林芳正外相訪中に先立って、ボーアオ・アジア・フォーラム出席のため訪中した福田康夫元首相は3月31日、中国外交を取り仕切る中共中央対外弁公室主任の王毅(前外交部長)との会見に臨みました。この会見における王毅発言の内容は同日の中国外交部ウェブ・サイトで紹介されたほか、翌日(4月1日)付の人民日報でも紹介されました。私は、王毅が中国側の深刻な対日認識の所在(「日本の対中政策が後退する可能性があることを憂慮し、日本が平和発展の方向を堅持し続けるかについて疑問を提起する理由が中国側にはある」)を福田元首相に伝えたことを中国外交部WSの発表文で承知したのですが、若干驚き、意外に思ったのは、その肝心の部分が人民日報記事からは抜け落ちていたことでした。
 ところが私がさらに驚いたのは、林外相の訪中を取り上げて中日関係を論じた4月2日付けの環球時報社説が、人民日報記事から抜け落ちた王毅発言の該当部分をそっくり引用している(王毅発言であることは伏せている)ということでした。しかも、環球時報社説のタイトルは「日本の対中外交の前提は「虎の手先となる」ことはしないこと」(原題:"不"为虎作伥",应是日本对华外交的前提")です。「虎の手先となる」とは、「悪人の手先となって悪事を働く」という意味の四字熟語であり、日本がアメリカの手先となって悪事を働いていることを当てこすったものであることはいうまでもありません。ちなみに、「倀」の意味は、「虎にかみ殺されて鬼になったもの」(新華字典)。この四字熟語は、林外相と会談した秦剛外交部長が持ち出したもの(社説も「秦剛が会談ではばからず直言した」表現として引用)ですが、社説は王毅発言の該当部分を引用した上で、秦剛が用いたこの四字熟語を持ち出して、「この2年間における日本の中国に対する消極的動きの中でもっとも突出している部分」と注釈をつけたのです。要するに、対米追随はやめろ、自主独立外交をしろ、というのが中国の日本外交に対する注文の要諦だということです。
 以上の凝りに凝った対日注文の内容を、4月2日に林外相と会見した王毅主任はストレートに、「現在の中日関係は全体的に安定しているが、しばしば様々な雑音と干渉妨害が現れている。根本の原因は、日本国内の一部勢力がアメリカの誤った対中政策にひたすら追随し、中国の核心利益にかかわる問題に対するアメリカの中傷挑発に足並みをそろえていることにある」と指摘しています。
 以上を予備知識として踏まえた上で、王毅発言、秦剛発言そして環球時報社説を読むと、日中関係の現状に対する中国側の深刻な問題意識が理解できますし、日本側の日中関係に対する問題意識が如何に浅薄であるかが分かると思います。中国側の発言と社説、そして日本側の恥ずかしいまでの問題意識を示す例として朝日新聞の報道ぶりを紹介します。

<中国側問題意識>

(福田元首相との会見の際の王毅発言)

 昨年は中日国交正常化50周年、今年は中日平和友好条約締結45周年を迎え、中日交流史上で重要な年である。45年前、御尊父(福田赳夫)が首相在任中、双方は中日共同声明の諸原則を法律という形で確認し、中日平和友好協力の大方向を明確にした。しかし今日、日本の対中政策が後退する可能性があることを憂慮し、日本が平和発展の方向を堅持し続けるかについて疑問を提起する理由が中国側にはある。各方面の干渉妨害を排除し、中日関係が健康な発展軌道に乗り、生気と活力を取り戻すため、また、コロナ後の各分野での交流のための条件を作り出すために、日本が条約を含む中日4政治文件の初心に立ち返ることを希望している。(浅井:太字部分及び斜線部分が人民日報では削除されている)

(秦剛発言)

 平和共存、友好協力こそが中日関係における唯一の正しい選択であり、半世紀に及ぶ両国関係の歩みが我々に与えている深刻な教訓である。アジアは、今日の世界で発展のための活力と潜在力がもっとも備わった地域であり、地域の平和を擁護し、共同の発展を促進することは、各国普遍の願望である。矛盾と違いに面して、徒党を組み圧力をかけることは問題の解決に役立たず、彼我の懸隔を深めるのみである。中日の4政治文件(浅井:日中共同声明、日中平和友好条約、並びに江沢民及び胡錦濤訪日の際に日中間で発出された文書)は両国関係の政治的法律的基礎を定めており、信用を重んじ約束を守ること、歴史を鑑とすることは中日関係の行穏致遠のための重要前提である。日本が正しい対中認識を確立し、政治の知恵と責任を担うことを希望する。中国とともに努力し、対話と意思疎通を強化し、実務協力を推進し、人文交流を増進し、違いを適切に管理し、両国関係のために障害を排除し、負担を減らし、新時代の要求に合致した中日関係を構築することを希望する。
 福島原発の汚染水を海洋に排出することは人類の健康安全にかかわる重大問題であり、日本は責任を持って対処するべきである。アメリカはかつてごろつき的手段で日本の半導体産業を抑圧し、今は中国に対して同じ手を使っている。己の欲せざるところ、他に施すことなかれ。身の切られる痛みを覚えている日本は虎の手先となるべきではない。中国を封じ込めようとしても、自立自強という中国の決心を激発するだけである。日本はG7の一員だが、それ以上にアジアの一員であり、G7サミットの基調と方向を正確に導き、地域の平和と安定に資することを行い、国際社会の真のコンセンサスを凝集するべきである。
 台湾問題は中国の核心利益の核心であり、中日関係の政治的基礎にかかわる。中日4政治文件の原則とこれまでの約束を遵守し、台湾問題に手を突っ込まず、如何なる形にせよ中国の主権を損なわないことを促す。

(環球時報社説)

 林芳正は3年3ヶ月を隔てて初めて訪中する日本の外相であり、その特殊性及び中日関係が直面する困難な局面を端的に表している。(4月)2日、国務委員兼外相の秦剛は林芳正と会見し、ランチをともにした。当日、李強首相と王毅主任はそれぞれ彼と会見した。中国の接遇は中日関係に対する誠意と重視を体現している。
 この3年3ヶ月の間における外交、軍事及び経済面における日本の一連の消極的動きは、日本の対中政策が後退する可能性があることを憂慮し、日本が平和発展の方向を堅持し続けるかについて疑問を提起する理由が中国側にはあることを物語っている。この期間に、日本が中国に明確にし、説明する必要のある様々な問題は山積みになっている。中日双方が今なお交流と意思疎通を強化する意思を持ち、中日関係が下降し続けることを望んでいないことはまだ救いである。林芳正の今次訪中は建設的意義が主たるものであるが、どの程度中日関係が緩和するかについてはこれから観察していくことだ。
 秦剛は会談の中で、日本は「虎の手先となるべきではない」とはばからず直言したが、これはこの2年間における日本の中国に対する消極的動きの中でもっとも突出している部分と言えるものである。秦剛は半導体産業の例を挙げたが、林芳正が出発する前日、日本経済産業省は、7月以後、23種類のICチップ製造設備を輸出制限し、「軍事的脅威を構成する国家が日本の先進技術を取得することを防止する」と発表した。この動きはアメリカの中国に対する科学技術面での打撃圧力及び「ディカップリング」に歩調を合わせるものであり、「虎の手先となる」行動の拡大、エスカレーションである。
 外交及び軍事面における日本の対中敵意は、今やおおっぴらで抑制のないものとなっている。日本はかつて、「政冷経熱」状態を維持し、政治上の疎遠対立が日本経済に跳ね返ることをできるだけ回避しようとしていた。しかし、今の状況を見ると、防火壁を設けることも不可能になっている。…「虎の手先となる」という日本の心理的起点はその誤った対中認識そのものである。王毅は2日に林芳正と会見した際、中日関係に様々な雑音と干渉妨害が現れていることの根本原因は、日本国内の一部勢力がアメリカの誤った対中政策にひたすら追随し、中国の核心利益にかかわる問題に対するアメリカの中傷挑発に足並みをそろえていることにある、と強調した。…「中日が互いに協力パートナーとなり、互いに脅威とならない」という共通認識をどのようにして具体的政策の中で具現していくか、これこそは日本が答えなければならない命題である。
 ところが、日本世論が林芳正の今次訪中に関して最大の関心を寄せているのは一人の日本人が中国でスパイ容疑によって拘束されたことであり、林芳正の訪中は「釈放を求める」ためだとか、ひどいものになると、中国は「人質外交」をしていると攻撃するものまである。中日間の個別案件を針小棒大に描き出し、歪曲誇張の限りを尽くすことは日本の世論で常に見られる操作であり、狭隘な視覚から中日関係を理解、描写することは今や、多くの日本人が陥っている袋小路である。…日本は中国に対する狭隘な視覚から抜け出し、より広い視覚、パラダイムから中日関係を観察し、眼前の夾雑物を乗り越え、広々とした中日の互利協力の可能性を見届ける必要がある。特に、「虎の手先となる」ことをしないことは日本と中国が建設的で安定した関係を構築するための重要な前提である。

<日本側問題意識>

 環球時報社説が指摘する、「中日間の個別案件を針小棒大に描き出し、歪曲誇張の限りを尽くすことは日本の世論で常に見られる操作であり、狭隘な視覚から中日関係を理解、描写する」典型例として、4月3日付の朝日新聞朝刊の林外相訪中に関する報道を紹介します。
邦人拘束、早期解放求める 外相、3年ぶり訪中 日中韓協議、再開へ
 林芳正外相は2日、北京市内の釣魚台国賓館で、中国の秦剛国務委員兼外相と会談した。林氏は、日本の製薬大手・アステラス製薬の幹部社員が拘束されたことについて抗議し、早期解放を要求したが、具体的な進展はなかった。会談では、日中韓による連携についても意見交換。首脳や外相による協議を含め、「日中韓プロセス」を再開させることで一致した。
 日本の外相の中国訪問は2019年12月の茂木敏充氏以来、約3年3カ月ぶり。会談は1時間の少人数会合も含め、約3時間に及んだ。会談後には45分間にわたってワーキングランチが行われた。
 会談で林氏は、拘束されたアステラス製薬の社員との領事面会や、司法プロセスの透明性を高めることを求めた。また、中国国内で、透明性があり、予見可能で、公平なビジネス環境を確保し、安全で正当な経済活動を保障するよう強く求めた。
 会談後に行った記者会見で林氏は、拘束された社員の今後の見通しについて問われたが、「事柄の性質上、差し控えたい」と述べ、明らかにしなかった。中国外務省の発表によると、秦氏は「中国は法律に基づき処理していく」と強調したという。
 会談ではロシアによるウクライナ侵攻についても議論した。林氏は岸田文雄首相が3月にウクライナを訪問したことについて説明し、中国が国際社会の平和と安全の維持に責任ある役割を果たすように求めた。
 林氏は、中国が沖縄県・尖閣諸島周辺などで軍事活動を活発化させていることや、香港や新疆ウイグル自治区での人権状況などについて取り上げ、「深刻な懸念」を改めて表明した。
 夏までに予定している東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出をめぐって、林氏は会談で「科学的根拠に基づかない対外発信」に抗議し、科学的見地に基づいた議論を行うように求めた。中国外務省によると、秦氏は「人類の健康と安全に関わる重大な問題だ。日本は責任を持って処置しなければならない」と指摘した。
 日本政府が先端の半導体製造装置23品目の輸出規制を強化することについては、林氏は「特定の国を対象としたものではない」と伝えた。秦氏は「米国は日本の半導体産業にいじめのような圧力をかけてきたが、今は中国に古い手法を使っている。日本は悪人の手先になるべきではない」と警告した。
 日中韓では、3カ国の首脳や外相による会談が行われてきたが、日韓関係の悪化などによって途絶えていた。3月16日の日韓首脳会談でもハイレベルの日中韓プロセスを早期に再開する重要性で一致しており、今後、具体的な日程調整が始まる可能性が出てきた。
 また、林氏は会談後、李強首相を表敬訪問し、中国外交トップの王毅共産党政治局員とも会談した。