11月23日付の「フェア・オブザーバー 」WSに掲載されたピーター・アイザックソン署名文章「ミサイル・大ミステリー:ウクライナ流犯人特定」(英語原題:"The Great Missile Mystery: A Ukrainian Whodunnit")は、ロシア・ウクライナ戦争について西側世界を支配している見方(「ウクライナ=善、ロシア=悪」)の欺瞞性を、ポーランドに落下したミサイルの「犯人特定」問題に関するウクライナ・ゼレンスキー政権の主張とアメリカ及びNATOの首脳の発言とが真っ向から対立していることの背景事情を解き明かすことによって白日の下にさらけ出した、実に痛快な(と私には思える)ものです。
アイザックソンは、「独立、多様性、議論」をモットーとするアメリカのWSである「フェア・オブザーバー(FO)」のchief strategy officerという紹介があります。ただし、この文章における著者の見解に関しては、「FOの編集方針を反映するものとは限らない」という断りがついています。その点はともかく、アイザックソンの以下の指摘は実に鋭く真実を剔抉していると思います。

○「ゼレンスキーの発言には少なくとも一つは「疑問の余地がない」ことがある。ゼレンスキーはポーランドとNATOがロシアに対して宣戦布告することを求めたということがそれである。彼はこの事件がゲーム・チェンジャーになると見たのである。彼が理解を誤ったのは、ゲームのルールを取り仕切るマスターたちにはゲーム・チェンジの用意はなかったということだ。」
○「ゼレンスキーは同意しないだろうが、アメリカにとって重要なのは、ウクライナが勝つことではなく、ロシアが負けることなのだ。欧州の舞台からロシアを取り除くという目標のために必要であるならば、アメリカとしては、ウクライナの全面的な破壊もウクライナ人民の大量殺害も受け入れる用意がある。アメリカとEUが「どれだけ長くかかっても」戦争を焚きつけ続けるということの意味はそれ以外に考えようがない。」
 アイザックソンが如何なる文脈の中でこの二つの指摘を行ったのか。それを理解するためには、文章全体を読む必要があると思います。以下に大要訳出して紹介するゆえんです。
 ポーランドに対するミサイル攻撃に接した時、多くの人にとって第三次大戦が突然目の前にあり、核のホロコーストは避けられないと思われた。長年にわたって政治的にそしてメディアによって慎重に組み立てられてきたこの超現実世界(the world of hyperreality)にとって、この事件は正に望ましからざる超現実主義(surrealism)の瞬間だった。
 幸いだったのは、超現実世界のマスターたちが乗り出して物事を沈めたことである。確たる証拠もなく、しかし、やんごとない意図だけは十分に、彼らはこのドラマチックな事件について最高に聞き心地の良い説明を見つけ出してきた。すなわち、ポーランドのドゥダ大統領は、ミサイルはウクライナの対空防衛によるものである「可能性が高い」と述べた。彼はまた、「ロシア側が発射したという証拠はない」とも付け加えた。
 これに対して、ウクライナ側は完璧に仕立て上げられてきた超現実主義的脚本に従って動いた。その中心に座るドグマは、世界のどこかで何か悪いことが起こったならば、それはプーチンの仕業だということである。この脚本に忠実に従って、ゼレンスキーは即座にロシアのポーランド攻撃を非難した。彼が望んだのは、この事件によりいよいよNATOがロシアに対する全面戦争に踏み出すだろうということだったに違いない。しかし、超現実世界の脚本に基づく映画の製作者であるバイデン大統領は、ミサイルはロシアが発射したものではないと大急ぎで説明した。NATOのストルテンベルグ事務総長も迅速にこれにならった。ウクライナを除いては、ポーランドの二人の農民はウクライナの対空ミサイルが軌道を逸れたために犠牲になった、ということで誰もが同意した。
 ゼレンスキーはそのことを否定した。彼によれば、「ウクライナのミサイルでないことに疑問の余地はない(No doubt)」、「信じるほかないウクライナ軍の報告に基づいて、事件はロシアのミサイルによって引き起こされたと確信する」ということだった。
 ちなみに、「疑問の余地はない(No doubt)」という表現は、真実であるかどうかには関係なく、実際または想像上の権威を持っている人間が真実であってほしいと考えることを断言する際に用いる都合の良い表現である。
 ウクライナ・インターファックス通信によれば、ゼレンスキーは次のようにも述べた。「本日、我々が長い間にわたって起こるだろうと警告していたことが実際に起こった。テロはウクライナ領内だけに限られるのではない。ロシアのミサイルはポーランドを攻撃した。‥ミサイルはNATOの領域を攻撃したのだ。これは集団安全保障に対するロシアのミサイル攻撃だ。実に深刻なエスカレーションだ。」ゼレンスキーは、「ポーランドが断固たる行動をとることを力説した」という。
 ゼレンスキーの発言には少なくとも一つは「疑問の余地がない」ことがある。ゼレンスキーはポーランドとNATOがロシアに対して宣戦布告することを求めたということがそれである。彼はこの事件がゲーム・チェンジャーになると見たのである。彼が理解を誤ったのは、ゲームのルールを取り仕切るマスターたちにはゲーム・チェンジの用意はなかったということだ。
 今回の戦争では、内部的に興味深い綱引きが生まれている。すなわち、ゼレンスキーは、バイデン・チームが演出し、追求してきた「ロシア弱体化」のための代理戦争という意味合いを変えようとしている。しかし、製作者として当然なこととして、バイデンは慎重を崩さない。バイデンは、ウクライナが脚本からずれているとゼレンスキーに申し渡すことを躊躇しない。超現実の世界は尊重しなければならないのだ。ゼレンスキーは同意しないだろうが、アメリカにとって重要なのは、ウクライナが勝つことではなく、ロシアが負けることなのだ。欧州の舞台からロシアを取り除くという目標のために必要であるならば、アメリカとしては、ウクライナの全面的な破壊もウクライナ人民の大量殺害も受け入れる用意がある。アメリカとEUが「どれだけ長くかかっても」戦争を焚きつけ続けるということの意味はそれ以外に考えようがない。
 西側メディは、予想もしなかった超現実主義の瞬間に度肝を抜かれた。この瞬間が来るまでは、西側メディアは、この戦争を勇敢な人民と邪悪な侵略者との間の英雄的な戦いと描いてきた。西側メディアはスポーツの試合、欧州の彼方で起こっているプレーオフとして扱ってきた。両チームが決まった範囲の中にいる限り、メディアとしてはホーム・チームを応援し、反対側の振る舞いはすべて戦争犯罪だと決めつけていれば良かった。
 過去一週間、西側の当局者からもメディアからも情報更新はない。ノルド・ストリーム・パイプライン事件と同じく、調査は行われているのだろう。両事件とも、調査結果は永久に日の目を見ないかもしれない。これは、59年前に起こったケネディ暗殺事件以来確立してきたパターンだ。
 この事件は、メディアが報道したくない一つの問題を際立たせている。本年の早い時期に西側メディアが、ゼレンスキーを緑のTシャツをまとったあごひげのスーパーヒーローに仕立て上げたとき以来、かつてのコメディアンで今は戦時大統領である彼は、自分が言うことはすべて西側メディアが忠実にフォローし、絶対的真実として扱うと思い込んでいる。メディアからすれば、ゼレンスキーの発言の真実性を疑うような表現はすべて異端もしくはロシアのプロパガンダの部類に属するというルールができあがっている。
 ところが今回は、メディアは誰を信じるべきか、それとも、証拠が挙がっていない以上、みんながウソをついていると考えるべきなのかについて判断を迫られている。とりあえずは、メディアはドゥダ、バイデン、ストルテンベルグの解説に従っているように見える。なぜならば、そうする方がセーフであるし、余計なコメントを要しないからだ。
 しかし、本当にそれでれいいのか。ゼレンスキーが執拗に否定する理由としては3つの解釈が可能である。第一、彼の軍隊が間違いを犯す可能性があると人民に信じてほしくないという単純な理由。第二、ポーランド農民の死についてポーランドがウクライナの責任を追及することを回避したいこと。ウクライナのナショナリストとポーランドとの間には伝統的対立感情(ジェノサイドに発展したこともある)があり、今回の事件で前面に出てくる可能性はある。第三、そしてメディアが触れてこなかったことだが、ゼレンスキーが求めてきた結果(NATOのロシアとの対決)を導くために仕組んだ偽装作戦。
 超現実世界の原理によって組み立てられた今日の文明は、産業革命及びそれが導いたテクノロジーの直接的な結果である。超現実主義は20世紀の初めに芸術及び文学の世界で主流となった。同じ時に、アメリカ経済は広報及び広告で動かされる強力なマシーンとなっていった。広告のイメージとメッセージは、政治とコマースとを結びつける、念入りに複雑化したかつ超現実の世界によって支配される肥沃な土壌となっていった。
 超現実主義と超現実世界はある重要な一点で異なる。超現実主義は、大衆を楽しませ、大衆の思考にチャレンジするのに錯覚に訴える。超現実世界文化は、大衆の考え方を規制し、人々の思考において現実と考えられているものを見せかけで置き換えようとする。
 二つの概念を隔てる他の要素もある。超現実世界は、目に見えない形で政治的文化的影響を集団的に行使する人々がグループとして携わっている、合理的に組み立てられた戦略を映し出す。彼らはグループとして働くことにより、多くの矛盾によって悲劇的にさいなまれている日常的現実よりも、もっと魅力的で、単純化され、すっきりと組み立てられた別の世界のイメージを作り出す。
 超現実主義は人々の考え方に混乱を引き起こそうとする。しかし、超現実世界は安心させ、疑問を眠り込ませるように工夫されている。「超現実的」な絵画、映画、小説は人々が受け入れている認識法則に反している。したがって、人々が現実と混乱することはあり得ない。
 これに対して超現実世界は、人々の認識をゆがめさせるという特別の目的のために存在している。プロパガンダは超現実世界の一つの形だが、多くの機関、特にメディアがグルとなると有効に機能し、人々の中にある目に見える現実を置き換えるように仕組まれた何ものかを大規模に作り出す。
 ポーランドに落ちたミサイルを誰が発射したかという物語に関する混乱は、超現実世界のほころびを不注意に垣間見せた一例である。事件は現実だったが、事件に対する反応は超現実的だった。ストルテンベルグは、ミサイルがウクライナのものだと認めつつ、その責任をロシアに押しつけた。まったく馬鹿げたことだが、それが真実であるかのように取り繕ったのだ。