5月26日にブリンケン国務長官がジョージ・ワシントン大学で行った対中国政策に関する45分間にも及ぶ演説を読み終えた私の第一印象は、「ああしんどい。よくもまあ、手前勝手な主張・理屈を臆することなく長広舌できるものだな」ということでした。内容としては何の新味もありません。強いていえば、中国側一部論評も指摘したように、「言葉遣いを慎重にしていること」(環球時報社説:'收敛')、随所に「聞き心地のよいフレーズをちりばめていること」(同:'漂亮话')にブリンケンの努力の跡は感じられます。しかし、その努力もしょせんは「新しい表現の仕方と旧態依然のロジック」(5月28日付けの中国新聞網「国際観察」)と片付けられても仕方のないものでした。
 中国側からは、王毅外交部長が辛辣なコメントを行った(5月28日)ほか、中国外交部定例記者会見で汪文斌(27日)、趙立堅(30日)両報道官も記者の質問に答える中でコメントし、また、華春瑩部長助理兼報道官は27日夕方に11回立て続けにツイートしてブリンケンの演説内容に辛辣な疑問を投げかけました(28日の環球網が紹介)。またメディアでは、人民日報は鐘声署名文章(28日)、厳瑜署名文章(人民日報海外版・望海楼 30日)、新華社は国際時評(28日)、中央テレビは国際鋭評(28日)、環球時報は社説「世界が求めているのはアメリカの「聞き心地のよいフレーズ」だけではない」(27日)などが正に異口同音の形で辛口の論評を行いました。今回は、王毅外交部長、趙立堅報道官の発言及び環球時報社説を紹介します。

<王毅外交部長>
 王毅は、この対中演説は、アメリカの世界観、中国観及び中米関係観において現れている深刻な偏向を反映していると述べた。
 王毅は次のように述べた。アメリカに告げたいのは、この世界はアメリカが描いている世界ではないということだ(世界観)。国際社会が直面しているもっとも緊迫した任務は人類の生命健康を共同で守り、世界経済の回復を促進し、世界の平和と安寧を維持することであり、そのためには運命共同体意識を確立し、国連憲章の精神と原則を実践することが必要だ。ところがアメリカは、「中心論」と「例外論」を堅持し、冷戦思考を抱き、覇権ロジックを踏襲し、集団政治を推進している。これは歴史の潮流に逆らうものであり、衝突と対抗を引き起こし、国際社会を分裂させるだけである。実際、アメリカは今日の国際秩序をかき乱す源となっており、国際関係の民主化推進の障害となっている。
 アメリカに告げたいのは、中国はアメリカが想像をたくましくする中国ではないということだ(中国観)。中国の発展と振興は明確な歴史的ロジックと強大な内発的動力を備えており、14億人が共同で現代化に向かって歩むことは人類の巨大な進歩であって、世界にとっての脅威及び挑戦ではない。我々の目標は公明正大なものであり、すなわち、人民がよりよい日々を過ごせるようにし、世界により大きい貢献を行うことであって、誰かに取って代わろうとか誰かに挑戦するとかということではない。
 アメリカに告げたいのは、中米関係はアメリカが計画するようなゼロ・サムの闘いではないということだ(中米関係観)。習近平が指摘したように、中米が関係を巧みに処理できるかどうかは世界の前途命運に関わる問題であり、両国が適切に答えなければならない世紀の問いである。アメリカは、この問いに答えるに当たってはまず、一極覇権は人心を得ることができず、集団対抗には前途がなく、ディカップリングは人を損ない自らをも害するということを認識するべきである。国家間の公平な競争はよろしいし、中米観にも競争はありうるが、それは悪性の競争であるべきではない。
 王毅は次のように強調した。中米関係は重大な十字路にある。アメリカは正しい選択を行うべきであり、相互尊重、平和共存、合作共嬴という3原則の実践に精力を傾け、新時代における中米両大国の正しい関係のあり方を求めるべきである。
<趙立堅報道官>
 いくつかの事実とデータをあげて、アメリカの嘘でたらめ及び偽りの姿をはっきり認識するお手伝いをしたい。
 まず、(ブリンケンが国連憲章を持ち出したことに対して)アメリカは国連憲章及び国際法に基づく国際秩序を歯牙にもかけていない。アメリカ建国後の200年以上のうち戦争しなかったのはわずか16年であり、今日における国際平和に対する最大の撹乱源であり、国際秩序に対する最大の不安定要素である。ブリンケンは国連憲章が確立した自決権、主権及び紛争の平和的解決等の概念を守るというが、言行不一致である。アメリカの作家ウィリアム・ブルームが著書"Democracy: America's Deadliest Export"で指摘したように、第二次大戦以後、アメリカは50以上の外国の政権を転覆しようとし、少なくとも30の国々における民主的選挙に干渉した。アメリカのブラウン大学の報告によれば、2001年以後に限っても、アメリカは「対テロ」の名の下で発動した戦争及び軍事行動で80万人以上の人命を奪っており、アフガニスタン、イラク、シリア等の被害を被った国々で2000万人以上の難民を生み出した。
 第二、(ブリンケンが中国は国際秩序を破壊していると非難したことに対して)アメリカこそが国際秩序の最大の破壊者である。アメリカは「アメリカ中心主義」「アメリカ例外論」に固執し、国際約束、国際機関から意の向くままに脱退しており、いまやそれが日常茶飯事になっている。アメリカは、「子どもの権利条約」「女性差別撤廃条約」の署名、批准を拒否し、「移民問題グローバル・コンパクト」及び「難民問題グローバル・コンパクト」に反対投票し、「生物兵器禁止条約」検証プロトコルの交渉をただ独りで阻止した。1980年代以後アメリカは、国連人権委員会、WHO、UNESCO、パリ協定、武器貿易条約、INF条約、オープン・スカイ条約等17の国際機関または協定から脱退し、その中には、脱退後また復帰し、さらにまた脱退したという例もある。ブリンケンが(中国に対して)国連海洋法条約を持ち出しているが、アメリカはこの条約の締約国にもなっていない。
 第三、(ブリンケンが「ルールに基づく国際秩序」を主張したことについて)アメリカにはルールを語る資格はない。アメリカにとって、国際ルールは一貫して自国の利益及び覇権に従属し、かつ、それに仕えるものでしかない。アメリカは両者が合致するときはルールを根拠とするが、両者が相反するときにはルールを空気扱いする(無視する)。アメリカに以下の問に対する答を聞きたい。①アメリカがみだりに主権国家に対して戦争を発動し、「カラー革命」を演出するとき、ルールはどこにあったか。②アメリカが不法な一方的制裁を行い、関係国の民衆を塗炭の苦しみに味わわせるとき、ルールはどこにあったか。③アメリカは連続して国連に対する分担金10億ドル、平和維持活動に対する分担金14億ドルを納めていないが、ルールはどこにあるのか。④アメリカは、米英豪安全保障パートナーシップ、QUADをやり、「インド太平洋版NATO」を作ろうとしてアジア太平洋をかき乱し、国際的核不拡散体制を破壊しているが、ルールはどこにあるのか。⑤アメリカはいわゆる「デモクラシー」を旗印にしていわゆる「民主サミット」をやり、世界の多くの国々を除外したが、ルールはどこにあったのか。⑥WTOがアメリカの対中関税戦争はグローバルな貿易ルールに違反すると明確に認定した時、アメリカはそれに従わなかったが、ルールはどこにあったか。
 最後に、(ブリンケンが中国の脅迫外交を非難したことに対して)アメリカこそが脅迫外交の集大成者である。アメリカは国内法を国際法及び国際ルールの上に置き、むやみやたらに一方的制裁と国内法の域外適用を行っている。新型コロナが大流行してから、ヴェネズエラ、シリア、イランの3国はアメリカの長期にわたる制裁を受けているために国内経済状況及び医療条件が悪化し、状況は極めて厳しい。ところがアメリカは、制裁をやめないだけではなく、さらに強化して、これらの国々はますます苦しんでいる。アメリカの標榜する市場競争原理と国際経済貿易原則は、アメリカにとって有利なときだけ遵守するということは、国際社会にとってますます明らかになってきている。ブリンケン等は口先では公平競争、自由貿易というが、信奉しているのは「アメリカ優先」であり、振り上げているのは「アメリカという棍棒」である。
 さらに強調しておきたいのは、新中国成立以来の70年以上、中国は一度として戦争を発動したことはないし、他国の土地を一寸たりとも占領したことはないということだ。我々は紛争を対話と交渉で解決する立場を堅持しており、すでに14ある隣国のうち12ヵ国と平和的に陸地部分の国境を平和的に解決している。世界No.2の経済大国である中国のグローバルな経済成長に対する貢献率は毎年30%前後を保っており、15年連続して世界第1位である。中国は今や国連分担金及び平和維持活動分担金の第2位を占め、グローバル・ガヴァナンス・システムの建設及び改革に積極的に参与しており、実際の行動によって国連憲章の精神と国連の権威を守っている。事実が証明しており、今後も引き続き証明するように、中国は一貫して世界平和の建設者、グローバルな発展の貢献者、国際秩序の擁護者である。中国は今後も一貫して、平和を愛し、正義を奉じるすべての国々と共に、国連の旗の下に団結し、真の多国間主義を実践し、世界の普遍的繁栄と人類の共同進歩のために貢献していく。
<環球時報社説>
 ブリンケンの今回の演説はバイデン政権下におけるもっとも全面的かつ系統的な米中関係に関する表明である。ブリンケンは、バイデン政権の対中戦略を「投資、同盟、競争」にまとめ、中国に対して「総合的デタランス」で対処するとした。
 全体としていうと、今回の演説は相対的に「言葉遣いを慎重にしていること」が特徴であり、特にポンペイオ前国務長官の「新しい鉄のカーテン」演説と比較するとき、脅迫的な好戦的姿勢が少なくなっており、聞き心地のよいフレーズをちりばめてすらいる。例えば、ブリンケンは中国との間で「全方位で意思疎通のチャンネルを作る」ことを望むとか、ワシントンは「中国の政治制度を変えることを追求しない」とか、「中国の発展を阻止しようとするものではない」、「新冷戦はしない」、「経済的ディカップリングを求めない」、「台湾独立を支持しない」とかの類いである。これらの発言に対しては、中国のことわざにあるように「その言を聞き、その行いを観る」ということになるだろう。
 当然ながら、以上がブリンケン演説のすべてではない。これらの美辞麗句の後には次のような表現が続いている。北京は国際秩序に対する「もっとも深刻かつ緊迫した長期的挑戦である」、中国が「国際ルールを遵守する」ことを確保する必要がある、「中国周辺の戦略環境を創造する」、アメリカの台湾政策は変わっていないが「変わったのは日増しに深刻になる中国の脅威である」、等々。これらの外交的表現を翻訳するならば、依然として中国がワシントンの覇権に臣属することを要求するということである。今回の演説はワシントンの表裏不一致というスタイルの延長線上にあり、国際道義の高みを占拠すると同時に実際行動においてはアメリカの利益を優先することを狙っているとまとめることができる。
 我々はもちろん、中国との「新冷戦」を避けたいというブリンケンの表明が真摯なものであることを希望するが、最大の問題は、アメリカはいうこととやることがまったく別物だということだ。バイデンの今回のアジア訪問では、「中国排除」の「インド太平洋経済フレームワーク」(IPEF)を宣明し、QUAD首脳会議後には中国に対する対抗を念頭に置いた共同声明を出した。つまり、アメリカはしきりに「新冷戦はしない」といいつつ、実際には至る所でイデオロギーによって「陣営」を分けようとし、多元的世界を「デモクラシー」対「権威主義」の対決だと乱暴に線引きし、強引に「自分の側につけ」と各国に要求している。これこそが「新冷戦」への布石ではないか。
 ブリンケンの今回の演説でも、イデオロギー的偏見と冷戦思考が随所に顔を出しており、これはアメリカの対外行動の特徴と一致している。例えば、中国を「挑戦」と形容する一方でアメリカの対応は「デタランス」であると表現し、あたかも中国が攻撃側でアメリカは防守側であるかのごとき印象を与えようとしている。台湾問題では、中国大陸が一方的に現状を変更しようとしていると非難し、「台湾独立」問題の責任を一方的に中国になすりつけようとしている。これらの類いは正に白黒をひっくり返す言葉のワナである。
 先ほど演説はそれほど「好戦的」ではないように見えるといったが、その原因についてはブリンケン自身が言及している。すなわち、中国の「意図」と「野心」に対してアメリカが影響を与える能力に限界があるということだ。指摘する価値があることは、ブリンケンが演説の中で直接表明していないことの中にアメリカが直面せざるを得ない現実があるという事実だ。例えば、ブリンケンは、アメリカが依然として多元的で活力のある社会だと強調しているが、現実のアメリカ社会では種族的偏見や銃による暴力が頻発している。ブリンケンは同盟関係を大いに論じているが、現実のアメリカはグローバルな信認クライシスに直面している。つまり、ブリンケンがポジティヴに述べた分野こそ、実はアメリカがもっとも困難に見舞われている分野であるということだ。
 いろいろ指摘してきたが、前任者と比較する限りでは、ブリンケンの対中演説が「より穏健」に見えるし、少なくとも中米間に協力分野が多くあるとは言っており、「協力できるときは努めて協力する」と表明している。中国の対米政策は一貫して明確であり、有言実行である。カギはアメリカが言ったことは必ずやることができるか否かにある。中米が相互尊重、平和共存、合作共嬴することは、両国人民にとってよいことであるのみならず、世界全体に対する福音でもある。
 フランクリンはかつて「誠実であることが最善の政策である」と述べたことがある。世界が期待しているのは、アメリカが協力実行及び対立管理において言行一致であることであり、自己陶酔の「きれい話」にとどまらないことである。