アメリカの独立記念日(7月4日)に当たり、環球時報は社説「自己管理のあり方を反省すべきアメリカ」(中国語原題:"独立日,美国当反思如何管好自己")を発表(ウェブ掲載は4日23時23分。したがって5日付け紙面と思われる)して、「他人のことをかまう前にまずは自己管理のあり方を考えろ」と忠告しました。私は7月3日のコラムで、「内憂外患が雲霞のごとく押し寄せて今や息も絶え絶えの老超大国・アメリカが自ら転ける可能性が日増しに現実味を帯びている」と書きましたが、この社説がよって立つ対米認識は私のこの対米認識と完全に一致しています。
 日本国内では相変わらずの「対米信仰」が支配していますが、アメリカが自分自身を見つめ直す謙虚な姿勢を我がものにしないと、「世界唯一の超大国」の座から転げ落ちるときはそれほど遠くないと、私は確信しています。環球時報社説はアメリカが置かれた状況を正確に診断しており、「対米信仰」で目がかすんでしまっている多くの日本人にとっては格好の「目薬」となると思いますので、内容を紹介します。
 なお、7月4日の解放軍報は「アメリカの二重基準「ルール」は世界が乱れる源」(中国語原題:"美式"规则"成为世界乱源|一贯双标,言行相悖虚伪成性")と題する鈞声署名論評(シリーズ第9回)を掲載しています。バイデン政権は「ルールに基づく国際秩序」を振りかざして中国(及びロシア)を叩くことに懸命です。対米従属が骨の髄までしみこんでいる岸田首相は唯々諾々と「ルールに基づく国際秩序」を口にしていますが、このスローガンほど欺瞞に満ちた代物はないというのが私の判断です。鈞声署名論評は的確にこのスローガンの本質を暴露していますので、併せて紹介します。

(環球時報社説)
 独立記念日の前日のアメリカの多くの報道は、警察の射撃で殺された黒人ドライバー、強姦で妊娠した10才の少女が別の州で堕胎手術を受けることを強いられた等を伝えた。「文明の発達した社会」では本来起こりえないことだが、アメリカ社会が直面している危機の具体的表れであることは間違いない。
 1年前の独立記念日の演説で、バイデンは自信に満ちて「アメリカは団結しつつある」と述べた。しかし1年が過ぎた今、人々が目にしているのはさらに分裂し、途方に暮れ、混乱したアメリカである。長期にわたって蓄積されてきた根の深い問題が集中的に爆発していることは誰の目にも明らかだ。大規模な銃撃事件、政治の極端化、貧富拡大、種族衝突、激烈な党争、女性の権利問題等々、コロナとインフレが重なり、事態は目を見張るほどの状態に達している。
 最近連続的に出された連邦最高裁の三つの判決は、銃の暴力、女性の堕胎の権利という社会の傷口をさらけ出し、ワシントン内部の気候変動問題に対する深刻な分裂を暴露した。これらは自由とデモクラシーに対する深刻な侵犯、人権と文明の後退と広く受け止められ、多くの人々の不安、怒り、さらには恐れを招いている。新たな文化戦争と価値観戦争がアメリカで起こっていると断言する者もいる。外部世界から見れば、今日のアメリカは足取りもおぼつかないフラフラの巨人であり、何時バランスを崩して地球をメチャメチャにしてもおかしくない状況である。
 そんな状況にあるにもかかわらず、アメリカは相変わらず自らの「指導力」のイメージを売り込むことに余念がない。バイデン外交の最近の足跡は、ロサンジェルスでの全米サミット、ドイツでのG7サミット、スペインでのNATO首脳会議と、その行程は1万キロを超えた。アメリカは極力「指導力」を発揮したつもりだが、世界にとってもっと大きな疑問は、アメリカには自らを律する能力は果たしてまだあるのかということだ。
 この数年間、アメリカがもっとも熱心なのはリスクを対外的に移し、矛盾を転嫁することである。ワシントンのエリートたちは、攻撃の矛先を中国その他の諸外国に向け、内部矛盾を覆い隠し、社会の忠誠をあおる上での切り札としている。中国批判はワシントンにとってポリティカル・コレクトネスとなり、中国をやっつけることはアメリカの戦略的要請となっている。しかし、事実が一再ならず証明しているとおり、アメリカは自分自身の問題を外に持ち出すことはできず、持ち出しているのはワシントンの限られた精力であって、これらの精力は本来アメリカの国内問題解決のために投じるべきものである。
 アメリカ独立記念日に当たり、我々はアメリカに対して、まずは自分のことをうまくやり、他人事に口出しするのはほどほどにするよう心から忠告する。そうすることがアメリカにとってもみんなにとってもいいことなのだ。事実、アメリカ国内情勢は無視を許さない強烈な信号を発している。すなわち、アメリカの内部的ガヴァナンス機能のミスアライメントとアンバランスとは早急に正さなければならない。ワシントンは責任転嫁に熱心だが、この問題の責任を他人に転嫁することはできない話だ。言い換えるならば、アメリカは「病気になっている」のであり、自分がおとなしく「薬を飲む」べきであって他人に「薬を飲む」ことを押しつけることではない。アメリカにとっての「薬」は自分自身であり、アメリカの最大の相手もまた自己自身なのだ。
 環球時報は10年前に「アメリカの改革開放を促す」専門家の署名文章を載せ、アメリカはArrogance(自傲)、Aggression(自狂)、self-Appreciation(自恋)の「3A」国家であり、「改革開放」で内部問題を解決しないと、ガヴァナンスがうまくいかなくなり、その累は世界に及ぶ可能性があると指摘したことがある。これは間違いなくアメリカに対する諫言であったが、傲慢なアメリカのエリートにとっては馬の耳に念仏で、その結果せっかくのチャンスを逃してしまった。
 アメリカの国際的な地位と影響力は、究極するところ、その国内ガヴァナンスのレベルと能力とによって決まるのであり、国際的に威張ることで決まるのではない。アメリカ国内のでたらめの状況は民を信服させることもできず、同盟国・友好国の不安をも掻き立てる。一人の人間にアメリカと似た状況が現れた場合には、まずは心療内科を訪れるべきである。しかし、アメリカの状態ははるかに複雑だ。ワシントンが中国をやっつけるためのエネルギーをアメリカ国内の現実問題に振り向けるならば、確実に効果があることだろう。それはまた、「アメリカ優先」の重点的力のいれどころでもある。
(鈞声署名論評)
 骨の髄まで染み渡った「アメリカ的二重基準」の症状がまた発作を始めた。ブリンケンの最近の演説は、中国が世界秩序の「もっとも深刻な長期的挑戦」であると公言した。しかし、まともな眼力のある人であるならば、国内法を国際法に優先させ、国際ルールに関しては自分の都合に合えば使い、合わなければ捨てるアメリカこそが国際秩序を乱す最大の原因であることを見て取ることだろう。
 アメリカの政治屋にとって、「国際ルール」というモノサシは他人を計るもので自分を規制するものではない。「ルールに基づく国際秩序」なるものも、アメリカ以下の少数の国々が勝手に決めたものに過ぎず、守ろうとするのはアメリカ主導の「秩序」であって、私利をむさぼることこそが真の目的である。長期にわたるアメリカのこのような行動は、世界の政治経済秩序を深刻に破壊し、グローバルな安全と安定を脅かすに至っている。
 グローバルな安全という問題を取るならば、アメリカはINF条約とオープンスカイ協定が自国にもたらすものはないとして脱退し、国際的軍備管理及びグローバルな安全に対して巨大な脅威を与えた。戦争発動、衝突製造、制裁乱発、騒乱扇動等々、アメリカは世界の至る所で混乱を引き起こしておきながら、他の国がグローバルな安全と安定を脅かしていると非難し、完全に黒白を転倒している。
 グローバルな経済貿易問題では、アメリカは公平競争、自由貿易を口にしながら、保護貿易を行っている。アメリカにとって有利ならば大いに「公平自由」を口にするが、不利となれば国力を乱用して他国を圧迫し、抑え込む。アメリカは今や最大の「ルールを守らない」存在となっている。
 気候変動問題では、アメリカは勝手にパリ条約を脱退し、気候変動問題に対する世界の努力に重大な困難をもたらした。北極理事会の会合では、アメリカは共同声明本文に「気候変動」という文言を入れることを拒否し、共同声明が発出できない事態を招いておきながら、中ロ両国が北極の生態破壊の脅威となっていると居直った。
 人権問題に関しては、国内における銃問題をまったく無視して、ひたすら他国の人権状況を非難している。コロナで100万人以上の死者を出しておきながら、中国のコロナ対策は「厳しすぎる」、グローバルなサプライ・チェーンに損害を与えていると非難する。
 このような様は正に馬鹿馬鹿しさの極致というほかない。
アメリカがかくも厚顔無恥で、平然と二重基準に訴えるのは、本を正せば、「アメリカだけは特別・例外」という覇権思想が脳みそに巣くっているためだ。その本質は自己優越論であり、アメリカは他の国々とは違い、「偉大であることが運命づけられ」、「世界を導かなければならない」ということにある。しかし、歴史が証明しているとおり、このイデオロギーは虚妄であるだけに留まらず、極めて有害でさえある。アメリカの著名な経済学者ジェフリー・ザックスは著書『新しい外交政策:アメリカの例外主義を超えて』の中で次のように指摘している。すなわち、各国の利益は密接に関わり合い、運命を共にしており、歴史上のいかなる時にも増して国際協力を強め、人類社会が直面するリスクと挑戦に共同で対処するべき時に、アメリカ政府は独り我が道を行き、勝手に国際ルールを破壊している。これは「アメリカ例外主義」の表れであり、自らを深刻に害し、世界にとっては非常に危険なことである。
 事実が証明しているとおり、二重基準を奉じ、「アメリカは特別・例外」を行うアメリカは「ならず者国家」になるだけである。真のスタンダードに対しては、世人の胸の内には一定のはかりがある。アメリカには以下のことを勧告する。「二重基準」をやめ、国際的に公認されたルール及びスタンダードを遵守する正しい軌道に戻ることだ。さもなければ、国家のイメージを台無しにし、国際的信用が完全に失われるだけである。