1.米西側の外交攻勢とアルメニアの立場豹変

<米西側のNK問題・コーカサス情勢への介入>

 (2023年)11月10日付けの環球時報は、「コーカサス:ロシアの影響力を奪い取ろうとする米欧」(原題:"外高加索,美欧抢夺俄罗斯影响力")と題する長文の解説記事を掲載しています。米西側の狙いは、ロシアに対して距離をおこうとするアルメニア・パシニャン政権を米欧に引きつけ、NK問題の外交的主導権をロシアから取り上げるとともに、ウクライナの軍事的劣勢が顕著になり、米西側も手の打ちようがなくなりつつある苦境にあるにもかかわらず、性懲りもなく「ロシアを叩く(叩きたい?)」一念から、NK問題にも手を伸ばそうとしている、というのが私の基本的判断です。この記事はそうした私の判断を裏打ちする内容ですし、よくまとまっています。大要を紹介するゆえんです。
 10月23日、ロシアのラブロフ外相はイランで開催されたNK問題を議論する会議(浅井注:イランが提唱してきた「3+3」会議。南コーカサス3国と域外主要国であるイラン、トルコ、ロシアによるもの。ただし、ジョージアは欠席)に参加し、次のように述べた。「まずはEU、次いでアメリカがアルメニアとアゼルバイジャンの国境画定プロセスに干渉しようと企んでいる。」
 従来、欧米はNK問題に大きな関心を示してきたわけではない。しかし、2022年にロシアとウクライナの衝突が勃発して以来、欧米はNK問題についてアルメニアとアゼルバイジャンの交渉を仲介するとともに、アルメニアとの関係を強化し、コーカサス地域での活動を活発にして、ロシア(及びトルコ)と争うようになった。
 ドイツのベアボック外相は11月4日、アルメニアとアゼルバイジャンが恒久的和平の合意を達成する上で、欧州が仲介することがベストな選択であると主張した。2022年9月にアルメニアとアゼルバイジャンの軍事衝突が起こった後、EU及び一部欧州諸国は積極的に仲介に乗り出したが、ベアボックも上記発言をする前に両国を訪問している。欧州理事会のミシェル議長も両国指導者にブラッセルで会談を行うよう招請した。その結果、EUの仲介の下で両国指導者は何回かの和平交渉を行った。
 オランダのシンクタンク・クリンヘンダール国際関係研究所が発表した報告によれば、EUは従来、NK問題解決はOECDミンスク・グループ(MG)の仕事であると見なしてきたのに、2020年に両国の軍事衝突が勃発して以来、政治的ハイ・レベルで介入に乗り出し、両国間の直接対話を促すようになった。最近一年間のニュースから明らかなとおり、ウクライナ戦争が勃発してからは、EUのNK問題への介入は不断に深まっている。ロシアの『トーチカ・ズレーニヤ』も10月に、NK問題に対する西側の動きが急激に高まっていると報じている。
 アメリカのユーラシア・ネットは、EUは本年(2023年)1月に100人規模の監視ミッションをアルメニアに派遣すると発表したと報じた。EUによれば、これはアルメニアとアゼルバイジャンが国境を接する地域の安定を保証するためのものである。これに対してロシア外務省のザハロワ報道官は、欧米がアルメニアに足場を築くためには手段を選ばないのはこれが初めてのことではないとコメントした。
 ロシアの『モスコフスキー・コムソモーレッツ』は、EU委員会主席のフォンデライオンが10月5日、アルメニアに2500万ユーロの財政援助を提供すると発表したことを報じた。それに先立ってザハロワは、西側はアルメニアに対し、CSTOを脱退し、アゼルバイジャンと平和条約を締結するように説得していると述べた。
 ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙は、「アメリカは伝統的にロシアの勢力圏にあるアルメニアと合同軍事演習を行う」と報じた。ソ連が解体した後、南コーカサスに位置するアルメニアは一貫してロシアの重要なパートナーであり、同盟国であって、CSTOの一員でもある。ところが、175人のアルメニア兵とアメリカの欧州及びアフリカ駐在陸軍司令部の85人のアメリカ兵が9月11日から10日間の予定で合同演習を行った。
 アメリカの南コーカサスに対する関心はこの合同軍事演習で始まったわけではない。タイム誌等の報道によれば、2022年9月のNKをめぐる軍事衝突以来、バイデン政権は何度も両国政府関係者と直接あるいは電話で会談してきた。2022年9月には、ペロシ下院議長(当時)がアルメニアの首都エレヴァンを訪問している。彼女は、アルメニアが1991年に独立して以来、同国を訪れたアメリカの最高位の指導者だ。2022年末には、ブリンケン国務長官がニューヨークで、国連総会の間隙を縫って両国代表を招集し、初歩的接触を行った。本年(2023年)5月には、ブリンケンは両国代表と個別に会見し、和平交渉も主宰した。
 さらに、本年5月にラブロフ外相は、アメリカはアルメニアに対して、アメリカがアルメニアの「安全を確保する」保証の見返りに在アルメニア・ロシア軍基地撤去及びロシア軍退去を行うよう「提案」したと述べた。  タイム誌によれば、アメリカの最近における南コーカサスに対する介入はかつてないものだという。蘭州大学ジョージア研究センターの汪金国教授によれば、NK問題にしてもほかのコーカサス地域の問題にしても、欧米が果たす役割は大きくなかった。これは欧米諸国のこの地域に対する関心の低さが原因だった。南コーカサス3国はいずれも軽量級の国であり、しかも、歴史的地理的にロシアの影響力が圧倒的だった。欧米が割って入ろうとすれば、大変のコストを覚悟しなければならない。
 しかし、『トーチカ・ズレーニヤ』の分析によれば、西側が南コーカサス地域の緊張に乗じようとする目的はロシアをこの地域から駆逐することにある。つまり、ロシアのこの地域に対するプレゼンスが低下しているチャンスに乗じて、西側はこの地域に対する支配を通じてロシアとイランに対する圧力をさらに強化しようとしている。(浅井注:アルメニア及びアゼルバイジャンと国境を接するイランは、両国と良好な関係を維持・構築することに腐心しています。NKに対するアゼルバイジャンの領有権を承認する一方、アゼルバイジャンがアルメニアに要求するアゼルバイジャン「本土」と西側「飛び地」を結ぶためにアルメニア領を通る回廊の建設に対しては、アルメニアの主権及び領土保全を尊重する立場から反対し、代わりにイラン領内を通って「本土」と「飛び地」を結ぶ道路を建設する提案を行い、これを受け入れたアゼルバイジャンはアルメニアに対する要求を取り下げました。また、イランは南コーカサス地域に対する米欧のプレゼンスが大きくなることを非常に警戒しており、利害が一致するロシアと緊密に協力して対応する構えです。)
 南コーカサスに手を突っ込もうとする欧米の意図はすでに少なからぬ成果を上げている。ロシアのスプートニク通信によれば、2022年8月前後までは、アルメニアはNK問題についてまだロシアの和平計画に頼ろうとしていた。しかし、同年9月以後、アルメニアはロシアを疎遠にし、EUに傾斜するようになった。
 ただし、汪金国教授は次のような見方を示している。ウクライナ戦争勃発以来、確かにアルメニア当局のロシアに対する言論は強硬になり、ロシアとの同盟関係にも疑問を呈するようになったが、アルメニアのロシアに対する依存はいわば全方位的であり、全面的に西側に傾斜することは非常に難しい。また、アゼルバイジャンに関しても、長年にわたって堅持してきた「左右均衡」の対外政策には大きな変化はあり得ず、ロシアを隣国とするアルメニアとアゼルバイジャンの間にも民族、経済、文化等各面の関係がある。NK問題が長期にわたって解決を得られない主要原因は西側勢力の介入にある(浅井注:ラブロフ外相も、NK問題に関しては何度も交渉がまとまる機会があったことを指摘しつつ、そのたびに欧米の邪魔が入って不調に終わったと指摘しています)。

<EU・米仲介とアルメニアの立場豹変>

 私は、NK問題の調停役としてOSCEミンスク・グループ(MG)という国際的に公認された調停役が存在するにもかかわらず、実際にはMGに加わってもいないEU(EU理事会のミシェル議長)が調停役としてパシニャン首相及びアゼルバイジャン・アリエフ大統領との直接交渉に当たってきたこと、また、パシニャンとアリエフが最近までミシェルの調停に「素直」(?)に応じてきたことに違和感を覚えました。EU(及びアメリカ)の調停については、すでに紹介した(2023年)11月10日付け環球時報記事にあらましが載っていますが、私は改めてEU・WSが載せているミシェルのNK問題に関する言動をフォローしてみました。
 私がもう一つ気になっていたのは、ミシェルの調停工作と並行して、アメリカ(ブリンケン国務長官)がやはりアルメニアとアゼルバイジャンの交渉を調停してきたことです。ミシェルは首脳レベル、ブリンケンは外相レベルという違いはありますが、この二つの調停工作が同時平行式に行われていたことにも「何故わざわざ?」という疑問を感じました。そこで、アメリカ国務省WSが載せているブリンケンのNK問題に関する言動についてもチェックしてみました。その上で、ミシェルの言動とブリンケンの言動の時系列比較対照表を作成しました(ちなみに、こういうアプローチは外務省時代に多用し、有用性・有効性は確認済み)。
 この比較対照表から浮かび上がってきたのは、当然のことですが、EUとアメリカが緊密に連携して相互補完的にアルメニアとアゼルバイジャンを誘導して、ロシアからNK問題に課する主導権を奪いあげ、米西側の意図する着地点にアルメニアとアゼルバイジャンを引っ張っていこうとする構図でした。また、私の最初の疑問点、つまりMGがあるのに、アルメニアはともかくアゼルバイジャンまでがEU(及びアメリカ)の調停に唯々諾々と従ったのは何故か、という点に関しては、近代外交発祥地である欧州の老獪な手腕を見届けることになりました。「腐っても鯛」(?)です。もっとも、EUとアメリカの調停工作は土壇場でアゼルバイジャンの実力行使(2023年9月19日)によって頓挫することになります。
 以下では、比較対照表から浮かび上がってきたEUとアメリカの外交攻勢の概要を紹介します。
○2021年6月2日:ミシェルは、アリエフとの電話会談及びパシニャンとの会見の中で、(ロシア仲介による)2020年11月9日の停戦協定完全実施が地域の安全と安定にとって不可欠と指摘した上で、EUが国境画定・信頼醸成に専門的知識・技術を提供する用意ありと述べる。EUの東方パートナーシップ(EU's Eastern Partnership EaP)の不可分の一部である南コーカサスへの深い関心を強調。(浅井注:EUは東欧・南欧16ヵ国との関係を規律する欧州近隣政策(ENP)を持っているが、EaPはアルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、ジョージア、モルドヴァ、ウクライナの東欧及び南コーカサス6ヵ国との政治経済関係を強化・深化すること目的として2009年に打ち出されたENPの特定地域版と言えるもの)
 ミシェルは、ロシアの主導権に異を唱えず、EUが補完的役割を担う用意があると述べ、また、EUのアルメニア及びアゼルバイジャンへのアプローチはEaPの一環であることを強調することで、あり得べきロシアの反発を未然に防ぐとともに、アルメニア及びアゼルバイジャンの対EU警戒心をも解こうとしている。巧みな外交アプローチ。
○2021年7月16日-18日:ミシェルの南コーカサス3国訪問。
 アルメニアでは、NK問題に関するMGの枠組みの下での努力を支持する(浅井注:ロシア主導で動いている事態を強引にMGの枠組みの下での努力と言い換え)とした上で、EUが捕虜、国境画定、運輸そして平和交渉の4つの問題に関与する用意があると表明。しかしアゼルバイジャンでは、6月2日のライン(国境画定への支援用意)の表明でとどめる。両国の政策・立場の違いを踏まえた繊細なアプローチ。
○2021年11月19日:ミシェルが両首脳と電話会談。
 ミシェルは、12月15日開催予定のEaPサミットの際に三者会合を提案。合意されたテーマは「地域情勢とEU支持の下での緊張克服方法」。
○2021年12月14日:第1回三者会合(浅井注:2023年3月25日のパシニャン及びアリエフとの電話会談の中で、この会合を「ブラッセル・プロセスの枠組み」と言及して、当初からロシア主導プロセスに代わるものとして位置づけていたことを明らかにする)。
 ミシェルは、包括的平和協定を視野に入れた、紛争克服のための緊密な協力を保証。
 パシニャンとアリエフは、2020年11月9日及び2021年1月11日の三者声明(両国+ロシア)へのコミットメント並びに2021年11月26日のソチ了解促進について再確認。ミシェルはEUの補助的補完的役割の用意を表明。(浅井注:2021年1月11日の三者声明は、2020年11月9日三者声明中の「経済輸送のすべての接続開放」合意の具体化のため、三国の副首相レベルのワーキング・グループを設置することを定める。その前日(1月10日)、プーチンはフランスのマクロン大統領と電話会談し、1月11日の会合では「地域の平和確立のための次なるステップを扱う」ことを説明、マクロンはロシアの努力に対する支持を表明。2021年11月26日の三首脳協議では境界画定メカニズム設置に合意。人道問題及び経済問題についても議論。ちなみに、その直後の同年12月2日、ストックホルムOSCE外相会合の際に米ロ仏外相共同声明が出され、「MG共同議長国は、アルメニアとアゼルバイジャンに対し、2020年11月9日及び2021年11月26日のコミットメントを全面実施することを呼びかけた。)
 この段階では、アルメニア及びアゼルバイジャンのみならず、MG共同議長国の米仏もロシア主導の枠組みを尊重していたことが確認できる。
○2022年2月4日:ミシェル、マクロン(フランス大統領)、パシニャン及びアリエフの四者ヴァーチャル会合。
○2022年4月6日:第2回三者会合。
 2020年11月9日三者声明規定に従うことを確認する一方で、「アリエフとパシニャンが平和協定への歩みを速める希望を表明した」ことを受け、すべての問題を扱う平和条約準備を両国外相に指示。また、(境界画定メカニズム設置に合意した)ソチ声明に即して合同境界委員会招集に合意。
 ソチ声明に言及しながら、ロシアを除外する方向性を示す。
○2022年5月23日:第3回三者会合。4点について成果。7~8月に第4回三者会合を予定。
 *国境問題:第1回国境委員会を近日中に開催。(翌5月24日に第1回委員会会合)
 *交通接続
 *平和協定:両国外相が数週間以内にプロセス起動。
 *社会経済開発
○2022年8月31日:第4回三者会合。
 *平和協定:平和協定を促進するための実質的協議のペースを上げることに合意。
 *人道問題
 *国境問題:第2回国境委員会を11月(10月6日の四者会合で10月末に変更)にブラッセルで開催に合意。
 *交通接続
○2022年9月19日:ブリンケン司会の両国外相協議。
 第3回三者会合で合意された、外相レベルの平和協定プロセス具体化。
○2022年10月6日:四者会合(プラハで開催の第1回欧州政治コミュニティの際)。
 「アルメニアとアゼルバイジャンは、国連憲章及び、両国が互いの領土保全と主権を承認した1991年アルマータ宣言へのコミットメントを確認した。両国は、これが国境画定の基礎となることを確認した。」(強調は浅井)
 後にロシアは、アルメニアがアルマータ宣言にコミットしたのは初めてであること、このコミットはNKがアゼルバイジャン領であることを承認することであり、2020年11月9日のNK合意の前提(NKの地位は未解決)を覆すものと厳しく批判(詳しくは後述)。
○2022年11月7日:ブリンケン司会の両国外相会議。
○2023年2月18日:ブリンケン、アリエフ及びパシニャンと会見(ミュンヘン)。
○2023年3月25日:ミシェル、パシニャン及びアリエフと電話会談。
○2023年5月4日:ブリンケン司会の両国外相会議(国務省発表文タイトルは「二国間平和交渉閉幕式」と紹介)。
 ブリンケンは対プレス声明の中で、「両国外相による二国間平和交渉を司会した」、また、国務省発表文では「協定は視野の中、手の届くところにある」(there is an agreement within sight, within reach)と述べる。
○2023年5月8日:ミシェルの対プレス声明。
 5月14日に第5回三者会合開催に合意。
 6月1日、欧州政治コミュニティ首脳会議の際に仏独首脳も交えた5首脳協議。
 10月のグラナダにおけるEPCサミットの際に再度の5首脳協議。
○2023年5月14日:第5回三者会合。
 ミシェルの対プレス発表は、「最近アメリカで行われた平和条約に関する積極的話し合いを受けて、モメンタムを維持し、包括的平和協定署名に向けて決定的ステップを取るべし」と述べる。
 国境問題に関して、「両首脳は、1991年のアルマータ宣言並びに、アルメニア(29800㎢)及びアゼルバイジャン(86600㎢)についての領土保全に対する明確なコミットメントを確認した。」(強調は浅井)
○2023年6月29日:ブリンケン司会の両国外相会議。
 ブリンケンは「今後数週間、数ヶ月間のうちに最終合意に達することを目標にこのプロセスを続けていきたい」と述べる。
○2023年7月15日:第6回三者会合。
 ミシェルは以下の内容のプレス発表。
*(主権及び領土保全) 両国首脳は、アルメニアの領土29800㎢及びアゼルバイジャンの領土86600㎢の了解に基づいて、相互の領土保全と主権に対する尊重を再確認。
*(境界画定) 両首脳は、境界画定の政治的枠組みとしての1991年アルマータ宣言へのコミットメントを再確認。
*(接続) 地域(南コーカサス)における輸送及び経済の結びつきを開放することについての話し合いの進展。鉄道連結を前向きに進める。EUは金融的に貢献の用意。
*(人道的供給) ミシェルはラチン道路開放の必要性を強調。アゼルバイジャンはアグダム(Aghdam)経由の供給の用意を表明。
*(権利と安全) EU側は、バクーとNK居住アルメニア人代表の直接対話を奨励。
*(被拘束者) 誤って越境した兵士の解放に関する紳士協定を再確認。
○2023年9月13日:ミシェル議長スポークスマン声明「情勢が急激に悪化」
●2023年9月19日:アゼルバイジャンの実力行使
 パシニャンは、(2023年)10月25日にWSJ紙に掲載されたインタビューの中で、2022年10月6日の四者会合(プラハ)、2023年5月14日及び2023年7月15日の三者会談(ブラッセル)で達成された合意(ミシェルの声明及びプラハ声明に記載と付言)が公式化され、再確認され、アルメニアとアゼルバイジャンの平和条約の基礎となることを希望していると述べた上で、その合意の内容を次のように説明しています。
 第一原則は、アルメニアとアゼルバイジャンが互いの領土保全を承認し合うこと。この点はプラハ会合で合意された。さらに次のステップが2023年5月14日のブラッセルで合意された。すなわち、アゼルバイジャンはアルメニアの29800㎢の領土保全を承認し、アルメニアはアゼルバイジャンの86600平方キロの領土保全を承認することが記録された。
 第二原則は、アルメニアとアゼルバイジャンとの間の境界画定プロセスは1991年のアルマータ宣言に基づいて行うべきこと。つまり、アルマータ宣言署名時にソ連邦構成諸国は事実上の独立国となっており、宣言によって、ソ連の行政境界を国境とし、その不可侵性と領土保全を承認したので、当時の地図を境界画定の基礎とするという意味である。
 第三原則は、地域におけるコミュニケーションの開放は、両国間の道路及び鉄道の開放を含め、主権、管轄権、各国の平等及び相互主義の諸原則に基づいて行うべきこと。
 パシニャンは、同年10月30日に行われたアルメニア議会による2024年度予算審議の際には、アゼルバイジャンとの関係正常化及び平和のための3原則が合意されたとし、両国がこれらの原則に対するコミットメントを守ることによって平和条約締結が現実的なものとなる、と述べました。境界画定の基礎となる地図に関しては、関係諸国は当該地図を所有しており、政治的意思さえあれば、境界画定プロセスを迅速かつ効率的に進めることが可能と述べています。また、11月10日にパリの平和フォーラムに参加した際、パシニャンは、アゼルバイジャンとの平和条約はこの3原則に基づいて締結したいと発言しました。その趣旨は、ロシア調停によるのではなく、EU・欧州の調停の下で今後の平和条約交渉を進めるという意思表示であり、ロシア排除の姿勢を打ち出したものと見られます。

2.南コーカサスは「第二のウクライナ」?

<アゼルバイジャンの実力行使とロシアの対応>

 以上にまとめたように、EUとアメリカが連携して取り組んできた、NK問題の主導権をロシアから奪いあげ、アルメニアとアゼルバイジャンを平和条約(協定)に誘導する取組は、「数週間~数ヶ月以内」(ブリンケン)に成果が見込めるまでになっていました。それが、わずか2ヶ月後に突然起こったアゼルバイジャンの実力行使によってつまずくことになりました。私の疑問は、ロシアが調停者だった段階ではNKの地位という問題で一切妥協に応じなかったのに、EUの調停の下で全面譲歩に応じたのは何故か、という問題です。また、EUの調停内容はアゼルバイジャンにとって満足できるもの(特にNK領有権をアルメニアのみならず、米西側も承認したこと)なのに、EU・米の調停をぶち壊しにする実力行使に出たのは何故か。また、アゼルバイジャンの実力行使に対するプーチン・ロシアの対応は落ち着き払ったものだった(9月20日にロシア大統領府のペスコフ報道官は、「アゼルバイジャンの行動は自国領内でのもの」で適法とコメント)ことをどう理解するべきか。ウクライナ問題に加え、すでにアブハジア、南オセチア問題を抱えているジョージアだけでなく、今やロシアに対して距離をおく姿勢を鮮明にし始めたアルメニアに直面してもなお、ロシアが落ち着き払っているのは何故か。
 そういう疑問の中で、私が注目したのはプーチン発言です。アゼルバイジャンが実力行使に出る前の2023年9月12日にプーチンは第8回極東経済フォーラムで演説し、その後の質疑応答の中でNK問題について発言しています。またプーチンは、アゼルバイジャンの実力行使後の10月5日(ヴァルダイ討論クラブにおける質疑応答)と10月13日(キルギスでのCISサミット後の記者会見)にもこの問題について発言しています。これだけ集中的に一つの問題についてプーチンが語るのは、やはりそれだけの理由があると見るべきでしょう。以下は、プーチン発言の大要です(強調は浅井)。
(9月12日)
(質問) アルメニアについて聞く。1年前、パシニャンはこのステージ(極東経済フォーラム)にいて、貴方は彼とまったく普通の会話をしているように見えた。ところが今はどうかというと、昨日(9月11日)、アルメニアとアメリカの合同軍事演習が始まった。パシニャン夫人はキエフを訪れた。アルメニア議会議長はロシアの対外政策についてきわめて非友好的な発言を行った。アルメニア政治のこの転換は何に由来するものか。このことはアゼルバイジャンとの国境問題にどう影響するだろうか。アルメニアは最終的にどうなっていくだろうか。
(回答) 何か方向転換が起こっているということではない。私は起こっていることについて理解している。この問題については言いたいことが山ほどある。我々はたくさんの解決策を提案した。
 よく知られている事実だが、アルメニアは、(1994年までの)紛争を経て7つの地域を支配した。我々は、NK全部に加えて二つの地域(Kalbajar とLachin)をアルメニアの支配下に留めることでアゼルバイジャンと合意を達成することを提案した。我々は長い間説得したが、アルメニア指導部は同意しなかった。ではどうするのかと尋ねると、彼らは戦うという。結局、すべては今見ている事態(アゼルバイジャンによる全面支配)で終わったわけだ。
 しかし、問題は結果だけのことではない。もう一つの問題は、アルメニア指導部がNKに対するアゼルバイジャンの主権を認め、プラハ(2022年10月6日)で文書化したことだ
 アゼルバイジャンのアリエフ大統領は我々にこう語っている。あなたたちは、アルメニアがNKはアゼルバイジャンの領土であることを認めたこと、そして、NKの地位はもはや争点ではなくなっていることを分かっている。NK問題は解決済みなのだ。アルメニアの指導者は公にそう述べ、1991年以前のNKを含む領土(彼らは数字も提供した)はアゼルバイジャンのものだと認めた。これは我々が決定したことではなく、今日のアルメニア指導部が行った決定である。アゼルバイジャンは我々に、NK問題はそういうことであるので、残されているNK関連の問題については、ロシアとアゼルバイジャンの二国間で解決するべきだと言っている(they tell us, you should resolve any outstanding Karabakh-related issues with us on a bilateral basis)。我々は何が言えるというのか。何も言えることはない。アルメニア自身がNKはアゼルバイジャンの一部だと認めたならば、我々に何ができるというのか。
 もちろん、民族浄化防止を含む人道問題は未解決で残されているし、そのことについては全面的に同意する。私が希望するのはアゼルバイジャン指導部が民族浄化には関心がないことだし、彼ら自身も常にそう言っている。
(質問) アルメニア側は、ロシア及びCSTOが助けようとしなかったから人道的惨事が起こったと主張しているが。
(回答) アルメニアがNKはアゼルバイジャンの一部だと認めたのだから、何を議論するというのか。アルメニアがNKの地位を決定したということが問題の核心なのだ。
(10月5日)
 過去15年間、我々は繰り返しアルメニアの友人に妥協に応じるように言ってきた。妥協とは、NK周囲の5地域をアゼルバイジャンに返還し、アルメニアとNKとの間の領土的接続を守るために2地域は維持するというものだ。しかし、NKの友人たちはその案では脅威となると言って応じなかった。我々は、アゼルバイジャンは伸びており、産油国で経済も成長し、人口の1000万人以上になっており、彼我のポテンシャルを比較し、まだチャンスがあるうちに妥協を達成するべきだと言った。またロシアとしては、国連安保理決議を作って、アルメニアとNKとの間にできるラチン回廊の安全を保障し、NKに住むアルメニア人の安全も保障する(と説得した)。しかし、彼らの答えはノーだった。こうして2020年の武力衝突になったのだ。
 アリエフ大統領の怒りを買いたくないが、ある時点でアゼルバイジャン軍が止まることで合意ができた。私は正直これで問題は解決されたと思った。(しかし、アゼルバイジャン軍の進撃が続いたためにアルメニアが態度を硬化させたことに言及した上で)我々はアゼルバイジャンとの間で、シューシャまでで戦闘行動を終えるということで最終的に合意した。そして、戦闘行動の終了とロシア平和維持軍配置を定めた2020年NK合意が締結された。これも重要な点だが、ロシア平和維持軍の法的地位はこのNK合意のみに基づいている。そうなった理由については今述べないが、アゼルバイジャンはその必要はないと考えていた。この合意に基づくロシア平和維持軍の権利は休戦監視だけで、ほかには何もない(浅井注:パシニャンがロシア平和維持軍は在NKアルメニア人の安全を確保しなかったと非難したことを踏まえた発言)。
 (2022年10月6日のプラハ四者会合及び2023年7月15日の三者会合におけるNKの地位に関する合意並びにロシアには事前の話はなかったことを紹介した上で)その後に、アリエフがある会合でやってきて、みんながNKはアゼルバイジャンのものだと認めた、したがってロシア平和維持軍は我が領土にいる、と言ってきた。つまり、NKの地位がアゼルバイジャンの一部と変更を受けた後は、ロシア平和維持軍の地位も直ちに質的に変化するということだ。アリエフは、あなたの軍隊は我が領土にいるのだから、その地位について二国間で合意することにしようと言った。そしてパシニャンも、イエス、あなたは二国間で話さなければならない、と確認した。アゼルバイジャン憲法の枠組みの下でアゼルバイジャンがNKに対する立憲的秩序を確立するのは時間の問題に過ぎない。我々の話し合いの内容を話すことは不適当だからしないが、最近数日間、数週間に起こったことは、プラハとブラッセルで行われたことの必然的結果である。
 したがって、アルメニアはその時点でNKのアルメニア人の将来について考え、最低限、彼らに何が待ち受けているかを考え、NKのアゼルバイジャン国家への統合の形態、在NKアルメニア人の安全と権利について確保されるべき事柄を示しておくべきだった。
(10月13日)
 (アルメニアがEUの調整に応じる前の)数年間(のロシア、アルメニア、アゼルバイジャン)の交渉においては、すべての問題がNKの地位という問題にかかわっていた。詳細には立ち入らないが、過去何度もNKについての合意に近づいていた。常に問題となったのは住民投票を行うことについてだった。何時やっても結論は明らかなので、アゼルバイジャンは住民投票の日取りは決められないと言った。彼らが提案したのは、将来の世代の決定に委ねるということだった。アルメニアは住民投票の日取りを具体的に決めることを主張した。今の住民構成が続けばたとえ20年先でも結論は明らかだからだ。NKの地位、これが主要問題だ。
 しかるにアルメニア指導部は昨年、プラハでこの問題を終わりにした。彼らはご丁寧に何㎢という数字まであげたし、1991年条約にも言及した。そう、それで一件落着。
 しかし、2020年11月にロシア平和維持軍をNKに配備することに合意した際、その使命は停戦レジームをモニターすることだった。その際、NKの地位は究極的に決定されるということだった。これが問題の核心だ。アルメニアがNKはアゼルバイジャンの一部であることを承認した時点で、ロシア平和維持軍はアゼルバイジャンの領土にいるということになってしまった。
 しかし、(NK合意により)ロシア平和維持軍は2025年11月までNKに駐留することになっている。したがって、アゼルバイジャンとの間で、何をどうするかについて決めなければならない。
 アルメニアとアゼルバイジャンとの間の平和条約に関しては、その締結を目指した仲介を行う用意はあるし、モスクワに集まることもオファーしている。パシニャンには話したから知っているし、アゼルバイジャンも知っている。可能性は大きいと思っている。
 NK問題がない以上、平和条約締結の障害になる問題はない。いかなる問題も考えられない。国境に関する線引きというテクニカルな問題だ。こっちで100メーター、あっちで1キロといった類いで問題にならない。双方に善意があれば片付くし、我々が合意したように、貿易経済関係の発展、インフラ・プロジェクトといった次のステップに進むことができる。

<南コーカサスは「第二のウクライナ」?>

(パシニャンの態度豹変)
 私は、パシニャンの態度豹変にプーチンが激しい憤りを感じるのはそれなりに理解しますが、以下諸点を考えれば、特に目くじらを立てるほどのことではないと思います。
 前に、首相就任当時のパシニャンはアゼルバイジャンとの交渉に弾力的に臨む用意があった、という指摘があったことを紹介しました(11月19日コラム)。また、アゼルバイジャンの実力行使を受けて、10万人とも言われる在NKアルメニア人がアルメニアに逃れたのですが、パシニャンのこれら避難民に対する対応は極めて事務的(彼らはアルメニア国籍を持っているので、難民に与えられる特別待遇を受ける権利はない)で、アルメニア国内でも議論を呼んでいるという報道(アルメニアのAsbarez、Mediamax)もあります。したがって、パシニャンには「豹変」する素地がもともとあった、と考えても不思議はありません。
 また、米西側は今「ウクライナ領土を不法占領しているロシア」を非難し、ウクライナ政府の対ロ戦争を支援しているわけです。NKについてはアルメニアがアゼルバイジャン領を占領しているのですから、調停者EUとしてはアルメニアに全面譲歩を迫ることは当然です。ロシアより米西側に親近感を抱いている(とされる)パシニャンとしては、EUの「筋論」を受け入れることには抵抗感も少なかったと思われます。
 なお、プーチンは、アルメニアのNK「放棄」に当たって、EUとパシニャンが在NKアルメニア人の安全及び権利について何の手当もしなかったことを批判しています。この点に関しては、アゼルバイジャンが最後までEU調停に付き合うというのがEU(及びパシニャン)の当然の想定であり、したがって、EU(及びパシニャン)とすれば、NKの地位という原則問題での合意成立を最優先し、在NKアルメニア人の安全及び権利については細則問題として今後アゼルバイジャンに受け入れさせるというアプローチだった可能性が考えられます。
(アゼルバイジャンの言動)
 アゼルバイジャンがEU・米の調停にずっと付き合いながら、突然実力行使に出てその調停をぶち壊したことも、よく考えれば納得できることではあります。
 EUは最初、アゼルバイジャンとしても参加を断る理由がない口実(EUの東方パートナーシップ(EU's Eastern Partnership EaP))を設けていたこと、NK問題の調停という本題に入ると、ロシアの調停案(NK周囲の5地域をアゼルバイジャンに返還し、アルメニアとNKとの間の領土的接続を守るために2地域はアルメニアが占領を維持する)より断然有利な調停案(NKがアゼルバイジャン領であることの承認)が示されたこと(アルメニアも受け入れ)など、アゼルバイジャンとしては極めてメリットが大きいものでした。
 しかし、EU・米の調停に最後まで付き合えば、在NKアルメニア人の安全及び権利という問題の解決が平和条約締結の不可分の一部として取り上げられることは目に見えています。実際に、2023年7月15日の第6回三者会合では、「EU側は、バクーとNK居住アルメニア人代表の直接対話を奨励」が明記されています。2023年10月末に第7回三者会合が予定されていましたが、アゼルバイジャンは「このあたりが潮時」と判断したとしても不思議ではありません。
 また、アゼルバイジャンはトルコと緊密に連携していることは公知の事実です。10月5日に欧州政治コミュニティ首脳会議がスペイン・グラナダで開催される機会を捉え、EUはアルメニア、アゼルバイジャン、フランス、ドイツ及びEUの五者会合を企画しました。しかし、アゼルバイジャンはトルコのエルドアン大統領の参加を要求し、仏独の反対でエルドアンが出席できないことが分かると、アゼルバイジャンは五者会合出席を拒否しました。米西側露の関係が緊張含みであるトルコ・エルドアンの考えがアゼルバイジャン・アリエフに影響している可能性も大きいと見るべきでしょう。
 以上を総合すれば、取るべきもの(NK)は取った。これ以上長居は無用、とアゼルバイジャンが判断したとしても何の不思議もありません。アリエフがプーチンに「残されているNK関連の問題については、ロシアとアゼルバイジャンの二国間で解決するべきだ」と語った(とされる)言葉が真実味を感じさせるゆえんです。
(プーチン・ロシアの対南コーカサス政策)
 プーチンは、アルメニアの安全保障に最大限の配慮を払いつつ調停に努力してきた(「NK周囲の5地域をアゼルバイジャンに返還し、アルメニアとNKとの間の領土的接続を守るために2地域は維持する」という提案や「国連安保理決議を作って、アルメニアとNKとの間にできるラチン回廊の安全を保障し、NKに住むアルメニア人の安全も保障する」という配慮)という自負があると思います。それだけに、パシニャンの態度豹変には煮えくり返る思いがあっても不思議ではありません。「この問題については言いたいことが山ほどある」という言葉が口をついて出てきたのは、日頃冷静沈着なプーチンにしてもなお感情の激発があったことを窺わせるに十分なものがあります。
 しかし、プーチンはなお、「アルメニアとアゼルバイジャンとの間の平和条約に関しては、その締結を目指した仲介を行う用意はあるし、モスクワに集まることもオファーしている」という余裕を示しています。個人的感情を政治に持ち込まないところはさすがです。この冷静沈着さは、ウクライナ問題対処に対する自信増大、米西側の空前絶後の経済制裁にもかかわらず本年のロシア経済が3%の成長を見込めるほどのレジリエンスを示していることへの手応え、盤石な露中関係、グローバル・サウスとの良好な関係(国際的に孤立しているのはロシアではなく米西側であるという判断)などに基づくものでしょう。これらに加え、南コーカサスの地政学的特殊性も働いていると思われます。
 11月19日のコラムに載せた地図を見れば直ちに理解されるように、南コーカサス3国は、北はロシア、南はイラン、西はトルコ・黒海、東はカスピ海に取り囲まれています。欧州諸国と陸続きのウクライナとはまったく違います。ジョージアはアルメニアに先んじて米西側への傾斜を強めましたが、プーチン自らがいうように、ロシアと正常な関係を維持せざるを得ません。米西側はロシアの神経を逆なでする程度のことはできても、ウクライナに対するような全面支援はできるはずがないことをプーチンは読み切っているのだと思います。
 しかも、ロシアとイランの関係は今や両国関係史上でも最高レベルに達しています。ロシアとトルコの関係は確かに複雑ですが、米西側に対する基本的判断では共通しています。アゼルバイジャンとはNK問題調整過程で信頼関係を増しています。
 EUは南コーカサスにおける交通運輸インフラに経済支援を提供する用意を示しています。しかし、ロシア-アゼルバイジャン-イランを結ぶ鉄道インフル整備の進展、トルコ-イラン-アゼルバイジャンを結ぶ道路建設計画の具体化に見られるように、ロシアは大きく先行しています。
 プーチン・ロシアがパシニャン・アルメニアの方向定まらない動きに右往左往しないのは、以上諸点を考えれば当然だとも思います。
 最後に蛇足ですが、米西側がアルメニア(ウクライナ)をロシアに対する権力政治の「使い捨てのコマ」にしか考えていないのは明々白々なのに、パシニャン(ゼレンスキー)が米西側に幻想を持ち続けるのは本当に理解不能です。もっとも、岸田首相もまったく同じですので、他人様のことを笑って済ませることではないのですが。