11月1日付けのエコノミスト誌は、ウクライナ軍総司令官であるザルジュヌイ将軍とのインタビュー発言を掲載しました。喧伝された反転攻勢が成果なく、対ロシア戦争は膠着状態("stalemate")に陥っており、先行きも明るくないとする悲観的見解は、失地全面回復まで戦争をやめないと言い続けるゼレンスキー大統領の立場・姿勢を根底から揺るがす「爆弾発言」として、西側メディアがこぞって注目するところとなりました。日本のメディアがほぼ黙殺しているのは、ノルドストリーム爆破事件に続く異様な偏向報道姿勢の今ひとつの証左です。私の理解が間違っているといけないので、「ザルジュヌイ エコノミスト」をキー・ワードにしてネットを検索してみましたが、引っかかったのは1本だけ(東洋経済ONLINEの文章)。しかも、その文章は「ウクライナが奪還作戦で感じた「手応え」-「われわれに必要なのは助言ではない。弾薬だ」-」と題するもの。
 すみません。脱線しました。
 私には西側メディアのザルジュヌイ発言に対する「興奮ぶり」がこれまた異様に映ってなりませんでした。11月2日付のニューヨーク・タイムズ(NYT)は、「(この発言は)軍の反転攻勢の行き詰まりに関する、ウクライナの指導者によるもっとも率直な評価」、「ウクライナ軍トップが戦いは行き詰まっていると述べた最初のケース」であること、そして「20ヶ月にわたるロシアとの戦いの中でもっとも困難な時期に(この発言が)出てきた」ことを注目する要素・根拠として挙げています。この3点の指摘そのものは間違いではありません。
 しかし、反転攻勢が不首尾に終わったことは公知の事実です。反転攻勢の「成功」に一縷の望みを託していた米欧諸国は、今や方向転換を模索することを余儀なくされています。方向転換とは、ウクライナ問題を利用して「ロシアを敗北に追い込む」という当初の目標・戦略の見直しであり、具体的には「現状維持」での停戦・休戦でとりあえず矛を収める(浅井:ロシアが応じれば、という条件が満たされるかどうかは大きな'if'です)ということです。しかし、この方向転換の具体化には、「抗戦一本槍」のゼレンスキーの存在が大きな障害になります。ゼレンスキーが「首を縦に振る」のであれば話はスムーズですが、そうでなければ「首のすげ替え」が不可欠になります。西側メディアがザルジュヌイ発言に飛びついたのはそういう背景事情があるからだ、というのが私の判断です。ザルジュヌイがゼレンスキーのライバルという西側報道は前からありましたが、その彼が意表を突く形でゼレンスキー批判と受け止められるに違いない発言を行い、自ら名乗りを上げたわけです。少なくとも、西側メディアがそう受け止めて色めき立ったことは間違いありません。NYTが挙げた3つの要素・根拠はとりもなおさず、ザルジュヌイがゼレンスキーの後継候補者としての資格を満たしているとする評価でもあります。
 ザルジュヌイが評価に値する指導者であるか否か(この点は後述)はともかく、ロシア・ウクライナ戦争が重大な転機にあることを率直に指摘した彼の発言は重要です。この機会にロシア・ウクライナ戦争の中間総括を思い立ちました。①ウクライナの反転攻勢が不首尾に終わった根本原因は何か。②ウクライナ最高指導者としてのゼレンスキーの政治責任をどのように理解するべきか。③ロシア・ウクライナ戦争は今後どのような形で終結に向かうことが考えられるか。④そのことは今後の国際関係にいかなる影響をもたらすだろうか。以上4点について考えたいと思います。今回は最初の2点について。

1.反転攻勢の失敗原因

 米欧諸国が方向転換を迫られているのは、ウクライナの反転攻勢が不首尾に終わったことだけが原因ではありません。むしろ、不首尾に終わったことは、米欧諸国が方向転換を正当化するための口実に過ぎない、と見るべきでしょう。米欧諸国の「ロシアを敗北に追い込む」という目標・戦略そのものに問題があったのであり、今や根本的に見直しが迫られるに至っていることに問題の本質があることを見て取る必要があると思います。反転攻勢失敗の主要な原因としては、以下の3点を挙げるべきでしょう。
(ロシアに対する過小評価)
 米欧諸国の「ロシアを敗北に追い込む」という目標・戦略における第一そして最大の問題は、米欧諸国がロシアのレジリエンスを過小評価してかかったことです。その中でも最大の誤りは対ロシア経済制裁の効果に対する過信です。SWIFTからの排除、在外資産の凍結、ロシア進出企業の撤退、ノルドストリーム爆破に象徴される石油・天然ガス不買、ロシア産原油及び天然ガスに対する価格上限設定、ロシア籍の航空機・船舶の締め出し等々、米欧諸国は正にありとあらゆる手段を総動員した現代版・国際版「兵糧攻め」作戦でロシアの継戦能力を失わせ、「落城」に追い込もうとしました。しかし、この「史上最大の作戦」は、中国、インドをはじめとするグローバル・サウスからそっぽを向かれる(逆に、サウジアラビアがロシアと緊密に協力して原油減産体制を維持することに端的に示されるように、グローバル・サウスの多くの国々はロシアとの経済関係を発展させ、「東方外交」に舵を切ったロシア・ロシア経済は脱西側を加速させている)ことによって惨めな失敗に終わっています。それどころか、経済制裁はエネルギー価格、食糧価格の高騰を招き、対米全面協調の欧州諸国は軒並み経済苦境に直面しています。しかも、「ドルの世界支配にあぐらをかいた」対ロシア制裁はドルに対する国際的警戒心を高めました。今やグローバル・サウスを中心として世界的な脱ドル化の動きが加速しており、アメリカの経済制裁戦略ひいては西側の経済覇権そのものが根本から揺らぎ始めています(その端的な表れは、BRICSの購買力平価(PPP)GDPがG7のそれを凌駕したこと)。
 ウクライナに反転攻勢を督促したアメリカは、ロシアの軍事能力も過小評価していました。12月4日付けのワシントン・ポスト紙(WP)は、ウクライナの反転攻勢に至る経緯とその結末を詳細にフォロー・分析した2つの長文の文章(原題:"Miscalculations, divisions marked offensive planning by U.S., Ukraine"及び"STALEMATE: UKRAINE'S FAILED COUNTEROFFENSIVE")を掲載し、アメリカ軍部がゼレンスキーの強気な見方を支持する立場から、反転攻勢の企画・実行に深く関与したことを明らかにするとともに、米軍部とウクライナ軍が戦略、戦術、タイミングの問題で激しく対立したこと、米側はロシア軍が防衛ライン構築が完了する前にウクライナが反転攻勢を開始することを督促したこと等々、詳しく内部の実情を明らかにしました。注目すべきは、アメリカの諜報関係者はアメリカ軍部の嘲り(米軍部は、諜報関係者には'楽観論というDNAがない'と皮肉った)にひるまず、反転攻勢成功の確率は50%以下と判断し、バイデン大統領に対して、反転攻勢の目標は「未達成」に終わるだろう(would probably fall "well short"")と評価する極秘報告を提出していたことです。CIAのバーンズ長官は後のインタビューの中で、この慎重な見方はロシア軍の実力という事実に基づいていると述べ、さらに、ロシア軍が築き上げた防衛線は突破困難な恐るべきものだと判断していたことを付け加えました。反転攻勢の失敗は、ロシア軍の実力を正当に評価した米諜報機関の判断が正しかったことを裏づけています。それ以上に根本的に重要な事実は、ウクライナ軍の反転攻勢の失敗について、アメリカはウクライナと同等以上の責任があるということです。
(旧態依然の冷戦思考)
 米欧諸国の「ロシアを敗北に追い込む」という目標・戦略における第二のそして根本的な問題は、米欧諸国が対ロシア政策において旧態依然の冷戦思考に深々と汚染されていることです。ロシアの空中分解後も、米欧諸国はNATO「東方拡大」戦略を推進し、ロシアの戦略的生存空間を蚕食し続けてきました。ウクライナは「東方拡大」戦略のいわば終着点ともいえます(米欧諸国はさらに、南コーカサス、中央アジアにも食指を伸ばそうとしています)。冷戦思考のもっとも深刻な病理は、ロシアを「敵」と決めつけ、その主権国家としての存在自体を否定してかかることです。
 米ソ冷戦時代には、ソ連の核デタランスが有効に機能したため、米欧諸国もソ連との「平和共存」を受け入れざるを得ませんでした。しかし、ソ連が「自壊」したことに味を占めた米欧諸国は、軍事手段は最後の手段として温存し、「アラブの春」、「カラー革命」など、狙いを定めた対象国の内部矛盾を利用して「独裁」政権を倒す方針を追求する方針を推進するようになりました。ロシアに対する大規模な経済制裁は正にそれです。この方針の下では、核デタランスに基づく「平和共存」という論理はもはや働きません。
 エリツィン・ロシアは新自由主義「ショック・セラピー」を受け入れて「西側の一員」としての生き残りを模索しましたが、その結果は惨憺たるものでした。プーチン・ロシアの厳しい、醒めた対米観・対欧州観は1990年代(及び2000年代に入ってから)の体験・実感に裏打ちされています(例:プーチンの10月6日のヴァルダイ・クラブ及び11月28日の世界ロシア人協議会における演説。ラブロフの11月30日の第30回OSCE閣僚理事会での発言)。ちなみに、プーチンがヴァルダイ演説で披瀝した21世紀国際社会のあるべき姿(21世紀国際秩序が備えるべき主要原則)に関する認識は、「人類運命共同体」の構築を打ち出した習近平のそれと基本的に通底しています。
 興味深いのは、プーチン・ロシアが米西側の冷戦思考・アプローチに対して「歯には歯を」で対抗する姿勢を鮮明にするのに対して、習近平・中国は「のれんに腕押し」の「のれん」的対応で臨んでいることです。ここには、プーチンと習近平の世界観・歴史観の違いが反映しているように思われます。「歴史は自らを貫徹する」という弁証法史観に立って、米西側のパワー・ポリティックス(冷戦思考)は歴史的に淘汰される運命にあると見通す習近平は、「人類運命共同体」の究極的成就を確信しています。したがって、米西側がいくら喧嘩をふっかけてきても鷹揚に対応する余裕があります(核心的利益と位置づける領土問題は別)。しかし、1917年以来今日まで一貫して米西側のパワー・ポリティックスの「脅威」に直面してきた祖国の「命運」を背負うプーチンにはその余裕はなく、「背水の陣」で臨むことになるのでしょう。
 閑話休題。
(目標・戦略と手段・戦術の乖離)
 米欧諸国の「ロシアを敗北に追い込む」という目標・戦略の第三のそしてもっとも直接的な問題は、この目標・戦略を実現するために採用している手段・戦術が中途半端を極めることです。核デタランスに基づく「平和共存」という論理はもはや働かないというのは国家関係のあり方を規律する原理としてであって、国家的生存そのものが脅かされる(「米欧はレッドラインを踏み越えた」)と認識した場合に、ロシアが「核に手をかける」可能性を否定するものではありません。米欧諸国は、そういう事態を招くことをあくまで回避する前提に立って手段・戦術を組み立てています。NATO軍は投入しない(NATO軍投入に直結するウクライナのNATO加盟も将来的課題)、「脚の長い」兵器は提供しない(要すれば、戦場はウクライナ領内に限定する)、戦略兵器投入は論外、等々。
 ただし、米欧諸国は集団的自衛権行使に該当する行動をすべて慎んでいるわけではありません。武器弾薬・兵站支援はもちろん、現代戦遂行に不可欠な通信手段・様々なデータの提供も公然と行ってきました。ロシアの出方を見極めた上で米独の最新型戦車も投入しましたし、F-16戦闘機の投入も議論されています。国際法上戦争行為と見なされるか否かではなく、ロシアがレッドラインと見なす限度を超えるか否かが、米欧諸国の対ウクライナ軍事支援の「上限設定」になっています。
 しかし、対ロシア戦争実行部隊をウクライナ軍(プラス外国人傭兵)に限定する手段・戦術を固定した時点で、目標・戦略と手段・戦術との乖離は決定的に明らかになります。伝統的軍事理論が早くから教えているとおり、攻撃側は防御側を打ち破るためには3倍以上の兵力を必要とするのは軍事的常識です。6月に開始されたウクライナの反転攻勢はこの軍事的常識を無視するものであり、しかもロシア軍は堅固な陣地を築き上げて迎え撃ったのですから、失敗は約束されていました。ロシアのショイグ国防相は12月1日、6月4日に開始されたウクライナのいわゆる「反転攻勢」により、ウクライナ側は6ヶ月間で125000人の人員と16000ユニットの兵器を失ったという数字を明らかにしています。
 何故このような無謀を極める作戦が行われたのでしょうか。私たちは、この点についてもウクライナ及び米欧諸国の素人的判断を目撃します。ウクライナ軍は2022年秋の反撃で「大きな勝利」を収め、ロシア軍占領地の多くを奪還し、ロシア軍を敗走せしめた。だから、米欧諸国から受けた最新型戦車をはじめとする装備で武装したウクライナ軍の反転攻勢も成功するだろう。これが彼らの主観的・希望的判断でした。
 しかし、ロシア側が指摘するように、2022年秋の敗北は、侵攻ロシア軍の前線が延びきって手薄になったことを突かれたためでした。ロシア軍はその手痛い教訓に学んで堅固な陣地を築き上げ、喧伝されていたウクライナ軍の反転攻勢に備えたのです。この事実はウクライナも米欧諸国ももちろん知っていました。レニングラードの戦いで敗走を強いられたナチス・ドイツの教訓を真摯に学んでいたのであれば、ロシア軍は侮れないことは分かっていたはずです。ザルジュヌイは11月1日のエコノミストとのインタビューで次のように語っています(エコノミスト誌は購読制ですので、私は原文を見ていません。以下は、11月2日付けの『キーウ・ポスト』紙の紹介です)。
 ロシアとウクライナの戦争は、新しい、疲れさせられる、長期戦の局面に入り、両軍が塹壕を掘り、あまり動かない戦いになってきている。このような陣地戦への移動はロシアに有利に働く。彼らは軍事力を再構築することが可能となっている。この陣地戦はウクライナ軍にとっては深刻な脅威であるだけではなく、ウクライナ国家の主権にとても深刻な脅威である。「ロシアは過小評価するべきではない。ロシアは甚大な損害を受け、多くの弾薬を費消したが、ロシアの防衛産業は前例のない制裁にもかかわらず生産力を伸ばしており、長期にわたって、武器、装備、ミサイル、弾薬において優位を占めるだろう。」「陣地戦は長期戦であり、ウクライナ軍及び国家にとって巨大なリスクを伴う。」  率直な発言ではありますが、惜しむらくは反転攻勢が失敗した後の反省発言であることです。以上の認識が6月以前の時点でゼレンスキー政権及び米欧諸国によって共有されていたならば、125000人もの人命を無駄死にさせる反転攻勢作戦そのものを思いとどまることができていたはずです。
 なお、反転攻勢に失敗したウクライナ・ウクライナ軍の現状は、第二次大戦末期の日本・日本軍を彷彿させるものがあるようです。例えば、前線の死傷者の増大と徴兵忌避の国外移住者の増加によって、熟練労働者及び若年労働者が減少して労働力確保が深刻な問題になっており、新兵調達に重大な支障が生まれています。ウクライナは2022年2月の戦争勃発後に18歳から60歳までの男性の国外への移動を原則禁止しましたが、戦争が長引くに伴い、新兵の平均年齢は開戦当初(2022年3月)は30-35歳だったのが、今や43歳になっているという報道(『タイム』誌)もあります。また、開戦当初、ロシア人の戦争忌避による国外脱出が盛んに報道されましたが、最近では、隣国モルドヴァに脱出したウクライナ人は85万人(その多くはさらに欧州各国に移動)にのぼっているという報道、EU諸国で難民申請登録をしているウクライナ人は420万人に達するという報道もあります。また、兵役を忌避したために刑事上の罪を問われているものも8200人以上とする報道もあります(Vesti.ua)。米欧諸国の支援によって持ちこたえてきたものの、ウクライナのロシアに対する戦いは今や、第二次大戦末期の日本のアメリカに対する戦いに酷似していると言えるでしょう。
 ゼレンスキーに対するウクライナ人の支持も下降傾向です。キーウ社会学国際研究所(the Kyiv International Institute of Sociology)の調査によれば、ウクライナ人の多くはなおゼレンスキーを支持しているけれども、その支持率は反転攻勢開始前の5月は91%だったのが、10月には76%まで下がっています(ほかの調査では72%という数字も出ています)。同じ調査によれば、政府に対する信任度は74%(5月)から39%(10月)まで大きく下がりました。ゼレンスキーに対する国民の支持率がザルジュヌイを大きく下回っているという報道もあります。11月28日付けのエコノミストは、ゼレンスキーとザルジュヌイの関係は沸点に達していると指摘しつつ、最近行われた内部世論調査結果として、ザルジュヌイ(支持率:70%)のみならず、軍諜報機関トップのブダノフ(Kyrylo Budanov)の支持率(45%)さえもゼレンスキー(32%)を上回ったことを紹介しています。

2.ゼレンスキーの戦争責任

 12月2日付けのAP通信は、ゼレンスキーに対するインタビュー記事を掲載しました。反転攻勢の結果について問われたゼレンスキーは、「我々は後退していない。私は満足している。我々は世界で二番目(にベスト)の軍(ロシア)と戦っている。これにも満足している」と虚勢を張ったものの、「我々は人民を失った。これには満足していない。必要な武器が得られなかった。これにも満足できない。しかし、あまり不満を言うこともできない」と発言を後退させ、加えて、イスラエルとハマスの戦闘への関心が上回る結果、西側のウクライナ支援に影響を及ぼすことに対する懸念も表明しました。その上でやっと質問に答え、「もっと迅速な結果がほしかった。不幸なことに、初期の結果を達成できなかった。これは事実だ」と、反転攻勢が不首尾に終わったことを不承不承認めました。この結果を招いた原因に関しては、ゼレンスキーは、必要とするすべての武器が同盟諸国から得られたわけではなかったと西側諸国をなじる発言を繰り返すとともに、ウクライナ軍の規模が迅速な前進を不可能にしたことを挙げて「所期の成果を迅速に達成するには力不足だった」と釈明し、「とは言え、このこと(反転攻勢が不首尾に終わったこと)は、我々が諦めて降伏しなければならない、ということを意味するものではない」と、今後も戦い続ける意志を強調しました。
 戦いを続ける意志を強調する趣旨からか、ゼレンスキーは戦いの次の段階に焦点を当て、特に国内での武器増産の必要性を強調し、西側同盟諸国特にアメリカが低利の融資を提供することへの期待を表明しました。そして、直近の訪米に際してバイデン及び米議会にそのことを直訴したと明らかにしています。
 私がAP通信とのインタビューにおけるゼレンスキー発言の内容を紹介したのは、ゼレンスキーの政治責任を考える上での判断材料となると思うからです。私は、ゼレンスキーの戦争責任は極めて重いと判断します。その重さはナチス・ドイツ及び軍国主義・日本の最高指導者に匹敵します。具体的には特に以下の3点で彼の戦争責任は厳しく追及されなければならないし、ウクライナ人民の彼に対する支持が、失望さらには怒りに必然的に変わっていくことに伴い、いずれはそうなると予測します(アメリカその他の国が政治亡命を受け入れる場合は別です)。
(政治的無能とその帰結)
 反転攻勢が不首尾に終わったということはとりもなおさず、当初の戦争目的(クリミアを含むロシア全占領地の奪還と戦後復興所要原資のロシアからの取り立て)の実現が不可能になったことを意味します。ゼレンスキーの上記発言からはこの深刻極まる事態に対する認識の片鱗も窺うことができません。戦いの次の段階は「国内での武器増産」という的外れな発言(もっとも、この発言はアメリカの入れ知恵をオウム返しに口にした可能性あり)に至っては、彼の政治的資質そのものを疑わせます。開戦以来のウクライナ側死者は30万人にのぼる(ゼレンスキーに仕えた経歴のあるアレストヴィッチ(Aleksey Arestovich)の発言)ともいわれるほどの未曾有の事態に対する深刻な認識は皆無です。
 なお、戦いの次の段階は「国内での武器増産」という発言に続き、ゼレンスキーは11月30日に主催した会議の席上で、資源を集中して国中に陣地を構築し、防衛ラインを強化する方針を口にしました。すなわち、彼はこの日、「我々は戦争の新しい局面にいる。これは事実だ。冬に入ったことは全体として戦争の新局面だ」と述べたのです。ちなみに、「我々は戦争の新しい局面にいる」というゼレンスキーの認識は、冒頭に紹介したザルジュヌイの「膠着状態」そのものではないかというロシア側の皮肉もありますが、ゼレンスキーには馬耳東風でしょう。
 以上の発言を紹介した12月2日付けのロシア・スプートニク通信は、ゼレンスキーはもはや失地全面回復の夢を諦めたということだろうと皮肉った上で、全土にわたって陣地を構築し、防衛線を強化するには大変な労力と資源を必要とする(浅井:国内防衛産業の育成も多大な支援なしには不可能)が、キエフの西側パートナーは今や「援助疲れ」となっていること、アメリカ人の45%は対ウクライナ軍事支援に懐疑的であり、49%のアメリカ人は紛争を可及的速やかに終結するべくウクライナは和平交渉に入るべきだと考えているとする世論調査結果を紹介する形で、ゼレンスキー提案の問題の核心を喝破しています。
 なお、ゼレンスキーが、西側同盟諸国に裏切られたと感じるようになっているという報道もでてきていることは指摘するべきでしょう。例えば、10月30日付けの『タイム』誌は、9月に訪米した際のアメリカ側の冷淡な反応に対するゼレンスキーの焦燥を伝え、西側同盟諸国に騙された('deluded')と感じていることを、随員の話として紹介しています。
(対西側盲従とその代償)
 反転攻勢失敗の根本的原因は米欧諸国にあること、具体的には、ロシアの実力・レジリエンスに対する過小評価、ロシアを敵としか見ない冷戦思考そして目標・戦略と手段・戦術の乖離にあることはすでに指摘しました。しかし、AP通信に対するゼレンスキーの発言からは、米欧諸国に対する恨み・辛みは頻繁に口にするものの、パワー・ポリティックスに徹するこれら諸国の対ウクライナ・アプローチに関する冷静な認識は窺うべくもありません。「おんぶに抱っこ」「無い物ねだり」の幼児的体質が丸見えです。
 ゼレンスキーの名誉(?)のために付け加えれば、開戦当初、彼が独立思考で動いたとも思われるケースがあります。すなわち、ゼレンスキー政権は、2022年3月にトルコの仲介に応じてロシアと休戦協定交渉を行い、協定案文に双方がイニシャルするなど、ロシア側の当時の報道では、交渉が妥結に近づいたことがありました。結局、ウクライナが態度を硬化させて交渉はまとまるには至りませんでしたが、私自身、当時は期待感を持って成り行きを見守っていた記憶があります。
 最近になって、ウクライナ側から交渉妥結に至らなかった原因を明かす発言が出てきました。すなわち、ウクライナ側を代表してロシアとの交渉に臨み、協定案文に署名したアラカミア(David Arakhamia)は11月24日、ウクライナのテレビ局(1+1 TV)とのインタビューの中で具体的な事実関係を明らかにしたのです。彼は、「ロシアは中立を呑ませることが主な狙いだった」、「ウクライナはNATOに加盟しないという保証を与えることも要求された」と述べました。この発言内容はロシア側の公知の立場を確認したものです(ロシアのプーチン大統領が、アフリカ諸国との第2回首脳会議の席上で協定文のコピーをかざしたことはよく知られています)。
 アラカミアは、ロシアが約束を守ることを信用できなかったこと、また、中立保証とNATO加盟放棄に合意するためにはウクライナ憲法の修正を要することなどの理由を挙げて、ウクライナ側が交渉妥結にはまだ慎重だったことを示唆しました。しかし、アラカミアの発言が注目されたのは、「我々がイスタンブールから戻った時、ボリス・ジョンソン(当時のイギリス首相)がキーウに来て、「(ロシアとは)いかなるものにも署名しない。戦い続けるのみ」と述べて、交渉決裂に指導的な役割を果たしたことを明らかにしたことでした。ジョンソンが交渉成立を邪魔したことは、2022年5月に『ウクラインスカ・プラウダ』紙が報道したことはありますが、公式確認はアラカミア発言が最初です。
 ちなみに、以上を報道した11月24日付けのロシア・トゥデイ(RT)は、(交渉のまとまりを受けて)ロシア軍が善意の印としてキエフ近郊から退去するやいなやウクライナは取引をチャラにした、というプーチン発言を紹介し、さらにこの自発的退去を西側政府・メディアはウクライナの軍事的勝利と喧伝し、それを契機にゼレンスキー政権に本格的軍事援助を開始し、戦闘は今日まで続くことになった、と解説を付しています。
 以上のアラカミア発言を踏まえると、ゼレンスキーがどこまで独立思考で動いていたのか定かではありません。明らかな事実は、ジョンソンの一言ですべてが決められたということであり、ゼレンスキーの「おんぶに抱っこ」の幼児的体質が浮き彫りになっているということです。
 ただし、ゼレンスキーがその後今日まで一貫して「徹底抗戦」を主張するのは無理からぬものがあるとは言えるでしょう。ゼレンスキーにしてみれば、米英が徹底抗戦を押しつけたのだから、最後まで面倒を見る義務があるはずだ、反転攻勢が不首尾に終わった途端に「手のひらを返す」仕打ちをするのであれば到底承服できない、と思うのは極めて自然です。しかし、このような考え方自体が、ウクライナを「将棋のコマ」としか見ない米西側のパワー・ポリティックスの本質に対する無知をさらけ出しているという批判を免れることはできないところです。米英の言うがまま動いてせっかくの休戦機会を失い、その結果、甚大な人的物的被害を招いたのですから、対西側盲従の結果に対する戦争責任は逃れることはできません。
(地位への執着とそのツケ)
 政治責任を強く意識して行動する政治指導者であるならば、反転攻勢が不首尾に終わった時点で、責任を取って辞任するのが当然です。しかし、AP通信とのインタビュー発言から浮かび上がるのは、大統領という地位にしがみつく姿です。
 ゼレンスキーが自己保身しか頭にないことは、冒頭で紹介したザルジュヌイ発言(11月1日付けエコノミスト誌)が飛び出した時の反応ぶりにも窺われました。
 11月4日付けのニューヨーク・タイムズ紙(NYT)によれば、ゼレンスキーはこの日に行った記者会見で、戦いは膠着状態と規定したザルジュヌイの発言に対して、「時間が経って、人々は疲れている。これは理解できる」と述べた上で、「しかし戦争は膠着状態ではない。このことを今一度強調しておく」と、ザルジュヌイ発言を否定しました。また、ゼレンスキーの以上の発言に先立って大統領府副長官(Ihor Zhovkva)は、ザルジュヌイ発言は「侵略者の行動を手助けする」、「西側同盟諸国のパニックを引き起こしている」と厳しく非難しています。NYTは、「公に行われたこの衝撃的な非難は、試練の時を迎えているさなかのウクライナで、軍部と政治指導部との間で亀裂が生まれつつあることを示している」、「総司令官と大統領との亀裂は、ウクライナが戦争でもがいているさなかに浮上した」と、事態の深刻さを強調しています。
 西側メディアがこのように反応し、そのことがまた米欧諸国の「ゼレンスキー離れ」を助長・加速するであろうことは見やすい道理です。しかし、「我が身に降りかかる目前の火の粉」を振り払うことしか念頭にないゼレンスキーは、「ぼや」を「大火事」にしてしまっているのです。
 ゼレンスキーは何故かくも地位に執着するのでしょうか。「コメディアンの悲しい性(さが)」、それが私の答えです。戦争開始以来、ゼレンスキーは脚光を浴び続けてきました。世界の晴れ舞台に立ち続け、西側世界では英雄としてもてはやされてきました。ゼレンスキーにとっては「カーネギー・ホールでのロング・ラン主演公演」という夢にも見たことがない主役の座が転がり込んできたというわけです。ウクライナ・ウクライナ人民の苦難もゼレンスキーの眼中にはないのではないかとさえ思います。ゼレンスキーの虚栄心への執着のツケを世界が支払わされているのです。