今回はまず、中国の「社会主義市場経済(体制)」がいかなるものであり、それが「資本主義市場経済」とどう違うものであるのかについて、中国の考え方を理解することから始めたいと思います。日本を含むいわゆる西側世界に支配的(常識的)な理解は、「市場経済は資本主義に特有のもの」であり、「市場経済を採用した中国が行っているのは社会主義ではなく、国家独占資本主義である」とするものだと思います。しかし、中国は大真面目で「中国の特色ある社会主義」のあり方を模索しており、「中国の特色ある社会主義市場経済」はその中核に位置づけられているのです。したがって、私たちのモノサシで判断するのはとりあえず脇に置き、中国のモノサシに従って、つまり「中国の内側から理解するアプローチ」に基づいて考えてみようと思います。中国側の説明を踏まえた上でも、皆さんからは多くの批判、疑問が出されると思います。私も、後の議論の中で皆さんと問題意識を深めたいと望んでいます。
 ちなみに、私は学生時代から今日まで一貫して資本主義に対して根本的な疑問を持っています。特に新自由主義に代表される「今時の資本主義」については、「資本の論理が社会全体を支配し、資本のマイナス面が全面的に自己主張している」グロテスクな代物だと判断します。私の理解では、今日の日本の絶望的な状況の圧倒的に多くの部分は新自由主義の暴走に起因しています。これらの点については、今はなき内橋克人氏の卓見に多くを学びました。そういう私には、中国が志向している「社会主義市場経済」は、資源配分(中国語では「資源配置」)については市場に委ね、中央政府は資本・大企業の暴走をチェックするマクロ・コントロールに力を入れる、という大筋で首肯できる中身が多々あります。
今日でこそ、「社会主義市場経済体制」という言葉は中国で「市民権」を確立していますが、確立までの道のりは決して平坦ではありませんでした。1982年の12回党大会報告は、「計画経済を主とし、市場調節を補助とする」原則を打ち出し、「市場」をはじめて受け入れましたが、この段階では、計画経済と商品経済に関する議論は報告から削られたといいます。その後も中国共産党内部では、「社会主義とは計画経済であり、市場経済は資本主義と同義である」とする主張が根強く唱えられ、レジュメでも紹介するように、「80年代末から90年代初にかけて、計画と市場の問題を「社会主義か資本主義か」と問題視する」論争('姓"社"还是姓"资"的问题')が行われました。1992年になって、鄧小平が"計画が多いか市場が多いかは社会主義と資本主義との本質的違いを表すものではない、社会主義の本質は生産力を解放し、発展させ、搾取と両極分化を消滅させ、最終的に共同富裕を達成することにある"と論断することによって、党内の議論はようやく終息したと紹介されています。
 以上の議論における核心問題は、資源配分の決定的役割を担うのは市場か政府(国家)かという問題です。1982年の12回党大会の段階では、「計画経済を主とし、市場調節を輔(補助)とする」と、政府の役割を主として、市場の役割を従(補助)としていました。それが1992年の鄧小平の以上の論断を経て同年に開催された14回党大会報告で"制度上、資源配置における市場の基礎的役割を更に発揮させる"と明確に提起されるに至りました。つまり、「補助的役割」から「基礎的役割」へと高められたわけです。ここまでに至るのに10年を要したということです。しかし、その後も、この問題に関する中国の模索は続きました。
 すなわち、資源配分において市場に決定的な役割を担わせる、つまり、資源配分を市場に全面的に委ねるという考え方が最終的に固まったのは、習近平が総書記に就任(1992年11月)した翌年(2013年)に開催された18期3中全回でした。ここでは、「経済体制改革は改革の全面的深化における重点であり、核心の問題は政府と市場の関係を処理し、市場に資源配置の決定的役割を担わせ及び政府の役割を更に発揮させることである」と述べたのです。つまり、「基礎的役割」から「決定的役割」とするまでにも11年の時間を要したということになります。「補助的役割」から「決定的役割」まで変わるのには実に21年の時間を費やしたということです。習近平指導部はこれからも改革開放を続けていく決意ですが、2022年に改革開放の全面的深化を継続していくに際して、相変わらず「穏」を盛んに強調しています。日本的にいえば「石橋を叩いて渡る」ということです。このアプローチは、1978年以来一貫して変わっていません。
中国が目指している「社会主義市場経済」の中身についての中国側の考え方を理解した上で、次に、中国の農業・農村に対して市場経済メカニズムはどの程度働くようになっているのか、というより、中国は中国の農業・農村と市場経済メカニズムとの関係をどのように位置づけようとしているのかを観察してみたいと思います。前回も申し上げたことですが、私は一般論としても、農業・農村に対して市場経済の論理・メカニズムを機械的に適用することには極めて批判的です。今回、レジュメを作りながら印象を強くしたことは、中国は、農業・農村の特性を十分に踏まえており、農業・農村の市場経済化という問題にはかなり注意深くアプローチしているのではないか、ということでした。
 前回お話ししたように、中国の経済体制改革の口火を切ったのは中国農民(家庭生産請負責任制)でした。農村経済の改革が都市を含む経済体制全体の改革を促す役割を果たしたのです。しかし、いったん始まった都市の猛烈な勢いの改革開放は計画経済(政府による規制)の桎梏を白日の下にさらし、中国経済全体の市場経済化をリードすることになりました。逆に、1990年代の中国農業・農村は低迷・沈滞して市場経済化はおろか改革開放そのものからも取り残され、中央に対していわゆる「三農」問題への対応を迫ることになりました。レジュメでは、1980年代後半から2003年にかけて、中国が農業・農村問題に如何なる問題意識を持って臨んでいたかについて、中国側文献に基づいて検証しています。
 農業・農村に対する市場経済メカニズム導入の動きは、胡錦濤体制の下で様々な形で模索されてきました。「市場に基づく需給バランス」(2005年1号文件)、「現代発展理念で農業を牽引」(2007年1号文件)、「以工促農、以城帯郷のメカニズムを建設」(2008年1号文件)、集団土地所有権に対する市場経済的アプローチ(2009年1号文件)などにその模索の跡を窺うことができます。
 習近平は、総書記就任直後から農業・農村の市場経済化問題に積極的に取り組んできました(2013年1号文件)。2013年11月に採択された改革全面深化に関する中共中央の決定においても、「農産物価格形成メカニズムを改善して、市場が価格を形成する役割を重視する」、「都市と農村を統合した建設用地市場建設」、「都市農村発展一体化システム・メカニズム」などが打ち出されました。2015年11月には「農村改革深化の総合的実施方案」が作られ、その中では「農産物価格形成メカニズムと市場調整システム」が取り上げられ、市場と政府の関係について「農産物市場の調節コントロール方式を改善し、政府の過度の関与を控え、市場流通を活かして市場活力を増やす」と言及されました。市場経済メカニズム導入に積極的であることを確認できます。しかし、2013年に、経済全体に関して「市場に資源配置の決定的役割を担わせ及び政府の役割を更に発揮させる」と決定したことと比べるとき、市場メカニズムを導入することに対してかなり抑制的な表現に留まっていることの方が注目されます。
ちなみに、農業・農村に対して2013年決定の表現が反映されたのは、2018年の1号文件でした。そこでは、農村振興戦略「基本原則」の一つとして、「都市と農村の融合発展:体制メカニズムの欠陥を打破し、資源配置において市場に決定的役割を担わせ、更に政府の役割を発揮させ、都市と農村のリソースの自由流動、平等交換を推進する」と記されています。しかしこれは、「都市と農村の融合的発展」に限定して市場の決定的役割を提起したということであって、農業・農村全体を市場経済化するということではありません。2019年7月の国務院「郷村産業振興促進に関する指導意見」も、「資源配置における市場の決定的役割を発揮してリソース、市場及び経営主体を活性化する。政府の役割を更に発揮させて、農民主体、企業帯動及び社会参与が結合した郷村産業発展構造の形成を導く」と述べて、2018年の1号文件と歩調を合わせています。
前回、中国農業・農村における改革開放に対してWTO加盟が持つ意味についても考えました。今回、レジュメ作成の中で気づいたのは、中国農業・農村を含む中国経済の市場経済化とのかかわりにおいてWTO加盟が持つ意味に言及している文件が見当たらないことでした(寡聞のせいかもしれません)。わずかに2015年11月の「農村改革深化の総合的実施方案」が、農業補助金制度を扱う中で、「イエロー・ボックス」支持政策を調整改善して「グリーン・ボックス」支持政策の実施規模と範囲を漸進的に拡大すると述べ、2017年5月の「「一帯一路」建設農業合作共同推進のビジョンと行動」が「国際組織(WTOを含む)との交流と合作」に言及し、2019年10月の「食糧安全白書」が対外開放の一環として「WTO加入時のコミット履行」問題を取り上げている程度です。
 中国指導部が農業・農村の市場経済化について穏健に、対象分野を絞って取り組もうとしているのではないか、というのが私の現段階での印象です。第4回(中国農業)、第5回(中国農村)までに更に学習して、結果をご報告したいと思っています。
 レジュメはこちらです。↓

中国社会主義市場経済体制と農業・農村