7月26日、西アフリカのニジェールで政変(クー・デター)が起こりました。当初はあまり気にとめていなかったのですが、アメリカの主要3紙(ニューヨーク・タイムズ(NYT)、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)、ワシントン・ポスト(WP))、ロシアのロシア・トゥデイ(RT)、スプートニク通信、中国メディアが大きく取り上げているので,念のため、関連記事を収集してきました。約一ヶ月が経った時点で収集してきた記事をまとめ読みした結果、3大国メディアが関心を寄せるのも「むべなるかな」と実感し、分析作業に取りかかりました。私としては久方ぶりに「オープンな情報を丹念に読み込むことで情勢分析を行う」という外務省時代を思い出しながらの楽しい(?)作業となりました。キッシンジャーがオープンな情報で95%以上事実関係が分かるという趣旨の発言を行ったことがありますが、私もそういう実感があります。今回の作業結果は長文となったので、「ニジェール政変と国際関係-アメリカとフランス-」及び「ニジェール政変と国際関係-ロシアと中国-」として、2回に分けて紹介することとします。今回はその第一回です。

 アフリカ大陸ではBRICS首脳会議が8月22日-24日に南アフリカ・ヨハネスブルグで開催されたばかりですし、7月27日-28日にはロシア・サンクトペテルブルグで第2回ロシア・アフリカ首脳会議が開催されました(第1回は2019年10月にソチで開催)。アメリカも、昨年(2022年)12月13日-15日にワシントンで8年ぶりとなるアメリカ・アフリカ首脳会議を開催しています。ちなみに、岸田首相も4月29日-5月5日にエジプト、ガーナ、ケニア、モザンビークのアフリカ大陸4ヵ国を訪問しましたが、その訪問意図はG7広島サミットがらみという脳天気なもので、議論する価値もありません。
 中国は1991年以来、年明けにおける外交部長の最初の外国訪問先をアフリカ諸国としていることに象徴されるように、アフリカ諸国との関係を重視する方針を一貫してきています。JETRO「アフリカビジネスの最新動向」(2021年3月4日)によれば、アフリカの上位輸入相手国では、中国は2007年にそれまでトップだったフランスに代わって第1位となり、その後は第1位の座を独走しています。また、本年3月にサウジアラビアとイランとの関係改善のための交渉を仲介(両国は4月10日に関係正常化発表)し、8月のBRICS首脳会議ではエジプト、サウジアラビア、UAE、エチオピア,イランの新規加盟に積極的に動くなど、中東・アフリカで外交活動を強化しています。さらに、「一帯一路」によるアフリカ大陸での鉄道・道路などのインフラ建設でもめざましい成果を上げています。経済力では中国に及ばないロシアは、過去におけるアフリカ諸国の民族解放運動を政治的軍事的に支援した実績などの伝統的関係を生かし、アフリカ諸国との政治関係に力を入れています。アメリカ・バイデン政権の対アフリカ政策は中国及びロシアの真剣な取り組みに対抗する意味合いが強く、また、オバマ政権以後のアジア太平洋重視戦略はそれまでの中東重視戦略に代位する性格も強く、その結果、それまでアメリカとの関係を重視してきた多くのアラブ諸国が自主独立外交を模索する動きを招いており、バイデン政権の対アフリカ大陸政策は焦点が定まらない状況です。
 今回のニジェール政変は,以上のアフリカ大陸を取り巻く国際環境のもとで起きたが故に、ますます大国の関心を引きつけることとなったと思われます。しかし、大国間の「影響力争い」という脈絡でニジェール政変の意味を捉えているのはもっぱらアメリカ(及びフランス)です。ロシアは、大陸の55ヵ国・地域が加盟するアフリカ連合(AU)との関係を重視する基本的立場から、ニジェール問題についても外交的解決を強調しています(アメリカはワグネルの動きを盛んに警戒しますが、ニジェール政変に関心を表明していたプリゴジンが事故死するなど、ロシアが軍事的に直接介入する気配はゼロです)。中国は、8月18日に王毅外交部長がフランスのコロンナ外相と電話会談をしており、その中でニジェール問題も取り上げたことを明らかにしています(中国外交部WS)が、表だった動きは控えています。
 このように、3大国関係の脈絡でニジェール政変を捉えることは強引すぎると思われます。むしろ諸情報からは、フランスの対西アフリカ戦略の植民地主義的性格と西アフリカ諸国の強い反仏感情・意識、西アフリカにおけるアメリカの対テロ戦略の拠点であるニジェールの戦略的重要性、対ニジェール・アプローチにおける米仏対立、ニジェールに対する対応をめぐるAUとナイジェリアが中核となる西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)とのアプローチの違いなど、興味深い問題点が浮かび上がります。
 

<ニジェール政変の発端及び背景>

 問題の発端及び一連の背景事情に関しては、8月4日付けのRTが掲載したロシアのHSE大学アフリカ研究センター長のアンドレイ・マスロフ及び同センター専門家のV.スヴィリドフが執筆した「アフリカ内外のバランス・オヴ・パワーを左右するニジェールのクー・デター」(原題:"How the Niger coup can shake up the balance of power in and around Africa")の解説が詳しいので、まとめて紹介します(浅井:HSEはHigher Studies of Economics)。
 7月26日、ニジェールのバズーム(Mohamed Bazoum)大統領が直属の大統領護衛隊によって拘束(公邸に軟禁状態)され、翌27日には陸軍参謀総長イッサ(Gen. Abdou Sidikou Issa)署名の声明がツイート上で流されて、ニジェール軍がクー・デター支持に回ったことが明らかになった。さらに28日には、大統領護衛隊司令官だったチアニ(Abdourahamane Tchiani)がニジェール祖国保衛国家評議会議長(head of Niger's National Council for the Safeguard of the Homeland)に就任したことが明らかにされた。ニジェールに先だって2021年にクー・デターを行ったマリとギニア及び2022年にクー・デターを行ったブルキナ・ファソは直ちに新政権支持を公表したが、ECOWAS、AU、国連、フランス、アメリカそしてロシアはこれをクー・デターとして非難した(中国は沈黙)。ECOWASは7月30日にバズーム大統領の地位回復を要求し、8月6日までという期限を付けて、この要求を満たさない場合には、「ニジェールの憲法秩序回復のために必要なすべての措置を執る」として、軍事行動を執る可能性を明らかにするとともに、ECOWAS加盟国(ECOWASから資格停止されているマリとブルキナ・ファソを除く)とニジェールとの国境を閉鎖、また、飛行禁止区域設定、ニジェールとのすべての取引中止、ECOWAS銀行のニジェール資産全凍結などの経済制裁を発動した(浅井:アメリカの常套手段となった経済制裁をECOWASが踏襲しているのには唖然としました)。
 ニジェールはまたウラン産出国である。2022年には2000トンを産出した(世界産出量の4%、世界第7位。ちなみにロシアは2500トン)。ニジェールにとって、ウランは輸出収入及び外貨取得の主要なソースである(年間2億ドルで,輸出総額の約30%)。その主な輸出先はフランスで、フランスの年間ウラン消費量の約25%を占める。欧州全体がウクライナ戦争でエネルギー危機に見舞われている中、ニジェールからのウラン輸出ストップが長引けば、フランスの受けるダメージは大きくなる。
 ECOWASはもともと複雑な構成であり、宗教的にはキリスト教とイスラム、言語的には英語とフランス語、通貨においてもCFAフランの旧フランス植民地諸国と単一通貨Ecoの導入を目指している西アフリカ通貨地域(WAMZ)に分かれている。さらに現在は、クー・デターを起こしてECOWASの制裁を受けているマリ、ギニア、ブルキナ・ファソ及びニジェールと,域内最大国ナイジェリアが率いるその他のECOWAS構成諸国との対立が加わった。(同日付のRTの別の記事では、クー・デターを起こした4ヵ国を汎アフリカ主義、そしてナイジェリアに率いられるグループを親NATOと分類している。)
 今回の政変(クー・デター)の背景事情に関しては、8月4日付けのWSJ記事「ロシアにチャンスを与えたアメリカのヘマ」(原題:"How the U.S. Fumbled Niger's Coup and Gave Russia an Opening")が理解の手がかりを与えていますので紹介します。
 バズームは2021年に行われたニジェール初の民主的権力移行選挙で大統領に選ばれ、ワシントンはイスラム国及びアルカイダ並びにロシアの影響力増大に対する防波堤として、彼に期待した。マリ及びブルキナ・ファソのクー・デター首謀者がロシア寄りになっていったとき、バズームはアメリカ側に立つことを明確にした(第2回ロシア・アフリカ首脳会議にバズームは欠席を表明、マリとブルキナ・ファソの暫定大統領はともに出席)。また、バズームはニジェール軍に対する掌握力を強めるべく、本年4月、参謀総長と憲兵隊長を更迭し、チアニを更迭する計画も温めてきた。
 チアニは、過去12年間にわたってニジェールの指導者たちを守ってきた。バズーム就任直前に起こったクー・デターの動きをストップしたのもチアニだった。しかし、バズームが対米協力のテロ鎮圧軍を育成する中で、チアニは資金源と影響力を削がれていくこととなり、バズームの動きに対する警戒を強めた。バズームは7月24日にチアニを更迭する命令の起草を部下に命じていたが、チアニは26日に機先を制する形で行動を起こした。米仏の諜報機関はこの一連の動きを早くから掌握していたが、バズームをチアニから守るための行動を取らなかった。
 WSJ記事の以上の記述からは、バズームとチアニとの個人的確執・権力闘争の様相しか伝わってきません。しかし、クー・デターを起こした4ヵ国を汎アフリカ主義、そしてナイジェリアに率いられるグループを親NATOと分類したRT記事に鑑みても、今回の政変はもっと根が深いというのが私の印象です。8月16日付けの環球時報は、中国国際問題研究院発展中国家研究所の馬漢智研究員署名文章「火だるまの米西側:権力政治の報い」(原題:"在非搞权力政治,美西方引火上身")でニジェールを含む西アフリカの情勢を分析しており、アフリカにはまったく土地勘がない私にはとても参考になりました。ちなみに、中国国際問題研究院は中国外交部直属の研究機関というWS上の自己紹介があります。したがって、ニジェール政変にかかわる中国側の判断を示すものという位置づけはできると思います。大要を紹介します。
 マリ、ブルキナ・ファソ、ギニアからニジェールまで、政変が起こったこれらの国家には共通点がある。すべてがかつてのフランス植民地であり、政治、経済、社会発展はフランスと密接な関係がある。また、米西側のアフリカにおける反テロ戦略拠点でもある。これらの国々では何度も政変が起こっており、政変の原因は経済的後進性、ガヴァナンス上の欠陥、脆弱なデモクラシー等に帰せられることが多い。しかし、2020年以後のアフリカ中部及び西部の政変に関して言う限り、アフリカにおける米西側の権力政治及びアフリカ諸国の政治的覚醒と密接に関連している。
 すなわち、第一に、アフリカにおける政治的激動は米西側諸大国の政策に原因がある。近年、米西側はアフリカ重視を強め、様々な戦略を打ち出している。フランスのマクロン大統領はアフリカとの戦略パートナーシップ再建を提起したが、その本質はアフリカにおける影響力低下を食い止めることにある。バイデン政権のアフリカに対する新戦略はアフリカで中国と全面的に争う意図に出ている。ブルキナ・ファソとマリで相次いで大規模な反西側の動きが巻き起こったため、米西側はニジェール重視を強め、同国を反テロの拠点にしようとしている。米西側がニジェールに重点投資するのは反中反ロの新拠点にしたいからである。アメリカの前アフリカ方面司令官ステファン・タウンセンドはかつて、「アメリカの主要任務は、中国がアフリカ大西洋沿岸で影響力を拡大するのを阻止することだ」と述べたことがある。米西側はニジェール等の西アフリカで軍事力を配備するのに大金を投じている。名目は反テロだが、本質は中国及びロシアがこの地域で影響力を拡大するのを阻止することにある。しかし、一連の政変及びそれに伴う反西側の動きは、反テロを名目とする米西側の真の狙いが大国間競争にあることを暴露している。
 第二に、アフリカ諸国が政治的覚醒を加速していることは米西側を苦しい立場に追い込んでいる。すなわち、2020年以後の一連の政変は,かつてのクー・デターの単純な延長ではなく、アフリカの覚醒という大きな背景のもとで捉える必要がある。
 まず、米西側の反テロ戦略の失敗は、アフリカ諸国を持続的な「セキュリティ・ジレンマ」に陥らせ、そのために、政変を起こした指導者たちは失われた安全を回復することを掲げて軍政を敷いている。過去10年間、米西側によるサハラ一帯での対テロ作戦は逆にテロの氾濫を引き起こしており、さらにギニア湾に向かって蔓延する勢いである(広義のサハラ一帯は大西洋沿岸から紅海まで、また、狭義のサハラ一帯はマリ、ニジェール、ブルキナ・ファソ、チャド及びモーリタニアの5ヵ国)。ある調査報告によれば、2022年のテロ襲撃による死亡者は世界で6701人、サハラ地域はその43%を占めた。今回のニジェール政変に際して、ブルキナ・ファソとマリは共同声明を出して、ニジェールに対する軍事干渉は「両国に対する宣戦と見なす」とした。ギニアも声明を出し、ECOWASの制裁及び軍事干渉に反対した。アフリカにおける一連の政変に対して、米西側は自らの行動を反省するべきである。
 次に、米西側はこれら諸国の経済的命綱を支配し、経済発展の果実を長期にわたって搾取してきたことを背景に、政変を起こした指導者たちは自主的発展の可能性を追求している。アフリカ諸国の独立を認めるに先だって、フランスはCFAフラン・ゾーンを創立(1946年)し、域内でCFAフランの流通を制度化した。CFAフラン使用国は外貨準備の50%をフランス国庫に預けることを義務づけられ、通貨及び為替政策はフランスが決定権を握った。マリの岩塩、ボーキサイト、鉄等の鉱物資源の採掘権はフランス資本が掌握し、主な輸出先もフランスである。ニジェールはウラン産出国で、フランスのウラン需要の15%を貢献している。米西側のアフリカの鉱物資源等に対する支配により、アフリカ諸国は長期にわたって経済的停滞に追い込まれてきた。  最後に、米西側による価値観の押しつけはアフリカ諸国の反発を招いている。頻繁な政変及びそれを受けたアフリカ社会の反応は、西側の価値観の押しつけに対する反発を反映している。米西側による権力政治はアフリカにおける政変の流れを加速するものであり、ニジェールの政変のその流れの一つに過ぎない。米西側が悟るべきは、アフリカで権力政治を行えば自らが火だるまになるということである。
 以下に、執筆時点(9月8日)までの主な動きを簡単にまとめておきます。
○8月9日:チアニは新暫定政府組閣の勅令に署名。同日、ECOWASはニジェール介入のための待機軍を展開することを命令。
○8月13日:軍事政権が,緊張緩和のため、ECOWAS指導者と話しあう用意があるとする声明を発表。しかし同日、バズーム等を反逆罪で訴追する意向も表明。
○8月14日:AU平和安全協議会(The Peace and Security Council (PSC))はアジスアベバでニジェール情勢を議論するために会合。16日付けのル・モンドは、PSCが内部で激論の末、バズーム解放とニジェールにおける憲法秩序回復のためのECOWASの軍事力展開に反対、と報道。ル・モンドによれば、PSCはAUにおける紛争解決問題に関する決定権限を有しており、この決定がAUの最終決定となれば、ECOWASがAUの同意なくニジェールに対して軍事干渉することは至難となるだろうとのこと。
○8月16日:ホワイトハウス国家安全保障会議のカービー報道官は、アメリカはECOWASによるニジェールに対する軍事介入を支援する用意があるかという記者の質問に対して、「ECOWASその他いかなるものによる介入についても憶測するつもりはない。解決のための外交の余地・時間はまだある」と回答。
○8月17日:ECOWAS加盟国がガーナの首都アクラで2日間の会議を行い、ニジェール問題について協議。加盟国の多くは「待機部隊」に参加する用意を表明。
○8月18日:ECOWASの政務及び安全保障担当のムサ(Abdel-Fatau Musah)はニジェール侵攻の日にち(D-day)が決定されたと発言。これに対してブルキナ・ファソの国防相クリバリー(Kassoum Coulibaly)はスプートニク通信に対して、ニジェール支援を確認するとともに、ECOWASからの脱退の用意があることも表明。またこの日、16加盟国からなる南部アフリカ発展共同体(SADC)がECOWAS支持を表明した、とナイジェリア・サン紙が報道。
○8月19日:ニジェール祖国保衛国家評議会議長チアニは、政変の目的は権力奪取ではなく、「包容的全国対話委員会」を設置すると宣言し、各政党に30日以内に過渡期に関する提案を出すことを呼びかけ、3年以内に文民政権に移行する用意がある(ただし、軍事介入ある場合はこの限りではない)、とテレビで声明。またこの日、軍事政権の首相に指名されたゼイン(Ali Lamine Zeine)はNYTに対し、政権はワグネルと共闘する意思はないと言明。
○8月21日:ECOWASの政務及び安全保障担当のムサは、ニジェール軍事政権が行った提案(3年以内の民政移行)をECOWASが拒否したと述べる。また、アルジェリア公共放送は同日、フランスがニジェールを空爆するためにアルジェリア領空飛行要請をしたが、アルジェリアはこれを拒否したと報道。
○8月23日:アルジェリア外相アタフ(Ahmed Attaf)が同国大統領の命を受け、同日からナイジェリア、ベニン及びガーナ3国を訪問し、ニジェール問題の政治解決方法を協議する方針、とアルジェリア外務省が声明。アルジェリアとニジェールの国境は1000キロに及ぶとのこと。
○8月24日:ブルキナ・ファソ及びマリの外相がニジェールを訪問し、祖国保衛国家評議会議長チアニと会見。その後3国は「3国のいずれかが侵略またはテロリストによる攻撃に遭遇した場合は相互に援助を与えることに合意」、「ニジェール領土が侵犯された場合は、マリ及びブルキナ・ファソの軍隊がニジェール領域に入ることをニジェールが承認」と共同声明で発表。マリ及びブルキナ・ファソの外相は、ECOWAS及び西アフリカ経済通貨連合(UEMOA)がニジェールに課している制裁を、「不法かつ非人道的」と非難。
○8月25日:軍事政権は、フランス大使に48時間以内の国外退去を要求。
○8月26日:ニジェールの首都・ニアメーにある同国最大のスタジアムで開かれた大規模な集会で、人々は軍事指導者に喝采を送り、軍事指導者は軍が人民の側に立っていることを強調。
○8月28日:フランスのマクロン大統領は、ワシントンのアプローチを批判するとともに、軍事政権がフランス対し大使の国外退去を要求したのを拒否し、ECOWASの外交的軍事的努力に対する全面支持を表明。
○8月29日:アルジェリアのアタフ外相が、民政移行期限を3年ではなく6ヶ月とすることなどを内容とする6ポイントからなる外交イニシアティヴを提起。
○8月30日:軍事政権は、7月27日に出した夜間外出禁止令を解除。
○8月31日:軍事政権外務省は、「フランス大使はもはや外交特権・免除を享有しない」とする声明を発表。
軍事政権は、48時間とした退去期限が28日に切れたとして、ニジェール警察に対して大使を国外退去させることを命令。またこの日、軍事政権が在ニジェール・フランス軍に対して、9月3日までに国外撤去することを要求した、とするサウジアラビア・メディアの報道。
○9月2日:ニジェール最高裁判所は、フランス大使の外交特権剥奪と即時退去を承認。
*執筆時点(9月8日)で、軍事政権とフランス側が非公式に交渉しているとする報道はあるが、フランス軍及び大使の撤去に関する報道はない。

<アメリカの動き>

 8月3日付けのWPはバズーム大統領の署名文章(バズームが携帯で口述したものを協力者が起こして同紙に持ち込んだとされる)を掲載しました。その中でバズームは、ブリンケン国務長官がニジェールは「デモクラシーのモデル、協力のモデル」と述べたことを挙げて、アメリカ政府がニジェールの憲法秩序を回復するのを援助することを要請しました。また、マリとブルキナ・ファソがワグネルなどの傭兵を雇っていることを非難するとともに、アメリカとECOWASが介入しなければ、西アフリカ全体がロシアの影響下に陥るだろうと警告しました。なお、この動きに先立って、ニジェール祖国保衛国家評議会議長チアニはフランスとのすべての軍事協定を停止(suspend)するとともに、ECOWASの制裁を非難し、外部の介入には武力で対抗すると発言しました。
 すでに紹介した8月4日付けのWSJ記事「ロシアにチャンスを与えたアメリカのヘマ」は、政変が起こった時点におけるバイデン政権の不手際について以下のように紹介しています。
 アメリカは、ニジェールをサハラにおける最重要軍事拠点とするべく数億ドルをつぎ込んできたが、政変当時は大使もいなかった。前任大使が離任してから8ヶ月間も後任大使を指名せず、その後任指名者に関しては上院共和党の反対に直面して難航していた。また、バイデン政権は、AU及びナイジェリアにも大使がおらず、要すればこの地域の情勢悪化に対応するべき責任者はいなかった。国家安全保障会議のアフリカ担当者も流動的で、短期的な臨時担当者が次から次へと変わる状況にあった。
 7月30日にナイジェリアのティヌブ(Bola Tinubu)大統領がECOWAS11ヵ国の大統領・外相と協議の上でニジェールに対して最後通牒を発した際、ブリンケンは声明を出してこの最後通牒に対する一般的支持を表明した。ワシントンでは、ナイジェリア軍がニジェールに武力介入するだけの能力はないと見るものがほとんどだったが、当時の状況下ではほかの選択肢はなかった。
 8月5日付けの環球時報記事「ニジェール政変をめぐる米仏の激しい争い」(原題:"美法俄就尼日尔政变激烈博弈!尼总统"以人质身份"在美媒发文")は、表題が示すとおり、米仏の対立を描写していますが、フランスがニジェールに対して強硬であるのに対して、「アメリカは(ニジェールに)留まりたい」というサブタイトルのもと、アメリカの「異常」な動きを次のように描き出しています。
 ニジェール政変後のアメリカの反応はいささか「尋常でない」ものがある。AP通信は3日、政変の発生後、いくつかの欧州諸国は大使館を閉鎖し、自国民の出国を進めたが、アメリカ政府は留まる意向を表明した。大使館の不要不急の館員及び家族は出国したが、「大使館は引き続き任務継続」とした。ブリンケンはほぼ毎日バズームと電話連絡を取り、アメリカの彼に対する支持を確認した。アメリカのニジェールに対する対応は、アフリカのほかの国々で起こった類似事件に対する対応と比較すると著しい違いがある。例えば、4月にスーダンで内戦が勃発した際は、アメリカは直ちに大使館閉鎖とアメリカ人出国を公表した。この対応の違いについてAP通信は、ニジェールはアメリカにとって「西アフリカにおける最後のそして最高の反テロ前線基地」であり、「ニジェールを放棄すれば、テロ組織が勢力を拡大するリスクがあるとともに、ワグネルがこの地域で影響力を拡大する可能性がある」と指摘し、「アメリカがニジェールとの安全保障関係を維持することの見返りに民政復帰を取り付ける」等の中間的解決案が検討されているとする、西アフリカ問題専門家の見解を紹介した。しかし、ニジェールの政変指導者は西側の圧力に屈して妥協する可能性はない、と指摘する向きもある。
 8月7日、すなわち、ECOWASがニジェールに最後通牒の期限とした6日の翌日、米国務省のヌーランド国務次官代行が突然ニジェールを訪問し、ニジェール軍暫定参謀総長のバルモウ(Moussa Salaou Barmou)等と会談しました(バルモウはアメリカの国防大学に学び、フォート・ベニングで訓練を受けた経歴の持ち主で、政変前はアメリカの反テロ戦略遂行のニジェール側カウンターパート)。ヌーランドのような高官の訪問の目的・意図には大きな注目が集まりました。会談後にヌーランドは、ECOWAS、フランス、アメリカ、EUの要求を踏まえて、民政復帰に向けたいくつかのオプションを軍事政権に提示したことを明らかにしましたが、会談が「率直かつタフなもの」だったことも認めました(8月9日付けスプートニク通信)。また、ヌーランドは、軍事政権の民政復帰拒否の姿勢は極めて断固だったこと、しかし、アメリカとしては、民政復帰が実現しなければ、国内法の規定に基づいてニジェールに対する援助をストップしなければならないことを伝えたことなども明らかにしました(8月7日付けAP通信)。
 ニジェールに対する援助条件を定めた国内法とはSection 7008 (of Public Law 117-328, Division K)であり、国家、対外作戦及び関連プログラム(State, Foreign Operations and Related Programs (SFOPS))のために議会が計上した資金は、正当に選ばれた元首が軍事クー・デター等で退位させられたいかなる国のいかなる援助のためにも使用することはできない」と定めています(8月15日付けRTが掲載したスコット・リッター署名文章「ニジェールのジレンマに縛られるアメリカ」(原題:"The US is caught in a dilemma with Niger")の紹介)。
 ちなみに、スコット・リッターによれば、アメリカはニジェールに2つの基地(基地101と空軍基地201)を置き、約1100人の部隊で運用しています。その公表目的は対テロ作戦ですが、本当の狙いはロシアの影響力拡大阻止にある、としています。その上でリッターは、上記国内法に関しては抜け穴が用意されていることを指摘しています。その抜け穴とは、2003年に議会がSection 7008に修正規定を設け、国務長官は「アメリカの国家安全保障上の利益」を理由として免責条項を発動できるとしたものを指します。ただしリッターは、ニジェール政変指導者たちがアメリカとの関係を維持すること自体にもはや関心を失っている可能性があることを示唆し、それが今やアメリカにとっての最大のジレンマとなっている、と結んでいます。
 ニジェール政変に対するアメリカの選択肢は、バズームの復権・民政回帰が絶望的である現状に立てば、①西アフリカの軍事拠点喪失を覚悟し、政変をクー・デターと認定して援助を打ち切る、②軍事拠点確保を最優先して、政変側に最大限の譲歩を行う用意を示すことで関係維持を確保する努力を継続する、のいずれしかありません。8月16日付けのNYTは、「アメリカに打撃を与え、ロシアを招き入れるニジェール政変」(原題:"Coup in Niger Upends U.S. Terrorism Fight and Could Open a Door for Russia")と題する記事で以上の2択を示した上で、結論として、安全保障最重視のアメリカの対西アフリカ・アプローチがそもそも根本的に間違いだったのではないか、という根源的問題提起をしています。
 また、8月28日付けのスプートニク通信は、「アフリカにおけるアメリカの軍事的失敗の理由」(原題:"How US Military Failed in Africa")というストレートな表題の文章を掲げ、アメリカ国内のいくつかの研究報告を引用する形で(つまり、ロシア側の主観的判断としてではなく)、アメリカの対アフリカ戦略の失敗理由をアメリカ自身に語らせています。ここで引用されている研究報告は以下のとおりです。
-The study by the Chicago Council on Global Affairs, titled "Less is More: A New Strategy for US Security Assistance to Africa" (資料①)
-a Pentagon report that was released quietly in September 2022, on which Rolling Stone shed light next month(資料②)
-The Quincy Institute for Responsible Statecraft, a DC-based think tank, has found that at least 15 US-supported officers have been involved in 12 coups in West Africa and the greater Sahel during the "War on Terror."(資料③)
 スプートニク通信は、これらの3つのアメリカ側ソースが以下の点を指摘していることを紹介しています。
○アメリカは2016年以来ニジェールに約5億ドルをつぎ込んできたが、今回の政変遂行者の中には少なくとも5人のアメリカで訓練を受けた経歴の持ち主が含まれている。(資料①)
○アフリカにおけるアメリカ政府の政策は長期にわたり、軍事援助の提供による短期的安全保障を優先して、長期的安定を犠牲にしてきた。しかし、この戦略はアフリカの安全を生み出さなかっただけでなく、アメリカ及びその利益に対する脅威をも減少しなかった。ところが、この地域における大国間の競争が深まったことに対して、国家安全保障担当層は、アメリカの関与が弱まって力の真空が生じる場合、アメリカの競争相手がその真空を埋めることになることを恐れ、安全保障面での協力をさらに重視した。しかし、問題のカギは、アメリカの軍事援助をもっと選択的にし、政府の監督も強めることによって、アフリカ諸国の支持についてもっと包括的、全体的なアプローチを採用する必要があるということである。(同)
○アメリカは過去20年間にアフリカの22ヵ国に軍隊を派遣したが、過激派組織を弱めることも破壊することもできなかった。(資料②)
○CIAヴェテランのジョンソン(Larry Johnson)はスプートニク通信に対して、このペンタゴン・ペーパーについて次のようにコメントした。
 「世界で起こっている出来事に対してアメリカは明確なプランと目標を持って臨んでいるというのが世界の一般的見方だが、実際はまったく逆である。受け身的で、戦略も長期的プランもない。喩えるならば、生えてくる草の芽を摘み取るスタイルだ。わたしは国防省アフリカ司令部(AFRICOM)創設以来約15年間そこで働いていた自分自身の経験から、この組織はアフリカで訓練の経験を積むことだけに集中しており、何らかの政治戦略を踏まえるということはまったくなかったことを知っている。」
○「対テロ戦争」時代に、西アフリカ及び大サーヘルで起こった12のクー・デターに,アメリカに支持されていた将校が少なくとも15人関与している。ブルキナ・ファソ:2014年、2015年、2022年は2回。チャド:2021年。ガンビア:2014年。ギニア:2021年。マリ:2012年、2020年、2021年。モーリタニア:2008年。ニジェール:2023年。9.11以後にアフリカで起こった反乱に加わった,アメリカで訓練を受けた将校の数はもっと多いはずだが、データを握っている国務省は明らかにしようとしない。(資料③)

<米仏対立>

 ニジェール政変をめぐるアメリカとフランスの対立は、①西アフリカにおける既得権益死守のフランスと対テロ戦略(ホンネは対ロシア戦略)最重視のアメリカ、したがって②軍事力行使を排除しないフランスと軍事力行使には慎重なアメリカ、そのため③民主主義擁護(バズーム復権と民政回帰)の旗印を下ろさないフランスと軍事的既得権(軍事基地使用権確保)を優先するアメリカ、とまとめることができます。すでに述べたように、ニジェール軍事政権が対米軍事協力関係維持を重視していないとすれば、以上3点における米仏対立の根底が崩れるわけですから、この問題を検討する意義があるかどうかも明らかではありません。
 しかし、米仏間にはもともと、大西洋(NATO)重視か欧州(EU)重視かという戦略的アプローチの違いがあります。また最近では、オーストラリアとの間で通常型潜水艦の提供について交渉を進めてきたフランスを押しのけて、原子力潜水艦の対豪提供をまとめたアメリカに対するフランスの猛反発という生々しい事例もあります。さらに、中仏関係を重視するマクロンと対中対決戦略を推進するバイデンとの違いもあります。
 こうした脈絡を踏まえるとき、ニジェール問題をめぐる米仏対立についても注目を怠らない必要はあるでしょう。この問題については、8月14日付けのRTがフィガロ文章の内容として紹介した「ニジェールをめぐるフランスの対米激怒」(原題:"France furious with US over Niger – Le Figaro")と8月18日付けのポリティコ掲載の文章「ニジェールで緊張する米仏関係」(原題:"France, U.S. relations grow tense over Niger coup")が手元にありますが、内容的にはほとんど同じなので、ここではポリティコ掲載文章を紹介します。
 米仏両国は、ニジェールにおけるクー・デターに対する対応をめぐって関係がギクシャクしている。フランスは軍事政府と外交的にかかわることを拒否し、軍事介入の可能性をちらつかせるECOWASを強く支持している。アメリカはヌーランドを派遣して政変指導者と会見し、政変をクー・デターと公式に断定することを避けており、民政回復のための交渉の余地はまだあるとしている。フランスも平和的解決を支持しているが、アメリカのアプローチは軍事政府を力づけるだけだと批判している。
 米仏の以上の違いは西アフリカにおける力関係の変化を反映しており、また、ニジェールに対する米仏の関心の違いを際立たせている。アメリカは、旧植民地支配者だったフランスよりもアメリカの方がニジェール軍事政権に対する交渉力があるとも考えている。
 しかし、アメリカのある前政府関係者は、アメリカに対するフランスの不満は西アフリカ最後の拠点を失う可能性に対する動揺によるものだと指摘する。つまり、マリ、ブルキナ・ファソにおけるクー・デターによって軍撤収を余儀なくされたフランスとしては、ニジェールが最後の拠り所であり、軍の撤収には応じられない、というわけだ。ホワイトハウスNSCでアフリカを担当したことがあるキャメロン・ハドソンは、「ニジェールの重要性は、アメリカにとってよりもフランスの方が大きい。クー・デターに屈することは、フランスにとって心理的かつ戦略的な敗北を意味することになる」と指摘した。
 西アフリカに関してはこれまで、フランスは他の大国もフランスの政策・方針に従うのが当たり前だとしてきたが、ニジェールに関してはそれが通用しなくなっている。ヌーランドの行動が正にそのケースだ。アメリカ政府の関係者も、ヌーランドの行動に不満がある同盟国の存在を認めた。しかし、その関係者はヌーランドの行動を擁護し、「可能性という窓が閉じかかっているのに、閉じて封印するよりも、可能性を追求するべきだろう」と指摘した。また、軍事政権とコネクションがあるアメリカ人フセイニ(Ali El Husseini)は次のように論じた。
 ニジェールの新指導者たちはフランス人を信用していない。彼らは、周辺諸国からの圧力についてフランスによるものだと非難した。彼らはニジェール国内の腐敗についてもフランスに責任があると見ている。彼らは、この腐敗の責任の多くがバズームにあると非難しており、バズーム復権を認めていない。彼らは、フランスよりも見下す態度が少ないアメリカと交渉したがっている。
 フランスはECOWASを全面的に支持しており、ECOWASがニジェールに軍事介入する場合、ECOWASが軍事援助を要請してくるならばこれに応じる用意があるとしている。しかし、アメリカはECOWASに対して外交を優先するべきだと明らかにしてきた。

<フランスの対西アフリカ政策>

 ニジェールをはじめとする旧フランス植民地から独立した国々が、2021年以来急速にフランスに離反する動きを強めているのは何故か、そして、フランスとこれら諸国との対決の中でECOWAS(及びその議長を務めるナイジェリア大統領)がフランスの旗振り役を担うのは何故か、という疑問が残ります。この二つの疑問について正面から取り上げた2つの文章がありますので、最後に紹介しておきます。
 一つは、9月4日付けの環球時報に掲載された、宋微署名文章「西アフリカ「脱フランス化」感情集中爆発の理由」(原題:"西非"去法国化"情绪为何集中爆发")です。宋微は北京外国語大学国際関係学院教授。
 西アフリカ諸国に出現した「脱フランス化」感情について、フランスの国防相はロシアが背後で「糸を引いている」ためだと述べた。しかし、西アフリカ諸国の人々に生まれたこの感情にはもっとほかの深層原因があるのではないか。
 筆者が思うに、フランス国防相のこの発言は、西アフリカ諸国におけるフランスの植民地遺産に対する普遍的不満を故意に無視するものである。西アフリカは国際的に「仏語圏アフリカ」として知られ、アフリカの民族解放の流れの中でフランスは1960年代にこれら諸国の主権を承認することを余儀なくされたが、政治、経済、文化等多くの点で宗主国としての影響力を維持してきた。したがって、西アフリカは真の意味での独立を実現していない。
 まず、フランスは西アフリカに対する政治的コントロールによってこれら諸国のガヴァナンス能力を失わせてきた。一つは代理人を育てることであり、西アフリカ諸国のエリート層はフランス留学あるいは親フランスの背景を有し、これがフランスの支持を獲得する政治的資本となってきた。もう一つは「対テロ」を名目にした軍隊駐留であり、西アフリカ・サハラ地帯にテロリズムが氾濫することを理由に、フランスは大量の軍隊を西アフリカ諸国に駐留させてきた(ニジェールには1500人)。8月3日、ニジェール軍事政権はフランスとの軍事協定を廃棄することを公表したが、フランスはこれに応じていない。さらにもう一つは、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を通じた西アフリカ地域の政局に対する影響力である。7月26日にニジェールで政変が起こると、ECOWASはニジェールに制裁を実施、さらに軍事干渉の可能性を警告した。アメリカのニジェール政変に対する態度はいささか微妙であるのに対して、ECOWASはフランスとまったく同じ立場を取っている。
 次に、フランスによる西アフリカに対する経済的コントロールはこの地域の経済発展を奪ってきた。西アフリカの植民地化の歴史は100年以上になるが、フランスはもっぱら略奪をこととし、西アフリカを自らの原料産地と見なし、経済発展を促進する気持ちはさらさらなかった。これによって、西アフリカは世界でもっとも発展が遅れた地域の一つとなった。一つには、フランス企業が西アフリカ経済の命脈を長期にわたって支配し、資源を略奪してきた。もう一つには、フランス主導の西アフリカ一体化は西アフリカのフランスに対する経済依存を不断に強めてきた。その典型が西アフリカ金融一体化であり、CFAフランである。
 さらに、西アフリカに対する文化的コントロールはアフリカの民族的自覚を損なわせてきた。フランスは宗主国である立場を利用して文化的覇権を確立し、現地の民族的アイデンティティを奪ってきた。
 しかし、民族的覚醒に伴い、アフリカフランス語圏では「脱フランス語化」が始まっている。すなわち、モロッコは7月3日、公式用語をアラビア語とし、フランス語は使用しないことを公表した。アルジェリアは、大学における教育改革として英語をメインとする方針を採用し、その結果、これまで中心的地位を占めていたフランス語はその地位を失おうとしている。マリは8月26日、新憲法に基づいてフランス語を業務言語に降格し、13種類の民族言語を公用語とすることを公にした。ちなみに、新憲法は6月18日の国民投票で96.91%の得票率で通過した。
 また、民衆の不満感情に直面した西アフリカのエリート層には、フランス文化に対する態度の変化が生まれている。象徴的だったのは、最近軍事政変が起こったガボンで、政変に直面した大統領が海外に救いを求める50秒の動画で、公用語であるフランス語ではなく英語を使用したことである。
 近年特に、グローバル化の進展は西アフリカにおける民族意識の覚醒を促進しており、その結果、フランスの影響力は不断に低下し、西アフリカ人民のフランス批判の声はますます高まっている。最近のニジェール及びガボンにおける相次ぐ政変勃発は、西アフリカにおける「脱アフリカ化」感情のさらなるエスカレーションを反映している。フランスを含む西側としては、人類文明の発展の趨勢を直視し、アフリカ諸国と正常な関係を持つようにする必要がある。冒頭に紹介したような人々の感情爆発を他の原因に帰せしめるようなことは見当違いである。植民地遺産は最終的に歴史の灰になることが運命づけられている。
 もう一つ紹介するのは、8月5日付けのグレイゾーンWSに掲載された、A.ルビンスタイン及びK.クラレンバーグ署名文章「シカゴの運び屋からECOWAS議長へ」(原題:"From Chi-Town bagman to ECOWAS chairman: meet the former money launderer leading the push to invade Niger")です。ナイジェリア大統領であるティヌブのいかがわしい経歴と「新植民地主義の手先」(a neocolonial weapon)・ECOWASでの役割について、事実関係を詳しく紹介しています。独立メディアであるグレイゾーンの面目躍如たるものがあります。この種のいわゆる「暴露記事」は眉唾ものが多いですが、さすがはグレイゾーン、この文章は公になった文件等に基づいていますので信頼に足る内容だと思います。しかし、長文ですので要旨を摘出して紹介します。冒頭出だしの文章は、「ニジェールの親米政権が倒されてから、ECOWASの西アフリカ諸国はニジェール侵攻という脅しをかけている。ECOWAS議長のティヌブは、この介入の責任を率いる以前、数年にわたってシカゴでヒロインの取引業者に数百万ドルのローンダリングを行い、それ以来数多くの腐敗スキャンダルにまみれてきた。」となっており、全体のまとめの内容が紹介されています。
(ナイジェリア大統領・ティヌブ)
○7月28日にニジェールで政変が起こってから数時間後に、ティヌブは、「ECOWAS議長として、ニジェールの選挙で選ばれた政権の側に立つことを明確にする」と述べ、(ECOWASは)「民主的に選ばれた政権の権限を奪ういかなる状況をも見過ごすことはない」と警告した。数日後にECOWASはニジェールに厳しい制裁を課すとともに、軍事政権が一週間以内に大統領を復権させないならば、必要に応じて軍事手段を執るとする最後通牒を突きつけ、さらに期限である8月7日の前日(6日)には、ECOWAS構成諸国の指導者がニジェール侵攻計画を承認した。この計画が発動されるときは、ECOWAS構成国のベニン、カーボベルデ、コートジボアール、ガンビア、ガーナ、ギニア・ビサウ、リベリア、ナイジェリア、シエラレオネ、セネガル及びトーゴが兵を出すことになる。そして、この親西側連合軍を率いるのはECOWAS最強国ナイジェリアのティヌブ大統領である。
○ナイジェリアでもっとも富裕な人間の一人であるティヌブの富の源は明らかではない。グレイゾーンが調べた文件によれば、彼は麻薬取引の一員であり、ヒロイン取引関連で資金洗浄を行ってきたと名指しされる、長年にわたるアメリカの「財産」である。ウィキリークスが公表した国務省の電報からは、ナイジェリアの国内情勢に関しては、アメリカはティヌブの判断に深く頼っていたことが分かる。
○ティヌブは,これまでの30年間、ナイジェリアの政治経済における主要勢力であり、アメリカ大使館と密接な関係を構築し、現地では「市場の母」、「ラゴスのゴッドファーザー」、"the Lion of Bourdillon"などのニックネームで呼ばれている。しかし、彼のナイジェリア国内における力が国際的に知られることになったのは、アメリカ政府が深く関与した2023年の大統領選挙で当選し、ECOWAS議長に就任して以後のことである。大統領としてティヌブは早速,アメリカの息がかかったIMF及び世界銀行が支持する経済改革を開始した。
○ティヌブが学生ビザでシカゴ州立大学に入るまでの経歴については,彼の実年齢を含めて明らかではない。アメリカ内国歳入庁(IRS)特別捜査官ケヴィン・モスによる1993年の報告には、「ティヌブ名義でいくつかの銀行に預け入れられている預金はドラッグ不法取引による収益であると信じるだけの相当な理由があり、したがって没収できるものである」と説明している。この報告には、ティヌブと2人のヒロイン・ディーラー(1人はティヌブのいとこ)との緊密な仕事関係も記されている。ティヌブはこの2人と個人的金銭的な取引があることを認めていた。しかし、マネー・ローンダリング計画に関する調査が本格化するや、ティヌブはアメリカを離れナイジェリアに戻った。その後もモスはティヌブと電話でやりとりしたが、1992年1月にティヌブは2人との金銭的関係を否定し、前言を覆した、とモスは報告している。
○ティヌブは1992年にはナイジェリア上院議員、1999年にはラゴス州知事となり、2007年までその地位にあった。また、この期間にアメリカ大使館との関係ができた。大使館はティヌブが信用できない言動・背景があることを知りつつも、彼が提供するナイジェリア政治情勢に関する分析に頼るようになっていった。その信用度は、現地大使が「毎回のことだが、ティヌブのナイジェリア政治に関する見解は洞察力に満ちたものだ」とコメントしていることでも分かる。
○ティヌブはヒロイン取引に関する訴追は免れたものの、ナイジェリアにおける政治活動においても腐敗の影を深く引きずってきた。例えば、2009年にはロンドン首都警察の調査対象となり、2011年には16の外国銀行口座を違法に運用した罪で、ナイジェリアの行動規範裁判所で訴追された。また、2019年の総選挙では票を買収したことでも非難されている。
(ECOWAS)
○ECOWASが正式に組織されたのは1975年のラゴス条約によってであるが、その起源は1945年のフランスの西アフリカ帝国を単一通貨連合にまとめたCFAフラン創設に遡ることが公式記録に記されている。
○公式には、CFAフラン創設は,アメリカが支配するブレトンウッズ体制の創設後に、フランス・フランが大幅に切り下げられた影響からこれら植民地を守るための恩恵的試みであると説明された。しかし、その真の狙いは、フランス植民地帝国が急速に崩壊する流れ及び第二次大戦によってフランス経済が受けた大打撃の中で、西アフリカ植民地との間で極めて不平等な貿易関係を維持することを確保することだった。CFAフラン導入により、フランスとの交易は低いレートに設定されたが、植民地がフランス以外に輸出することはレートの関係で事実上不可能となり、これら植民地は事実上フランスによって囲い込まれることとなった。1960年にドゴール大統領がCFAフラン加盟を植民地独立の条件としたことにより、独立を遂げた国々の通貨政策はフランスの支配に置かれたままとなり、フランスの経済的支配は今日まで続いている。
○CFAフラン圏ブロックは西側が承認した法的金融的仕組みを加盟国に強制しており、その仕組みから逸脱すると厳しく罰せられる。2022年1月にECOWASはマリに厳しい制裁を行った。これに対して、2021年に権力を掌握した軍事政権を支持する数千人の民衆が抗議デモを行った。2022年9月のブルキナ・ファソの政変に際しても、ECOWASは制裁を行った。
 1990年以来、西側がひいきする独裁者を擁護するため、ECOWASは7回も動いてきた。また、フランスは1960年から2020年にかけて50回の干渉行動を行ってきた。シラク大統領は2008年に、「アフリカなしには、フランスは三流国に成り下がるだろう」と述べた。フランスにとっては、反帝国主義の政府は容認できないものである。フランスにとっての不幸中の幸いは、ティヌブのような指導者がいて,フランスの代わりに汚い仕事を引き受けてくれることだ。