中国共産党が模索しながら実践する「中国的民主」とは、中国における表現によれば「社会主義民主」あるいは「人民民主」と名づけられているものです。2015年10月28日に国連総会で演説した習近平主席は、「平和、発展、公平、正義、民主、自由は全人類の共同価値であり、国連の崇高な目標でもある」と述べました。西側諸国が「普遍的価値」と名づける「デモクラシー」と「人権」を「平和、発展、公平、正義」とともに「全人類の共同価値」と位置づけたことが注目されました。アメリカをはじめとするいわゆる西側諸国は、"「権威主義」「全体主義」の中国には語るべきデモクラシーは存在しない"と決めつけますが、それは西側のモノサシを機械的に中国に当てはめるからそういう結論になってしまうのであって、中国は中国なりに、しかも大真面目で中国に適した民主のあり方を模索しています。そのことは、「民主がなければ社会主義はない」という彼らの認識表明に端的に表れています。
 それでは、「中国的民主」あるいは「社会主義的民主」「人民民主」とはいかなるものであるのか。私は今回、レジュメを準備する中で認識を新たにすることが少なくありませんでした。中国が欧米由来の「デモクラシー」に接して「民主」と訳したのは19世紀から20世紀にかけてであり、日本とさほど差があるわけではありません。しかし、天皇主権の戦前の日本とは異なり、三民主義をひっさげた孫文の清朝打倒運動、さらには五・四運動(1919年パリ講和会議のベルサイユ条約に対する不満から北京で発生し、全国に広がった抗日・反帝運動)を通じて、「民主」は中国共産党が率いる中国革命の中心的価値として位置づけられました。
 私が学んだのは、「中国的民主」を考える上では、さらに3つの要素を考慮に入れなければならないということでした。第一、春秋戦国以来、豊富な思想を生み出してきた中国は、外来の「デモクラシー」を土着化させ、発展させる政治思想上の土壌を備えていることです。このことは、「政治思想史」がそもそも欠落している日本(日本政治思想史の丸山眞男の指摘)との決定的な違いです。第二、中国共産党草創期の指導者たち(筆頭が毛沢東、朱徳、周恩来等)は1917年のロシア革命に大いに啓発され、マルクス主義思想を貪欲に吸収しました。私はかねて、草創期の中国共産党が置かれた過酷な環境を考えると、マルクス主義の原典に接することは至難だったのではないか、と想像していました。しかし今回アグネス・スメドレー『偉大なる道』を読み返すことを通じて、彼らの知的探求のエネルギーはその困難を克服していたことを知ることができました。
 第三そしてこれこそが「中国的民主」を理解する上で不可欠なのですが、井崗山から長征を経て延安抗日基地を建設する過程での模索、実践を通じて、中国共産党は今日につながる「中国的民主」のひな形を作り上げていったことです。言い訳になりますが、大昔に『偉大なる道』を読んだ時は、朱徳という人物に関心が集中したために、以上の重要なポイントを読み過ごしていたのです。
例えば、中国の文献は「中国共産党の領導と人民当家作主(プラス依法治国)」が「社会主義民主」の要諦だと指摘します。私たちの常識からすると、「中国共産党の指導」と「人民主権」が両立するはずはあり得ない、ということになりがちです。しかし、歴史の主人公である人民大衆(農民)のエネルギーを引き出しながら革命運動を率いた中国共産党の歴史に接する時、なるほどとうなずけるのです。『偉大なる道』では、感性的認識に留まっている人民を理性的認識に導く中国共産党の役割を具体的に描き出している2つの場面が出ています。また、「お上」思想に「毒されている」私たち日本人にとっては想像もつかないことですが、みんなが参加して議論する集会の情景も描写されていますが、そこでは朱徳も農民もまったく対等平等であり、「お上に忖度して口を濁す」などということはないのです。
 習近平時代の中国は、欧米的「デモクラシー」の「人類共同の価値」性を認めつつ、中国の伝統的政治思想の中に共通水脈を確認し、新民主主義革命以来の実践と模索を理論的に体系化する作業を精力的に進めています。そして、欧米的デモクラシーと中国的民主とを隔て、中国的民主が欧米的デモクラシーより優れている所以を、中国社会の隅々にまで行き渡り、張り巡らされている「協議によって物事を決め、執行過程でも協議によって検証する」民主的システム・プロセス、すなわち「協商民主」の存在の中に確認し、いわば「選挙デモクラシー」に堕している欧米デモクラシーと対比しつつ、中国的民主の本質は「全過程民主」(習近平)であると結論するに至っています。
 以上が今回のお話しで紹介したい要点です。詳しくは以下のレジュメをご覧ください。↓

中国共産党の「中国的民主」