梨の木・ピース・アカデミーでの戦後日中関係をテーマとするお話しの第5回は、中国で習近平指導部が成立し、日本では第2次安倍政権が登場した2012年から今日までの10年弱の期間を扱います。アメリカでは、「アジア太平洋重視戦略」(リバランス戦略)を重視するオバマ政権から、商売人根性丸出しで戦略的思考などおよそ持ち合わせていないトランプ政権を経て、「セルフ・インタレスト」を政策の中心に据えるバイデン政権までに至ります。
 「米日対中国」という大きなフレームワークを仮設してみましたが、結論としては適切ではなかったようです。そもそも習近平・中国は、ゼロ・サム的パワー・ポリティックスを根本から否定し、共存共嬴(ウィン・ウィン)の国際関係のあり方を提唱しています。中国の台頭・興隆に体質的に反発する安倍・日本は「インド太平洋戦略」で対抗しようとするのですが、アジア太平洋重視戦略のもとで中国経済の飛躍的発展を基本的に肯定したオバマ・アメリカの採用するところとはなりません。国際関係もビジネスと割り切るトランプ政権は、中国から最大限の譲歩を引き出すためのカードの一つとして安部発の「インド太平洋戦略」を採用しましたが、安倍の意図とは程遠いものでした。同じ「インド太平洋戦略」を唱えながらも、その目的とするところは同床異夢だったわけです。安倍政権が退陣に追い込まれて「棚ぼた式」に菅政権が成立し、トランプ再選を阻止したバイデン政権の就任を受けて、「米日対中国」の構図はにわかに現実味を帯びつつあるかに見えます。バイデン政権は中国を最大の脅威・競争相手と断定し、菅政権はバイデン政権の対中対決政策に全面的に迎合しているからです。菅政権は「野垂れ死に」の運命ですが、後継政権を狙う候補者たちは「反中」を競い合っており、誰が後継の総理・総裁になっても「米日対中国」の構図を揺るがすとは考えにくい状況です。
 しかし、21世紀という歴史的大局から見れば、アメリカのゼロ・サムのパワー・ポリティックス思想は明らかに過去の遺物であり、習近平・中国が唱道する共存共嬴(ウィン・ウィン)思想がこれに代位するであろうことは歴史的必然です。むしろ、ブッシュ(父)からバイデンに至るアメリカがいまだにパワー・ポリティックスに凝り固まっていることが異様であると言わなければならないし、対米追随を「天然の理」として思考停止に陥っている日本政治は異様の次元を通り越して醜悪ですらあると言うべきです。
 さらに言えば、1990年代から今日に至るアメリカには、もはや戦略らしい戦略すら見いだすことがむずかしいと言わなければならないと思います。トランプは論外として、ブッシュ(父)の「新世界秩序構想」、クリントンの「ユニラテラリズム」、ブッシュ(子)の「対テロ戦争」、オバマの「アジア太平洋重視戦略」、バイデンの「セルフ・インタレスト」のいずれを取っても、「戦略」本来の意味からは程遠い、薄っぺらなものです。パワー・ポリティックスの本質的限界が露呈されているとも言えます。歴史的弁証法に拠って立つ中国の思想的優位性は否定するべくもないというのが私の結論であり、実感です。
 もう一点、第二次大戦後のアメリカが推進してきた「国際主義」とトランプ流の「一国主義」とは真っ向から対立する主張・理念であるのかについても再検討が必要だと思います。戦後の国際レジームがアメリカ主導で形成され、そのアメリカが政治、経済、軍事で圧倒的優位にあった1960年代までは、「国際主義」を実践することでアメリカの利益が自動的に保証される仕組みがビルト・インされていました。しかし、1970年代以後、アメリカ経済が様々な問題に直面する一方で西欧、日本の経済力が増大し、1980年代以後には新興経済が台頭するようになって来ると様相が変わってきます。さらに、ソ連崩壊で西側諸国共通の安全保障上の脅威が「消滅」することによって、アメリカのリーダーシップは自明ではなくなります。
 クリントン政権が「ユニラテラリズム」を前面に押し出すことになったのは、「国際主義」というきれい事を言っているだけではアメリカの利益が自動的に保全されなくなった客観的情勢へのアジャストメントの試みであったことが分かります。ただし、「ユニラテラリズム」は「マルティラテラリズム」の対照語であり、「国際主義」のカテゴリーの中にも収まります。ブッシュ(子)の「対テロ戦争」、オバマの「アジア太平洋重視戦略」も、「国際主義」と「一国主義」の双方の意味合いを含んでいました。
 「国際主義」をかなぐり捨てたのはトランプの「一国主義」においてです。「国際主義」を色濃く継承してきたバイデンは、トランプの主張がアメリカ国内で大きな影響力を持っている現実を無視できず、「国際主義」を「セルフ・インタレスト」(トランプの「一国主義」を言いかえた表現)実現の手段と位置づけました。別の表現をすれば、「国際主義」にもともと含意されていた「一国主義」を、バイデンは「一国主義=目的」、「国際主義=手段」として明示化したということになると思います。しかしバイデンの定式化によって、「国際主義」のイデオロギー的本質も暴露されることになりました。

 今回(第5回)のレジュメを添付しますので、関心のある方はご覧ください。↓

第5回 「米日対中国」の構図と日中関係