8月12日に日中平和友好条約締結(以下「条約」)45年を記念する集会でお話しする機会がありました。集会を主催した「村山首相談話を継承し発展させる会」事務局長の藤田高景氏、鳩山由紀夫元首相、呉江浩駐日大使が日中・中日関係の重要性を力説した後に、私が「日中平和友好条約締結45年-バイデン・岸田対中対決政治は清算しなければならない-」というタイトルでお話ししたのですが、私の言わんとしたことが正確に参加者に伝わったか,受け止められたか、について心許ない気持ちになりました。お三方は、条約及び日中共同声明(以下「声明」)という原点を日本(岸田政権までの歴代自民党政権)が遵守しないことが日中関係悪化の原因であるとする立場から、声明・条約に立ち返ることの重要性を力説しました。しかし、私が言わんとした最大のポイントは、声明・条約自体に現在の最悪な日中関係の原因が潜んでいるのであり、声明・条約に立ち返るだけでは問題の解決につながらないことを認識しなければならない、ということでした。
 声明・条約に潜んでいる問題とは、台湾問題、正確には「台湾の領土的帰属」問題に関する中国と日本の認識・立場の違いです(正確を期して言いますと、条約自体は台湾問題を扱っていません。しかし,中国側の条約締結の目的は、政治文書である声明に法的効果を持たせるために条約締結が必要、ということでしたので、台湾問題を念頭に置いていたことは間違いありません。)。そして、この日中間の認識・立場の違いは、米中間のこの問題に関する認識・立場の違い、そして、歴代自民党政権が「日米関係が日本外交の基軸」とする立場をかたくなに守り続けてきたことに由来するものなのです。この三つの問題を直視し、その解決に取り組まない限り、日中関係を盤石な基盤の上に確立することは「夢のまた夢」と言わなければなりません。  「物言わぬは腹ふくるるわざ」(吉田兼好『徒然草』)は私の気に入っている言葉です。日中平和友好関係を真に願う立場から私の問題意識を詳しく紹介したい、と思い立ったゆえんです。私と志を同じくする人たちの御一考をお願いする次第です。

1.日中共同声明と台湾問題

 1972年9月28日、日中両政府は日中共同声明で国交を結びました。しかし、日中はすべての問題について完全な合意に達した上で声明を出したわけではありません。日中両政府は国交樹立を最優先の政治課題とする点で一致していたため、いわゆる「玉虫色」の表現で取り繕った問題があります。台湾問題、正確には台湾の領土的帰属に関する声明第3項です。
 なお、声明では扱わないことに合意した問題もありました。尖閣問題の「棚上げ」合意です。さらには、交渉に入る以前に取り扱わないことについて了解ができていた問題もありました。日米安保条約(第6条「極東条項」)です。尖閣問題はこのコラムでは取り上げません(2012年当時の「コラム」で集中的に取り上げています。特に、9月12日の「領土問題を考える視点」で私の理解を詳しく紹介していますので、ご参照ください)。日米安保条約については下記3.で扱います。
 声明第3項の規定は次のとおりです。
 「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」
 中国の立場は、台湾が「(中国の)領土の不可分の一部」とするもので,誤解の余地はありません。問題は、日本の立場、特に「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」と述べている点にあります。この文言が意味することについては、声明の交渉に直接関わり、この文言を入れることで中国(周恩来)の了解を取り付けた栗山尚一氏(外務省条約課長-当時-)が詳しく説明しています(『沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』pp.133-137)。彼の説明内容は次のようにまとめることができます。重要なところなので、ややこしい内容ですがお付き合いください。
○当初(外相会談)の日本側案文は、台湾の領土的帰属は決まっていない(いわゆる「領土的帰属未定論」)という立場から、前段部分(「十分理解し、尊重する」)だけだった。
 *「理解し、尊重する」だけでは、台湾海峡有事の時、台湾が独立を言い出したときに、日本はどうするかについて何らのコミットもしていない。
 *「台湾は中国の領土だと」いう立場の中国側は激怒して突っ返してきた。
○そこで、中国がのめるような「色の付け方」が必要ということで、後段部分(「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」)を付け加えて再提案した。この後段部分の趣旨は以下のとおり。
 *ポツダム宣言第8項は「カイロ宣言の条項は履行」されるべきだとしている。
 *そのカイロ宣言は、同盟国(米英中)の目的は台湾(等)を中国(中華民国)に返還することだ、と書いている。
 *したがって、「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という文言は、台湾が中国に返還されることに異議を唱えないということを日本は約束するという意味である。したがって日本は、
  **台湾独立・「一つの中国・一つの台湾」を支持しない。
  **「一つの中国」という中国の立場にコミットする。そういう意味において
  **台湾が将来的に中国に返還されることにコミットする、ということになる。
 *しかし後段部分の意味を裏返せば、国交正常化の時点では台湾は中国に返還されていない、という日本の立場・理解をも反映している。
○周恩来は、日本が台湾の独立を支持しない(領土的帰属未定論よりは踏み込んだ)ことについて,日本側から「一札取った」、これ以上押しても日本側は譲らない、と判断して同意した。
 声明第3項の趣旨、特に「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」の意味を以上のように正確に理解した上で、私はやはり、第3項は「「玉虫色」の表現で取り繕った」妥協・同床異夢の産物に過ぎず、栗山氏自身が指摘している問題(台湾有事の時、台湾が独立を言い出したとき)が起きてしまったとき(今日の事態が正にそれ)には、何の答えにもなっていない,という結論にしかならないと思います。
 栗山氏自身が指摘したように、当時の日本は「台湾有事があり得る,したがってアメリカ軍が日本から出撃することになれば、日本は日米安保条約に従ってアメリカに協力し、中国と対決することになる」と考えていたからこそ、「台湾は中国の領土の一部」と認めることには最後まで応じなかったわけです(ちなみに、栗山氏は「台湾独立」にまで言及していますが、これは2010年(栗山氏著作刊行年)時点の発言だったことを考えるべきです。1972年当時はまだ蒋介石独裁時代であり、民進党はもちろん存在していなかったし、台湾独立などの動きも皆無でしたから、この言及は明らかに「勇み足」です)。問題はむしろ、中国側は、日本のホンネを百も承知の上で、なぜこの表現(声明第3項)に応じたのか、にあります。
 当時の中国は文化大革命末期の混乱期にありました。しかも米ソ両超大国と対決を余儀なくされる厳しい国際環境でした。したがって、アメリカとの関係を改善(1972年2月のニクソン訪中-後述参照-)し、日本と国交正常化することは最重要課題だったはずです。そして、蒋介石・国民党政権は米日両国の支持で生きながらえていたのですから、その米日両国と関係改善・国交正常化を実現すれば、「台湾有事」の可能性自体を解消することにつながる、と毛沢東・周恩来が判断しただろうことは間違いありません。これが、「玉虫色」、同床異夢の妥協に中国が応じた理由でした。
 その判断は、1972年当時の中国の内外環境のもとでは誤りではなかったと私も考えます。当時の私自身を振り返っても、台湾の政治情勢のその後の変化(李登輝登場後の「台湾独立」への動き)は予想することすらできませんでした。また、中国そのものの急激な変化(文化大革命「四人組」逮捕→改革開放→世界第2位の大国化)もまったく想定できませんでした。しかし、この二つが現実となることにより、声明第3項は今や日中関係のもっとも深刻な事態、特に安全保障3文書に代表される岸田政権の対中暴走に対する無力を露呈することになりました。声明はもはや日中平和友好関係を担保することはできなくなっている、といわざるを得ないゆえんです。

2.米中共同声明と台湾問題

 日中関係を規律する声明・条約と同じように、米中関係を規律するのが3つの米中共同声明(1972年の関係改善、1979年の国交樹立、1982年の台湾向け武器輸出)です。そして、この3つの共同声明で最大の問題となったのも台湾問題でした。そしてアメリカは、「中国は一つであり、台湾問題は中国の内政である」とする中国の立場に対して、一貫して「(その立場を)認識する(acknowledge)」という立場を貫いてきました。ちなみに、3つの共同声明の中国語訳では「承認する」となっており、中米の理解の隔たりを浮き彫りにしています。
 なお、前掲栗山氏著作では、日中交渉に臨むに先立って、中国語訳も念頭に、アメリカに「アクノレッジ」の意味を尋ねたというくだりがあります(pp.125-126)。アメリカからの返事は、"Nothing more, nothing less"であったため、アメリカが中国の立場を承認していないのに日本が承認するわけにはいかないということで、「承認までいかないところで妥協できるところを探る」ということになった、とあります。それが、声明第3項の「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」になったというわけです。
 それはともかく、何故にアメリカは中国の立場を承認することを頑なに拒んできたのでしょうか。その点を理解するためには、第二次大戦終了(1945年)から朝鮮戦争勃発(1950年)までのアメリカの対アジア戦略の変遷とそのもとでの台湾の位置づけの変化を理解することが不可欠です。この公知の事実については、次のようにまとめることができます。
○第二次大戦終結時の中国はアメリカと同盟関係にあった蒋介石政権のもとにあり、日本に降伏を促したポツダム宣言第8項が示すとおり、アメリカはカイロ宣言を履行して台湾(等)を中国に返還することを既定方針としていた(蒋介石軍が台湾に進駐して日本軍の武装解除を行ったことは当然の成り行きだった)。
○1949年10月に中華人民共和国が成立した後も、1950年1月(5日)にトルーマン大統領は台湾海峡不介入を声明するなど、台湾は朝鮮半島とともにアメリカの西太平洋防衛線構想から外されていた。
○状況を一変させたのは1950年2月(14日)の中ソ友好同盟相互援助条約締結、同年6月(25日)の朝鮮戦争勃発であり、6月(27日)にトルーマンは台湾海峡非介入方針放棄を宣言、爾来、中国「封じ込め」がアメリカの対アジア戦略の柱の一つとなった。
○アメリカは反ソ反中戦略の要として、アメリカの対アジア戦略に組み込む形での日本の独立回復を推進した。日米安保条約(旧)と抱き合わせのサンフランシスコ平和条約締結(1951年9月(8日))、そして、蒋介石政権との日華平和条約締結(平和条約発効日の1952年4月(28日))であり、この三つの条約・協定がいわゆるサンフランシスコ体制を構築している。
○アメリカはカイロ宣言、ヤルタ協定及びポツダム宣言の中心的存在だったにもかかわらず、サンフランシスコ条約(第二章 領域)では、台湾、千島列島、新南群島(南沙)・西沙群島等に対する日本の権利放棄だけを定める(竹島については言及しない)ことによって「領土的帰属未定論」を正当化するための「法的根拠」を作り上げた。これは、ポツダム宣言第8項が日本の主権は「本州、北海道、九州、及び四国並びに我ら(米英ソ中)が決定する諸小島に局限せらるべし」と規定しているのを踏まえつつ、ソ連が平和条約をボイコットし、中国については会議に招かなかったことを逆手に取ったものと言える(仮に、条約交渉にソ連と中国も参加していたならば、これらの「諸小島」の帰属先を「決定」する必要に迫られただろう)。
○かくしてアメリカは、対日平和条約において台湾の中国返還を阻止する口実となる「法的根拠」(領土的帰属未定論)をでっち上げ、さらには日本をサンフランシスコ体制に押し込めることによって、日本を中国と敵対させる仕組みを構築した。
 以上から、3つの米中共同声明で中国の台湾に関する立場を「アクノレッジ」するだけにとどめる方針を貫いているアメリカの対中警戒・敵対政策の本質が理解できると思います。問題はここでも、中国はなぜこの玉虫色の妥協的解決に応じたのか、ということです。結論的に言えば、日中国交正常化当時(1972年)と2番目、3番目の米中共同声明が出された当時(1979年と1982年)とでは、中国の内外環境は大差ありませんでした(1979年は改革開放政策が打ち出され、1982年にはその政策が積極的に推進され始めていましたが、当時北京の日本大使館で働いていた私自身を含め、中国経済のその後の大躍進を予測する向きは皆無でした)。中国にとっては良好な対米関係を確保することが至上課題であり、台湾問題で米中関係をぶち壊しにすることはあり得ない選択でした。

3.日米軍事同盟と台湾問題

 私は、声明・条約ができた1970年代と日中関係が最悪の状態に陥っている今日(2020年代)とを比較する時、その変化の原因として、いくつかの要素が働いていると思います。これらの要素とは、現象面だけに着目するとき、日本人の対中感情の変化、アメリカ政府の対中政策の変化、日本政府の親米反中政策、中国の経済成長、中国政府の対外政策の変化などを挙げることができます。しかも,これらの要素は互いに影響し合い、相乗作用を起こしているため、日中関係悪化の本質を捉え、その打開策を考えることを難しくしています。結論を先に言えば、アメリカ・バイデン政権の時代錯誤の世界一極支配戦略・中国敵視政策及び岸田政権の対米全面協力・対中対決政策が「台湾問題」を「台湾有事」に変質させてしまっていること、これが問題の本質です。この本質を片時も見失うことないよう、現象面の諸要素についてごく簡単に整理しておきます。
 日本人の対中感情は、国交正常化後1980年代までは極めて良好に推移した(対米好感情にほぼ匹敵する70~80%台)。しかし、天安門事件(1989年)、小泉首相の靖国参拝(2001-2006年)、野田政権による尖閣「国有化」(2012年)という3つの要因によって、2010年代には好感度は20%以下まで下落した(天安門事件はともかく、小泉首相の靖国参拝は侵略戦争を反省した声明の精神に背くものであり、野田政権による尖閣「国有化」は「棚上げ」合意に背くもので、日本側に問題があった。ところが、「お上」意識の強い国民感情は対日姿勢を硬化させた中国に対する反発に向かってしまった)。
 しかも、アメリカの対中政策はオバマ政権(2009年1月就任)以後次第に硬化し、トランプ、バイデン両政権下で最悪になった。安倍・菅・岸田政権はアメリカの対中対決政策に同調し、もともと親米感情が強い国民感情も反中基調 (好感度20%以下) のまま推移してきた。さらに、中国経済が急成長を遂げ、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となったこと、その後も成長を続けるのを背景に、2012年に総書記に就任した習近平のもとで「大国外交」を推進していることは、多くの日本人の反中感情を強める要因として働いている。

<アメリカ・バイデン政権の世界一極支配戦略>

○(世界一極支配戦略)
 バイデンは、トランプ政権の「一国主義」を批判し、第二次大戦後のアメリカの伝統である「国際主義」を掲げて政権につきました。しかし、その本質は,アメリカの力の衰えを顧みず、世界に対するアメリカの一極支配再現を目指す,極めて攻撃的かつ時代錯誤な戦略です。具体的には、急速に台頭する中国を「最大の脅威」と見なし、また、ウクライナ危機を念頭にロシアを「当面の脅威」と見なして、西側同盟諸国を束ねて対決することを主眼としています。しかし、西側同盟諸国に対しても対米全面同調を強いる一面があることを見逃すわけにはいきません。
 中国に対しては、経済におけるデカップリング(デリスキング)、軍事における台湾海峡・南シナ海における圧力行使、外交における「ルールに基づく国際秩序」(権力外交の代名詞)により、中国を孤立化させ、弱体化させ、最終的には無害化する戦略を追求しています。また、ロシアに対しては、経済における制裁・在外資産凍結(さらには没収)・ノルドストリーム・パイプライン爆破、軍事におけるウクライナ支援(NATO東方拡大戦略の一環)により、外交上の孤立化を推進し、最終的には、ウクライナ戦争でロシアを敗北させ、これに天文学的賠償を課し、ロシアを第二の「空中分解」(第一はソ連崩壊)に追い込む戦略です。
 西側同盟諸国に関しては、欧州・EUに対する対米自主性剥奪、アジア同盟諸国に対しては対米従属固定化を推進しています。欧州・EUに対しては、軍事・外交ではウクライナ戦争で対米依存せざるを得ない状況を作り出すとともに、経済(特にエネルギー・食糧)ではロシアに対する依存を遮断することによって対米依存を強めさせる戦略です。日本を含むアジア同盟諸国に関しては、軍事におけるNATOへの組み込み、AUKUS・QUAD・米日韓軍事同盟関係強化(今回のキャンプ・デービッド首脳会談)を通じた支配強化、経済における対中デカップリング参加強要、インド太平洋経済枠組み(IPEF),外交における反中包囲網への参加強要により、対米従属を固定化させる戦略です。
○(厳しい内外環境
 しかし、バイデン政権の世界一極支配戦略には大きな壁が立ちはだかっています。世界経済を支配してきたドル本位制の本質的脆弱性、新自由主義的金融資本主義の破綻、世界的な脱ドル化への動きの高まり、ウクライナ戦争の行き詰まり、中国封じ込め戦略の無謀さ等が主なものです。
 ドル本位制の本質的脆弱性とは、1971年のニクソン・ショック以後ドルの金兌換が廃止されて、ドルが信用通貨となったことに起因します。つまり、アメリカの世界経済支配が盤石であればドルに対する信用は揺らぎませんが、1971年以後のアメリカ経済が世界経済に占める比重は下がり続けています。しかもアメリカの対外貿易は赤字が膨らむ一方、また、国家財政も膨大な軍事費の圧力で赤字が膨らむ一方です。歴代政権はドルが国際的な基軸通貨・決済通貨であることに寄りかかり、連邦債券を湯水のように発行することで赤字の穴埋めをしてきました。ちなみに、これが1980年代後半からの国際的金融バブルを引き起こした元凶です。
 このようなアメリカの放漫財政は、貿易黒字国が米連邦債を買い付け、あるいはアメリカの債券・株式市場に投資することで、ドルがアメリカに還流する仕組みが機能している限りは、矛盾が表面化することはありませんでした。しかし、アメリカ政府がドルを武器として経済制裁を乱発するに至ったことで、アメリカに対して独立自主の立場を取る国々ほど、「明日は我が身」(制裁の矛先が自分に向けられる可能性)に身構えざるを得なくなり、これが脱ドル化の流れを引き起こすこととなりました。そのことはドルの信用性の基盤が根底から崩れることに直結します。
 またアメリカは、1980年代後半から新自由主義に基づく金融資本主義を本格的に推し進め、金融自由化を世界に推し広めることで世界経済を支配する戦略を追求してきました。しかし、社会主義を標榜する中国、ソ連崩壊後に新自由主義的経済改革を押しつけられて散々な目に遭わされたロシア,さらにアメリカの先兵となって新自由主義的改革を押しつけるIMF・世界銀行のアプローチに反発する多くの途上諸国(グローバル・サウス)はこれに強く抵抗しており、新しい南北対立の構図が世界的に顕著になりつつあります。
 そういう世界的状況の下で勃発したのがウクライナ危機・戦争でした。アメリカを筆頭とする西側諸国はウクライナに対する軍事支援を行うとともに、ロシアに対して未曾有の規模の経済制裁を発動し、ロシアの在外資産を凍結する挙にまで訴えています。しかもその凍結資産を没収し、ウクライナの戦後復興に充当する方針まで明らかにしました(ただし、没収を正当化する法的根拠を示すことができずにいます)。この米西側の行動は、世界的な脱ドル化の流れを一気に加速する力となっています(自国通貨による貿易決済の動き、アメリカが支配するSWIFT以外のメカニズムを作る動き-中国のCIPS、ロシアのSPFS、仏独英主体のINSTEXなど-、デジタル通貨、BRICS通貨の提唱等)。
 しかも、米西側のロシアに対する厳しい締め付けにもかかわらず、ロシア経済に破綻・破産の兆候はありません。IMF及び世界銀行は今後のロシア経済がプラス成長を遂げるという予想を出しています。ウクライナの反転攻勢に期待をつないできた米西側内部からも悲観論が公然化しており、2024年の大統領選挙を控えたバイデン政権の対ロシア戦略は前途多難です。
 さらに、バイデン政権の対外戦略の中心に位置づけられる中国封じ込め戦略も行き詰まりの様相を濃くしています。封じ込め戦略の中心はICチップスなどの最先端テクノロジーに着目したいわゆるデカップリング(デリスキングとも)ですが、世界の最先端を競う中国が独自の開発力で克服することは時間の問題です(マイクロソフトのビル・ゲイツ元会長)。そもそも、世界でもっとも完全な産業体系を備えた中国はいわば「世界の工場」であり、バブルで水ぶくれしたアメリカの手に負える相手ではもはやないのです。
 また、バイデン政権は同盟諸国を動員して、台湾海峡(及び南シナ海)における軍事緊張を演出することで、中国を牽制し、孤立化させようと必死です。しかし、ウクライナでロシアとの軍事対決回避方針を公然化しているアメリカの「本気度」ははなはだ疑わしいものがあります。「一つの中国」原則を承認しているアメリカが「台湾海峡有事は国際問題」と言い張るのは無理筋です。しかもなお戦争という選択をした場合、経済的には米中「両損」、軍事的には米中「両敗」しかありません。要するに、バイデン政権には出口戦略がゼロであり、ウクライナ戦争の「二の舞」に終わることは目に見えています。
○(進退両難のバイデン政権)
 結局、バイデン政権には「惰性政治を継続する」か、「惰性政治からの転換を図る」かの二択しか残されていないのです。しかし、いずれの選択をするにしても、その帰結はバイデン政権にとって致命的な結末しかないでしょう。
 すなわち、惰性政治を継続する場合は、国内的には経済的財政的破産が不可避であり、その行き着く先は1929年をはるかに上回る大恐慌の招来でしょう。また、国際的には、第一次大戦及び第二次大戦がそうであったように、偶発的事件を契機とする、誰もが望みもしない第三次大戦にいつ何時直面することにもなりかねません。
 惰性政治からの転換を図るという選択がバイデン政権に強要するのは、国内では新自由主義的金融資本主義経済の根本的見直しであり、国際的には世界一極支配戦略を最終的に断念する以外の選択はあり得ません。そのいずれにしても、バイデン政権の臨終に直結することは明らかなことです。
 正に、進退両難の窮地に陥っているのがバイデン政治なのです。このバイデン政治にピッタリ寄り添っていく以外のいかなる戦略も持ち合わせていないのが岸田政治というわけです。

<岸田政権の対米全面協力・対中対決政策>

 日本はアメリカと日米安保条約を法的基盤とした軍事同盟関係を強化発展させてきました。その今日的到達点が岸田政権による安全保障3文書です。日本はまた中国との間では、平和共存5原則(主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存)に基づく恒久的な平和友好関係を確立することに合意するとともに、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認(声明第6項)して,国交正常化に合意しました。この政治的確認に法的拘束力を持たせたのが、紛争の平和的解決及び武力または武力の威嚇に訴えないことを約束した日中平和友好条約(第1条)です。直ちに理解されるように、そして今日の事態が示しているように、台湾海峡が軍事的に緊張すると、日本は「対米軍事同盟関係を重視・選択するか、それとも(日中平和友好)条約第1条をあくまで遵守するか」という,いわば「股裂き」の試練にさらされることになります。国際法的には、「後法が前法に優位する」というような国内法的なルールはありませんので、あくまでも、主権国家としての日本の主権的意思が問われるのです。
  ○(安全保障3文書)
 安全保障3文書は、バイデン政権の反中軍事対決戦略に日本が全面的に加担することを目的とするものであり、中国に対するデタランス(俗には抑止力)を構築することが狙いです。デタランスの内容としては、「反撃能力・敵基地攻撃能力」と称する先制攻撃力の保有・在沖ミサイル基地建設、対米兵站支援のための基地抗坦能力の強化・民間施設の軍事転用などの全土基地化、これらの費用捻出のための増税等の財政負担が主なものとなります。
○(「台湾有事」問題)
 いわゆる「台湾有事」問題に関しては、まず、米中間の「火種」と日中間の「火種」を確認しておく必要があります。内容的には、これまでに述べてきたことのおさらいになります。
 米中間の「火種」は、台湾問題は国内問題(内政問題)であるとする中国と、(対日平和条約に忍び込ませた)「台湾の法的帰属は未定」という主張を根拠に、台湾問題は国際問題だとするアメリカの立場の違いにあります。3つの米中共同声明で「玉虫色」表現で妥協したことが「火種」となっているのです。
 米中間にはもう一つの「火種」が存在します。それは、国際法と国内法との優位関係に関する中国とアメリカの立場の違いです。中国は日本と同じく「国際法優位」の立場ですが、アメリカは「国内法優位」の立場です。アメリカは、米中国交樹立直後に米議会が作った「台湾関係法」に基づいて、台湾有事の際の軍事行動の権利を保留しています。もちろん中国は、台湾関係法はアメリカの国内法だから、中国はそれに縛られないとします。この立場の違いが「火種」となります。
 日中間の「火種」は,すでに述べたように、対米軍事コミットメントを優先する歴代自民党政権と,日米関係に縛られるいわれはないとして、声明・条約の約束の遵守を求める中国の立場・主張の違いです。具体的に言えば、対日平和条約(第2条 領域)に「縛られる」日本と、中国が交渉参加を招請もされなかった同条約に「縛られない」中国、日米安保条約(第6条 極東条項)に「縛られる」日本と「縛られるいわれのない」中国の対立です。そして(日中共同)声明(第3項)は台湾問題に関して「玉虫色」の解決を図ったために、以上の日中間の立場の違いを調整しようがないのです。
 「火種」があるとしても、それが「発火」しないように防止することを考えることはできます。しかし、この点についても中国と米日の主張は隔たっています。
 中国は、台湾が「中国は一つ」という中台間の口頭合意(「九二共識」)を遵守することを要求し、台湾がこれを遵守する限りは「現状維持」に応じる(「百年河清を俟つ」用意がある)、とします。しかし、台湾が分離独立に走る可能性がある限り、主権の行使である武力解放の可能性を排除しません。
 これに対して米日は、中国がいかなる場合にも台湾に対して武力行使をしないという確約を行うことを要求しています。アメリカは3つの米中共同声明で、中国の立場を「アクノレッジ」しただけであるから、中国の立場を受け入れるいわれはない、としています。日本も、「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」と述べたことは、台湾が現実には中国に返還されていないということだから、平和的解決に徹することを求めるのは当然だとするわけです。
 では、「発火」すなわち「台湾有事」が起こってしまったらどうなるのか。中国は武力解放あるのみです。アメリカに関しては、「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する」(台湾関係法第2条B(6))という規定に基づいて行動することになります。具体的には、「不介入」、「部分的介入」(いわゆるウクライナ方式)、「全面介入」(米中全面戦争→第三次大戦)という政治的3択となります。
 日本もアメリカの対応に応じて政治的3択が理論的には可能です。(日中共同)声明・(日中平和友好)条約遵守の立場から「不介入・不関与」、日米安保条約第6条に基づく対米軍事基地提供(兵站支援)という「部分的介入・関与」、そして、安全保障3文書に基づく「全面的介入・関与」です。ただし、基地提供も国際法的には兵站支援すなわち戦争参加ですから、全面介入・関与の場合と同じく中国の全面的報復は不可避です。

<主権者・国民である私たちの主権的意思決定>

○「存立危機事態」の正体
 岸田首相は、本年4月4日の衆議院本会議で、「反撃能力(敵基地攻撃能力)」について、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合など、武力行使の要件を満たす場合に行使し得る」と述べ、存立危機事態でも発動可能との認識を示しました。「存立危機事態」とは、2015年に成立した安保関連法(「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」)で定義された、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ…る明白な危険がある事態」(第2条4)を指します。簡単に言えば、アメリカが中国に攻撃された場合には、日本は集団的自衛権に基づいて中国に対して武力行使できる、ということです。先ほど紹介した「発火」に即して言えば、アメリカが「全面介入」して米中戦争が起こるときは、日本は集団的自衛権の行使として,アメリカの側に立って参戦することができる、と岸田首相は述べたのです。
 私たち主権者として到底見過ごすことができないのは、政府の一存ですべてが決められてしまうということです。もっと言えば、自民党政権がアメリカの意向に逆らうはずがありませんから、アメリカが中国と戦争すると決めれば、日本は自動的に中国と戦争することになる、ということです。これが「存立危機事態」の本質です。2015年にこの法律が作られてしまったときに、日本はアメリカと一蓮托生と決められてしまったのです。
○主権者・国民の緊急行動を
 私たちは、このままアメリカ(バイデン政権)・日本(岸田政権)の言うがまま・なすがままで良いのでしょうか。アメリカ・バイデン政権の世界一極支配戦略そして岸田政権の対米全面協力・対中対決政策について私が述べたことに同意・共感するものであれば、結論は「ノー」以外にありません。  今回は習近平・中国について詳しく述べる余裕はありませんでしたが、一つだけ言えば、習近平・中国は日本が(日中共同)声明・(日中平和友好)条約の原点に立ち返ること、台湾問題で声明・条約の精神・原則に悖る行動を取ることを拒否することを心から願っています。暴走してやまない岸田政権にはほぼ見切りを付けており、最後の希望を、日中平和友好を願う私たち主権者の覚醒・「世直し」に託していると言っても過言ではありません。
 私たち主権者・国民に求められる緊急行動は、声明(第6項)・条約(第1条)遵守を選択し、日米安保条約・軍事同盟・安保法制上の権利・義務の履行を峻拒することです。このことは、日米関係そのものを否定・拒否することではありません。日米友好を願うものであっても、今のバイデン政治・岸田政治は認められないと判断するものである限り、この緊急行動に賛同できるはずです。日中平和友好に献身してきた皆さんの奮起に期待します。