようになる。」

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