ウクライナに軍事侵攻したプーチン・ロシアに対する非難はエスカレートするばかりで、留まるところを知りません。米欧メディアの情報を受け売りし、垂れ流すことが「習い性」になっている日本のマスコミ報道に対しては、「今更何を言っても無駄だ」という諦念が先立つ私ですが、オピニオン・リーダーとしての名声が確立している寺島実郎氏、あるいは北海道大学教授(政治学)である遠藤乾氏の発言となると、私としては深刻に受け止めざるを得ません。
2月23日のコラムの最初に指摘したとおり、私も今回のロシアのウクライナ軍事侵攻に関しては、ロシア側の主張をいくら読んでも得心できないし、国家主権及び領土保全原則、そして「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(第2条4)ことを定める国連憲章に違反していると判断します。
 しかし、「2022年2月24日。プーチンの戦争が始まった。これほどの赤裸々な侵略は、ヨーロッパでは3世代前、ヒトラーがポーランドに侵攻したときにまでさかのぼらないと見いだせない。」(遠藤乾氏。2月28日付朝日新聞)と、プーチンをヒトラーになぞらえるのはあまりにも歴史的事実を無視した暴論だと思わざるを得ません。ヒトラーは掛け値なしの侵略者でした。しかし、プーチンの場合は、私がコラムで紹介してきたとおり、ソ連崩壊で弱体化したロシアを容赦なく追い詰めるアメリカ・NATOの5回に及ぶ「東方拡大」の脅威をひしひしと目撃してきたのです。その上さらに、ロシアの急所を突く地政学的地位に位置するウクライナまでが西側にのみ込まれかねない事態に立ち至っているという切迫感は、プーチンをギリギリにまで追い込んでいたことは十分に理解できることです。
 ところが、プーチン・ロシアがそのような絶望的状況に追い込まれていることに関して、「ロシアは北大西洋条約機構(NATO)の拡大を阻止するための攻撃だと説明していますが、本音は別でしょう。米国はすでに方針を転換し、ウクライナは必ずしもNATOに加盟しなくても北欧のフィンランドのような立場でいいという考えです。プーチン氏は分かっていながら揺さぶり続けているのです。」(寺島実郎氏。3月1日付朝日新聞)、「ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟阻止という「大義」も、根拠が薄弱だ」(遠藤氏)と、両氏はバッサリ切り捨てるのです。
この点に関しては、私がコラムで紹介してきたとおり、①アメリカとNATOは「不可分の安全保障」(他国の安全保障を犠牲にする形で自国の安全保障を追求しない)という原則をロシアとの間で約束し、②「東方拡大」しないことについても米英仏独外相会議で合意していた(ドイツ週刊誌『シュピーゲル』)にもかかわらず、③ロシアがアメリカに対して昨年末に行った「不可分の安全保障原則」を具体化する提案(第4条:「アメリカは、NATOのさらなる東方拡大を防止すること及び旧ソ連邦諸国のNATOへの加盟を拒否することを約束する」)に対して、アメリカは曖昧な姿勢に終始したのです。以上の事実関係は、寺島氏及び遠藤氏の発言のいい加減さ(というより事実関係を踏まえない無責任さ)を如実に示すものです。
 遠藤氏と寺島氏にさらに共通するのは、プーチン・ロシアの安全保障に関する切実な問題意識を無視し、今回の行動は「ソ連崩壊後の喪失感が危険なナショナリズムに立つプーチン専制」(寺島氏)、「虚偽に満ちた現状認識、怒りで歪(ゆが)んだ歴史解釈、そして力しか信じないシニシズム(冷笑主義)」「全体主義的な傾き」(遠藤氏)に由来すると決めつける姿勢です。"専制主義、全体主義のプーチン・ロシアだからこそ今回のウクライナ侵攻になったのだ"というのは西側諸国、日本国内に圧倒的に支配的な見方です。「権威ある」両氏の発言はそういう俗論を肯定する役割を客観的に果たしてしまっています。
 そういう短絡的な見方からは、「中ロ関係も複雑で一筋縄ではいかないかもしれませんが、今回の危機が両国にブロックを形成させ、分断された世界秩序につながっていく可能性もあります」(寺島氏)、「中国は、ロシアの行為を侵略と呼ばず、同国産小麦の買いつけに走った。現状変更への力と意志をもつ権威主義国同士の接近は、米ソ冷戦の比喩ではすまされないほど、今後の国際環境が厳しいことを示唆する」(遠藤氏)という主張が安易に導かれます。つまり、「専制主義」「全体主義」という共通項で括られる中国とロシアによる"(西側支配の)国際関係・秩序に対する挑戦"という図式化です。
中国は、ロシアの「不可分の安全保障」原則に関する対西側主張を肯定的に理解しているのはそのとおりです。それは西側の「東方拡大」がロシアの安全保障に対するリアルな脅威となっているという認識に基づくものです。しかし中国は国連憲章の諸原則に基づく民主的な国際関係の構築に対して意欲的に取り組もうとしています。したがって、ロシアのウクライナに対する侵攻に対しては明確に一線を引いています。アメリカ主導のロシア糾弾の安保理決議に対して中国が棄権票を投じた所以です(ちなみに、QUADの一員であるインドも、そして湾岸諸国の一員であるUAEも棄権票を投じました)。したがって、「民主主義対全体主義」という構図ですべてを割り切る両氏(及び西側)の国際情勢認識のあり方についても、私たちは冷静かつ客観的に、何よりも事実関係に基づいて、公正な判断を行う必要があることを強調しておきたいと思います。